南アルプス縦走(悪沢・赤石)

南アルプス縦走(悪沢・赤石)


荒川前岳からの赤石岳荒川前岳からの赤石岳


【日 程】1994年8月26日(金)〜29日(月)
【人 数】男2人
【コース】
 26日 塩川土場=0:50=尾根取付=2:15=三伏峠【3:05】
 27日 三伏峠=0:35=烏帽子岳=0:35=前小河内岳=0:35=小河内岳=1:05=大日影山分岐=0:30=板屋岳=0:40=高山裏避難小屋=1:40=荒川前岳=0:15=中岳避難小屋【5:55】
 28日 中岳避難小屋(悪沢岳ピストン70分)=0:55=荒川小屋=0:30=大聖寺平=0:55=小赤石岳=0:30=赤石岳=0:40=北沢源頭=0:30=富士見平=0:25=赤石小屋【5:35】
 29日 赤石小屋=2:15=椹島【2:15】

【記録文】
 26日 晴れ後曇り
 京都=ちくま=塩尻=タクシー=辰野=飯田線=伊那大島=バス=塩川土場という長ったらしいアプローチを経て塩川を出発したのは9時を少し回っていた。寝不足と蒸し暑さと久しぶりの重荷に閉口しつつも、塩川沿いの平坦な登山道をまずは尾根の取付点目指して進む。水無川を渡るとすぐに尾根に取付き、名高い三伏峠の急登がいよいよ始まる。3年前に北岳〜塩見をやった時に1度下ったことがあるので、ある程度予想はしていたものの、やはりキツイ。30分1本のペースでじっくり登る。ところが、2人とも意外と調子が良く、高度計の数値がグングン上昇、塩川から3本で水場、そして6本目の13時にはあっけなく峠に突き上げてしまった。これが明日以降の長丁場に向けての大きな自信になったのは言うまでもない。
 三伏峠小屋に宿泊の手続きをしてから、峠のお花畑で遊ぶ。マツムシソウ、トリカブト等がまだかなり咲き残っており、得した気分になる。16時ころから激しい夕立が降り、一目散に小屋に逃げ帰る。今日の宿泊者は全部で40人位か。結構登山者がいるのには驚く。それもほとんどがジジババ軍団で、本当に山には僕らの世代(当時25才前後)の人間はいなくなってしまったと痛感する私であった。
 夕食はジィフィーズのカレーと海草サラダ等。軽量化のため今回の食事はすべてフリーズドライにした。ご飯はアルファ米だ。あんまり旨くないが、無理矢理腹に詰め込んで、早々に寝た。


烏帽子岳からの御来迎 烏帽子岳からの御来迎


 27日 快晴
 3時起床、4時発。頭上は満天の星空。まずは三伏ガレの絶壁に沿うようにして、進む。ヘッドラン歩行のため、足下注意。烏帽子岳へはゆるやかな登りで楽勝。周囲は次第に明るくなり、黎明の空に塩見の膨大な山体が浮かぶ。いったん下り、ゆるく登り返すとすぐに前小河内岳。ここで日の出となった。次の小河内岳はだだっ広いピークで、ガスの時は注意が必要か。東側直下に避難小屋がある。ここで大休止をとる。とにかく展望は最高。南アのすべてが見渡せたと思う。とりわけ荒川三山は巨体な壁のようだ。今日中にあの高みに到達しなければならないと考えると、思わず闘志が湧いてくる。


大日影山分岐付近から赤石岳を望む 大日影山分岐付近から赤石岳を望む


 小河内岳からは、かなり高度を下げ、南アらしい樹林帯の尾根を進む。たいしたアップダウンはなく、順調に距離を稼ぐ。大日影山分岐付近は日本庭園のよう。分岐のすぐ先のガレ場で一気に展望が開け、赤石岳が意外な近さで現れ、我々を喜ばせる。ここから少しの登りで板屋岳。なおも鬱蒼とした森の中を突き進むと、ひょっこりと高山裏の避難小屋に飛び出した。まだ9時半を少し回ったばかり。後半戦に向けて、大きなマージンが得られ、思わずニヤリとする。これで荒川の登りもじっくりこなせるというものだ。


前岳の登りを振り返る 前岳の登りを振り返る


 小屋から20分程先の水場で3リットルずつ補給(今日の宿泊地、中岳避難小屋は水が無い。)をして、いよいよ今日の天王山、荒川前岳への標高差500m以上の登りにかかる。眼前の稜線は覆い被さるように高い。ガレ場の急斜面をジグザグにひたすら登る。しかし、どうもこの山域のコースタイムは甘いようで、あっけなく2本で3000mを突破し、前岳のピークで昼食。南部の盟主、赤石岳をすぐ目の前に見ながらの豪華なランチであった。ここから中岳へは10分程。今度は悪沢岳が豪快に迫る。南アの山は本当に1個1個が大きく、久方振りにじっくりと『山』を味わうことができたような気がしてきた。
 今日の行程はすぐ下の避難小屋で終了。3000mを優に超えた素晴らしいロケーションの小屋で、夕暮れは絶品であった。
 今日の夕食はおこわ(アルファ米)と八宝菜。八宝菜はフリーズドライとは思えない程の出来で、お進め品です。標高のせいか、この夜はかなり冷えこみ、シュラフ1枚ではちょっと心許なかった。

 28日 快晴
 今日はいよいよ悪沢、赤石を踏む日。3時半起床、4時半発。北ア、中アの上空に雷雲が居座っており、時折鋭く光っているが、こちらに影響はなさそうだ。まずはサブザックで悪沢岳に向かう。空荷で良かったと思えるほど、いったん大きく下り、浮石の多い、急峻な登行になる。気がはやるせいか、グングン高度を上げ、日の出直後に待望の悪沢岳のピークに到着。遮るもの無い広潤な展望が広がる。2人は小1時間ほど至福のひとときに包まれたのであった。


悪沢岳から赤石岳 悪沢岳から赤石岳


 帰りもほぼ同じ時間で小屋に戻る。さあ、今度は赤石だ。荒川小屋まではちょっともったいないほど高度を下げる。ジグザグのきつい下りで、浮石が多く、慎重に下降する。途中水場を通過し、青い屋根が特徴的な荒川小屋に到着。ここで水を補給しようとするが、雨不足で小屋の水場は涸れており、結果的には450m離れた先の水場の下流部分まで戻らねばならず、ドッと疲れた。


大聖寺平を進む 大聖寺平を進む


大聖寺平からの荒川岳 大聖寺平からの荒川岳


 気を取り直して、先に進む。大聖寺平へはゆるやかなトラヴァースが続き、いったん息をつくが、ここから小赤石への急登が始まる。ダマシ平で一息つけるものの、この後の登りが半端じゃなくとてもキツイ。小赤石の肩で再び3000mの世界に突入、今まで見えなかった本峰も姿を現し、気合が入る。肩から小赤石のピークはすぐ目の前だ。これで本日のザックをかついでの登りはほぼ終了。椹島への分岐である鞍部にザックをデポして、最終目的地の赤石本峰へ。一等三角点の埋まる山頂は2人だけの独占。やっと着いた〜!!! これほどまでに登頂感の味わえるピークは久しぶりだ。心ゆくまで周りの眺望を楽しむ。


赤石岳山頂にて 赤石岳山頂にて


 1時間余りはピークにいただろうか。ガスがだいぶ上がって来たので、渋々下山開始。目の前の聖岳に向かって、『また来るぞ〜』と叫ぶ(約束は3年後に果たした)。分岐からいきなり急降下が始まる。カール壁に沿ってのジグザグ下りで、落石注意。背後の稜線がはるか上方に見えるころ、北沢源頭の水場に到着。ここからルートは沢筋を離れ、小赤石尾根の方に乗換える。
 尾根上に出るまで、長いトラヴァースが続く。もうイヤになるころ冬季ルートの分岐に到着し、ようやく尾根上にたどり着いたことを知る。ここから富士見平はすぐそこ。展望の良さそうな小平地だが、主稜はガスの中。すぐ下方に赤石小屋が見下ろせるのみ。その小屋へはあと20分程の下り。今日もなんとか歩き切ることができ、さすがにホッとする。ここまで来ればもう95%は成功したようなものだ。ビールで乾杯。
 明日乗る予定のリムジンバスの関係で、小屋には2食付きで泊まる。まだ食料はかなり余っていたのだが… 地獄の林道歩きを思えばまあしょうがないか。
 この赤石小屋は南アとは思えないほどの立派な小屋です。おかげでぐっすり眠ることができました。

 29日 快晴
 ついに最終日になった。今日は13時のバスに間に合えばいいので、6時起床の7時発。今山行始めてのんびりとした朝をすごすことができた。
 小屋前の展望台から南部主稜の最後の展望を楽しんでから出発。深い樹林帯に突入する。噂通りの急降下だが、よく踏まれており、たいしたトラブルもなく快調に進み、ペースは抑え加減にしていたのだが、結局3本で椹島に降り立つことが出来た。(9時半着)
 後はバスの時間まで、生ビール、大井川でのクールダウン、そしてロッジでの入浴という下山後の楽しみフルコースを満喫し、充実した南アの4日間を締めくくったのでありました… と、思いきやまだ下山は終わっていなかった。畑薙第二発電所〜八木尾又間で車道が崩壊しており、通常は畑薙第一ダム止まりのリムジンバスが崩壊地手前まで延長運転してくれるものの、崩壊現場を迂回するために、いったん大井川の河原まで下って、また八木尾又手前の車道まで登りかえさなければならなかったのである。ノンストップでも30〜40分かかるこの迂回路のおかげで、またもや汗だくとなり、虎の子の1着しかない着替えが汗臭くなってしまった。(;_;)
 色々あったものの、その後静鉄バス、新幹線と乗り継いで、9時過ぎに帰阪することができた。今年最大規模の山行を、大成功のうちに終えることができた大満足の4日間だった。


      

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