−車中泊6連泊(笑)、やりたい放題の1週間…−
旅程図
旅の概要
2022年4月29日(金)〜5月5日(木) | ||
単独 | ||
枚方〜小諸〜信濃追分〜善光寺街道(北国街道)その1(追分分去れ〜小諸) | 善光寺街道(北国街道)その2(小諸〜上田)〜別所温泉〜上田 | 善光寺街道(北国街道)その3(上田〜戸倉) | 善光寺街道(北国街道)その4(戸倉〜善光寺)〜長野〜戸倉 | 戸倉〜聖山・冠着山・四阿屋山登山〜上田 | 上田〜独鈷山・子檀嶺岳登山〜松本 | 松本〜苗木城跡〜枚方 |
プロローグ
今年のGWは年休を2日取れば10連休! しかし、少し遠慮して5月2日の1日だけ休んでの7連休を確保した。
どこに行くか悩んだが、3年前に塩の道を同時期にやった際の信州の爽やかさが強烈に印象付けられていたので、信州をチョイス。前から歩いてみたかった、北国街道のうち信濃追分〜善光寺間のいわゆる善光寺街道を第一目標とし、後は天候に合わせて、信州百名山を適当に登ることにした。
旅行記
4/29 曇り後雨
4時過ぎに枚方を発進! 快調に走行し、岡谷ICから下道を走って、小諸駅には9時頃に到着。駅前のタイムズに駐車する。24時間500円の格安だ。
どんよりと曇っており、気温は一桁で寒い… しかし、バッドコンディションとは言え、追分〜小諸までは今日中にやっておきたいと言うことで、そそくさと準備を終え、駅構内へ。
次の軽井沢行きは9時27分発であり、10分強ほど時間があったので、これ幸いと「小諸駅そば 清野商店」さんへ。
やっぱり信州はそばですな。真っ黒つゆも懐かしい! あっと言う間に天ぷらそばを平らげる。
電車に乗り込み、15分ほどで5つ先の駅の信濃追分駅へ。駅前には何もない。寂しい駅だ。
小諸駅前に止めてあった車に戻るが、雨脚は全く弱まらない…
仕方がないので、少し出歩くことに。上下雨具の完全武装で再び車外へ。駅の北側すぐの小諸城大手門跡へ。周囲は園地整備がされている。
小諸城の表玄関に当たる大手門は、慶長17年(1612年)、小諸城築城時に建築された。下層の間口六間半、奥行二間半、高さ六間余、入母屋造二層瓦葺の城門で、当時としては瓦葺の門は珍しかったので瓦門と呼ばれたと伝わる。
二階は居室風になっていて、明治維新後に民間に払い下げられて以降は、小諸義塾(明治中〜後期に小諸に存在した私塾。島崎藤村が英語と国語を教えていた)の仮塾舎として利用された。
明治期にも手が入れられているが、慶長時代の様式を良く残しており、また、平成16年から20年にかけて、江戸時代の姿に復元することを目的に、保存修理工事が行われている。国指定の重要文化財である。
しかし、周囲は暴風雨といった状況になってきた… 小諸城跡の懐古園にも6年振りに行こうとしたが、断念… さらに、期待していた駅近のホテルの温泉は、コロナで日帰り利用は休止中… 仕方がないので、車の中で午睡する…
むくっと起き出すと17時前だったので、地元の人気店である「山野草」さんへ突撃、「大手」交差点という一等地に建つ店に、始業と同時に飛び込む。一番乗りだった。
店の名物である「どぜう」の有無を聞いたところ、「今はなかなか入ってこないが、少しならある」ということで、見せてもらい、迷わずオーダー!
まずは馬刺しでスタート! 信州と言えば馬刺しでしょう! 朝の時点では、そばと言ってたな(笑)…
ねっとりと旨い。ビールが進む!
続いて、春の山菜盛り合わせ! フキノトウ、コシアブラ、センマイなど、この時期の信州の旬の山菜が勢ぞろい! むしゃぶりついてしまう(笑)
そして、満を持して「どぜう」の天ぷら降臨! いや〜滋味が凄い! 何匹でもいけます!
「山野草」さんは、日本酒の揃えも充実。何と「飛露喜」があるじゃないですか! 迷わずオーダー(笑)
続いて、「幻舞」さん! 450年という、とてつもない歴史ある蔵元の、あの信玄も口にした伝説の吟醸酒! ダメだ… 旨すぎる…
信州1日目にして、佳いお店に当たりました。大満足でフラフラと車に戻り、そのまま爆睡(笑) 1日目、強制終了(笑)…
4/30 快晴
昨日の晩も相当降ったようだが、全くの我関せず(笑) すっかり爆睡し、気が付けば4時半(笑)
すぐさま車を発進させ、上田に向かう。途中、「すき家」さんでネギ玉牛丼中盛を喰らいながらも、上田駅温泉口のタイムズ駐車場に到着。ここも駅前ながら、24時間500円(笑) 安すぎる!
しなの鉄道上田駅6時7分発の始発に乗り込み、小諸へ戻る。さぁ、北国街道歩きの再開だ!
11時過ぎに上田駅到着。さぁ、今日も昼呑みだ(笑) 駅直結で11時から営業している「上田からあげセンター」さんに吸い込まれる私(笑)…
「上田からあげセンター」さんでこの日も昼呑み@! 11:17
まずは「美味(おい)だれからあげ」から。「美味だれ」とはニンニク醤油のたれで、上田のソウルフードである。私はさらにニンニク増しの美味だれに変更したので、めっちゃ臭い(笑) 辛味も凄い(笑) 涙が止まらん(笑) でも旨い!
1時間1000円の飲み放題も昼から発注(笑) 結局、1時間でハイボール6杯いってしまった(笑)…
「上田からあげセンター」さんでこの日も昼呑みA! 11:25
山賊焼きも発注してしまった… 昼から飲み食いし過ぎ(笑)…
12時前ですっかりグダグダに…
何とか体制を立て直す(笑) 久しぶりに別所温泉へ向かうか…
今まで別所温泉には車でしか行ったことなかったので、上田鉄道は初乗りだ。昨年に開業100年を迎えた老舗のローカル鉄道。かつて側面に丸窓を持つ「丸窓電車」が走っていたことで有名だ。
この時間帯は1時間に1本の運行。13時20分発に乗り込む。路線は上田から別所温泉までの僅か11.6km。上田を出てすぐに千曲川を渡り、別所温泉までのんびり約30分の旅である。
別所温泉駅に到着〜 すぐに温泉中心街を目指し、南西方面に登っていく。
8年前は3つある外湯のうち、「石湯」さんに入ったので、今回は「大師湯」さんをチョイス。先客一人のみ。源泉掛け流しのお湯が150円(6月1日から200円)で楽しめる。コスパ最強!
平安時代、比叡山延暦寺の座主、円仁慈覚大師が北向観音建立のため、別所温泉を訪れた際、好んで入浴されたので「大師湯」と名付けられたらしい。地元の人が入浴していたが、外湯3つのうち、この「大師湯」が一番泉質が良いとのこと。
のんびりと沈没…
帰りの電車まで時間が少しあったので、安楽寺に寄り道。お目当てはもちろん八角三重塔である。8年振りの参拝だ。
日本に現存する近世以前の八角塔としては、唯一のものである。
全高は18.75m。構造形式は八角三重塔婆で、四重塔にも見えるが、一番下の屋根は庇に相当する裳階である。日本に現存する唯一の八角塔(京都法勝寺、奈良西大寺などに存在したが、戦乱などで失われた)であるとともに、全体が禅宗様で造られた仏塔としても稀有の存在である。
この塔の建立年代は、従来、漠然と鎌倉時代末か室町時代始め頃と考えられていたが、年輪年代調査の結果、この三重塔の部材には正應2年(1289年)に伐採した木材が初重内部の蝦虹梁(えびこうりょう:弓形に曲がっている虹梁で、本柱と向拝柱など、高さの違った所に多く用い、形がエビに似ているのでこう言われる)に使われていることが判明した。このため、当塔は13世紀末(1290年代)に建築されたものと考えられ、元応2年(1320年)建築の長府功山寺仏殿を凌ぐ日本最古の禅宗様建築である可能性が高くなった。
別所温泉駅に戻り、15時11分発の電車で引き返す。
終点の上田まで戻ると思いきや、途中の下之郷駅で途中下車する。生島足島神社に参拝するためである。
生島足島(いくしまたるしま)神社の最寄り駅なので、駅舎建物の外壁には朱塗りの柱と漆喰の壁を模した装飾塗装が施されている。
以前は下之郷駅から西丸子線が分岐していたが、昭和38年(1963年)に廃線となった。別所線の中間駅では唯一の駅員配置駅であり、また、当駅構内が上田電鉄の登記上の本社所在地となっている。
駅から10分ほど歩いて、生島足島神社へ。
「日本中央」と刻まれた石碑が眩しい(笑) 文字通り、ここが日本の中央部らしい。
生島足島神社の主祭神は、生島大神と足島大神の2柱で、生島大神は万物を生み育て生命力を与える神、足島大神は国中を満ち足らしめる神という。
創建は不詳。社伝では、建御名方神(タケミナカタ)が諏訪へ向かっていた時、この地に留まり、生島・足島両神に米粥を煮て献じたという。この伝承から、生島・足島両神はこの辺りの地主神であると見られている。
本社は、池に浮かぶ小島の上に鎮座する「池心の宮」という古代的形態を採る。本社社殿は昭和16年(1941年)造営の権現造で、北面して鎮座し、摂社諏訪神社(下の宮)と正対する。本社は、諏方神社に対して「上の宮」と称される。両社の間には「神橋」と呼ばれる橋がかかるが、普段の一般参拝者は渡ることができず、諏訪神が本社に遷座する時のみ開かれる。その他、本社と諏訪神社全体を取り囲む四方には、諏訪系の神社特有の御柱が建てられている。
本社本殿内には、さらに内殿があり、室町時代の天文年間(1522−55年)の造営と見られ、長野県宝に指定されている。
池中に立つ本社に対して、正対して鎮座する。本社の「上の宮」に対して、諏訪神社は「下の宮」と称される。
棟札によると、社殿は慶長15年(1610年)に真田信之の寄進によって再建されたという。本殿前の門も本殿と同時期の建築と考えられており、本殿・門ともに安土桃山時代の様式を伝えており、長野県宝に指定されている。
歌舞伎舞台は、間口九間(16.36m)、奥行七間(12.27m)で、農村歌舞伎舞台の中で最大規模を誇る。伝えでは、明治元年(1868年)に建設され、その後校舎や集会所としても利用されたという。
江戸期の農村歌舞伎舞台の典型的な姿を完全に伝えており、長野県宝に指定されている。
下之郷駅に戻る途中、生島足島神社の北隣に建つ長福寺に寄り道する。
長福寺は平安時代の康保2年(965年)、祐存上人によって創建されたと伝わる。
境内には、八角のお堂が建つ。昭和17年(1942年)に篤い観音信者である大塚稔氏(大塚工芸社創立者)が観音像とともに寄進されたもので、奈良法隆寺の夢殿を完全1/2に写し、瓦までもが奈良の物を使用するなど、当時の匠の技が結集された昭和を代表する建築物で、「信州夢殿」と称されている。
お堂に鎮座する観音様は大塚氏が長野県小布施町の民家より譲り受けた、高さ40cmの金銅仏で、「救世観音」の通称で親しまれている。このお観音様は、古仏特有の微笑み「アルカイックスマイル」の面影を残していることから、天平期の作と推定され、しっかりとした記録はないものの、国指定の重要文化財である。残念ながら観音様の拝観は事前予約制だった…
下之郷駅から上田電鉄で上田に戻る。まだ夕食を予約していた時間まで間があったので、市内をうろつく。
大手通りを西へ進んで行くと、上田城跡の手前の通り北側に瀟洒な建物が目に入る。
これが旧上田市立図書館で、上田男子小学校の同窓会が市民に寄付を募り、大正4年(1915年)に明治記念館として竣工、当初から図書館としての使用が想定されており、大正12年(1923年)に上田市に寄贈され、そのまま上田市立図書館として利用された。
昭和45年(1970年)に図書館が移転したため、隣接する上田市役所の分室として使用された後、昭和60年(1985年)からは、半世紀もの間「上田彫塑講習会」の講師を務めた彫刻家・石井鶴三の個人美術館(石井鶴三美術館)として利用されたが、耐震性の問題から、平成20年(2008年)に美術館は閉館し、その後も交流施設として利用されたが、耐震性の不安は拭えず、平成27年(2015年)で閉館した。
ドイツ風アール・ヌーヴォーの流れを汲んだ意匠が見られ、長野県を代表する大正期の近代建築であることから、上田市の有形文化財に指定されている。
上田城跡へ。やっぱりここには寄ってかないと… ここも8年振りの登城。
二の丸橋で堀跡を渡って、城跡公園内へ。実は、昭和47年(1972年)まで、堀の中を上田から市北東部を結ぶ上田交通真田傍陽(そえひ)線が走っていたのだ。
正面に南北櫓を従えた東虎口楼門が見える。すべて戦後の再建。ここから本丸に入る。
本丸に鎮座する真田神社は、かなりの人で賑わっていた。まだまだ真田丸ブーム健在である。
本丸の西に隅櫓の一つ、西櫓が建つ。
西櫓は寛永3〜5年(1626〜28年)にかけて、仙石氏によって建てられた、上田城で江戸時代から現存している唯一の建物で、南北櫓とともに長野県の県宝である。
散歩を終え、予約していた「鯉西」さんへ。かなりの人気店のようで、予約しておいて良かった。
鯉の洗いでスタート! 鯉なんて食べるの久しぶりですわ〜
続いて、イワナの刺身! 顔がこちらを睨んでいて怖い(笑)…
出ました! カジカの骨酒! 丸焼きにしたカジカが丸ごと入ってます。グロい!(笑)
しかし、何とも言えない風味と滋味が… もう一合追加しました(笑)
続いて、稚鮎の天ぷら! この時期、鮎はまだ早いようで、塩焼きは断念し、こちらへ。微妙な苦みが秀逸です。
最後は鮎雑炊で〆! いや〜 あっと言う間でした。この店お勧めです。
と言う訳で、この旅で再訪することになるのだ(笑)
大満足したので、車の中で呑み直すこともなく、20時前には爆睡してました(笑)
5/1 曇り後雨
4時過ぎに起床し、この日も先に車で目的地まで向かう。この日は昼前から雨の予報だったので、20km弱先の戸倉駅までとする。戸倉まで行けば、善光寺までは25kmほど。明日は晴天予報なので、楽勝でしょう。
と言うことで、戸倉上山田温泉の万葉超音波温泉を目指す。朝の4時から深夜までやっている公衆浴場なので、車を止められるだろうとの算段である。JR戸倉駅からは2km弱ほど離れているが仕方がない。今日の歩行終了後、戸倉駅構内にある駅そばで昼酒をしようとの企みなのだ(笑)
温泉から戸倉駅に向かい、5時51分発の始発で上田へ戻る。
まだ10時過ぎだが、私は戸倉駅構内の一角を目指す。ここには駅そばの「かかし」さんがあり、そばの他、もつ煮やホルモン焼きも出してるので、朝から呑めるのだ(笑)
もつ煮と生でスタート! もつ煮は350円(笑) ビールが進む…
上ホルモン焼き! これも350円(笑) ビールが進む。
天ぷらそば500円をオーダー! そばには日本酒でしょう。きさくな女将さんと話しながら、酒が進む。
天然だしの優しいお味でした。満足し、タクシーで車を置いた万葉超音波温泉へ。
僅かに硫黄臭漂うアルカリ性の単純硫黄泉の源泉掛け流し湯を380円(5月13日から400円)で楽しめるのだから、サイコー!
天気も悪いので、午後はこの温泉にどっぷりと沈みました… そして、この間贅沢してきたので、この日は近くのコンビニで総菜を調達し、まさかの車中宴(笑)
飲酒後、また温泉に沈んでから、寝た… この日も20時過ぎの就寝(笑)…
5/2 晴れ
すっかり天候回復。いよいよ善光寺までのラスト区間だ。いつもならゴール地点まで先に車を置きに行くところだが、善光寺は現在、7年に一度の御開帳の時期で大混雑が見込まれること、長野駅周辺なら電車の時間待ちも苦痛なく過ごせるだろうと言うことで、車を置きっぱなしで戸倉駅まで歩いて戻る。
長野駅に戻り、電車の待ち時間を駅ビルの「MIDORI」さんで過ごすことに。2階にイートインスペースがあった。
駅ビル「MIDORI」の「信州おみやげ参道」でチョイ呑み@! 11:26
「信州おみやげ参道」の「信州くらうど」さんの地ビール、信州漬物盛り合わせと、「信州ハム軽井沢工房」さんのあらびきウインナーで乾杯!
駅ビル「MIDORI」の「信州おみやげ参道」でチョイ呑みA! 11:38
信州の地酒に手を出してしまう… 「信州くらうど」さんの「3酒飲み比べセット」へ。
駅ビル「MIDORI」の「信州おみやげ参道」でチョイ呑みB! 11:39
「小川の庄 おやき村」さんの「野沢菜おやき」! 定番の旨さ…
12時10分発の小諸行きに乗り込み、戸倉駅に戻ってきた。こうなると、またあの店に行きたくなってしまう…
吸い込まれるように「かかし」さんへ。今日は昨日の女将さんではなく、パートの方だった。
ニラ玉をチョイス。生ビールとぴったり!
当然〆はそばで。今日は天ぷらに加えて、玉子もトッピング。この日も汁まで完食し、大満足で超音波温泉へ。
後は昨日と全く同じパターン(笑)… 源泉掛け流しのお湯に長時間沈んでから、この日も車中宴(笑)… この日も爆睡(笑)…
5/3 晴れ
善光寺街道はコンプしたが、晴天が続くようだ。今日から登山モードにチェンジし、「信州百名山」の登り残しを中心に狙うことにする。
この日は「筑北三山」を目指すことにし、まずは聖山から攻略することに。
明日は信州百名山の独鈷山と子檀嶺岳に登りたいので、今日は上田で泊まることにし、向かうことに。
せっかくなので、碩水寺に寄ってくことに。
碩水寺は、天明2年(1782年)と文化10年(1813年)に火災に遭ったため、寺の由緒は確かではないが、裏山に覚応阿闍梨法印の塔があったことから、もとは真言宗の寺であったらしい。
現在の曹洞宗に改められたのは、享禄元年(1528年)のことで、当地の領主青柳近江守清長が開基となり、旧南安曇郡有明村、清原寺二世、天如桂樹和尚が開山し、天文元年(1533年)、寺が創立された。
以来、歴住二十六世を数え。寺領として慶安2年(1649年)、徳川家光からより9代にわたって十石の朱印地が与えられ、寺格は高かった。
上田電鉄上田駅構内にある「やきとり番長 上田駅ナカ店」さんで昼呑み@! 12:24
碩水寺を後に、県道12号とR143経由で上田に戻り、駅前の24h500円の格安駐車場に車を止めた。
12時を回っていたし、街中を歩き回るのも面倒だったので、上田電鉄の駅構内にある「やきとり番長 上田駅ナカ店」さんに飛び込む。
信州地ビールと浅漬けでスタート!
上田電鉄上田駅構内にある「やきとり番長 上田駅ナカ店」さんで昼呑みA! 12:28
来ました! 上田名物「美味だれ」焼き鳥! せせり、ぼんじり、豚バラのラインナップ! 「美味だれ」に焼き鳥をくぐらせてから食べるのが上田流なんです。
3日前の昼に行った「上田からあげセンター」さんでは焼き鳥を頼まなかったので、今旅で「美味だれ」焼き鳥はお初である。大阪の串カツ同様、「二度漬け禁止」でした(笑)
ちなみに私は6年前にも柳町の焼き鳥屋で、昼から「美味だれ」焼き鳥で昇天してました(笑)…
上田電鉄上田駅構内にある「やきとり番長 上田駅ナカ店」さんで昼呑みB! 12:41
かしらとはらみも追加発注!
上田電鉄上田駅構内にある「やきとり番長 上田駅ナカ店」さんで昼呑みC! 12:42
ホッピーが進む… こうして今日も昼から良い調子だ(笑)
上田電鉄上田駅構内にある「やきとり番長 上田駅ナカ店」さんで昼呑みD! 12:52
タンとももでフィニッシュ! しかし、連日何をやっているのか(笑)…
すっかり良い調子。そう言えば、信濃国分寺跡に行けてなかったな、と言うことで、しなの鉄道に一駅だけ揺られて、信濃国分寺駅下車。駅前すぐに史跡公園が広がっている。
信濃国分寺の僧寺・尼寺が創建された時期は不明。発掘調査によって両寺とも平安時代初期までは存続していたことが確認されている。
信濃国分寺僧寺の寺域は、約180m(100間)四方で、金堂、講堂、中門、塔、回廊、僧房の跡が確認され、南大門の位置も推定されている。伽藍配置は中門、金堂、講堂を南北一直線に配置し、中門左右から出た回廊が講堂左右に取り付く東大寺式である。塔は回廊外の南東にあったと推定されている。
尼寺は僧寺の西側に位置し、寺域は約150m四方で、伽藍は僧寺と同じ東大寺式であり、全体が国指定の史跡である。
資料館も見学してから、北側の現国分寺に移動する。
現地への移転の年代は不詳。寺伝では承平8年(938年)の平将門と平貞盛の合戦で焼亡したというが、詳細は明らかではなく、発掘で明らかとなった焼けた痕跡も一部に留まっていることから、他国の国分寺同様に平安時代末期の律令制衰退により荒廃したと見られている。
本堂は、万延元年(1860年)の竣工で、桁行6間、梁間4間、入母屋造。善光寺の本堂同様に裳階がつけられているので、二階建てに見えるが、構造的には単層である
近世の堂としては東信最大で江戸時代末期の特徴がよく表れており、長野県宝に指定されている。
三重塔は、高さ約20m、源頼朝の発願と伝えるほか、塔内には建久8年(1197年)の墨書があったと伝わるが、様式から室町時代中期の建立と推定されている。
建築様式は外観は和様で、内部は四天柱に囲まれた須弥壇上の天井を鏡天井とする点など一部に禅宗様の要素がある。
室町時代の様式をよく表すものとして、国の重要文化財に指定されている。
帰路は歩いて戻るか。3日前に辿った善光寺街道を再び歩く。信大の繊維学部の近くに銭湯を発見したので、寄ってくことに。
湯舟があるだけの昔ながらの銭湯。400円でした。
さっぱりして、再び街中に戻ってきた。奥まったところに日輪寺の案内板があったので、寄ってみる。
日輪寺の創建は、天文14年(1545年)、真田氏の祖とされる海野幸義(真田幸隆の従兄弟又は叔父)が開基となり、用山光受大和尚が開山したのが始まりと伝えられている。寺号の「日輪寺」は開基者である海野幸義の法名「日輪寺殿」に因むもので、海野家が没落すると後裔の真田家が庇護し真田昌幸が上田城に居城を移す際、一緒に移転し、寺紋は真田家と同じ六文銭を掲げている。
観音堂の本尊である観世音菩薩像は、海野家の守本尊だった仏像で広く信仰され毎年8月9日の「りんご祭」の際に御開帳が行われている。
日輪寺北隣の宗吽寺にも立ち寄る。
宗吽寺の創建は不詳だが、什慶が開山したとされ、元々は上田城付近にあったが、上田城築城の際に現地に移され慶英法印によって中興開山した。
上田藩の藩主となった仙石氏と松平氏の祈願所として庇護され、「海野町本陣日記」には藩主が松平氏の時、参勤交代の際には宗吽寺が出立の吉日を決めていたとのこと。
さぁ、夕飯だ。3日前に訪れた「鯉西」さんが良かったので、再訪する。
今旅2度目の訪問となった川魚料理の「鯉西」さんで宴@! 19:06
鯉ですが、この日は洗いではなく、刺身でスタート! 私は洗いの方が好みですね…
今旅2度目の訪問となった川魚料理の「鯉西」さんで宴A! 19:12
早々にイワナの骨酒が登場! 2合で量もたっぷり(笑)
今旅2度目の訪問となった川魚料理の「鯉西」さんで宴B! 19:14
続いて、どぜうの柳川。どぜうがたっぷりで、食べ応えが凄い。
今旅2度目の訪問となった川魚料理の「鯉西」さんで宴C! 19:20
鮎の内臓を発酵させた「鮎うるか」。これはヤバいです。酒が進みまくる…
今旅2度目の訪問となった川魚料理の「鯉西」さんで宴C! 19:53
食欲暴走! 鮎ラーメンも発注してしまった。焼いた鮎がまるまる一匹入っているのに加え、六文銭をイメージした鮎のつみれが6つも入っており、ボリューム満点。鮎の出汁も良く利いてますわ…
この日も大満足で終了〜 車に戻って速攻爆睡…
5/4 晴れ
この日も4時前に起床。この日は信州百名山の2峰、独鈷(どっこ)山と子檀嶺(こまゆみ)岳がターゲットである。まずは独鈷山の登山口である中禅寺を目指し、黎明の塩田平を疾走する。
今旅行最後の晩は松本で過ごしたいと思ったので、向かうことにするが、どうしても寄りたいところがあったので、いったんそちらに立ち寄ってから向かうことに。
どうしても寄りたかったところとは、塩田平西端の青木村にある大法寺。ここの国宝三重塔は、「日本一美しい」と評されることもあるらしいのだ。
早速車で乗り付ける。
大法寺は、大宝元年(701年)、文武天皇の勅願により定恵が開山したのが始まりと伝えられる古刹である。
一時衰退したが、大同元年(806年)には坂上田村麻呂が再興し、さらに永正2年(1505年)に火災で多くの堂宇が焼失すると、永正8年(1511年)に戸隠山観修院の月如法印が再興するなど、何度も再興され、現在に至っている。
お目当ての三重塔は境内の最上部にあるが、その前に観音堂が建つ。江戸時代の建築だが内部に安置されている厨子及び須弥壇は室町時代初期に制作されたと推定されており、厨子の棟に施されている木彫鯱は日本最古の鯱と言われており、堂前から上を覗くと視認できた。
須弥壇は、唐様須弥壇、高欄付で、厨子と共に国指定重要文化財に指定されている。
観音堂から階段を登り、三重塔へ。下から見上げる姿が何とも美しい… ため息が出ます。
大法寺三重塔は、鎌倉時代末期の正慶2年(1333年)の建立で、三間三層、宝形屋根、檜皮葺、高さ18.4m。
初重が上の2段に比べて大きく、それによって絶妙なバランスになり、目を引く姿になるらしい。確かに美しい…
三重塔屈指の名作とされ、その美しさから「見返りの塔」の異名を持ち、明治32年(1899年)に国宝に指定されている。
私も何度も「見返り」ました。
満足して松本へ向かう。R254主体のルートは、結構な山道だったが、交通量少なく、快適に松本市内へ。
以前も利用した「タイムズ松本信用金庫中町支店」に車を止める。市中心部にありながら、900円で丸1日止められるのだ。
「信州ゴールデン酒場 新館」さんで、またもや昼呑み@! 11:21
そそくさと街中へ繰り出し、松本ではいつも昼呑みに利用している、「信州ゴールデン酒場 新館」さんへ。
「アサヒ マルエフ」で乾杯!
「信州ゴールデン酒場 新館」さんで、またもや昼呑みA! 11:24
信州サーモン。最近、ぐっと認知度が上がってきましたね。
「信州ゴールデン酒場 新館」さんで、またもや昼呑みB! 11:28
やっぱり山賊焼きは外せません! ゴールデンさんの山賊焼きはニンニク加減が最高! いつも注文してます。
この日も昼から昇天した…
フラフラと松本市内を彷徨う。アルプスをバックに建つ松本城天守。絵になります。
松本駅の西にある「なぎさライフサイト」という複合商業施設内にある「湯の華銭湯 瑞祥 松本館」でひと風呂浴びた後、さらに街中探索を続行。駅東側に渡って深志神社に参拝。
深志神社の社伝によれば、諏訪明神(建御名方命)の夢をたびたび見ていた信濃守護・小笠原貞宗が戦勝に感謝し、暦応2年(1339年)に諏訪明神を祀って創建したのに始まる。当初は宮村宮(宮村大明神)と称していた。応永9年(1402年)には小笠原長基が北野天満宮を勧請した。
永正元年(1504年)、小笠原氏の家臣が深志城(松本城)を築城すると、当社を城の鎮守・産土神として崇敬し、社殿を西面に改めた。
天文2年(1533年)、小笠原長時は武田信玄に敗れ、信濃が武田氏の支配下に入ると当社は荒廃したが、天正10年(1582年)、小笠原氏が信濃に復帰すると社殿を再建した。
その後、本来は建御名方命の方が主祭神であるが、天満宮の方が有名となり、深志天神・天神様と呼ばれるようになった。江戸時代も松本藩累代藩主の崇敬を受け、松本城下の南半分の商人町の総氏神ともなった。
天保12年(1841年)、宮村宮から現社名に改称した。
「本格手打そば 榑木野 松本駅舎店」さんで最後の晩餐@! 16:49
少し早いが、今山旅の最後のご飯は、信州そばで〆ることに。もつ煮込みでスタート!
「本格手打そば 榑木野 松本駅舎店」さんで最後の晩餐A! 16:52
天ぷらそばでフィニッシュ! そばは旨かったですが、そば湯がサラサラで、ちと残念…
またフラフラと街中を彷徨い、いつも行ってる「塩井の湯」さんに沈没… レトロなええ味だしてますわ…
車に戻り、早々に寝た。
5/5 晴れ
ついに最終日。この日は3時過ぎに起床(笑) 続日本百名城の苗木城に寄るため、中津川を目指し、夜明け前のR19を爆走する。
あっと言う間に中津川市に入り、苗木城跡へ。最上部の駐車場に車を止める。当然ながら、私が一番乗りだ。
渋滞を避けるため、速攻で帰宅する。枚方に帰ったのは9時過ぎだった(笑)…
諸国名山探訪
Copyright(C) Hiroshi Fujita All right reserved