銀の馬車道その1(生野銀山〜鶴居)

−明治の殖産興業の象徴! 銀の馬車道を行く! 1日目、まずは市川町の鶴居までをチンタラ歩き…−

   

山行概要

日 程
2018年10月19日(金)
山 域
銀の馬車道
天 気
雨後晴れ
メンバー
単独
コースタイム
生野銀山=0:10=奥銀谷=0:30=旧生野鉱山職員宿舎=0:10=姫宮神社=0:40=生野(真弓)峠=0:15=ヨーデルの森=0:05=大歳神社(猪篠)=0:55=大年神社(杉)=0:10=道の駅「銀の馬車道 神河」=0:15=春日神社=0:15=いぼ地蔵=0:10=法楽寺=0:10=銀の馬車道交流館(粟賀)=0:40=大歳神社(福本)=0:15=福本遺跡=0:25=沢橋=0:25=JR鶴居駅【5:30】

記録文(写真はクリックで拡大)

 金曜日に休暇が取れそうだったので、山行を企てる。体育の日の3連休も山に行きたかったが、台風の影響で断念し、東海の城巡りに変更していただけに、有明山とかを狙うことにし、登山準備も万端整えたのだが、今回は寒気が流れ込んだ影響で、金、土の天気がアルプス近辺は壊滅的で、また計画変更を強いられる…
 寒気の影響のないところを狙おうと思ったら、どうしても太平洋側になってくるが、今夏の大型台風連続上陸の影響で、山は倒木や土砂崩れでとても登山できるような状況ではないので、やむなく街道歩きに変更、と言うことで、前から気になっていた「銀の馬車道」を歩いてみることに決めた。

 生野鉱山寮馬車道、通称、「銀の馬車道」は、生野鉱山と姫路の飾磨港を結ぶ道路で、鉱山関連物資の輸送のために生野鉱山に招聘されていた、お雇い外国人のフランス人技師ジャン・フランシスク・コワニエの提案により工部省鉱山寮が整備したものである。明治6年(1875年)に着工され、明治9年(1878年)に竣工した。
 「銀の馬車道」は、約49kmの全行程において、馬車の相互通行に充分である5〜11mの幅を持ち、中世から馬車道の技術が進んでいたヨーロッパの最新技術である「マカダム式舗装」(あら石、小石、玉砂利を3層に積むなどして突き固めた路面)で整備され、雨などの天候に左右されない排水性の高い堅牢な設えとなっており、また、直角に曲がるところはわずかに2箇所で、極端な高低差を避けた緩勾配の道路となっていて、唯一の難所となる真弓峠(朝来市と神河町の境の峠で、生野峠とも呼ばれる)では縦断勾配を緩やかにするためにS字カーブを採用し、道路延長を長く取って作られているなど、馬が一定の速度で無理なく走れるよう設計されており、日本初の高速道路ともいわれる。
 この画期的な産業道路も、明治28年(1895年)に播但鉄道(現在のJR播但線)が開通し、物資輸送の主力は鉄道に取って代わられたため、馬車道としては大正9年(1921年)に廃止となった。

 枚方を5時過ぎに出発する。いったん逆方向の京都方面に進み、久御山ICから京滋バイパス、名神、そして高槻で今年の3月に開通したばかりの新名神に入り、スムーズに神戸を抜け、あっと言う間に中国道へ。そして福崎で播但道に入ると、すぐに、市川北ランプからJR鶴居駅に到着。1時間ちょっとと、新名神のおかげで相当便利になりました。
 駅前の広場に半日ぐらいは良いだろうと車を止めさせてもらい、身支度をしてホームへ。

ラインカラーはワインレッドの播但線 7:15

 7時16分発の寺前行に乗り込む。ワインレッドに塗られた103系が素敵(笑)… 今日は平日なので、車内は高校生で溢れかえっていた。
 2つ先の寺前駅で、和田山行きに乗り換える。播但線は寺前までしか電化されていないのだ。
 ディーゼルカーは物凄い山奥をひた走り、生野には7時48分に到着した。改札を出ると、寒気の影響で冷たい雨が降っている。ここはほとんど日本海側なんだなと、改めて思ってしまう。
 駅の東口は薄ら寂しいが、西口はロータリーも整備され、近くにローソンもある。ここで朝食を調達し、駅舎で凍えながら食べる。
 銀の馬車道の起点は生野駅前の口銀谷(くちがなや)地域となっているが、やはりここは生野銀山から歩かねば、と言うことで、銀山へ向かうことにするが、適当なバスが無かったので、タクシーで向かう。

生野銀山の正面玄関 8:20

 生野銀山は平安時代初期の大同2年(807年)の開坑と伝えられるが、詳細は不明。記録で明らかなのは天文11年(1542年)、但馬国の守護大名だった山名祐豊が、石見銀山から採掘・精錬技術を導入し、本格的な採掘が始まったという。
 信長、秀吉、家康といった時の権力者の重要な財源として利用され、江戸時代に入ると生野奉行が置かれて、3代将軍家光の頃に最盛期を迎え、月産150貫(約562kg)の銀を産出したという。
 江戸時代中後期から銀産出が衰退したが、明治になると銀の馬車道も整備した、お雇いフランス人技師長ジャン・フランシスク・コワニエらの助力を得て、先進技術を導入し近代化が進められ、復活。国内有数の鉱山となった。
 戦後になると、資源減少による鉱石の品質の悪化、坑道延長が長くなり採掘コストが増加したことなどから、昭和48年(1973年)3月22日、ついに閉山となった。
 現在は「史跡 生野銀山」と称し、観光施設として地域活性化に貢献している。

奥銀谷地域の街並み 8:30

 正面玄関から、先ほどタクシーで来た道を引き返す。いつしか雨は止んだ。
 市川を渡りR429に合流したところが、奥銀谷(おくがなや)の集落の入口。
 旧道に入ると、奥銀谷の古い街並みが現れる。この辺りは、江戸時代の鉱山町として賑わったところ。
 奥銀谷の集落を抜け、市川に沿ってR429を進む。銀の馬車道は、姫路まで基本的にはこの市川沿いに進んでいくことになる。

旧生野鉱山職員宿舎 9:10

 三菱マテリアルの大工場を過ぎ、口銀谷地域に入る。ここは明治の鉱山町で、ここも古い街並みが保存されている。
 地域の東端には、旧生野鉱山職員宿舎がある。明治9年(1876年)に建設され、ピーク時には18棟が軒を連ねていたが、現存しているのは6棟のみで、このうち4棟が修復・復元され、生野鉱山の歴史文化を紹介する施設「旧生野鉱山職員宿舎」として整備されている。
 4棟の内装は、それぞれ明治、大正、昭和(戦前、戦後)を想定して復元されている。
 うち一つは、生野出身の俳優で、黒澤明監督作品には欠かせない俳優と言われた、志村喬の記念館となっており、縁のさまざまな資料が展示されていた。

旧井筒屋 9:15

 旧井筒屋は、代官所から採掘権を与えられた吉川家が代々営んできた郷宿で、江戸からの巡見使など要人が泊まった記録も残っている。
 建物は、国登録有形文化財であり、平成11年(1999年)に吉川家から旧生野町に寄贈され、「生野まちづくり工房」として、まちづくりや特産品づくりなどの住民の活動の場として利用されている。
 市川の対岸に眺めの良さそうな高台があり、鳥居も見えたので、そちらに向かってみる。

姫宮神社 9:22

 ここが姫宮神社で、歴代の生野奉行や代官が産土神として崇敬したという。
 元々は、応永34年(1427年)に、但馬守護だった山名時熈(ときひろ)が生野城を築城した際に、城中鎮護の神として豊玉姫命を祀ったのが始まりである。
 その後、大火や洪水等の被害を度々受け、口銀谷中心部の本町をはじめ周辺を転々としたが、昭和11年(1936年)、現在地に遷座して社殿を新築し、現在に至っている。

姫宮神社から見下ろす口銀谷の街並み 9:27

 予想通り、境内からは口銀谷の街並みが一望である。
 石州瓦のような赤褐色の瓦が目立つが、これは生野瓦で、石州瓦と同様、天然の鉄分を多く含む土が使われているかららしい。

トロッコ軌道跡 9:28

 姫宮橋に戻り、市川の下流方向を見下ろす。川の右手(右岸)に見えるのが、トロッコ軌道跡である。
 生野のトロッコ軌道は、大正9年(1920年)に電車軌道として完成し、生野鉱山本部から生野旧駅までの間をアメリカ製の6トン電気機関車が500mm軌道で結んでいた。
 市川にアーチ型に石垣を積んで、川に張り出して線路を確保しており、現在でも一部遊歩道として整備されている。

鍛冶屋町通りの街並み 9:38

 街中に戻り、口銀谷の交差点を左折し、鍛冶屋町通りを南下する。この辺りも古い町家が多く、すぐにでも登録文化財くらいにはなれそうな物件ばかりだ。

盛明橋 9:45

 町の外れで、市川を渡り左岸へ。この橋が盛明橋(せいめいばし)である。
 元々は、「森ヶ屋橋」と呼ばれていたが、馬車道工事のため架け換えられ、橋の名は、当時の生野鉱山長(宮内省御料局生野支庁長)として、鉱山の発展や馬車道建設に多大な貢献のあった朝倉盛明氏を讃え、改名された。
 初代「盛明橋」は木製で、橋の表面は「マカダム式舗装」が施されていたが、昭和5年(1930年)に架け換えられた二代目「盛明橋」は近代土木技術を導入して整備されたが、老朽化が激しくなったため、平成11年(1999年)に三代目「盛明橋」が架け換えられた。

生野(真弓)峠 10:09

 R312を横断し、さらに南下。生野高校を右手に見下ろしながら、緩やかに登って行く。
 三和化工の工場が建つところでR312に合流し、少し登ると、生野(真弓)峠に到達。
 標高は361mとのこと。茶屋のような建物が東側に建っているが、だいぶ前から営業はしていないようだ。自販機のみが並んでいる。
 そこに解説版が建っており、嘉吉元年(1442年)、但馬国守護職だった山名持豊(後の宗全)と、赤松満祐が激戦を繰り広げた地であるらしい。

大歳神社(猪篠) 10:30

 峠から下っていくと、すぐに神河町に入り、町立の農業公園である「ヨーデルの森」の裏口ゲートに出る。
 ゲートの奥へ遊歩道が伸びており、銀の馬車道マップでも、園内を通行するような記載になっていたが、ゲートには「関係者以外立入禁止」の貼り紙が…
 仕方がないので、そのままR312を下り、園の正面玄関に向かう道で国道を離れ、正面玄関の西端で馬車道に復帰した。
 播但道に沿って南に少し下ると杉木立の中に大歳神社が建つ。
 案内板によれば、創立年月は不詳だが、元禄7年(1694年)、当地の里人らによって社殿建築の議が起こり、27年後の享保4年(1719年)に三木の棟梁坂井市之門とその一統により7箇月延1500人をかけて創建されたとのこと。本殿は、神河町指定文化財である。

長閑な神河町 11:06

 ひたすら南下し、播但道の北神河ランプでR312に合流する。単調な歩道歩きが続くが、周囲の景色はまことに長閑で、のんびりした気分で歩くことができる。
 また、国道から1本東に並行して走る農道があり、そちらを歩むと、さらにのんびり感が増した。

大年神社 11:25

 杉と言う集落に入り、国道の脇道に入ると、ここには「大歳」ではなく、「大年」と表記される神社があり、鳥居の奥に巨大な夫婦杉が立ち並んでいる。
 案内板によれば、樹高はそれぞれ、33m、30mで、幹囲は5.2m、4.2mもあり、樹齢は推定270年とのことである。
 さらに南下し、杉の集落を抜け、国道に再合流するところに、道の駅「銀の馬車道 神河」があったので、ちょうど腹も減って来てたし、これ幸いと道の駅へ。

「かんざき大黒茶屋」さんで地元産たまごのTKGを! 11:57

 道の駅の食堂「かんざき大黒茶屋」さんのメニューは色々とあったが、地元市川産「タズミのたまご」を使ったTKG400円を注文。
 たまごは、おかわり1個できるので、溶き卵をごはんにかけて、さらにたまご1個をそのまま投下する、ささやかな贅沢喰いを満喫!!(笑)

道標に従う 12:15

 道の駅のすぐ至近の国道の脇道に、「銀の馬車道」で唯一昔のままに残っているという区間があるらしく、神河町の観光案内ホームページも、ここを相当推しているので、期待が高まる。

「銀の馬車道」唯一の現存箇所 12:16

 近づいてみると「畑川原ノ池」の周囲をゆるやかにカーブしている区間があり、ここが「銀の馬車道」唯一の現存箇所とのこと…
 なんかフーンといった佇まいだし、この道幅で馬車の相互通行なんかできるんかいなと思ってしまうが、まあ反論する材料も、その気もないので、素通りする。
 現存区間は100mあるかないかといった短さで、あっと言う間に終わってしまった…

春日神社 12:30

 国道に吸収され、さらに南へ。東側に春日神社があり、なかなか由緒ありそうな神社だったが、台風で被害が出たのか、残念にも拝殿全体にブルーシートがかけられ、大規模修理中だったので、先を急ぐ。
 また左へ国道の脇道に入ると「いぼ地蔵」があり、そのすぐ先が六叉路になっていて、馬車道は南に進み、越知川を観音橋で渡っていくのだが、私はここをいったん東へ林道を進む。
 この先に、犬寺という通称を持つ法楽寺があるのだ。けっこうな回り道になるが、寄ってくことに。山奥に伸びる人気のない車道を黙々と進んでいく。

法楽寺本堂 12:57

 仁王門からの正式参拝道ではなく、横入りにはってしまったが、ともかく到着。
 法楽寺、通称「播州犬寺」の由来であるが、大化年間、この辺りに枚夫長者(まいぶちょうじゃ)という豪族がおり、子供はおらず、二匹の愛犬を我が子のようにかわいがっていた。都で戦が起こり、長者もその戦に加わることになったが、その留守中、家来と長者の妻が不倫関係となり、やがて帰ってきた長者を狩りに誘い出し殺そうとした。その危ないところを助けたのが、二匹の愛犬たちであり、大変感激した長者は愛犬の死後、私財をなげうって伽藍を建立した。以後、三度も野火が迫るも千手観世音菩薩の霊験か、伽藍には被害がなかったという。そのことが、桓武天皇のお耳に達し当山を「官寺」としたという…
 山深い境内は広く、この辺りの寺の中では、なかなかの規模を誇っており、本堂は享保14年(1729年)の再建で、兵庫県の指定文化財である。

法楽寺仁王門 13:08

 帰りは246段の急な石段を下って、仁王門へ下る。
 この仁王門は、天正年間(1573−1579年)の再建とされ、神河町指定文化財である。
 越知川に沿って住宅街を下り、観音橋の南詰に戻ってきた。ここから南側一帯が、粟賀の集落で、生野街道の街道村、宿場町として形成され、明治以降には銀の馬車道も村を貫通するなど、旧神崎町の中心市街地としても発展してきたところである。

難波酒販店 13:22

 観音橋から少し南に集落側に入ってみると、神河町の中村出張所の1階に、「銀の馬車道」の歴史や各種資料が展示する「銀の馬車道交流館」がある。歴史のありそうな建物だなと思っていたら、但陽信用金庫の旧粟賀支店だったらしい。
 ここで紙のマップをゲットし、今までスマホ頼りでバッテリー持ちの障害となっていた状況が改善できた。
 交流館の向かいには、趣ある町家の難波酒販店が建っている。
 この町家は、旧生野街道沿いに点在する町家の中でも特に古く、規模の大きい酒造・酒販店であり、かつては養蚕業、染色業も営んでいました。玄関腰窓に用いられている縄文杉の一枚板や出格子、虫籠窓等のしつらえは往時の様子そのままである。地域の代表的な町家で、景観の核となっていることから兵庫県の景観形成重要建造物に指定されている。

竹内家住宅 13:34

 趣のある街並みをさらに南へ進むと、また巨大な町家が目に入る。
 これが竹内家住宅で、生野にあった山師(鉱山業者)の邸宅を明治初期に移築したものらしい。この家も景観形成重要建造物に指定されている。
 神崎町農協前の交差点で集落を離れ、南下。次の福崎の交差点で西側を並走していたR312と交差し、今度はこちら側が国道の西側を並走しながら進んでいくと、「福本藩陣屋跡」を示す道標が現れたので、またも東へ寄り道する。

大歳神社(福本) 14:10

 道標に従い、東へ。神崎高校の南側に沿って進んでいくと、陣屋跡に建つ大歳神社(福本)に到着。
 ここに陣屋を構えた福本藩は、播磨国主池田輝政と家康の次女督姫の三男、松平輝澄の嫡男政直が寛文3年(1663年)に興したギリギリ1万石の小藩だったが、僅か2年後の寛文5年(1665年)、政直は嗣子なく没したため、遺領は政直の弟である政武(7000石)と政済(3000石)が分割相続し、2つの旗本家となり、維新まで続いた。
 それが、維新直後の慶応4年(1868年)、鳥取藩分の3500石を与えられるなど、再び諸侯に列して藩となるも、明治3年(1870年)10月に藩財政困窮のため鳥取藩に併合され、廃藩になるという、数奇な運命を辿った藩である。

大歳神社(福本)の庭園 14:11

 藩創設と同時に寛文3年(1663年)に造営された福本陣屋の縄張りは、南北約600m、東西約450mの規模で、陣屋の西側に但馬街道を通し、南惣門と北惣門の2関所を設けたという。
 一方、大歳神社は、創立年月不詳にして、初め現在社殿の北方に位置する宮の谷に鎮座していたが、大正2年(1913年)に当地に遷座され、小規模ながらも池泉回遊式の大名庭園の一部も保存された。
 平成13年(2001年)10月、町指定文化財に指定された。

福本遺跡 14:30

 福本陣屋を後に、R312を坦々と南下する。車を置いたJR鶴居駅はもう一駅先まで近づいてきたが、だいぶ疲れてきた。少し短いかと思ったが、この日を鶴居駅で刻むことにしたのは正解だった…
 単調な国道歩きの中で一服の清涼剤となったのが、国道東脇の高台にあった福本遺跡である。
 昭和27年(1952年)1月、この地で偶然に発見された一片の押型文様土器片により、この地域は播磨地方では最も古い早期縄文時代の遺跡地とされ、その後の発掘調査で、さらに旧石器時代の遺物出土も確認されたことで、約13000年前から近世に至るまで、人が居住した複合遺跡として非常に貴重な遺跡である。
 また、その後の発掘による出土品から、奈良時代初めに撰進された播磨国風土記にある「はにおかの郷」波自加村の比定地と推定され、文書での記載が考古学によって検証された非常に稀有な事例として、平成21年(2009年)3月に県指定文化財に指定された。

沢橋からの市川 14:55

 ガイドマップではJR鶴居駅の真東までずっとR312を進むことになっているが、余りに味気ないので、播但道市川北ランプの北側に架かる沢橋で市川を渡り、右岸の集落の中を進むことにした。
 昔ながらの集落の中を縫うように進んでいくと、鶴居駅前の鶴居小学校の裏手に出たので、ここで本日の歩行終了!
 大して歩いてないのだが、何か疲れました…

「居酒屋 遊膳」さんで豪遊!@ 17:08

 姫路に向かい、姫路駅近くのタイムズに車を止めて街中へ繰り出す。
 姫路でも1、2を争う居酒屋である「遊膳」さんの予約が取れたので、喜々として店内へ。
 豪華な造り盛りからスタート!

「居酒屋 遊膳」さんで豪遊!A 17:13

 続いて、播州地鶏の肝刺し! 超絶旨い!

「居酒屋 遊膳」さんで豪遊!B 17:26

 家島穴子の焼き!
 大満足でいつもの駅前の充実銭湯「森の湯」さんに沈没し、車中泊へ…
 「銀の馬車道」2日目(鶴居〜姫路)へ

参考タイム

10/19生野銀山 8:208:30 奥銀谷地域 8:309:00 旧生野鉱山職員宿舎 9:109:20 姫宮神社 9:2510:05 生野(真弓)峠 10:1010:25 ヨーデルの森 10:2510:30 大歳神社(猪篠) 10:3011:25 大年神社(杉) 11:2511:35 道の駅「銀の馬車道 神河」 12:1512:30 春日神社 12:3012:45 いぼ地蔵 12:4512:55 法楽寺 13:1013:20 銀の馬車道交流館(粟賀) 13:3014:10 大歳神社(福本) 14:1514:30 福本遺跡14:3014:55 沢橋 14:5515:20 JR鶴居駅

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