石垣島・沖縄本島の山旅2017

−石垣島・沖縄本島に出張という願ってもない好機到来! やりたい放題の6日間−

   

沖縄本島での足跡

旅の概要

日 程
2017年12月11日(月)〜16日(土)
メンバー
13日までWT君、IN君、以降は単独
旅 程
12/11
京都〜関西国際空港〜石垣空港〜石垣
12/12
石垣〜竹富島〜石垣空港〜那覇空港〜那覇
12/13
那覇〜首里城跡散策〜那覇
12/14
那覇〜名護〜嘉津宇岳・本部富士登山〜今帰仁城跡〜古宇利島〜瀬底島〜本部港〜伊江島
12/15
イージマタッチュー(城山)登山〜本部港〜残波岬〜座喜味城跡〜中城城跡〜勝連城跡〜伊計島〜辺野古〜名護
12/16
名護〜辺戸岬〜与那覇岳登山〜大石林山〜慶佐次〜識名園〜那覇空港〜伊丹空港〜京都

プロローグ

 何と言う僥倖か、石垣島、沖縄本島3日間の出張が月火水と入ってしまった(笑) いつもの私であれば、土曜日から先乗りして行くところだが、日曜日にどうしても外せない予定が入っており、プライベート時間無しかと諦めていたところ、木金と何とか休めそうな状況になってきた。
 こうなると俄然木金を確保したくなり、必死のスケジュール調整を続けた結果、何と1週間通しで職場を空けられそうな状況になってきた(おかげで前後の1週間は結構悲惨だったが…)。次の日曜日も予定があるが、木金土と丸3日間、沖縄でのフリータイムを確保するという夢のような事態に。
 こうなると、プランニングが楽しくて仕方がない。宝石のような沖縄での3日間をどう過ごすか… 普通の人は海が目当てだろうし、12月の沖縄など、完全なオフシーズンになるところ、山ヤの私にとっては、涼しく、ハブの活動が弱まる冬場は、逆にベストシーズンであるのだ(笑)
 本当最高峰の与那覇岳は外せないし、伊江島にある城山(イージマタッチュー)も僅か172mだが、素晴らしい山容だ。また、世界遺産にも登録された沖縄独自の城(グスク)跡群も外せない… と言うことで、出発まで私の頭の中は、ずっと旅程をどうするか、それだけを考えていた…

旅行記

 12/11 曇り

 いよいよ初日。同行者2人も無事搭乗し、関空からの直行便で、一気に「南ぬ島 石垣空港」へ。
 沖縄県最高峰の於茂登岳を登りに来て以来、15年振りの再訪だが、良く考えれば、前回も市役所から民間のコンサル会社に派遣中で、沖縄県庁でマリーナのPFI事業の営業をするというラッキーな出張に絡めてだったなと思い出し、感慨深い。今も文化庁に派遣の身だし、どうも私は派遣されると石垣島、沖縄本島に出張する運命にあるようだ(笑)
 長袖シャツ1枚でも全然寒くないことに感激しながら、30分ほどバスに乗り、市内へ。

「そば処 まーさん道」さんのソーキそば! 14:09

 ジョッキはノンアルです(笑)
 今宵の宿の「石垣島ホテル ククル」さんにチェックインしてから、少し遅いがランチ。今旅初の沖縄飯は、ソーキそばから。
 通称「730交差点」(1972年の沖縄返還後、1978年7月30日をもって、車の通行を県内全域で本土同様の左側通行に戻したが、当日、この交差点を通過する自動車に、総勢164名の警察官及び民間指導員が終日、左側通行を指導し、大きな事故も無くスムーズに左側通行への移行が完了したことを祝して「730記念碑」が建てられたことによる)の近くの「そば処 まーさん道」で、定番ソーキそばを食す。
 蕎麦とは言いながら小麦粉しか使わず、ラーメンそのものの麺に、鰹の利いたダシが旨い。

 この後は、沖縄県での初開催かつ、離島においても初開催となった文化庁メディア芸術祭地方展の会場を巡り、関係者との意見交換を行った。
 いったん、ホテルに戻り、夕食へ。

「ひとし 石敢當店」さんに突撃 18:00

 I君が予約してくれていた「ひとし 石敢當店」へ。開店前から既に行列が…

「ひとし 石敢當店」さんでフィーバー!@ 18:20

 ここのウリのツートップは、マグロと石垣牛。
 まずは、大トロ、中トロ、石垣牛握りの波状攻撃からスタート!

「ひとし 石敢當店」さんでフィーバー!A 18:27

 刺し盛も一流! 泡盛が進む…

「串焼きパーラー チェリー」へ 20:27

 I君が掴み取りでゲットしたアサリでご満悦(笑)
 既に私は記憶が… こうして石垣島1日目の夜が更けていく…

 
   

 12/12 曇り時々晴れ

 この日の午前中は、石垣市役所を訪問し、観光文化課の方々と真面目な意見交換…
 午後は、日本最南の重要伝統的建造物群保存地区のある竹富島の視察へ。舟便の関係で時間がなく、昼食は沖縄名物の一つ「ポークたまごおにぎり」(香ばしく焼いたスパムと薄焼き卵をおにぎりで挟んだもの)で船内でササッと済ます。
 石垣島の離島桟橋から竹富島へは僅か15分ほど… レンタサイクルで探索を開始するが、スーツでウロウロしているのは私だけで、どう見てもリゾート開発の下見に来た怪しいオッサンである(笑)

竹富島西桟橋にて 12:47

 竹富島も15年振りの再訪。まずは、西桟橋へ。コーラルブルーが眩しい…
 西桟橋は、昭和13年(1938年)に建設された竹富島で最初の近代的桟橋で、1970年代までは使用されていたらしい。
 国の登録有形文化財であり、単なる観光ではありません。視察です(笑)

重要伝統的建造物群保存地区 13:29

 島の中央部に戻り、視察の目的地である重要伝統的建造物群保存地区へ。集落内を走る白砂を敷きつめた道沿いに、サンゴ石灰岩の石垣やフクギなどの屋敷林で囲まれた、赤い瓦葺きの民家が建ち並び、かつての農村集落の景観をよくとどめている。
 単なる観光ではありません。視察です(笑)
 大満足で石垣島に戻り、すぐにバスで石垣空港へ。明日の沖縄県庁、那覇市役所との協議のために、沖縄本島へフライト。
 ゆいレールで県庁前駅まで行き、今晩と明日の晩もお世話になる「那覇グランドホテル」にチェックインし、街に繰り出す。

「もぅあしび〜」さんで沖縄本島の宴スタート!@ 19:07

 定番の海ブドウと島ラッキョ! オリオンビールが進みます。
 ちなみに店名の「毛遊び」(もうあしび)とは、かつて沖縄で広く行われていた慣習で、主に夕刻から深夜にかけて、若い男女が野原や海辺に集って飲食を共にし、歌舞を中心として交流した集会のことをいうらしい。

「もぅあしび〜」さんで沖縄本島の宴スタート!A 19:09

 豆腐チャンプル〜

「もぅあしび〜」さんで沖縄本島の宴スタート!B 19:14

 造り盛りも秀逸… またも私は泡盛で頭がイカれ出す…(笑)

「もぅあしび〜」さんで沖縄本島の宴スタート!C 19:26

 グルクンの唐揚げと、モズクの天ぷらでご満悦… アホです。
 大いに盛り上がった我々は公務での沖縄再訪を固く誓ったのであった…(笑)
 腹いっぱい、酔っ払いだが、郷に入っては郷に従えとばかりに、「沖縄県人の〆はステーキ」を実践することに…

〆はステーキ!「JUMBO STEAK HAN'S 本店」さん@ 21:42

 吸い込まれるように「JUMBO STEAK HAN'S 本店」さんへ。
 野郎三人は男らしく、Tボーンステーキ1kgをオーダー。勢いあまって、ロブスター半身も頼んでしまった…

〆はステーキ!「JUMBO STEAK HAN'S 本店」さんA 21:47

 大迫力のTボーンステーキ1kg! 左がサーロインで、右側はテンダーロイン! これで6000円は安い。
 野郎三人は見事に完食! しかし、私は顎がやられました…(涙)
 大満足で今夜も爆睡!

 
   

 12/13 晴れ時々曇り

 いよいよ公務最終日。朝一から沖縄県庁、那覇市役所を訪問し、文化行政の在り方について、熱心に意見交換する。
 午後からは首里城跡の視察に向かうため、牧志駅近くの店に飛び込む。

「アメリカ食堂 サンズ・ダイナー」さんでランチ 13:32

 やっぱりハンバーガーも食べなくてはということで、「アメリカ食堂 サンズ・ダイナー」さんへ…
 写真のジョッキはノンアルです(笑) ハンバーガーデカ過ぎ… 私は食べきれませんでした。
 お腹をさすりながら、首里城跡へ。首里駅からタクシーで城前に乗り付ける。ここからは3人とも個別に移動することに… ここで公務日程どおり今日中に帰らねばならないW君とはお別れ。恨めしそうに私とI君の顔を見るW君に慰めの言葉をかけながら、そそくさと去る私(笑)

 
   

 首里城跡周辺散策へ。

 
   

 牧志駅からいったん「那覇グランドホテル」に戻り、I君と再合流し、那覇最後の宴へ。

那覇最後の夜は、「沖縄料理ちぬまん国際通り牧志店」でフィーバー!@ 18:14

 やはり定番は外せない。海ブドウと島らっきょでスタート!

那覇最後の夜は、「沖縄料理ちぬまん国際通り牧志店」でフィーバー!A 18:18

 ヤギ刺し!
 沖縄県人のソウルフード! 羊を遥かに凌ぐ臭み(笑)で好き嫌いはっきり分かれそう… 私は大好きです!(笑)
 食べ過ぎると、翌朝、体中の毛穴から獣臭が漂うらしい…(笑)

那覇最後の夜は、「沖縄料理ちぬまん国際通り牧志店」でフィーバー!B 18:24

 あぐー豚ロースの陶板焼き! 脂が甘すぎる! と今宵もやりたい放題…

那覇最後の夜は、「沖縄料理ちぬまん国際通り牧志店」でフィーバー!C 19:34

 ゴーヤチャンプル〜! 定番中の定番をおさらい…

那覇最後の夜は、「沖縄料理ちぬまん国際通り牧志店」でフィーバー!D 20:12

 最後は、あぐー豚と海の恵み(海ブドウ・もずく)のしゃぶしゃぶでフィニッシュ!
 今日も大いに満足して、我々の出張は終わった…

 
   

 12/13 曇り時々晴れ

 出張は無事に終わった。しかし、私の旅は終わらない。「那覇グランドホテル」さんを7時半にチェックアウトし、県庁前から旭橋を越え、さらに西へ歩く。清々しい陽気に気分が高まる。極寒の京都の皆さんすいません(笑)
 西1丁目の、ニッポンレンタカー那覇営業所に始業と同時に飛び込み、クイックスタートを決める。
 那覇東バイパスから那覇ICで沖縄自動車道に進入し、一路北へ。沖縄本島の一番狭まった区間を通過すると、終点の許田IC。あっと言う間に本島を縦断した感じ。今更だが、沖縄本島全体の距離感が掴めた。
 名護市街を抜け、少し西に進んだ山入花交差点を右折し、山の中に分け入って行く。そうだ、ついに私の本業たる(笑)山登りに向かうのである。最初のターゲットは、本部半島の盟主で、昔は沖縄本島最高峰と信じられていた(正確には本島3位)、嘉津宇岳を目指す。
 道は細いながらも最後まで舗装された林道で、嘉津宇岳登山口の広い駐車場に到着。数十台は止められそうだ。平日なので誰もいないかと思ったが、先客が1台あった。

 
   

 嘉津宇岳・本部富士山行記へ。

 
   

 午前の予定終了。お腹が空いたので、本部町中心部の渡久地へ戻る。本部に来たからには、やっぱり沖縄そばでしょう! 本部町は、平成22年(2010年)10月17日に、「沖縄そばの日」にあわせて、県内初の「そばの町宣言」を行った町なのである。
 その本部町の中でも老舗中の老舗である「きしもと食堂」さんへ向かう。

「きしもと食堂」さんへ 12:20

 食べログでは「駐車場が分かりにくい」と記載されていたが、私は偶然市場に座っていたオバアに教えてもらい、市場の隣にある公営駐車場に止めさせてもらった。
 また、「行列が絶えない」とも書いてあったが、平日のオフシーズンのせいか、待ってる人は数人で、すぐに入店できた。

「きしもと食堂」さんのそば大! 12:36

 メニューは、そば大、そば小、じゅーしー(沖縄の炊き込みご飯)の3つのみという潔さ! 店内には有名人のサインや写真が多数…
 じゅーしーにも心揺るがされたが、そば大を注文し、沖縄そばをじっくりと味わうことに。
 内地の者にしてみると、ほとんどうどんと言っていい小麦粉の手打ちそばに、鰹のダシが利いたスープが最高! 5分もかからず完食してしまった…

備瀬のフクギ並木 13:12

 昼食後、再び北に向かう。本部町内を行ったり来たりと、何とも忙しない旅だ(笑)
 途中、沖縄海洋博(1975年〜76年)の跡地にある、一般観光客では沖縄一番人気の「沖縄美ら海水族館」があるが、ここに全く目もくれず、スルーするのは、いかにも私らしい。
 水族館をスルーし、さらに北上すると、本部半島のほぼ先端と言える場所にある、備瀬という集落に着き、ここに車を止める。
 この集落には防風林として家を取り囲むように植えられたフクギが約2万本も連なっており、差し込む日差しとフクギの葉擦れ、落ち着いた静けさに、思わずこちらの気持ちのゆったりしてくる。かっての沖縄ではこういう景色があちこちで見られたそうだ…
 平日だが、さすがにここには「インスタグラマー」が集結し、思い思いに写真を撮っていた。

エメラルドビーチ 13:17

 フクギ並木の隣には、エメラルドビーチと呼ばれる砂浜が… 私も時の流れを忘れ、伊江島をボーッと眺め続けていた。ヤバい、南の島は人を怠惰にします。
 慌てて我に返り、本日の観光モードの最大の目的地である、車で5分ほどの今帰仁城跡に向かう。

今帰仁城跡の外郭 13:57

 まずは、共通入場券となっている、今帰仁村歴史文化センターで概略を学んでから、城跡へ。
 今帰仁城(別名:北山城)は、14世紀、琉球王国成立以前に存在した北山の国王・北山王の居城であった。北山は尚巴志に応永23年(1416年)に滅ぼされるが、北山が滅ぼされた後も旧北山統治の要所として引き続き使用され、北山監守が派遣された。慶長14年(1609年)の薩摩藩による琉球侵攻の際には、その攻撃の第一目標となった城である。世界遺産登録をはじめ、日本百名城にも選ばれている。
 この外郭は、2m前後の比較的低い石垣が延長数百mも蛇行して続いている。

平郎門から内郭へ 13:59

 平郎門は、今帰仁城の本門で、琉球国由来記に「北山王者、本門、平郎門ヲ守護ス」と記載されている。

大庭(ウーミャ)から、大隅(ウーシミ)を見下ろす 14:04

 門をくぐり、急な石段を登ると大庭(ウーミャ)。
 首里城と同様に、大庭を取り囲むように正殿、北殿、南殿等の建物が配置されていたと考えられ、行事等に利用された重要な広場である。
 ここからは、外郭との間にある大隅(ウーシミ)がすぐ下に見下ろせる。大隅は、最も高い石垣が築かれた堅牢な城郭で、戦時に備え馬を養い、兵馬を訓練した場所と伝えられている。

主郭から、志慶真門郭(しげまじょうかく)を見下ろす 14:06

 大庭からさらに一段登って主郭。まさにここが本丸で、今帰仁城の中心である。
 ここからは、志慶真門郭(しげまじょうかく)がすぐ下に見下ろせる。

志慶真門郭から主郭を見上げる 14:09

 主郭から石段を下り、城跡最奥の志慶真門郭へ。ここは、城主に仕えた身近な人々が住んだ、言わば「大奥」のようなものと推定されている。

平郎門へ戻る 14:16

 平郎門へ続く石段の両側には、地元の住民が昭和40年代に植えたカンヒザクラが並ぶ。
 今では桜の名所として知られ、毎年1月〜2月には桜祭りが行われるとのこと。
 今帰仁城の探索終了。これで本日の最低限のプラン終えたので、後は17時の本部港発伊江島行きのフェリーまで、時間の限りドライブすることに。
 半島を東へぐるっと回り込むように進み、ワルミ大橋で、まずは屋我地島に渡り、続いて、古宇利大橋で、古宇利島へ。

古宇利大橋を渡る 14:39

 古宇利大橋は、今帰仁村の古宇利島と名護市の屋我地島(やがじしま)を結ぶ全長1960mの橋で、平成17年2月に開通し、沖縄本島有数の観光スポットである。
 晴れていたら、左右の海がコバルトブルーに輝くのだが、残念…
 橋周辺は、平日なのに若者で結構賑わっている。場違いなオッサンは島一周に向かう。

ハートロック… 14:50

 古宇利大橋とちょうど反対側の島の北側まで回る。ここにはティーヌ浜と呼ばれるビーチがあり、波の浸食でできたハート型の岩、ハートロックがあるのだ。
 話のネタのためだけに駐車場代を払い、ティーヌ浜へ。
 修学旅行らしい高校生の集団がはしゃいでおり、オッサンはさらに浮きまくるのであった…(笑)

嵐山展望台 15:23

 気を取り直して、本島に戻り、少し南に下り、「嵐山展望台」の標識に従い、林道で山上へ上がっていく。
 トイレ、売店の併設された展望台があり、ここからは、羽地内海を挟んで、左からワルミ大橋と屋我地島、そしてその奥に古宇利島も見える。あまり期待してなかったが、そこそこの展望を味わえた。
 本部半島を横断する、県道123号線から84号線で、本部町の渡久地に戻り、少し南の瀬底大橋で、今度は本部半島の西側に浮かぶ瀬底島へ。
 瀬底大橋は、昭和60年(1985年)2月に完成し、全長762mで、先ほど渡った古宇利大橋が平成17年に開通するまで、沖縄県最長の橋であった。本島から2分もかからず瀬底島へ。

瀬底ビーチ 15:55

 瀬底島でも橋と反対側の西へ車を進める。西海岸に瀬底ビーチがあり、1キロに渡って砂浜が続いている。
 伊江島が最大限近づいた。

建設途中で棄てられたリゾートホテル 16:00

 ビーチの隣には、約10万坪の規模のリゾート施設計画があったようだが、平成20年(2008年)の金融危機で資金繰りが悪化し、事業者が倒産し、施設は建設中止となり、完成半ばの状態で放置されている。
 家に帰ってから調べてみたら、森トラストがこの土地を取得し、東京オリパラまでに開業させる方向で事業が進んでいるらしい。良かったですね。

瀬底土帝君の祠 16:08

 島の中央部に戻るが、途中、古来より中国における農業の神様として崇拝された土帝君の祠に立ち寄る。
 石灰岩の石積みで囲まれた中に赤瓦屋根の祠があり、国の重要文化財に指定されている。この場で、毎年旧暦の2月2日に豊年祭が行われているとのこと。
 本島に戻り、南へすぐの本部港へ。ここに車を止め、17時発の最終の伊江島行きのフェリーを待つ。

本島を離れ、伊江島へ 17:09

本部港から伊江港までは30分ほど。運賃は大人往復1370円だった。最終便のせいか、乗客はほとんどが地元民のようだった。
 伊江島は、周囲22キロの小島で、一島一村の伊江村を構成している。島の北西部は在日米軍の伊江島補助飛行場があるなど基地が大部分を占め、一時は島の半分が米軍基地であったが、島民による基地返還闘争が継続的に行われ、段階的に返還された結果、現在、基地の面積は島全体の35%となっている。

イージマタッチュー(城山)が間近に 17:21

 マリンスポーツを全くしない私にとって、遥かに縁遠い島であり、沖縄本島でも遠いのに、そこからさらに離島に渡ることになった理由はただ一つ。島中央に聳え立つ、イージマタッチュー(城山:ぐすくやま)の存在である。僅か標高172mなのだが、圧倒的な存在感で、古くから航海の目印とされてきたのも頷ける。島民からは信仰の対象とされ、聖地でもある。
 この特徴的な景観は、「オフスクレープ現象」と呼ばれる地質現象で作られたらしい。オフスクレープ現象とは、古い岩盤が新しい岩盤に潜りこむ中で一部が剥がれて新しい岩盤の上に乗る現象のことで、世界中見ても城山以外にこの現象は発見されていないらしい。
 夕暮れの中伊江島に上陸し、本日の宿である「民宿かりゆし」さんには、何とか日没前に着くことができた。

「やまた」さんでほっこり@ 18:24

 飯にありつこうと、川平の集落を徘徊するが、街中は真っ暗で、何にもなさそう(涙) 飛び込み入店は諦めて、食べログを見て、何とか川平集落上部の「やまた」さんに潜り込む。
 店の大将は物凄い謙虚な方で予約の電話を入れた時に「あなた旅人? うちはただの地元民向けの食堂だから、沖縄料理期待されてもないよ〜」と言っていた(笑)
 満員御礼(私が最後の一人だった)状態の中でも、カウンターの私に色々と気を遣ってくれる、優しい大将でした。
 島どうふと泡盛でちびちびやりながら、大将との楽しい話で刻を忘れる私…

「やまた」さんでほっこりA 18:24

 「珍しいものはない」との大将の自虐話があったが、それでも、このパーナ貝のチーズ焼きなど、本土の人間にしたら珍しいものだらけだった。
 満足して宿に戻る。途中のファミマ(何と川平集落には2件のファミマがあった)で明日の買い物をしてから、宿に戻り、爆睡した…

 
   

 12/14 晴れ時々曇り

 欲張りというか、貧乏性の私は、今日も1日中、山と観光に費やしたい。となると、8時のフェリー始発便に乗りたい(次発は10時までない…)。
 と言う訳で、まだ夜明け前の6時過ぎに、目の前に黒々と聳えるイージマタッチュー目指し、「民宿かりゆし」を出発したのであった。

 
   

 イージマタッチュー山行記へ

 
   

 再び車を駆る。残りのターゲットは、本島北部のいわゆる「やんばる」に位置する、沖縄本島最高峰の与那覇岳と、本島の中央部に点在する世界遺産の城(グスク)巡りであり、移動の合理性を考えると、先に与那覇岳を攻略した方が良いのだが、昨日、木曜日にもかかわらず、今帰仁城跡や古宇利島はけっこうな人出だったので、先に観光地の方を金曜日であるこの日に片づけた方が良いと思い、まずは、読谷村の座喜味城跡に向かうことに。
なので、許田ICから沖縄自動車道に乗り、沖縄本島が一番くびれた箇所に位置する石川ICに向かい、そこから下道で読谷村を目指す。途中、泡盛の銘柄で有名な「残波」岬があるので、寄ってくことに。

残波岬 9:41

 残波岬は、ほぼ突端まで車で到達可能。高さ30mの断崖絶壁が約2kmにわたって続く。
 遥か彼方には、本部半島の山々が浮かぶ。

残波岬灯台とクサベトラ群落 9:46

 昭和49年(1974年)に設置された白亜の灯台。平成13年(2001年)、地元の長年の要望が実り、一般公開された。
岬周辺には、濃い緑の葉が印象的なクサベトラの群落が広がる。

座喜味城跡の二の郭への石門 10:00

 座喜味城は、1416年から1422年頃に築城の名人と言われた読谷山按司(地方の支配者の称号)の護佐丸(ごさまる:第一尚氏王統建国の功臣)が築城したとされている。
 世界遺産に登録された他、続日本100名城にも選定されている。
 嬉しいことに、城跡、駐車場ともに無料開放されている。

一の郭への階段と石門 10:03

 二つの郭で構成される城壁にはアーチの石門が造られ、内郭では、芸能やイベントが催されるなど、「天然の劇場」として活用されている。

一の郭 10:05

 座喜味城跡の城壁は、美しい曲線で構築され、現代ダムの平面アーチ構造に類似し、脆弱な地盤の上でも強固なものとなっている。
 昨日の今帰仁城跡もそうだったが、本土の城の石垣とは全く様相の違う曲線に、すっかり魅せられてしまった。

一の郭から二の郭を見下ろす 10:05

 座喜味城跡は、標高120mの高台に立地しており、最上部の一の郭からは、東シナ海や読谷村のほぼ全域を眺望することが出来る。晴れ間が出てきて、すっかり爽やかな陽気となった。湿度もあまり感じず、体感的には本土の5月といった感じで、快適極まりない。

 次は、中城(なかぐすく)城跡に向かう。南へ車を走らせるが、車窓からの景色は、嘉手納基地や話題の普天間基地など、ほとんど在日米軍基地だったような…
 折しも、一昨日に米軍ヘリが部品を小学校に落下させる事件が起きており、当日、那覇市内では「琉球新報」が鬼の首でも取ったかのように、号外を配っていた。翁長知事は「米軍機全機の点検が終わるまで、飛行訓練の中止を!」と叫んでいたが、この日も頭上はB52が飛びまくっており、挙句にはオスプレイまで飛んでいたりと、米軍に完ムシされていたのには、ワロタ。
 中城城跡は、中城村と北中城村にまたがっており、ほとんど那覇まで戻ってきた感が… 明日は沖縄本島の最北端を目指すつもりで、あまりに非効率的な動きだが、ゆっくり城跡を見るためには仕方がない。
 中城城跡の駐車場に到着。こちらの入場は有料(400円)だった。言われるままカートに乗せられ、城跡を西に進み、正門前の広場まで歩かずに運ばれてしまった。
 中城城は標高約160メートルの丘陵上にあり、中城村の北西から南側に伸びていく丘陵の東崖縁を天然の要害とし、グスクの中で最も遺構がよく残っていることで知られている。このため、世界遺産に登録された他、日本100名城にも選定されている。
 創始は明らかではないが、14世紀後半頃迄に按司の先中城(さちなかぐずく)が数世代にわたり南の郭、西の郭、一の郭、二の郭の主要部分を築き上げ、1440年に先ほど訪れた座喜味城から移ってきた護佐丸によって、三の郭、北の郭が増築され現在の形が完成したとされる。

中城城跡のカンジャーガマ(鍛冶屋跡) 11:03

 正門横にはカンジャーガマと呼ばれる鍛冶屋跡がある。
 鍛冶を行っていたところとされているが、城のためか集落のためか定かではない。
 一説によれば護佐丸が阿麻和利に備えるために武具を造っていたとも伝えられている。

正門 11:04

 門を挟むように両側に石垣がせり出した正門から、城内へ。

一の郭から二の郭を望む 11:08

 南の郭を抜け、中城城で最も広く、正殿の建っていた一の郭へ。廃藩置県後は中城村役場に使用されていたが、沖縄戦で焼失した。
二の郭の石垣の曲線の美しさは、沖縄の城ならでは。
一の郭と二の郭の石垣は、「布積み」という技法で積み上げられており、「布積み」とは、方形に整形した比較的おおきな石を目が横に通るように積み上げる方法で、整層積み(せいそうづみ)ともいう。目地が通っているので、強度に問題がある。

裏門 11:14

 三の郭を抜け、裏門から郭外へ。
 嘉永6年(1853年)に来島したペリー提督がエジプト式と評した精巧なアーチ門。
 石積みの技術も、「日本遠征記」において「要塞の資材は、石灰石であり、その石造建築は、賞賛すべきものであった。石は…非常に注意深く刻まれてつなぎ合わされているので、漆喰もセメントも何も用いていないが、その工事の耐久性を損なうようにも思わなかった」と記し、その石垣のすばらしさを讃えている。

城外の広場から三の郭を振り返る 11:15

 三の郭は、後に増築されたため「新城(ミーグスク)」とも呼ばれ、石積み技法の最も進んだ「相方積み」(亀甲乱積み)によって築かれている。
 「相方積み」とは、石材を六角形に加工して積み上げる切込み接ぎの石垣の一種で、亀の甲羅の模様のように見えるためこう呼ばれる。力が均等に分散するため、崩れにくいのである。
 次は、沖縄本島グスク巡り5城のうち、最後の勝連城跡を目指すが、その前に腹ごしらえと、近くの北中城村にある「喜納島」さんへ。

「喜納島」さんの黄色過ぎるカツカレー 11:41

 いかにも沖縄らしい食堂。ここはやはりビジュアル強烈なカレーでしょう。
 真っ黄っ黄が強烈すぎるカレーは、シャバシャバな薄味タイプ。デフォのカレーにもスパムが入っているので、ボリューム満点で、腹いっぱいになりました。
 さあ、勝連城跡へ。中城湾沿いに車を進めると、立派に整備された駐車場に到着した。
 駐車場から県道を挟んで西南側の城跡へ。丘陵を登る。ここは無料だった。

勝連城跡 12:34

 勝連城は、13世紀から14世紀にかけて、茂知附按司により築城されたという。この城の最後の城主が有名な阿麻和利で、クーデターを起こして当地の按司となり、琉球の統一を目論んだが1458年に琉球王府によって滅ぼされた。
 座喜味城と同じく、世界遺産に登録された他、続日本100名城にも選定されている。世界遺産に登録されたグスクの中では最も築城年代が古いグスクである。

勝連城跡一の郭からの展望 12:42

 勝連城は、南城(ヘーグシク)、中間の内、北城(ニシグシク)で構成されている。北城は石垣で仕切られた一から三の郭が階段状に連なり、一の郭が最も高く標高約100mの丘陵上にある。
 急な階段を登り、一の郭へ。空はすっかり晴れ渡った。城跡から東方向、海中道路で繋がっている平安座島や浜比嘉島が見える。
これで、最低限見物したいものは見終わった。後は時間の許す限り、周辺観光に費やす。

伊計ビーチ 13:25

 やはり海中道路は外せない。目線とほぼ同じ高さで両側に金武湾の美しいエメラルドグリーンの遠浅の海が広がる爽快なドライブを経て、まずは平安座島へ。そして、宮城島、最奥の伊計島に渡る。
 伊計島に渡るとすぐに伊計ビーチの青い海が広がる。金武湾を挟んで対岸に本島の石川付近が見える。

イチの里の仲原遺跡 13:34

 続いて、伊計島のほぼ真ん中にある仲原遺跡へ。
 国指定史跡の仲原遺跡は、積縄文時代後期(約2500年前−2100年前頃)の沖縄県の代表的な村落跡であり、沖縄県内で最大の竪穴式住居跡である。
最後は浜比嘉島もぐるっと回る。

浜比嘉島のアマミチューの墓前の海 14:02

 浜比嘉島には、琉球の天地開びゃく神話に登場する神の一人、アマミチューの墓があり、パワースポット的に扱われていた。
 琉球の国つくりの神話によると、アマミチュー、シルミチューの二神は天帝に国つくりを命ぜられ、琉球の島に降り、二神は天帝から石や土、草をもらって人が住めるような土地にし、そして、天帝はそこに男女二神を住まわせました。やがて女神は三人の男子と二人の女子を産み、 長男を王に、二男を按司に、三男を百姓に、長女を神に仕える女神官のかしら聞得大君に、次女を村の神に仕える女神官のかしらにしたという。こうして人々の役割が定められ琉球の歴史がはじまったと言われている。

辺野古の基地移設反対派の拠点となるテント 15:23

 この日の宿は名護市内に確保してあったので、再び北へ反転する。
 せっかくなので、今話題の辺野古を見てやろうと思い、沖縄北ICから宜野座ICに向かい、後は本島の東海岸をR329で北上し、辺野古へ。
 テントを探すのに集落内を右往左往したが、何とかたどり着き、写真を撮らしてもらった。ここに常駐していたのは3人ほどで、拍子抜け… 所詮はこんな程度か… とバカにしながら車を北に走らせると、キャンプ・シュワブに近い辺野古変電所の工事車両出入口のところで、車両の出入りに抗議するデモ隊が30人ほど活動していた。本隊はこちらにいたのか…
 しかし、見ている限り、皆ニヤニヤして、全く真剣味は感じられない。どうでも良いですが、ホンマにヒマですね。この人たち…(笑)

名護市内の「居酒屋 春海」さんで泥酔!@ 18:07

 そのままR329で名護市に入り、市内の激安ゲストハウスにチェックインし、18時に予約していた「居酒屋 春海」さんへ突入!
 まずは、トーフチャンプルーから…

名護市内の「居酒屋 春海」さんで泥酔!A 18:08

 続いて、ガーラ(ロウニンアジ:アジ類の最大種。単独行動する大型個体を浪人武士に見立てて、この和名がついた)の刺身! ダメだ泡盛が止まらない…

名護市内の「居酒屋 春海」さんで泥酔!B 18:29

 地シイタケのバター焼き! 意識が混濁状態に…

名護市内の「居酒屋 春海」さんで泥酔!C 19:09

 最後は、魚汁でフィニッシュ!
 どうやって、宿に戻ったか記憶が… いよいよ明日は最終日。明日も早く出たいので、早々に寝た…

 
   

 12/15 曇り時々晴れ

 5時に起床する。この日の一番のターゲットは、沖縄本島最高峰の与那覇岳だが。まずは御来光を見ようと、R58で北上し、本島最北端の辺戸岬へ向かう。
 本島最北端のコンビニである、ファミマの奥間ビーチ前店で朝食を取り、6時過ぎには辺戸岬の駐車場に到着。車内で待機し、日の出を待つ。

辺戸岬の日の出@ 6:52

 空が白み始める。

辺戸岬の日の出A 7:15

 ついに日の出が… ズーミングすると物凄い迫力。何か木星表面の大斑点を見ているようだ。

辺戸岬から大石林山方面を望む 7:17

 明るくなって、奇岩が立ち並ぶ大石林山らのダイナミックな景観に気が付いた。
 来た道を戻り、国頭村役場に近い辺土名という交差点から、奥間林道で与那覇岳の登山口に向かう。途中、与那覇岳と思しき山が見通せるが、のっぺりしていて、全く特徴がない。
 途中、国頭村森林公園の横を通過し、大国林道に入って、さらに山の奥へ。海岸からさほど離れていないのに、山深さが凄い。さすがに「やんばる(山原)」と呼ばれる地域だけある。
 林道は細いながらも舗装されており、トイレのある登山口駐車場に到着。いつもながら私が一番乗りである。

 
   

 与那覇岳山行記へ

 
   

 まだ時間もあるし、せっかくここまで来たので、辺戸岬に近い大石林山に立ち寄ることにし、再び北上する。
 大石林山は、2億年前の石灰岩が、雨水などで長い年月をかけて侵食されてできた日本で唯一の亜熱帯カルスト地形と言われており、近年、パワースポット観光地として、かなり開発され、宣伝もされている。
 個人的にはあまりこういう観光地観光地したところは好きでないが、なかなか見れない景色ぽかったので、820円を支払い、入場する。
 まずはバスに5分ほど乗せられ、精気小屋と呼ばれるベース基地に入る。

精気小屋からの大石林山全景 10:47

 ここをベースに4本の散策コースが伸びており、私は一番展望の良さそうな「美ら海展望台コース」に入る。

悟空岩 10:50

 コースは切り立った石灰岩の間を縫うように付けられており、なかなかの迫力である。

辺戸岬を見下ろす 11:00

 コース最上部からは、辺戸岬がくっきりと…

精気小屋方面を見下ろす 11:02

 最上部から中心部を見下ろす。日本離れした光景だ。

御願ガジュマル 11:16

 帰路は、駐車場に直接下る「亜熱帯自然林コース」へ。巨大なガジュマルやソテツ群落が目を引く。
 写真は「御願ガジュマル」と言われる日本最大のガジュマル。
 「御願」とは、沖縄の方言で願いや祈りを表す言葉で、最初にこのガジュマルを見つけ、撮影をしようとした時に、どうしても撮れずカメラが2台壊れてしまい、スタッフが御願をしてようやく撮影できるようになったという。ホンマかいなと思うが、確かに迫力は凄い。

 大石林山の探索終了。さらにせっかくなので、本島の東海岸沿いに那覇に戻り、ぐるっと一周することに。
 R58から県道70号線で東海岸をひたすら南へ。本島北部の東海岸は、ジャングルが続き、開発から完全に取り残されている。
 単調なドライブに飽きそうになるころ、国頭郡東村の慶佐次川河口へ。

慶佐次湾のヒルギ林 13:03

 河口には、奥行き約1キロメートル、幅約200メートルにわたって、ヒルギ林のマングローブ(亜熱帯地域の河口汽水域の塩性湿地に成立する森林のこと)が広がっている。
 面積は10ヘクタールあり、沖縄本島のマングローブとしては2番目の広さを有する。
分布の北限に近い広大な面積のマングローブとして貴重であり、昭和47年(1972年)5月15日の沖縄本土復帰に伴って日本国指定の天然記念物となった。
 さあ、那覇に帰ろう。R331で再び辺野古(ヒマ人達は今日も抗議活動をしていた…)を通過し、宜野座ICから一気に那覇ICへ。まだ飛行機まで時間があったので、世界遺産構成資産の一つである識名園に寄ることに。

識名園 14:41

 識名園の造園は琉球の第二尚氏王朝尚穆(在位1752年〜1795年)の時代に始まったと言われるが定かではない。完成は尚温の時代の1799年。
中国の様式と沖縄独自の様式の折衷様式で建築され、当時は中国皇帝からの使者(冊封使)をもてなす、いわば迎賓館として使われた。

勧耕台からの展望 14:48

 園内には、「勧耕台」と称する展望台があるが、海を望むことはできない。これは琉球をより大きな国に見せるためといわれている。
 識名園の建造物は、第二次世界大戦でほとんど破壊されたため、現在見られるものは復元である。平成12年(2000年)に国の特別名勝に指定、同年12月にユネスコの世界遺産に登録された。

 ニッポンレンタカーの那覇空港営業所に車を返し、空港内の沖縄食堂「郷土料理の店 天龍」さんで最後の一人宴をし、18時5分発のJALで伊丹に飛んだ。
 出張を合わせると都合6日間の長旅が終わった…

 
   

諸国名山探訪

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