−吉野から明日香へ。忘れられた峠道を往く−
山行概要
2006年1月29日(日) | |
芋峠越 | |
快晴 | |
単独 | |
近鉄大和上市駅=0:30=千股=0:55=芋峠=0:30=栢森=0:30=稲淵=0:30=岡寺バス停【2:55】 |
記録文
1月には珍しく終日快晴の予報となった土曜日。起床後、僅か15分で家を慌しく飛び出す電撃作戦。
行き先は全く未定。「遠くへ、できるだけ遠くへ」仕事の全てが閉塞した現状がそうさせたのか、気がつけば近鉄吉野線の人になっていた。葛駅を過ぎる。この前歩いた巨勢の道と電車は暫く併走する。巨勢寺跡のすぐ横を通過。この道を歩いていなかったら、なんの変哲もない景色にしか思えなかっただろう。続いて吉野口駅を通過。この前はここから線路沿いを離れ、葛城の国へと山越えをしていったのだが、電車はさらに南下し、トンネルをいくつかくぐり抜け、ついに大和上市駅まで進んでしまった。この駅は大峰や大台の玄関口であり、目の前には遥か大峰に続く吉野の山々が吉野川を挟んで指呼の間に迫っているのである。
今までの私なら、勢いよく大峰、大台方面へと突撃するところであるが、全く運動らしき運動をしていない今の現状ではとても話にならず、全く逆方向の明日香への芋峠越の古道歩きをチョイス。
古い家並みが残る旧伊勢南街道筋をまずは東へのんびり歩く。何かやたら床屋が多い。地図で完全に見当はついていたので、わざわざ尋ねる必要はなかったのだが、気さくそうなおじさんがいたので、あえて道を尋ねる。私は普段、決して愛想が良い人間ではないのだが、旅先では人格が変わるのか。
結構、話が弾む。この数ヶ月間、業務上の無味乾燥した会話ばかりしてきたので、こんなたわいもない話がなぜか新鮮に感じる。おじさんは、すぐ前に建っている建物が旧街道の旅籠跡であることを教えてくださった。
おじさんの指示通り北に向きを変え、これまでの古い街道筋から一転、千股川に沿ったのどかな山村歩きとなる。山越えとなる芋峠付近の山並みがどんどん近づいてくる。しだいに谷筋が狭まり、山襞の一つに分け入る。
幅1車線となり、傾斜も急に強まった林道をひたすら登る。以前なら快調に駆け上がったところではあるが、今では速攻で息が上がる体たらく。
何ら面白みのない道ではあるが、歴史の道を歩んでいるという感慨から、何とかモチベーションを維持し、ヨロヨロと駆け上がる。
不意に、本当に不意に頭上からものすごい爆音が鳴り響き、思わずしゃがみこんでしまう。いま歩いている林道脇に防災用のヘリポートがあり、離着陸の訓練を行っていたのだ。爆音と爆風を何とかやりすごし、先へ進む。さっきから登りはほどんどなく、なだらかになっているのに、なかなか峠にたどりつかない。
山襞を何度か巻いて、ようやく「高取町」の標識が立ったポイント、即ち峠の頂上に到着。お地蔵様が迎えてくれた。峠から西側に伸びる荒れ果てた車道を少し入ったところから高見山の尖峰が白く光って見えた。
さあ、明日香へ下ろう。ひたすらに車道歩きかと思っていたが、役行者坐像を過ぎたところで昔の峠道が残っていて、歩道として整備されている箇所を発見。嬉々として下る。
最後は栢森地区の上部に着陸。いかにも「大和」という感じ。
集落を出て少し進んだ先には女綱と呼ばれる勧進綱が飛鳥川をまたいでかかっている。綱掛けは毎年1月11日に行われ、厄除けのためと言われている。
さらに飛鳥川に沿って下り、稲淵の集落へ。南淵松庵の墓に立ち寄る。谷が開けてくると、有名な稲淵の棚田が広がってきた。
1月とは思えない爽やかな風に吹かれながらのんびりと進む。やっぱり明日香はいい。少しは仕事の疲れも癒されたような…
最後は石舞台の横を抜けて、岡寺のバス停へ。ほんとは橿原神宮まで歩きたかったが、ブランクの影響か、無性に疲れたので、ここで本日の歩行は終了。
参考タイム
1/29 | 近鉄大和上市駅 10:25 ⇒ 10:55 千股 11:00 ⇒ 11:55 芋峠 12:00 ⇒ 12:30 栢森 12:35 ⇒ 13:05 稲淵 13:05 ⇒ 13:35 岡寺バス停 |
山行データへ
諸国名山探訪
Copyright(C) Hiroshi Fujita All right reserved