奈良・安堵町ハイク

−古の歴史と文化の香る町・安堵町をウォーキング−

   

山行概要

日 程
2022年12月11日(日)
天 気
曇り
メンバー
単独
コースタイム
近鉄平端駅=0:10=来迎寺=0:10=額安寺五輪塔=0:10=額安寺=0:15=中家住宅=0:35=飽波神社=0:30=上宮遺跡公園=0:15=JR法隆寺駅【2:05】

記録文(写真はクリックで拡大)

 前日、死ぬほど痛飲したにも関わらず、この日も出撃(笑)… 我ながら度し難い…
 いつもコース選びの参考にしている「歩く・なら」さんのサイトに、今まであまり馴染のなかった安堵町を散策するルートの紹介があったので、これを辿ることに。

 始発に近い5時台の便で枚方を出発し、スタート地点の近鉄平端駅には7時20分過ぎに到着。
 まだ薄暗い中、歩き出す。

来迎寺 7:35

 駅前から西に進んで行くと、10分程で、立派なお堂が北側に目に入る。これが来迎寺で、開創については不詳だが、元禄10年(1697年)に現地に移ってきたといわれている。

額田部北町の辺り 7:44

 さらに西へ進み、融通寺の辺りで南に進路を変える。
 この辺り、額田部北町というところで、趣のある町並みが続いている。ちなみにまだ安堵町には入っておらず、大和郡山市内である。

額安寺五輪塔(鎌倉墓) 7:45

 南へ進んで行くと、右手に重要文化財を示す標識があり、中に入ってみると、石造の五輪塔が8基並んで立っている。
 鎌倉後期に造立されたもので、通称「鎌倉墓」とも言われている。これほど完全な形で残っているのは珍しいらしい。

額田部窯跡 7:48

 五輪塔から西に30mほど進むと、額田部窯跡を囲う覆屋が現れる。
 この窯跡は、鎌倉時代の瓦を焼いた窯跡で、昭和3年(1928年)に全部で3基が東西にならんだ状態で発見された。現在、最も西側に位置する1基のみが覆屋をかけて保存されている。
 窯は、全長1.5m、幅1mの小規模なもので、焼成室の床面に細長い堤(ロストル)をもついわゆるロストル式平窯と呼ばれる形式のもので、薪などの燃料を燃やす燃焼室は南側にあり、焼成室の床面より一段低くなっている。
 鎌倉時代の瓦の破片が出土していることから、額安寺の再興に際し、必要な瓦を焼くために使われたと考えられている。

推古神社 7:51

 五輪塔から南へ進むと、すぐに推古神社が現れる。
 名前の通り、推古天皇を祀っており、推古天皇は額田部皇女(ぬかたべのひめみこ)とも呼ばれていることから、この辺りの出身ではないかと推測されている。
 額田部という地名は、低湿地帯という意味があるようで、当地では「額田、嫁にやっても荷はやるな」と言い伝えられていたらしい。

額安寺 7:55

 推古神社の西隣に額安寺(かくあんじ)が建つ。残念ながら時間が早すぎて開門されておらず、外から眺めるのみであった。
 額田郷を本拠としていた豪族・額田部氏の氏寺であり、かつて額安寺に伝来し、現在では国立歴史民俗博物館に所蔵される国宝の「額田寺伽藍並条里図」によると、奈良時代の額田寺には南大門、中門、金堂、三重塔、講堂、僧坊などの伽藍が建ち並んでいたことが分かる。この伽藍並条里図は、画面に記入されている人名等から天平宝字年間(757−765年)頃の作成と推定され、当寺の創建がこれ以前であり、相当な古寺であることを裏付けている。
 額安寺からさらに西へ進み、県道を横断し、県道106号線の一筋南の路地を西に進んで行く。ようやく安堵町に入ると、大きな古民家が目に入ってくる。

中家住宅 8:10

 これが中家住宅で、二重の濠に囲まれた江戸時代初期の建物を有し、中世の平城様式の舘の姿を伝える屋敷構えで、武家作りと農家作りを兼ねた形がみられる数少ない建造物であり、主屋・新座敷・表門、米蔵・新蔵・乾蔵、牛小屋・持仏堂・持仏堂庫裏の多数の建造物がそれぞれ国の重要文化財の指定を受けている。
 ここも見学は10時からであり、スルー(笑)

馬場塚 8:20

 中家住宅から南西に道なりに進んで行くと、田んぼの一角に五輪塔が立っている。
 これが馬場塚で、何と天正3年(1575年)の長篠の戦いで戦死した、武田家の家臣、馬場信房を供養するために建てられた塔との伝承が残っている。
 何で奈良県に?と思ってしまうが、信房の甥の信久がこの地に逃れてきて、隠れ住んだという伝承もある。現在も周辺には馬場姓が多いらしい。
 安堵町で初めて指定された文化財3件のうちの一つである。

杵築神社 8:20

 馬場塚から少し北に進むと杵築神社が鎮座する。
 この辺りの字名は「窪田」だが、大和川よりも低い位置にあることが地名の由来で、頻繁に洪水に襲われたらしい。
 大字窪田内には杵築神社が2社鎮座しており、当社を通称「中窪田の杵築神社」と称し、もう1社は「下窪田の杵築神社」と称されている。
 創建は記録によると、寿永2年(1178年)で、大和川の付け替えに伴い、昭和35年(1960年)に現地に移転した。
 現本殿は、文化年間(1804年−18年)に春日大社の若宮旧本殿を拝領し、移築したもの。
 御祭神は、素戔嗚尊である。

高塚 8:37

 杵築神社から一つ西の通りを北上し、西名阪自動車道をくぐった先に、古墳らしき盛り上がりがあり、祠が立っている。
 これが高塚で、「聖徳太子に可愛がられていたタカを埋めた」といった伝説が残されている。
 この辺りは、かつて聖徳太子が斑鳩から明日香へ通ったという伝説が残る道で、斜めに走っていることから、筋違(すじかえ)道と呼ばれている。または太子道とも呼ばれる。そうした縁から太子の伝説が残っているのだろう。
 北へ進み、公開していなかった極楽寺の横を抜け、古い町並みを進む。安堵町の文化観光館という交流施設も建っていて、古い町並みの中心のようなところだ。

飽波神社 8:45

 少し西に進むと、飽波(あくなみ)神社が建つ。
 聖徳太子の創建と伝わる、素盞嗚尊を祭神とする安堵町の総鎮守社で、太子が斑鳩の芦垣宮に滞在中、夢で東方に五色の雲がたなびき霊剣が現れるのを見て、素盞嗚尊が牛頭天王となって顕現したと思い、太子が晩年を過ごしたとされる飽波宮の地に牛頭天王の祠をつくったのが始まりとされている。
 本殿は、奈良県指定の文化財であり、また、同社に伝えられている「安堵なもで踊り」は、雨乞いの踊りとして知られ、なかなか雨が降らない状況が続いた後、念願かなって願いが達成された時に踊ったとされ、現在も毎年10月の第4土曜日に奉納されている。踊りに使用する「ナモデ踊り道具」も県指定文化財である。

太子腰掛岩 8:45

 飽波神社の境内には、太子が腰を掛けたという伝承のある、通称「腰掛石」が残っている。

広峰神社 8:55

 飽波神社から北に進むと、小高い丘の上に広峰神社が建つ。けっこう荒れている。
 この地は、聖徳太子が、父用明天皇が病気になった際に、その平癒と伽藍守護を祈願して勧請した場所とされており、寛弘3年(1006年)に恵心僧都により極楽寺が再興された際に、現在の飽波神社の位置へ正遷宮が行われたという。
 この地は「太子道」と「業平道」が交差する地で、「業平道」とは、歌人である在原業平が大和国と河内国を行き来した際に通ったとされる道筋で、いくつかルートがあるが、この地のは、櫟本町から竜田川を経て八尾市の高安までのルートで、起点となる櫟本町には在原神社が鎮座し、大県郡の石神社あるいは高安郡の玉祖神社いずれかへの道のりとされている。
 境内には「太子井戸」とも「在原業平姿見の井戸」とも称される井戸があった。

善照寺 8:58

 広峰神社のすぐ北には善照寺が建つ。
 善照寺は、応仁元年(1467年)の開山。真宗の念仏道場として始まり、享保20年(1735年)に善照寺の寺号を下賜される。明治6年(1873年)には、境内に「明倫館」の名で呼ばれる小学校が創設されたとのこと。
 また、境内には、「冨生の松」と呼ばれる、約250年前に福井県の冨生村から水路で運ばれてきたと伝わる樹齢およそ300年の根上りの松がある。残念ながら、極楽寺と同様、寺門は閉ざされていた。

上宮遺跡公園 9:15

 善照寺の少し北で、JR大和路線を横断し、西へ耕作地の中を進んで行くと、富雄川に突き当たり、土手に登って橋を渡り、土手を下ったところが上宮遺跡公園で、随所に万葉歌碑が立つ広場がある。
 この地は、平成3年度(1991年度)に行われた発掘調査で整然と並ぶ柱跡が見つかり、大型の掘立柱建物群があったこと、発掘された瓦の文様が平城宮で用いられた瓦と同じであったことなどが判明し、「続日本紀」にある称徳天皇が行幸の際に宿泊した飽波宮(あくなみのみや)ではないかと考えられている。
 一方で、周辺一帯は、先ほど訪れた飽波神社と同様、聖徳太子が晩年を過ごした飽波宮の伝承地とも言われており、歴史ロマンに溢れる場所である。

阿波神社 9:21

 南へ、ゴールのJR法隆寺駅目指して進む。
 途中、飽波宮跡の一部であると伝わる成福寺跡があるが、立入禁止だった。さらに下って行くと、阿波神社が鎮座する。
 斑鳩町阿波の集落に位置することが名の由来で、素戔嗚尊を祀る。今日参拝した社は、ほとんど素戔嗚尊を祀っていた。
 常夜灯に「牛頭天皇」の刻印があり、木造鳥居に「素佐男社」の扁額が上がるが、当社の由緒は不詳。
 本殿は春日造り一間社檜皮葺の朱塗りで、前方に朱の鳥居を建て朱玉垣を巡らしている。

 ゴールの法隆寺駅はすぐそこだ。
 いつものように京橋駅で昼呑みし、本日終了〜

参考タイム

12/11近鉄平端駅 7:257:35 来迎寺 7:357:45 額安寺五輪塔 7:457:55 額安寺 7:558:10 中家住宅 8:108:45 飽波神社 8:459:15 上宮遺跡公園 9:159:30 JR法隆寺駅

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