東床尾山

−丹後の名山で雲海を堪能!−

   
  

山行概要

日 程
2017年5月14日(日)
山 域
床尾連山
天 気
晴れ
メンバー
単独
コースタイム
糸井の大カツラ=0:10=衣谷鉱山精錬所跡=0:15=直登コース分岐=0:25=東床尾山=0:15=西床尾山分岐=0:15=直登コース分岐=0:20=糸井の大カツラ【1:40】

記録文(写真はクリックで拡大)

 だいぶ暑くなってきた。そうなると近畿の山は標高が低く暑いうえに、虫がウザい。特に近年、鹿の大量増殖のおかげで、ヒルが勢力を拡張しており、関西の山でも猛威をふるっている。あんなキモい奴に絶対に血を吸われたくない! ということで、夏前の関西低山打ち止め山行を企画する。ターゲットは関西百名山登り残しの東床尾山に定める。
 通常なら、西床尾山をつないでの周遊登山コースが鉄板だが、西床尾山に登るコースとなっている羅漢谷に、ヒル出没情報があったため、ビビって東床尾山のピストンに止めることに…

糸井の大カツラ 6:04

 目の前の大カツラは、さすがに迫力がある。樹齢2000年、樹高35メートル! 主幹は、朽ちて空洞となっているが、周囲を約80本の孫生え(ひこばえ)が覆う。神木として奉られている。
 大カツラの横を通って、登山道へ。谷沿いに山中へ。ツキノワグマ出没を注意喚起する看板にビビらされ、慌てて熊鈴の他に、笛も装備し、ピーピー吹きながらの登行。
 衣谷鉱山精錬所跡の看板が立つポイントは、林道と近接し、林道から下ってくる階段があった。大カツラ鑑賞を捨て、本当に最短距離で東床尾山に登ろうと思ったら、ここがスタート地点になる。
 さらに谷を遡る。どうやらヒルはいないようだ。

東床尾山直登ルートを進む 6:34

 何度か沢を木橋で渡るが、この橋がツルッツルッで要注意。めっちゃ滑る。だいぶ谷を詰めたころ、東床尾山への直登ルートが分岐する。事前の下調べでは承知していなかったルートだが、単純な山頂ピストンもつまらないし、ルートも明瞭ぽかったので、このルートを採ることに。
 谷から離れ、右手の尾根に取りつく。尾根上も明瞭な踏み跡が続いているが、これがクソ急登で、すぐに汗だくになる。と言っても、標高差にして300m弱ほどの登りなので、一気に攻略。

東床尾山からは雲海が広がる 7:06

 東床尾山山頂は小広場になっていて、展望良好。この辺りの山らしく、遠望は利かないものの、眼下には雄大な雲海が広がり、とても800m級の山からの展望とは思えない。
 頭上には、なぜか燕がいっぱいいて、凄まじい風切り音を上げながら、すぐ頭の上を飛んでくるので、けっこう怖い…

稜線の新緑 7:21

 展望を堪能し、下山へ。稜線を西に進む。この辺り自然林で、新緑が素晴らしい。
 すぐに西床尾山への分岐となり、西床尾山は次の機会に回すとして、下山ルートへ。分岐近くには朽ちた山小屋があった。
 こちらも、さっきの直登ルートと同様、かなりの急傾斜。慎重に下る。

大カツラに戻ってきた 7:59

 距離は知れているので、あっという間に、先ほどの直登ルート分岐まで下り、その後は、勝手知ったルートをのんびり下って、一気に大カツラに戻ってきた。 結局、誰とも会わずで、駐車している車も私のみだった。
 まだ8時(笑) このまま帰るのも何なので、これまで通過するだけだった福知山へ向かう。

福知山城大天守と小天守 9:35

 福知山城の駐車場に車を止める。
 福知山城は、丹波を平定した明智光秀が近世城郭へと大修築したものだが、明治の廃城令でほぼ壊されてしまい、遺構としては天守台と本丸の石垣しか残っていない。

福知山城大天守からの福知山市内 9:49

 天守台には、3層4階の大天守と、続櫓、小天守が連結された形で復元された。福知山市の郷土資料館となっており、最上階からは市内が一望できる。
 福知山藩は、江戸の当初、短期間で藩主がころころと変わったが、寛文9年(1669年)6月、土浦城の朽木稙昌が入部し、幕末まで約200年の長きに亘り朽木氏が13代世襲し当地域を統治した。

大原神社 10:48

 続いて、福知山市東端の大原地区にある大原神社へ。ほとんど綾部と言っても良いところだ。山間の秘境といった地に静かに鎮座している。
 大原神社は、安産の神として広く信仰を集めており、創建は「丹波誌」によると仁寿2年(852年)3月23日、現南丹市美山町に鎮座し、 弘安2年(1279年)9月28日に大原へ遷座、応永4年(1379年)10月13日に社殿が整ったとされている。

大原神社拝殿 10:51

 大原神社は「天一位」という社号をもち、江戸時代には札にも刷り込まれていた。本紀によると、「一乾天の方位に御鎮座成ましまし、此謂を以て其位を尊て天一位大原大明神と社号を崇奉るものなり」 とあり、乾の方位とは陰陽五行の方位で北西の方角にあたり、平安京から北西の方角をさすのである。
 現在の大原神社の本殿は、寛政8年(1796年)に再建されたもので、社殿は本殿と拝殿を相の間でつないだ連結式社殿で、立派で華麗な造りである。昭和59年に京都府指定文化財に登録された。

産屋(うぶや) 11:06

 そして、神社から川合川を挟んで立つ産屋(うぶや)へ。
 茅葺、切妻屋根をそのまま地面に伏せたような天地根元造という古い建築様式で造られ、大原地区の産婦は、出産の折、十二把のワラ(閏年は十三把)を持ち込み、出入口に魔除けとして古鎌を吊り、七日籠って出産してという。この習俗は大正年間まで続き、また、産後三日三夜籠る習慣は昭和23年頃まで続いていたらしい。

 さあ帰ろう。その前に風呂に入ろうと思ったら、ちょうど経路の綾部市内に「京 綾部みやび温泉 大家族の湯」という施設があったので、こちらに飛び込む。
 岡山にも同名の施設があり、チェーン店のようだが、700円で、天然温泉と、15種の湯舟、サウナが楽しめるので、なかなか素晴らしい。2時間近くも沈没してしまった。
 満足して帰路へ。京都縦貫道と京滋バイパスが、京都第二外環状道路でつながった(沓掛〜大山崎)おかげで、京都府北部と実家の枚方のアクセスが相当良くなった。途中、好調の道の駅「京丹波 味夢の里」に立ち寄り、快調に枚方へ帰った。

参考タイム

5/14糸井の大カツラ 6:056:15 衣谷鉱山精錬所跡 6:156:30 直登コース分岐 6:306:55 東床尾山 7:107:25 西床尾山分岐 7:257:40 直登コース分岐 7:408:00 糸井の大カツラ

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