熊野古道紀伊路その4(井原里〜山中渓)

−街道歩きの趣がしだいに高まる… 和歌山県へはもう一息−

   

山行概要

日 程
2015年3月21日(土)
山 域
熊野古道紀伊路
天 気
曇り
メンバー
単独
コースタイム
南海井原里駅=0:15=佐野王子跡=1:00=塙団右衛門直之の墓=0:15=樫井古戦場跡=0:05=一岡神社=0:05=厩戸王子跡=0:30=往生院=0:05=信達一ノ背王子跡=0:10=林昌寺=0:30=地蔵堂王子跡=0:10=馬目王子跡=0:10=JR山中渓駅【3:15】

記録文(写真はクリックで拡大)

 中2週間での第4弾。
 いつものように三条京阪から5時の始発で大阪へ。淀屋橋、なんば経由で、南海井原里駅へ。無人駅を出ると、今日は快晴の予報だったのに、薄曇り…
 前回(和泉府中〜井原里)と逆の動きで、南海線をくぐり、少し東の佐野川交差点で街道に復帰。
 しばらく府道を南下し、ガイドブックのとおり、紅白の送電線鉄塔の所で左斜めへ入り、住宅地へ。

佐野王子跡 7:55

 静かな住宅地にポツリと建つ。
 後鳥羽院の熊野御幸に随行した歌人、藤原定家が書き残した日記「熊野道之間愚記」に「建仁元年(1201年)10月7日御参詣」と記されている。現在は、春日神社に合祀されている。
 しばらくそのまま南下。綺麗に区画された、しゃれた住宅が立ち並ぶ区画を抜けると、目の前に関西空港自動車道の高架が近づいてくる。
 高架をくぐり、しばらく静かな古屋が並ぶ住宅地を進む。

塙団右衛門直之の墓 8:55

 八丁畷地蔵を過ぎると、樫井の街並みに入る。
 樫井王子跡と言われる奥家住宅の向かいに塙団右衛門直之の墓がある。大坂夏の陣の緒戦である、ここ樫井での合戦で、功を焦り、前線に出過ぎて討ち死にしたという。

樫井古戦場跡 9:10

 樫井川に架かる明治大橋の畔に建つ。慶長20年(1615年)の大阪夏の陣で、大阪城の外堀を埋められた豊臣軍が、紀伊の浅野長晟へ攻撃をしかけ、浅野長晟が迎撃したのが、ここ樫井の地である。
 4月29日、豊臣方の武将、塙団右衛門と岡部則綱が先鋒を争う形で突出したため、後続が追いつかず、やがて岡部は敗走、塙は戦死した。この後、わずか8日後の5月7日に大阪城は落城した…

一岡神社 9:17

 明治小橋も過ぎ、ゆるやかに坂道を登ると、一岡神社。古代仏教寺院の跡である海会寺跡(かいえじあと)に建っている。この海会寺は「法隆寺式伽藍配置」の寺院であったことが確認されており、境内に伽藍跡が多数残されている。

厩戸王子跡 9:25

 一岡神社を後に、マンションを過ぎた南側を右折し、西に坂道を下ると、農地の中に、厩戸王子跡がある。
 かつては「信達宿」と呼ばれ、熊野詣での宿泊地であり、「熊野道之間愚記」建仁元年(1201年)10月7日条に、後鳥羽上皇が熊野に行幸の際、信達荘にある「厩戸の御所」に泊まられた記録が残る。明治40年(1907年)、一岡神社に合祀された。

信達宿本陣跡 9:39

 いよいよ信達の街並みに入る。大阪天満橋からはるばる歩んできたが、初めて、旧街道の面影が色濃く残る街並みに歓喜する。
 信達は熊野詣の宿場町として栄え、江戸時代になると参勤交代の宿場町として紀州徳川家の本陣が置かれたところ。街道沿いには信達宿の面影を伝える妻入の家並みが続く。家はこの地域独特の様式で、街道に妻を向け、一段低いところに平入の屋根を持つ特徴が見られる。
 大阪泉南の地に、こんな良いところがあったんですね〜 最高!

往生院本堂 9:57

 白鳳8年(679年)天武天皇の勅命により、法相宗の開祖である道昭によって鎮護国家の道場として建立された。
 飛鳥寺(元興寺)様式の広大な伽藍を有していたが、天正13年(1585年)の豊臣秀吉の根来攻めの際、伽藍をほとんど焼失したらしい。

信達一ノ背王子跡 10:05

 信達の街を抜けると、信達一ノ背王子跡が現れる。信達牧野のまち外れに位置し、地蔵石像、馬頭観音像等が祀られている。史料によって名称に混乱があり、一之瀬王子だけでなく、信達一之瀬王子、信達王子などの名称が残っている。明治初期まで小祠が祀られていたというが、明治43年(1910年)に信達神社(泉南市信達金熊寺)に合祀された。
 王子跡から、左の脇道に入り、阪和線の踏切を渡る。周囲はだいぶ山深くなってきた。

林昌寺「法林の庭」 10:15

 聖武天皇の勅願寺として行基により天平年間(729年−748年)に開創された。
 重森三玲作の庭園で、躑躅(つつじ)の名所として知られる山の斜面に造られた「法林の庭」が有名。
 山門から薄暗い森の中、石段を下る。信達岡中の街並みに降り立ち、渋い細街路を進む。
 いったん、広い通りを横切り、寂しげな耕作地の中をゆるやかに登り下りすると、石の大鳥居の建つ和泉鳥取駅前。
 和歌山へ続く車道沿いに進む。通行量多く、歩道の無い箇所もあるので、車に注意。
 道標に従い、左手の住宅地に少し進んだところの空き地に地蔵堂王子跡がひっそりと立っていた。

地蔵堂王子跡 10:50

 山中宿の地福寺にある「子安地蔵」は、もとは地蔵堂王子のご神体であったといわれている。また、地蔵堂王子の南側、山中川右岸に「琵琶ヶ岸懸」(びわががけ)と呼ばれる崖があり、熊野詣の最難関とされていた。
 王子跡からは、阪和道と並行するように、県境へ谷を分け入る。

馬目王子跡 11:00

 標石だけが残る。大阪で最後の王子。明治41年(1908年)に鳥取神社(阪南市石田)に合祀された後、旧社地は払い下げられ、阪和線の開通時の工事で切り崩されて平地となった。かつては「足神さん」と呼ばれ大草鞋が奉納されていたといわれている。
 さらに車道を進むと、山中宿の入口が現れる。

山中宿の街並み 11:08

 古い街並みが残る街道筋。5分ほどでJR山中渓駅に到着。桜の時期はかなりの人で賑わうのだろうが、今は閑散としている。
 今日はここまで。なんばの居酒屋で昼呑みとなった。
 次回はいよいよ県境を越え、和歌山へ入る。

 その5(山中渓〜布施屋)へ。

参考タイム

3/21南海井原里駅 7:407:55 佐野王子跡 7:558:55 塙団右衛門直之の墓 8:559:10 樫井古戦場跡 9:109:15 一岡神社 9:209:25 厩戸王子跡 9:259:55 往生院 10:0010:05 信達一ノ背王子跡 10:0510:15 林昌寺 10:2010:50 地蔵堂王子跡 10:5011:00 馬目王子跡 11:0011:10 JR山中渓駅

山行データへ

諸国名山探訪

Copyright(C) Hiroshi Fujita All right reserved

inserted by FC2 system