−世界遺産の無人島を探索−
山行概要
2019年3月17日(日) | |
福江島 | |
曇り後快晴 | |
単独 | |
鬼岳駐車場=0:15=鬼岳=0:10=鬼岳駐車場【0:25】 城岳駐車場=0:05=城岳=0:05=城岳駐車場【0:10】 |
記録文(写真はクリックで拡大)
福江港から、まずは鬼岳を目指す。
港から20分も要せず、鬼岳の駐車場へ。
既に周辺は草原が広がっている。
駐車場からすぐに稜線に乗り、遮るものない草原の尾根をゆるやかに登って行く。
どんよりとした曇り空のうえ、黄砂(PM2.5?)のせいか、見通しが利かない。
火口を横目にしながら、あっと言う間に頂上へ。
画像は南側の海岸を見下ろしたもの。ぼやけている…
風が強いので、速攻下山開始。島の中心部である福江港方面が一望だ。
あっと言う間に駐車場に舞い戻り、ドライブ再開。すぐ南にある鐙瀬(あぶんぜ)熔岩海岸に下る。
鐙瀬(あぶんぜ)ビジターセンターから、いかにも南国と言った亜熱帯植物の森を抜けると、奇岩が連なる海岸に出た。
これが鐙瀬熔岩海岸で、鬼岳から流れ出た溶岩が海に到達してできた海岸であり、約7kmにわたって奇岩が続いている。
永正4年(1507年)、五島の16代領主宇久囲公が妹婿の玉之浦納の謀反にあい、馬で逃れたがこの地で鐙が切れ、漁船で黒島に落ち延びたが、逃げ切れず自刃した。以来この地を鐙瀬と呼ぶようになったと伝えられている。
溶岩海岸からの鬼岳。独特です。
海岸を後に北の内陸側に進む。明星院がガイドブックに載っていたので、立ち寄ることに。
明星院は、静かな農地の中にポツンと建っていた。
明星院は、五島家代々の祈願所で、現在の本堂は第28代五島盛運公が安永7年(1778年)に建立したもの。
五島最古の寺院で、五島の真言宗本山である。
本堂の格子天井は花鳥の絵で埋め尽くされ、狩野永徳の高弟大坪玄能筆と伝えられている。
明星院からさらに北上し、北岸の白石湾近くにある楠原集落まで進み、赤レンガ造の楠原教会へ。
楠原地区は、寛政9年(1797年)、五島藩主五島盛運(もりゆき)は大村藩の領民を土地開拓者として移住させるよう要請し、大村藩主大村純鎮(すみやす)はそれを快諾、外海地方から108人が五島へ移住した。そのほとんどは潜伏キリシタンであったといわれ、福江島の潜伏キリシタンの歴史はここに始まる。
以降、五島崩れで信者が捕らえられるなど、苦難の歴史があったが、この楠原教会は、禁教が解かれた大正元年(1912年)に建てられ、洋式教会としては五島で3番目という古い歴史をもっている。
昭和43年(1968年)には祭壇部分を含め大がかりな増築、補修工事が行われ現在に至っている。
白石湾に出て、海沿いの水ノ浦集落へ。海を見下ろす高台に白壁が美しい水ノ浦教会が建つ。
水ノ浦集落も楠原と同様、祖先は外海地方からの移住キリシタンで、これまた同様に五島崩れの苦難もあったが、住民の信仰は続き、禁教が解かれると、さっそく先代の木造教会が明治13年(1880年)頃には建設されており、現在の教会堂は昭和13年(1938年)に鉄川与助の設計によって建設されたもので、現存する我が国最大の木造教会堂である。
鉄川与助にとってはリヴ・ヴォールト天井を有する最後の教会であるとともに、また、戦前期の最後に建設した教会で、「あらゆる教会建築様式を取り入れた建物」と評されている。
水ノ浦集落の裏山が城岳と言い、車道が上まで伸びており展望台があるらしいので、向かってみる。
車道終点が展望台で、山頂まで遊歩道が整備されていたので、そのまま奥へ。
5分ほどの登りであっけなく頂上へ。頂上の大部分は携帯電話のアンテナに占拠されており、三角点は隅っこにひっそりと埋まっていた… 展望もほとんど0…
とっとと駐車場に下る。さすがに展望台を名乗るだけあって、ここからの展望は良好。白石湾が一望である。
いったん、福江港方面に戻り、吉久木町の交差点で左折、さらに左折し、戻り気味に北上し、奥浦湾に沿って進むと、堂崎天主堂の駐車場に到着する。
奥浦湾に沿って、堂崎天主堂へ向かう。
朝方はどんよりとした曇り空だったが、ここに来て晴れ渡って来た。爽やかな海辺の景色が広がる。
堂崎は、明治6年(1873年)に江戸時代からのキリスト教禁教令廃止以降、五島で最初に司祭が常駐した地であり、この天主堂も五島で最初に建てられた聖堂で、下五島地区のカトリック教会の信仰の中心地であった。明治41年(1908年)の完成。建設には鉄川与助も参画しており、その美しい外観は五島内の他の天主堂の模範となり、長崎県の有形文化財に指定されている。
当初は世界遺産の構成資産に含まれていたが、現在は資料館となっていてミサなどには使われていないため、構成資産の見直しにより外され、「世界遺産の構成資産と一体的に保存・継承していく資産」とされている。
タイムリミットが迫ってきたので、福江港に戻るが、最後に続日本100名城の福江城跡に立ち寄る。
福江城は、石田城とも呼ばれ、以前の居城が焼失後、長らく陣屋を藩庁にしてきた五島藩だったが、幕末になり、異国船の監視、海上防衛に備えるために築城が認められ、海沿いによる難工事のため、14年の歳月をかけ、弘化3年(1846年)に完成した。これは、現代日本で最後に完成した城とされる。
城内には立派な石垣跡が残っているが、城内には高等や図書館、文化会館等が建ち並び、雰囲気が大きく壊されている。何とか再整備を望みたいところである。
レンタカーを返却し、福江港ターミナルに戻る。
参考タイム
3/17 | 鬼岳駐車場 9:00 ⇒ 9:15 鬼岳 9:15 ⇒ 9:25 鬼岳駐車場 城岳駐車場 10:55 ⇒ 11:00 城岳 11:00 ⇒ 11:05 城岳駐車場 |
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