安芸ぶらり散歩

−夜行バスとカーシェアのコンボで、コスパと機動力を両立した高知の旅その2−

   

山行概要

日 程
2018年3月11日(日)
天 気
快晴
メンバー
F、私
コースタイム
土佐くろしお鉄道安芸駅=0:30=野良時計=0:05=土居廓中=0:05=安芸城跡=0:25=土佐くろしお鉄道安芸駅【1:05】

記録文(写真はクリックで拡大)

 昨日の岡豊城跡や高知市内探索に続く2日目。
 が、寝坊してしまった… この日は安芸市の探索を予定していたが、土佐くろしお鉄道を使っては機動力が落ちるので、やむなくこの日もタイムズカーシェアを利用することに。イラストの描かれた列車に乗って、のんびりとローカル線の旅を楽しみたかったが、仕方がない。

土佐くろしお鉄道安芸駅 11:06

 はりまや橋付近のタワーパーキングの屋上から発進し、快調に東へ。
 あっという間に、安芸駅前に到着〜。駅前には無料駐車場があり、古い街並みまで直接車で乗りつけても良かったが、あまりに気持ちの良い快晴なので、駅からプラプラ歩くことに…
 線路をくぐり、一本道を北へ。南東側に公園が整備された交差点を左折すると、前方に時計台が見えてくる。

野良時計 11:35

 安芸市のシンボル的存在。
 家ごとに時計のなかった明治の中頃、この辺りの地主であった畠中源馬氏が、アメリカ製の八角掛時計を取り寄せて分解・組み立てを繰り返し、自分で時計組み立ての技術を身につけ、歯車から分銅まで全てのパーツを手づくりで作り上げた時計台であり、周囲の田園で農作業に従事する人々が時間を知るのに役立っていたらしい。
 時計は北側正面と東側・西側の計3面あり、作製当初は同時に動いていたが、しばらくして正面のみの作動となり、源馬氏の孫にあたる畠中秀雄氏が平成16年(2004年)に死去すると管理する者がいなくなったため止まってしまった。なので、この日も時計の針は4時45分を指していた…
 平成8年(1996年)、国の登録有形文化財となった。

土居廓中の家並み 11:41

 野良時計の北側には、土居廓中(どいかちゅう)と呼ばれる武家町が広がる。
 ここは、戦国期に築かれた安芸城を中心に、江戸時代、ここに大規模な屋敷を構えた土佐藩家老五藤家により形成された武家町である。
 この地は、土居廓中は近世の町割の骨格を現在に留めており、また江戸末期から昭和戦前期に建てられた主屋や土蔵、蚕室など伝統的な建造物が良好に残されていることから、平成24年(2012年)に重要伝統的建造物群保存地区に選定された。
 中でも、ドヨウダケ、ウバメガシなどで形成された生垣は、土居廓中の歴史的景観を形成する重要な要素であり、江戸期から管理のための詳細な規定が設けられていたことが記録として残っている。

安芸城跡 11:45

 続いて安芸城跡へ。鎌倉時代末期からこの地の豪族であった安芸氏が城を構えていたと伝えられている。
 その後、長曾我部元親が安芸氏を滅ぼし、元親の弟である香宗我部親泰が安芸城に入城し、阿波進攻の拠点となった。
 関ヶ原の後、山内氏の重臣の五藤為重が1100石で入城したが、元和元年(1615年)の一国一城令により、城ではなく「土居」と称した。
 以後、明治時代に至るまで「安芸土居」として五藤氏が居住した。

藤崎神社 11:52

 城内の平地部分の北奥には、藤崎神社が建つ。
 ある藤崎神社は、五藤為重の兄である五藤為浄とその一族を祀った神社。  五藤為浄は父の代からの主君である山内氏に仕え、元亀元年(1570年)の織田信長の越前朝倉氏攻めの際、主君の山内一豊が敵を打ち取りながらも矢で射られ、矢は一豊の左目尻から右の奥歯にかけて突き刺さっていたところ、付き従っていた為浄は矢を抜こうとするも簡単には抜けず、ついには草鞋を履いたまま主君の顔を踏みつけて矢を引き抜いたという。
 為浄はその後も一豊に従い各地を転戦するが、「賤ヶ岳の戦い」の前哨戦である伊勢亀山城攻撃の際に、一豊の城内一番乗りを助ける働きをするが討死した。
 土佐藩主となった一豊は為浄の数々の武勲を称え、また、同じく目覚しい働きをした為浄の弟・五藤為重を重用し、安芸を与えた。武勲のきっかけとなった一豊に刺さった矢じりは五藤家の家宝となり、為浄の履いていたわらじはこの藤崎神社のご神体になったとも伝えられている。

安芸城一ノ段から南西方向の眺望 11:56

 安芸市歴史民俗資料館の前から、山上の城跡へ向かう登路が付けられており、三ノ段、二ノ段と郭跡が残り、最上部には本丸と言える一ノ段の広場がある。
 西側の展望が良好。安芸市内が一望のもとである。
 またプラプラと安芸駅に戻り、井ノ口という集落に岩崎弥太郎の生家があると聞いたので、車で向かう。

岩崎弥太郎銅像 12:54

 「東洋の海上王」と呼ばれ、三菱財閥の礎を築いた岩崎弥太郎の生家の駐車場のところに銅像が立っている。
 昭和60年(1985年)に岩崎弥太郎生誕150年を記念し、有志にて安芸駅の南の江ノ川公園に建立されたが、平成27年(2015年)3月に岩崎弥太郎生家前に移設された。
 像の高さは3.3mもあり、台座の高さも1.1mあるので、かなりの迫力である(顔もコワモテだし…(笑))。

岩崎弥太郎生家 12:57

 この家は、弥太郎の曽祖父、弥次衛門が郷士の株を売って建築したもので、建坪約30坪藁葺きの平屋である。
 生家の西側と後方にある土蔵の鬼瓦に「三階菱」の岩崎家の紋がつけられていて、現在の三菱のマークの原型といわれている。
 また、生家の座敷より庭園を眺めると、小さな庭園に石組が配置されており、これは少年時代の岩崎弥太郎が天下雄飛の夢を託して、日本列島を模して自分で作ったものだといわれている。
 大満足で安芸市の探索を終了。高知市内へ戻る。返却場所のタワーパーキングは満車で、行列ができており、こちらは満車でもカードを通せば入場できるのだが、いかんせん、行列の車にどいてもらわないと入場できないので、どうしようもなく、こちらも行列に加わることに。返却予定時間が迫っており、焦るが、何とか時間内に返却できた。ゲート式のパーキングから発進するタイムズカーシェアに、こんなリスクがあったとは…

「葉牡丹」さんで、高知最後の昼呑み!@ 14:36

 5年前のGWにも一人で来た、高知の伝説的居酒屋「葉牡丹」さんに突入!。14時半という中途半端な時間でも、店内はほぼ満員と言う盛況だったが、何とか潜り込むことに成功!

「葉牡丹」さんで、高知最後の昼呑み!A 14:39

 高知産ニラのニラ肉炒め! 今回も強炭酸ハイボール10杯で昇天…(笑)
 よろめきながら高知駅まで歩き、17時13分発の南風24号から岡山で新幹線を乗り継ぎ帰洛しました。
 久々の高知の旅、サイコーでした。

参考タイム

3/11 土佐くろしお鉄道安芸駅 11:0511:35 野良時計 11:3511:40 土居廓中 11:4011:45 安芸城跡 12:1512:40 土佐くろしお鉄道安芸駅

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