−「日本三大夜景」の山に徒歩で登頂(笑)! 飲んだくれた函館2泊3日9食の旅…−
2018年8月17日(金) | |
函館近郊 | |
晴れ | |
C、私 | |
函館市電松風町停留場=0:10=JR函館駅=0:30=金森赤レンガ倉庫=0:25=函館市電函館どつく前停留場=0:05=称名寺=0:15=元町公園・旧函館区公会堂=0:10=函館ハリストス正教会=0:10=函館護国神社=0:25=汐見山=0:30=函館山(ロープウェイ山頂展望台駅)【2:40】 |
記録文(写真はクリックで拡大)
8/17 晴れ
猛暑から脱出しようと、連れと函館呑みまくり旅を企画。ハイシーズンのため、ビジネスホテル2泊と伊丹−函館往復の航空券で一人80000円というコスパの悪さ… しかも行きは12時前、帰りは14時前という、中途半端な便しか取れなかった… 天気予報が良さそうなことだけが救いだ。
そして、17日当日の朝を迎える。何と大阪は滅茶苦茶涼しいではないか! これでは北海道に行く意味が(涙)… ガックリしながら伊丹空港に向かい、1時間ほどのフライト。
それでも、機内からは、富士や日本アルプスが一望でき、機嫌を直す私…
無事に函館空港に着陸。涼しい、というか、寒い(笑)
空港からバスで函館駅行きのバスに乗り込み、大森町で下車。すぐ近くの投宿予定のホテルに荷物を預かってもらい、街なかへ繰り出す。
気温は19℃(笑) 風も強く、長袖シャツを着ていても寒い位だ。
14時過ぎとランチには中途半端な時間だが、まずは函館と言えば、塩ラーメンということで、数分歩いた松風町の「鳳蘭」さんを発見し、店内へ。
こんな時間でも、店内はほぼ満員だった…
函館の食は「ザリジ」(豚の唐揚げ)でスタート!
ハーフサイズでこの量。ハーフにしといて良かった。
澄み切った透明スープを堪能する。
満足して、函館駅方向へ。朝市を偵察しつつ、ベイエリアの方向へ。
金森赤レンガ倉庫街へ到着。函館山をバックにした赤レンガ倉庫群が美しい。
この中の「函館ビヤホール」さんが、通し営業中だったので、吸い込まれる私達…
地ビールで函館入り早々に沈没(笑)…
最後はギネスビール1パイントと鹿部町道場水産タラコと北あかりのアヒージョでいきなり昇天…
函館探索を再開。函館港に沿って時計回りに進んでいくと、港沿いに銅像を発見。
近づいてみると、私の母校の創設者だった…
新島襄は、五稜郭を設計した武田斐三郎が教授をしていた諸術調所に入るために箱館にやって来たが、武田は江戸へ帰っていたため、塾頭の長岡藩士・菅沼精一郎の紹介で、ロシア領事館付きの司祭ニコライの日本語教師となった。
その後、鎖国の禁を破ってでも海外見聞をしたいという強い情熱のもと、元治元年(1864年)年6月14日の夜、函館湾から1艘の小舟で沖に出、湾内に停泊するアメリカ商船ベルリン号にたどり着き、密出国に成功した。
そして、海外で見聞を広め、後に同志社英学校(現在の同志社大学)を創設するのである。
少し進むと、海上自衛隊函館基地隊の正門が… 掃海部隊が駐留しており、津軽海峡および宗谷海峡の海峡警備の拠点である。
函館基地隊の前から、基坂が函館山に向かって真っすぐ延びている。坂の上には旧函館区公会堂も見える。
基坂の坂上は、かつては行政の拠点として、役所が置かれていたエリア。
松前藩時代の亀田番所、幕府直轄時の箱館奉行所、明治以降は開拓使、その後は昭和25年(1950年)まで北海道渡島支庁と、時代の経過とともにその名称も変わってきた。このため、住民の間では「お役所坂」や「御殿坂」の名で親しまれてきた。
正式名は、里数を測る上で基点となる元標が坂下に建てられていたことに由来する。
函館市電本線の西の終着点である「函館どつく前停留場」に到着。函館市電の車両は全てラッピング広告され、同じ図柄の車両は1台もないらしい。写真の車両は、NHK函館放送局のラッピング広告車である。
停留所名の「つ」は大文字だが、読みは「はこだてどっくまえ」である。元々の停留所名は「函館ドック前」だったが、昭和59年(1984年)、「函館ドック」が来島グループの傘下に入り、「函館どつく」に社名変更した際に停留所名も変更したらしい。
函館どつく前停留場から左折し、魚見坂をしばらく登り、廃校跡のある交差点をさらに左折し、南西方向に進んでいくと、立派な山門のある称名寺の前に出た。
称名寺は、正保元年(1644年)、円龍という僧が市内の別の地に阿弥陀庵を建てたのが始まりといわれており、函館市内で2番目に古い寺院である。
幾度かの大火の後、明治14年(1881年)に現地に移転し、現在の鉄筋コンクリート造の本堂は、昭和4年(1929年)の建立である。
境内には、土方歳三と新選組隊士の供養碑が立つ。
函館で戦死した土方の供養碑は、この称名寺に建てられたと、土方ゆかりの東京都日野市金剛寺の過去帳に記されているが、称名寺は、明治期の大火で3回も焼け、碑も消失したため、昭和48年(1973年)、有志が現在の碑を建立したという。他の新選組隊士4名については、称名寺墓地に墓碑があったが、昭和29年(1954年)の台風で壊されたため、この碑に名を刻んだとのこと。
この他、高田屋嘉兵衛一族の墓もここにある。
称名寺から、幸坂や姿見坂と、名だたる函館の坂道を横串にしながら進んでいく。
ちなみに姿見坂は、かつてこのあたりに遊廓があり、遊郭の女性たちの姿が見られたことから名づけられたとのこと。
さらに進んで、眺望の良い元町公園に到着。
実は、ここは函館が「はこだて」と呼ばれるようになった由来の場所で、室町時代、後に松前藩の初代藩主となる武田信広とともに、津軽からやって来た河野政通が、この辺りに箱型の館を築いたことから、「箱館」の名がついたという。そして、江戸時代には箱館奉行所が開かれ、その後も北海道函館支庁庁舎(現元町観光案内所、北海道指定有形文化財)や函館区公会堂等が築かれるなど、常に函館の行政の中心であったのがこの場所である。
元町公園の上段には旧函館区公会堂が建つ。
大火によって焼失した住民の集会所であった町会所を再建しようと、豪商相馬哲平氏や住民からの寄付などを元手に、明治43年(1910年)に竣工した。
桟瓦葺の屋根に、ブルーグレーとイエローの外壁という、インパクトのある外観で、和と洋の要素が融合した建築意匠に優れ、館内に置かれた家具の保存状態も良いことから、昭和49年(1974年)に本館が国指定重要文化財に指定された。昭和55年(1980年)には管理人室にあたる附属棟も国重文に追加指定されるなど、函館、いや北海道を代表する有形文化財である。
さらに南西へ。八幡坂を過ぎると、函館ハリストス正教会の威容が正面に。
名前のハリストスとはキリストのことで、江戸末期、ロシア主教ニコライによって日本で初めてロシア正教が函館に伝導された後、安政6年(1859年)、ロシアの領事館及び日本で最初の正教会の礼拝堂として建てられた教会である。
初代聖堂は、明治40年(1907年)の函館大火で残念ながら焼失したが、大正5年(1916年)に再建された。ロシア風ビザンチン様式の優美な建物で、昭和58年(1983年)には国の重要文化財に指定された。
最初に聖堂ができたときに5個の鐘を使って楽器のように鳴らしたことから。市民からは「ガンガン寺」という名前で親しまれている。
ハリストス正教会の東の境界、下の大三坂から続く坂道は「チャチャ登り」と呼ばれる急坂である。
函館山の麓にある坂のなかでも、かなり急で、「チャチャ」とは、「アイヌ語でおじいさんが腰を屈めて歩く様」という意味らしい。
車一台がやっと通れるほどの狭い石畳が、函館山に向かって突き上っていくようだ。
ようやく、函館山ロープウェイの山麓駅の下を横切り、護国神社境内の北横から回り込むように山側へ上がっていくと、登山コースの案内板があり、旧登山道コースの入口となる。
山道を少し登ると、舗装路が横切る。ここで旧登山道コースと汐見山コースの分岐となり、少し変化をつけようと、サブコース的な汐見山コースに入る。
ここからは、市街地の至近にあるとは思えない緑豊かな登山道が続く。道幅は普通の登山道より細いくらいで、夕暮れ間近ということもあってか、少々心細くなるくらいだ。
汐見山はそれを示す道標なく、いつの間にか下りになっていた。東屋のある広場でより幅広の登山道と合流するが、ここで左手の登りになっている方へ向かい、失敗してしまった。こちらは函館山から南へ峰続きの千畳敷へ向かうルートで、ここは広場から右手にいったん下っていくのが正解である。我々は気づかず、5分ほど間違った方向に進んでしまった。
すぐに間違いに気づき、先ほどの広場に戻ってから、そのまま少し下っていくと、明確な分岐を発見。ここが旧登山道コースへの合流点で、5合目の標識が立っていた。
ここからは間違いようもなく、また、けっこう他の登山者も登ってくる。
あっと言う間に稜線近くまで到達。夕陽に染まる函館山頂のアンテナ群を完全にロックオンした。
7合目の標識を過ぎると、稜線上と言える「つつじ山駐車場」に到着。
登ってきた東側とは反対側、函館湾を挟んだ松前半島の山々に沈む夕陽が美しい。
まだ8合目にも着いてないのだが、「つつじ山駐車場」から車道を横切り、階段を一気に登ると、ロープウェイの山頂展望台駅に到着し、ここで登山は終了。
予想通り、物凄い人出だ…
山頂にはちょうど日没頃の到着。山頂展望台駅の南側は、市街地の眺望を駅舎が一部隠してしまうので、まだ割り込む余地はあったが、駅舎北側の市街地が一望できる辺りは、もう立錐の余地もなかった…
何とか1枚だけ写真を収め、じっとしていると寒くて堪らないので、早々にバスで下山するという我慢できない私達(笑)
帰りのバスの車内から、バッチリ夜景を拝むことができた!(ピンボケだが…)
松風町のホテルにいったん戻って、お腹が空くのを待ってから、夜の街に繰り出す。
活真いか刺しでスタート!
看板メニューである、根ぼっけ刺身!
(「根ぼっけ」さんのHPからの引用)
『根ぼっけとは、一般的に根に棲みつく大型の脂ののった真ほっけのことを意味します。当店で言う「根ぼっけ」とは潮の速い恵山沖と松前小島附近の水深150mから200mで獲れる、目方2キロ前後、体長50cmくらい。浜値でキロあたり2200円前後の脂ののったおいしい真ほっけのことです。
私が「根ぼっけ」という店名を付け、ほっけ料理を始めたのは、どんな料理方法でもおいしい根ぼっけに惚れたからです。脂は強いが大味な「縞ほっけ」。真ほっけながら、脂ののっていない痩せた「ローソクほっけ」。それらを食べて、それがほっけだと思っている人に根ボッケのおいしさを判ってもらい、ほっけのおいしさを再認識してほしかったからでした。』
ほたてがゴロゴロ入ったほたてグラタンを繋ぎ、
最後は、日本酒とホヤ酢でフィニッシュ!
大満足の函館1日目が過ぎていった…
8/18 晴れ
2日目。頑張って6時過ぎに起きて、朝市へ向かう。
うに刺しとズワイ蟹足茹でで、朝から痛飲スタート!(笑)
ご飯いらないけど、勢いで、うに、いくら、カニ身の三食丼も注文してしまった…
昨晩は注文しなかった、ホッケ焼きをここで…
とりあえず、一軒目終了!
まだ8時なのに呑み足りず(笑)、朝市内のお土産屋へ。(屋号は忘れてしまった…)
この店はイートインスペースもあり、水槽の毛蟹を指名し、茹でたてをいただくことに…
茹で上げるのに20分くらいかかるので、とりあえず、ホタテを焼いてもらう。
茹でたて降臨! 500gのちょうど良い大きさ。
貪り喰らう私達(笑)…
9時過ぎで完全に昇天!(笑)
「ヤバい! 観光ができない」とJR函館駅に向かい、市電の1日乗車券を購入し、五稜郭方面へ。
しかも完全に酔っぱらった我々は、2人して寝過ごし、気が付けば、五稜郭公園前停留場から6つも乗り過ごした函館アリーナ前停留場の手前まで来ていた…(笑)
1日乗車券で良かった(笑) 反対側の市電に乗り込み、今度は座らずに(笑)、五稜郭公園前へ。
五稜郭は2度目の探訪だが、何と前回は学生時代の昭和63年(1988年)(笑)。ジャスト30年振りである。
まずは全貌を見下ろそうと五稜郭タワーに向かう。一気に高さ100mを超える展望階へ。
30年前も確かタワーに登った気がするが、「こんなに高かったっけ?」と思ったとおり、タワーは平成18年(2006年)に2代目になったとのこと。初代は60mだったらしいので、見た感じは全然変わったと思われる。
完全に五角形の全貌が見渡せ、感動してしまう。
これだけの高さなので、五稜郭はもとより、周囲の眺望も素晴らしい。
函館市街も一望! そして、その背後には函館山が…
津軽海峡を挟んで青森も一望だ。最高!
地上に降り立ち、稜内へ。
中央部には箱館奉行所が建っている。
五稜郭の築城と合わせて、函館山の麓にあった箱館奉行所も移転することになり、築城とほぼ同時に建設が進められ、元治元年(1864年)に竣工し、同年6月15日に当時の箱館奉行・小出秀実が五稜郭内に移転し業務を開始した。
わずか7年で役目を終え、解体されていたが、それから140年後の平成22年(2010年)に函館市が当時と同じ材料、同じ工法で、奉行所の南棟と中央棟部分を復元した。
これで五稜郭周辺の探索を終了。停留場に戻り、函館市電本線東端の湯の川停留場で下車する。
停留場の前には湯倉神社が鎮座する。
言い伝えでは、享徳2年(1453年)頃、一人のきこりが家に帰る途中、現社地付近で温泉を発見し、その後きこりが関節痛を患い、その温泉を思い出し湯治したところ治ったという。これを感謝して薬師如来を刻み小さな祠「薬師堂」を建てて安置したのが湯倉神社および湯の川温泉の起源といわれている。
その後も、松前藩主が難病治療のため湯治したり、箱館戦争の時には榎本武揚率いる軍が250名の傷病兵をこの温泉で療養させたり、また榎本自らも時々浸かっていたという。
現在の社殿は昭和16年(1941年)の竣工。
さあ、温泉に入ろうと、ネットで物色すると、海岸沿いの「湯元漁火館」さんが、源泉かけ流し100%のお湯ということだったので、ぷらぷら歩く。
20分ほど歩いて到着〜 日帰り入浴500円。しかしドバドバ源泉が流れているせいか、湯船は激熱!(笑) 私の独り占めだったのを幸い、水を埋めまくり事なきを得た。
そして、露天風呂は最高の爽快感! しかし、その代償として、前の道路からほぼ丸見えという大らかさである(女性風呂も同様で、ここだけの話ですが、帰りに偶然振り返ると、〇っぱいが丸見えだった(笑) 偶然です…)。
色々と満足して(笑)、松風町のホテルに戻り、しばし仮眠。夕食に備える。
函館フード六食目は「うにむらかみ 函館本店」さん!@ 17:06
そしてこの日の夕食は、函館海鮮最高峰の「うにむらかみ」さんへ。17時の始業から1時間半しばりで、連れが何とか予約を取ってくれていた。
17時前に店に行くと、「本日予約で満席」の貼り紙が… 凄い人気ぶりである。
まずは、生うに入りだし巻き玉子でスタート!
函館フード六食目は「うにむらかみ 函館本店」さん!A 17:09
本命の無添加生うに刺30gを… 当然ながら、ミョウバン不使用! これは旨い! 旨すぎる!
函館フード六食目は「うにむらかみ 函館本店」さん!B 17:11
自家製うに屋のウニグラタン! 酒が進む…
函館フード六食目は「うにむらかみ 函館本店」さん!C 17:12
ここで活ホヤ刺しで変化を… 昨晩の「根ぼっけ」さんで旨かったのと、ここでも水槽に超でかいのがいたので、思わずオーダー!
函館フード六食目は「うにむらかみ 函館本店」さん!D 17:13
うに殻焼30g! 甘い…
函館フード六食目は「うにむらかみ 函館本店」さん!E 17:20
鵡川産の本ししゃものメスでフィニッシュ!
代用品のカラフトシシャモ(カペリン)ではありません!(笑)
函館フード七食目は「モンゴリアンバーベキュー ラムジン」さん! 18:39
今晩2軒目は大門横丁へ。煙がモクモクと上がる「モンゴリアンバーベキュー ラムジン」さんへ突入!
生ラム焼きとハイボールでこの日は19時前から昇天(笑)…
8/19 晴れ
あっという間に最終日。この日もアホの一つ覚えのように朝市へ…
朝一の南端にある「函館朝市マルヤマ商店」さんへ。
アワビ刺し肝醤油(左奥)、毛ガニ甲羅焼き(右奥)、ウニ刺し(左前)、ししゃもで朝から昇天!
ほろ酔い加減で市役所前停留場から市電に乗り込み、谷地頭線の終点、谷地頭停留場で下車する。
目的は、函館市営谷地頭温泉である。源泉かけ流しのナトリウム塩化物泉が何と420円!
1時間以上も沈没し、露天風呂でのんびりする…
函館フード九食目は「ラーメン次郎長 函館駅前朝市店」さん! 12:10
帰りの飛行機は13時50分発だったので、昼には函館駅へ戻る。
小腹が空いたので、函館ラスト飯にラーメンをということで、駅前の「ラーメン次郎長 函館駅前朝市店」さんへ。
定番の塩ではなくて、ここは味噌でフィニッシュ!
2泊3日、9食の旅が終わろうとしていた…
参考タイム
8/17 | 函館市電松風町停留場 14:25 ⇒ 14:35 JR函館駅 14:35 ⇒ 15:05 金森赤レンガ倉庫(函館ビヤホール) 16:10 ⇒ 16:35 函館市電函館どつく前停留場 16:35 ⇒ 16:40 称名寺 16:45 ⇒ 17:00 元町公園・旧函館区公会堂 17:10 ⇒ 17:20 函館ハリストス正教会 17:25 ⇒ 17:35 函館護国神社 17:35 ⇒ 17:40 汐見山コース入口 17:40 ⇒ 18:00 汐見山 18:00 ⇒ 18:30 函館山(ロープウェイ山頂展望台駅) |
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