−平群から山ノ辺へ、足跡を繋ぐ旅−
山行概要
2005年12月10日(土) | |
矢田丘陵 | |
晴れ時々曇り | |
単独 | |
近鉄元山上口駅=0:30=近鉄萩の台駅=0:30=榁木山弘法太師堂=0:35=矢田寺=0:50=金魚資料館=0:25=稗田環濠集落=0:45=帯解寺=0:05=JR帯解駅【3:40】 |
記録文
仕事の閉塞感を何とかしたくて、歴史歩きに逃避(最近メンタル気味です)。
どこに行こうかとあれこれ考えたが、トレースの空白がどうにも気になって、元山上から帯解を強引に繋ぐことに。(トレースはなるだけ繋げたくなります。完全に病気です)
スタートは近鉄元山上口駅。今年の2月に生駒駅から生駒山上・千光寺を経て、てくてく歩いた山旅の終点となったところ。ここを10時過ぎに出発。竜田川に沿ってR168を北上。すぐに金勝寺の門前へ。
椣原山(しではらさん)の山号を持つ。由来は行基が春日明神の夢のお告げでこの地に当時密生していた椣(しで)の1霊木を以て御本尊の薬師如来と脇侍の日光、月光両菩薩、十二神将等を彫り建立したからとか。
さらに国道を北上。何の面白みも無い道。トレースを繋ぐ目的がなかったら、絶対歩かなかっただろう。ひたすら足を前に進める。
萩の台駅から新興住宅地を抜け、矢田丘陵へ向かって舗装路をひたすら登る。イベント全く無く、苦行が続く。
登りついた福祉施設の前からは、生駒がすぐ目の前に。(これ位しか撮影するものはなかった)
細くなった舗装路を東へ、登り続ける。車1台通るのがやっとのこの車道、何と国道308号でした。
榁木峠に静かに佇む仏様。奈良街道に残る石仏8体のうちの1つです。
奈良や郡山の市街地を見下ろしながら、どんどん下ると、子供の森に到着。
整備された遊歩道をしばらく南へ進むと、矢田寺へ向かう分岐が現れる。ここで3年前に法隆寺から歩いたトレースと繋がる。
東明寺を経由し、勝手知った気持ちの良い遊歩道を高速巡航し、これまた馴染みの矢田寺へ。花のシーズンを外しているせいか、この日も広大な境内は無人だった。
腹が減ってきたので、すぐに下山。ひたすら県道189号を東へ向かう。3年前は寺を降りてすぐの横山口というバス停で歩みを止めたが、今回はトレースを繋ぐ目的があるので、さらに東へ。県道249号と出合う外川町近くに定食屋を見つけ、ここで腹ごしらえ。さらにアルコールも補給し、疲れがドッと出てしまった。
さらに東進するが、県道9号と出合う矢田筋にあったうどん屋の誘惑に負けて、ここでも小休止。なかなか先へ進まなくなってきた。
すっかり食べ過ぎたお腹をさすりながら、矢田筋から少し南へ進むと、豊臣秀吉の異父弟の大納言秀長(豊臣秀長)の墓所で五輪塔がある。塔の手前には、「お願いの砂」があり、蓋をあけると砂が入っていて、名前と願い事をとなえながら、この砂を供えると願い事がかなうらしい。
新木山古墳の横を抜け、金魚の養殖池が点在する古い町並みを南東方向へ適当に進む。もくろみどおり、金魚資料館へ到着。
とにかく無数の金魚が泳いでました。種類もこれまで聞いたことのないようなものばかりで、マニア(おたく)っぽい人がいっぱいいて、なかなか異様な空気が漂っていた。
冬の日はあまりに短い。もう夕暮れになってきた。これから山の辺の近くまで行こうと言うのだから、急がねば。さらに東へ。近鉄とJRを相次いで跨いで行く。
太師橋で佐保川を渡ると周囲を濠に囲まれた集落が現れる。
大和の環濠の代表例としてあまりにも有名。約260m×260mの規模で,きれいに環濠が周囲を取り巻いている。
稗田集落はこの売太神社を中心に発達した。この地出身で古事記を編纂した稗田阿礼が主斎神。
ひたすら東へ。日没との競争になってきた。美濃庄という集落を抜けると、地図では「広大寺池」という文字通り巨大な溜池があり、そこの南端を通るが、池は工事中で水は一滴もなかった。
やっと到着。北山の辺を歩いた約3年前のコースと繋がった。これで明日香や桜井、生駒と奈良市街までが繋がり、かなりの自己満足。
帯解駅から天理に出て、近鉄に乗り換えて帰洛した。
参考タイム
12/10 | 近鉄元山上口駅 10:20 ⇒ 10:50 近鉄萩の台駅 10:50 ⇒ 11:20 榁木山弘法太師堂 11:25 ⇒ 12:00 矢田寺 12:10 ⇒ 12:40 横山口(昼食) 13:55 ⇒ 14:15 金魚資料館 14:25 ⇒ 14:50 稗田環濠集落 15:00 ⇒ 15:45 帯解寺 15:55 ⇒ 16:00 JR帯解駅 |
山行データへ
諸国名山探訪
Copyright(C) Hiroshi Fujita All right reserved