−大混雑に心が折れた2017GWの旅−
山行概要
2017年5月3日(祝)〜5日(祝) | ||
大三島 | ||
K、私 | ||
京都〜八幡浜〜佐田岬〜大洲〜松山 | 松山〜道後温泉〜松山〜今治 | 今治〜大三島大山祇神社=0:35=安神山=0:30=奥の院=0:05=大山祇神社【1:10】〜洲本〜京都 |
記録文(写真はクリックで拡大)
5/3 晴れ時々曇り
せっかくの五連休だが、足の調子がよろしくなく、観光モードへ…(涙) 久しぶりに愛媛に向かう。
渋滞回避のため、3日の4時に京都を出発。淡路島経由で長駆愛媛へ。松山を通り過ぎ、八幡浜まで一気に向かう。港にある「八幡浜みなっと」という道の駅等の複合施設に11時過ぎに到着。
ちょうど昼飯時だったので、施設内にある「どーや食堂」へ。ここで、「特選海鮮どーや丼」1800円にむしゃぶりつく。
腹を満たして、佐田岬へ向かう。その細長い形状から、先端マニア(笑)の私としては、どうしても行きたいところである。
しかし、灯台への遊歩道の入口にある駐車場の手前まで、八幡浜から1時間半もかけてたどり着いたのに、駐車場待ちの車で長蛇の列が… GW恐るべし。手前の伊方町三崎の観光施設から出ていたシャトルバスに乗るべきだった… 泣く泣く反転する。
気を取り直して、大洲へ。
日本100名城の大洲城も大混雑と思いきや、穴場なのか空いていた。
複合連結式層塔型4重4階の天守は老朽化のために明治21年(1888年)に解体されたが、平成16年(2004年)に大洲市市制施行50周年記念事業として伝統工法を用いて復元された。
忠実に復元されたため、最上部まで登る階段は急で、なかなかに骨が折れた。
肱川(ひじかわ)の向こうにまち並みが広がる。懐かしい光景だ…
大洲城は、関ケ原前後に、藤堂高虎、脇坂安治が造営し、元和3年(1617年)に加藤貞泰が米子から6万石で転封され、以降12代、大洲藩は、明治まで続いた。
満足して松山市内へ。予約していた居酒屋の「網元」さんへ。
サバ刺し、サバしゃぶ、カワハギ刺しに悶絶!
足袋えびも最高!
食事後、道後温泉本館に行こうとしたが、夜8時なのに長蛇の列で、諦めてこの日は早々に寝た。
5/4 晴れ
7時前に道後温泉本館に再チャレンジ。しかし、既に長蛇の列が… ホンマにGW恐るべし。インバウンドも果てしなく増加するし、真剣に休日の分散を考えるべきでは…
諦めて、少し離れた「椿の湯」に入浴。ここも結構混雑していたが、何とか潜り込めた。
入浴後、近くの道後山山腹にある、伊佐爾波(いさにわ)神社へ。国の重要文化財に指定されている社殿は、全国に3例(他は、宇佐神宮と石清水八幡宮)しかない八幡造である。
続いて、近くの日本100名城である湯築城跡へ。
湯築城は、中世の城で、伊予国の守護であった河野氏が南北朝期から戦国期(14世紀前半から16世紀末)まで、約250年間にわたって居城としていた。近世の城ではないので、石垣等はなく、こんもりとした、ただの丘だが、山麓の資料館も鑑賞し、満足して市内中心部に向かう。
松山城を20年以上振りに探訪することにするが、まずは市街中心部の駐車場を探すのに一苦労。ようやく城から1キロ近く離れたコインパーキングに車を止めて城に向かったが、ロープウェイ前には既にここでも長蛇の列が… これくらいの混雑は想定内だったが、何と天守閣は1時間待ちらしい… またもやGW恐るべし… 基本並ぶことのできない私は早々にギブアップ…
仕方がないので、ロープウェー街をブラ散歩し、伊予うどんの「本家小田吉」さんの看板に惹かれて店内へ。
メニューは伊予うどん1000円のみ。四国でもっとも古く弘法大師が教えたと言われるうどん(店主曰く「讃岐うどんは変節した」らしい)で、伊予伝統の熟成いりこ出汁のつゆを使い、7つの薬味を一緒に釜揚げたらいうどんで食すスタイル。何玉あるんかいなと思うほどのボリュームで、お腹がパンパンに…
人が多過ぎる松山に疲れ果て、とっとと今治に向かうことに。
途中、今治の奥座敷と言われる、鈍川温泉に立ち寄り、のんびり入浴。貧乏性の私はいつも旅先では駆けずり回ってしまうのだが、今回は、混雑も相まって意識的にのんびりしている。
今治市内の喧騒はまだましだった。テクスポート今治にある「今治タオル本店」でのんびり買い物していたら、今治城の観覧時間を過ぎてしまった… 100名城の今治城はまたの機会に…
予約していた「きく鳥」さんへ。
外からは全く分からない隠家的なお店で、今治名物の焼き鳥を堪能。大満足で宿へ向かった…
5/5 晴れ
足は痛いが、少しは山に行きたいということで、大三島を目指す。しまなみ海道も大混雑が見込まれたので、この日も早朝出動。そのかいあって、大山祇神社近くの道の駅「しまなみの駅 御島」の駐車場に駐車成功。
まずは、大山祇神社の参拝に向かう。
大山祇神社は、伊予国一宮で、三島神社や全国の大山祇神社の総本社であり、山の神・海の神・戦いの神として歴代の朝廷や武将から尊崇を集めた。そのため、武具の奉納が相次ぎ、全国の国宝・重要文化財の指定を受けた武具甲冑類の約4割を所蔵しているという、物凄い神社である。
境内はクスノキの森となっており、巨木も多い。特に、境内ほぼ中央にある、「乎千命(おちのみこと:大山積神の子孫で、瀬戸内の治安を司って芸予海峡の要衝である大三島を神地と定め、大山祇神社を創建した)御手植の楠」は、幹周11m、根周り20m、樹高15mで、伝承樹齢2600年!?という。存在感は圧倒的だ。
拝殿は、本殿と同様、室町時代の応永34年(1427年)の再建。堂々とした切妻造檜皮葺で、国の重要文化財に指定されている。
ひととおり境内を巡ってから、近くの安神山に向かう。社務所の奥から道路に出て、橋を渡り、国宝等が収められている紫陽殿の前から、川沿いに少し進むと、右手に山に上がる車道があり、それを拾って登っていくと、「安神山わくわくパーク」の一角となり、安神山を経由し、大山祇神社のご神体である鷲ヶ頭山へ続く、歩道入口となる。
舗装された遊歩道で登っていく。痛めた足でも何とか登っていける。
安神山は見た目は岩で武装された尖峰で、なかなか登りごたえがありそうだ。よく見ると、岩登りのゲレンデにもなっているらしく、人が取りついている。
一気に標高を上げ、振り返れば、瀬戸内の島々や、眼下には、天然記念物「大山祇神社のクスノキ群」の新緑も鮮やかだ。
山道に代わった急登を汗だくになって登り切ると、祠が鎮座する、安神山山頂である。
見えなかった島の反対側も見える。目の前には、最高峰の鷲ヶ頭山も雄大に聳えるが、足が痛くて断念… 大人しく下山した。
境内から少し離れた奥の院に立ち寄る。その手前には、樹齢2000年または3000年と伝承される大クスノキがある。真ん中が空洞になっていて、奥の院への参拝通路となっていて、生樹の御門と呼ばれている。くぐると長寿の利益があるなどと信仰されている。
境内に戻り、お目当ての紫陽殿へ。教科書で何度も見た、源義経奉納の国宝「赤糸威鎧 大袖付」など、100点近い国宝、重文に圧倒される。大満足で駐車場へ戻る。
11時過ぎだが、道の駅の駐車場に止めようとする車の長蛇の列ができており、辺りは大混雑。
早々に脱出し、今治市内で昼食を取り、湯ノ浦温泉「四季の湯ビア工房」」で入浴後、帰途に就くが、この日は大渋滞が見込まれており、実際、午後6時の時点で、神戸〜洲本の渋滞は45キロに達していた…
このため、淡路島でのんびりと食事をし、仮眠をして、ようやく渋滞が解消された1時にリスタートし、快調に帰洛した。
参考タイム
5/5 | 大山祇神社 8:55 ⇒ 9:30 安神山 9:40 ⇒ 10:10 奥の院 10:15 ⇒ 10:20 大山祇神社 |
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