−快晴の下、津和野・萩のブラ散歩を堪能!−
山行概要
2017年6月4日(日) | |
萩 | |
快晴 | |
Sさん、私 | |
指月公園=0:20=指月山=0:20=志都岐山神社=0:05=指月公園【0:45】 |
記録文(写真はクリックで拡大)
昨日に続く、古都散策の2日目。
快晴が見込まれたことから、本日も早朝出撃!
5時過ぎに車を走らせ、海に突き出た指月山に向かう。
萩城跡の入口に車を止める。駐車場ではないが、早朝なので大目に見てもらう。公園として整備されている城跡を抜け、指月山の登り口へ。
指月山は、萩城の詰丸が置かれたところで、まさに最後の砦といった場所だ。
薄暗い森の中を登っていく。かなりの急登だが、わずか140mほどの小山なので、あっという間に石垣に囲まれた山頂に到着。
残念ながら、展望は全くなく、海を見下ろすことは叶わず。市街の一部を見下ろすのみ。
下りは指月公園をのんびりと散策。
宿に戻り、朝食を取ってから、再び萩市街の散策に向かう。
城下町の春日神社の参拝者用駐車スペースに車を潜り込ませる。お賽銭を奮発しておいた(笑)
萩の春日神社は、当然ながら奈良の春日大社を本社とし、山口県北部では随一の歴史と格式を誇る古刹で、山口の浦上から萩へ流されそこで改宗させられたキリシタンが参詣した神社でもある。
ここをベースに城下町をぐるっと一周。
特に堀内地区周辺の伝建地区は、素晴らしい景観が広がっており、幕末から時が止まったままのように感じた。
すぐ近くには菊ヶ浜が…
指月山と砂浜が素晴らしい。
城東地区にも足を延ばし、高杉晋作誕生地も訪問。
現在は、南側半分のみが公開されており、晋作が産湯に使ったと伝えられる井戸や自作の句碑などがある。
満足して萩探訪を終了。山口市内へ向かう。この間は「萩往還」が通じている。
萩往還は、萩と周防国三田尻(現在の山口県防府市)とをほぼ直線に結ぶ全長約53kmの街道であり、復元・整備が進められているらしい。これはいずれやることになるなと感じながらのドライブ。
順調に山口市内に到着し、本町にある「春来軒」さんへ。ここで山口市民のソウルフードである、ばりそばを味わう。
食券機で「やきそば」(メニュー名はこれ)並を注文。経験者のSさんのアドバイスで2人でも並一人前しか注文しなかったが、隣のテーブルに大盛りを見た時は、並で良かったとホッとした。果たして、並一人前で二人で腹いっぱいになりました。
腹をさすりながら瑠璃光寺へ移動。。
何と言っても国宝の五重塔であまりに有名だ。
この五重塔は、嘉吉2年(1442年)頃の建立で、屋外にある五重塔としては日本で10番目に古く、大内文化の最高傑作といわれる、京都の醍醐寺、奈良の法隆寺のものとならび日本三名塔の一つに数えられる。池を前景にした構図は絶妙で、池の前のベンチで長時間動けなくなってしまった…
本堂に参拝後、同じ敷地にある枕流亭へ。
枕流亭は、薩長連合結成の密議のため、薩摩の小松帯刀や西郷隆盛などが山口を訪れた際、当時、市内の道場門前にあった枕流亭で長州方と面会したという。その後何度か移築され、瑠璃光寺のある香月公園に落ち着いたものである。
さらに西隣には香山墓所があり、萩の東光寺らとともに長州藩主の墓所となっている。
墓所に至る石段の前にある石畳の上で、石畳を強く踏みつけたり手を打ったりすると、「キュ」という音が返ってくる。「うぐいす張」と言われており、これは周囲の地形や石段による音響効果のためであるが、意図してそのように作られたものではなく、偶然の結果らしい。
山口最後は常栄寺へ。
ここには雪舟が造営したとする庭園が残っている。
この庭園は、大内氏第14代当主の大内政弘が、自身の別邸を建設するに当たり、当時山口に滞在していた雪舟に対して庭園の造営を依頼したと伝えられている、枯山水を用いた池泉回遊式庭園である。
広島に戻り、イタリア料理「WINE BAR DIRETTO」さんで昇天した…
参考タイム
6/4 | 指月公園 5:30 ⇒ 5:50 指月山 6:00 ⇒ 6:25 指月公園 |
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