塩の道その7(穂高〜松本)

−ついに塩の道120キロをコンプリート! ついでに武石峰も攻略!−

山行概要

日 程
2019年5月5日(日)
山 域
美ヶ原・塩の道
天 気
快晴
メンバー
単独
コースタイム
武石峰駐車場=0:10=武石峰=0:05=武石峰駐車場【0:15】
JR穂高駅=0:05=穂高神社本宮(里宮)=0:25=JR柏矢町駅=0:45=JR豊科駅=0:10=法蔵寺=1:00=あづみ橋西詰=0:25=川合鶴宮八幡宮=0:20=新橋西詰=0:20=貞享義民塚=0:35=牛つなぎ石(松本)【4:05】

記録文(写真はクリックで拡大)

 日の出を武石峰で見たいので、4時に起床。4連続快晴に気分上々!
 美ヶ原へ一気に登る。思ったよりグネグネ道で時間がかかり、日の出に間に合うか気が逸る。おかげで武石峰をオーバーランし、気が付けば一般車終点の美ヶ原自然保護センターの駐車場に来てしまった。
 しかし、ここは展望良く、ここで日の出を迎えることに。

御来光! 4:51

 浅間山の右手から日の出が上がる!
 久し振りの山中での御来光にテンションが上がる〜

武石峰へ 5:00

 ひとしきり写真を撮ってから、武石峰へ戻る。ピークまで最短で登ることのできる入口の路肩に車を止め、歩き出す。
 背後は美ヶ原最高所の王ヶ頭。

武石峰山頂の大パノラマ@ 5:10

 遊歩道を僅か10分で登頂(笑)!
 朝陽を浴びた北アルプスが浮かぶ! 白馬から槍・穂高はもとより、後立山の背後に劔・立山も確認できる。

武石峰山頂の大パノラマA 5:10

 燕から槍・穂高をズーミング! こんなに好天が続くのなら、アルプスに登っても良かったな〜
 満足して速攻下山。一気に松本市内中心部に下り、最大料金設定のあるタイムズ松本信用金庫中町支店に車を止める。今日はここで寝るつもりだ(笑)
 松本駅へ向かう。駅前の「すき家」でカレーを掻きこんでから、松本駅7時15分発の大糸線で穂高駅へ。

穂高駅を出撃! 7:55

 有明山、常念岳を背後に眺めながら、いよいよ塩の道最終区間のスタート!

穂高神社本宮(里宮) 8:00

 穂高神社の境内を通り抜けて、南下を開始。
 穂高神社はこの本宮をはじめ、上高地明神の奥宮、奥穂高岳山頂の嶺宮合わせて、何度お参りしたか分からないほどだ。
 何といっても有名なのが、毎年9月26日、27日に行われる例大祭「御船祭」で、高さ6m、長さ12mにもなる大きな船形の山車「御船」をぶつけ合う勇壮な祭で、長野県の無形民俗文化財に指定されている。
 9月27日は、天智天皇2年(663年)の白村江の戦いで戦死したという、本社祭神の一人、安曇比羅夫の命日と伝えられている。

矢原堰沿いに南下 8:07

 矢原堰という江戸初期に造られた用水路に沿った小道を南下していく。画像は北側を振り返ったところ。
 安曇野の真ん中辺りは、地形的にアルプスから流れてきた水が伏流になってしまうため、このような用水路が色々と造られており、用水路のことをこの辺りでは堰(せぎ)と呼んでいる。

柏矢町駅 8:25

 用水路を離れ、西にしばらく進むと、柏矢町駅。てっきり町名がそのまま駅名になったと思いきや、周辺の地名である柏原と矢原を合成したらしい。何で後ろに町を付けたんだろう…

常念岳 8:35

 駅南の踏切を西に渡って、すぐに左折し、南に進む。
 小さい集落を抜けると、周囲は全て耕作地となり、常念岳が丸見えだ。
 再び住宅街になってくると、豊科駅に到着。塩の道は駅前のR147を南下するが、国道を横断し、東へ寄り道。
 八十二銀行の裏手に入り、法蔵寺へ。

法蔵寺山門 9:22

 法蔵寺は、永正3年(1506年)に知恩院出身の承蓮社傅誉によって創建された。元々は旧吉野村(長野市の北東部)にあったが、慶長16年(1611年)、千国街道に成相新田宿が新たに開設されることになり、それに伴い、当地に移設され、宿場の旦那寺となった。
 この山門は寛政元年(1789年)の建築で、唐獅子、竜、麒麟、貘、鷹、鶴など多数のケヤキの白木の彫刻があるのが特徴的であり、長野県の県宝である。

常念岳! 9:50

 街道に復帰し、国道を南下。すぐに追分があり、北寄りの熊倉というところで犀川(梓川)を渡るルートと、それより南側の下流の飯田、そして長尾前で梓川を渡るルートに二分されるが、今回は南寄りのルートを選択。のどかな田園光景の中を南東方向に進んでいく。
 常念岳がさらにピラミッドらしさを増し、格好良くなってきた。

拾ケ堰沿いに進む 10:15

 R147を横断し、用水路に沿って東へ進む。
 この用水路は「拾ヶ堰(じっかぜき)」と言い、松本市の犀川支流の奈良井川から取水し、梓川の下を逆サイフォン式に横切り、安曇野を貫くように西に流れて最後は同じく犀川支流の烏川に注ぐまで、その総延長は約15kmに及ぶ。
 拾ヶ堰の開削は江戸時代末期、文化13年(1816年)で、僅か3箇月で開削されたという。この用水によって、周辺の十箇村が灌漑されることから、その名が付いた。
 拾ヶ堰の完成によって、安曇野は豊かな稲作地帯に姿を変え、現在、この恩恵を受ける水田は1000haに及ぶという。
 拾ヶ堰沿いは、アルプスをはじめ景色が良いので、「あづみ野やまびこ自転車道」というサイクリングロードが整備されている。

シールドマシンフェイスのモニュメント 10:25

 逆サイフォン式で梓川の下を抜けていく拾ヶ堰と別れ、R147「アルプス大橋」の北側に架けられた歩行者専用の「あづみ橋」で梓川を渡るのだが、橋の西詰に物々しいモニュメントが立っていた。
 梓川の下を流すトンネル掘削で使用されたシールドマシンの最前部で、直径約14m。これを回転させながら掘り進んでいったのである。説明版にトンネルの全長は353mと書いてあった。

梓川を渡る 10:29

 「あづみ橋」で梓川を渡る。遥か彼方に後立山連峰が連なる。よく歩いてきたなぁ〜 しかも、ついに松本市に入った!
 「アルプス大橋」の東詰に進み、いったん上流方向に寄り道し、この辺りにあったと言われる飯田の渡し跡を見に行ったが、何も痕跡はなく、無駄足に終わった…

川合鶴宮八幡宮 10:50

 北東へ戻り、街道に復帰。梓川と奈良井川に挟まれた中洲のような地帯を南に進む。
 ルート脇に、川合鶴宮八幡宮が鎮座する。創建は桓武天皇御代の延暦11年(792年)で、中世期この辺りを支配し、戦国期に信玄に滅ぼされた平瀬氏の居館が置かれていた地でもあるらしい。
 南へ進む。やがて奈良井川に沿って進むようになる。

新橋で奈良井川を渡る 11:17

 R147に突き当たると、左折して新橋で奈良井川を渡る。橋からは拾ヶ堰の頭首工が下流側に見える。
 頭首工とは、堰の用水の取り入れ口のことで、ここで奈良井川の水を取水しているのだ。必要な水位を確保するため、取水堰と取水口からなっている。
 新橋を渡るとR19に合流し、南下するのだが、間違ってそれっぽく見えた左上に上がっていく散策路に入ってしまい、気が付けば城山公園の近くまで来ていた…

義民多田加助の碑 11:30

 ここまで来たら後は市内中心部まで適当に歩こうと思い、東に進むと、貞享義民塚に出た。首謀者の多田加助の碑も立っている。
 貞享3年(1686年)、水野家松本藩で発生した百姓一揆(貞享騒動)で、多田加助をはじめ一揆の首謀者らとその家族が処刑された(一度は百姓らの要求を呑んだと見せかけて解散させ、後で年貢減免の約束を反故にし、捕らえた)場所らしい。
 その後、水野家が刃傷沙汰で改易となり、戸田松平家が入ると、義民の顕彰が始まり、明治になり、自由民権運動が始まると、加助らの権力に対する抵抗姿勢が運動と重なるため、脚色・美談化が進み、「民権鑑加助の面影」という新聞に連載された物語が舞台化されるなど、貞享騒動は、運動を推進していく手段として高く評価されつつ人々の間に深く浸透していったのである。

牛つなぎ石 12:05

 坂を下り、街中へ。松本城天守を横目に見ながら大手町を南下し、観光客で溢れる市街地を最後は東進し、中央二丁目交差点の北西角に立つ牛つなぎ石に到着し、塩の道(千国街道)120kmをコンプリートした!  石にタッチしながら、「2年前にも糸魚川の牛つなぎ石をタッチしたなぁ」と思い、感慨に浸る…

「信州ゴールデン新館」さんで祝勝会!@ 12:38

 いったん、駐車場に戻り、着替えをしてから、体一つで街中に再び繰り出す。
 昼酒で完歩を祝おうと、観光客は寄り付きそうにない、渋い「信州ゴールデン新館」へ。
 佇まいが渋過ぎる(笑)…

「信州ゴールデン新館」さんで祝勝会!A 12:58

 馬刺しに豚バラ串ほかにハイボールが進む…

「信州ゴールデン新館」さんで祝勝会!B 13:02

 この日も山賊焼きを… 車中宴から3日連続だ(笑)…
 すっかり昼からへべれけに…

松本城 14:38

 祝勝会終了後、腹ごなしに街中をぶらつく。それにしてもインバウンド含め凄い人出だ。中町通りにあるこじゃれた飲食店は軒並み行列ができている。観光客の集中化は京都市だけの問題ではないことを実感… 自分が過ごしたこの4日間で訪れた場所は、いかに閑散としていたことか…
 松本城天守前には「70分待ち」の貼り紙がしてあって、あえなく転進…

旧開智学校 15:02

 城の北側にある旧開智学校へ。ここはすんなり入れた。
 開智学校は、藩校崇教館から続く、県下第一の小学校で、県の学校では唯一、英学(洋学)が設置された。
 現存校舎は、工事費の約7割を松本市民の寄付で賄い、当時の筑摩県権令・永山盛輝の陣頭指揮で進められ、明治9年(1876年)4月の竣工。
 昭和36年(1961年)3月、明治時代の擬洋風学校建築としては初めて重要文化財の指定を受けた。その後2年間、現役の校舎として利用され、昭和38年(1963年)3月に校舎としての役割を終え、翌年この地に移築された。

激渋銭湯「塩井乃湯」@ 15:33

 流れ流れて、松本城のすぐ南にある「塩井乃湯」へ。
 建物は大正時代に建てられ、レトロ感がたまらない…

激渋銭湯「塩井乃湯」A 15:37

 明治時代に源泉が発見され、地域の方々の要請を受け、大正時代に銭湯を開業したらしい…
 泉質は、ナトリウム多量・マグネシウム多量・カルシウム多量・鉄分少量、炭酸中量、クロール多量と説明版に書いてあった。
 浴室もこの通り独占(笑) さっぱりしました〜

最強パワースポット 16:26

 街中に戻り、四柱神社へ。
 明治5年(1872年)、松本に設置された神道中教院が始まりで、明治7年(1874年)から四柱の神を祀ったことに始まる。
 天之御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神、天照大神の四つの神様が祀られており、天之御中主神は「神様の神様」、高皇産霊神は「物事を結ぶ神様」、神皇産霊神は「人を結ぶ神様」、天照大神は「縁を結ぶ神様」と言われており、すべての願いごとが叶う“願いごとむすびの神”として知られている。
 私も入念にお願い事をしてから、退出。

「くりや」さんで〆! 18:39

 車に戻り、車内でまた呑み直し(笑)、それでも足りず、中通りに繰り出し、蕎麦屋の「くりや」さんへ。
 海苔を磯の花に例えて散らした「花巻きそば」とハイボールでフィニッシュ! こうして楽しすぎる信州での日々が終わった…
 この日も車内で爆睡し、翌日5時に松本を発進し、渋滞全くなく9時過ぎには枚方に帰着したのであった。







参考タイム

5/5武石峰駐車場 5:005:10 武石峰 5:205:25 武石峰駐車場
JR穂高駅 7:558:00 穂高神社本宮(里宮) 8:008:25 JR柏矢町駅 8:259:10 JR豊科駅 9:109:20 法蔵寺 9:2510:25 あづみ橋西詰 10:2510:50 川合鶴宮八幡宮 10:5011:10 新橋西詰11:1011:30 貞享義民塚 11:3012:05 牛つなぎ石(松本)

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諸国名山探訪

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