厳島・岩国散策

−ほとんど歩いていないただのグルメ旅行。でも岩国城の城山を初めて登りました…−

   
  

山行概要

日 程
2019年2月16日(土)
山 域
厳島・岩国市街市街
天 気
曇り
メンバー
A、私
コースタイム
宮島港=0:10=表参道商店街(「焼きがきのはやし」)=0:10=厳島神社・厳島神社宝物館=0:15=宮島港【0:35】
錦帯橋バス停=0:25=岩国城ロープウェイ山麓駅【0:25】
岩国城ロープウェイ山頂駅=0:15=岩国城天守閣=0:05=城山三角点=0:05=岩国城ロープウェイ山頂駅【0:25】
岩国城ロープウェイ山麓駅=0:20=錦帯橋バス停【0:20】

記録文(写真はクリックで拡大)

 最近の城巡りの流れで、未だ未登城の日本100名城で、毛利元就の居城だった吉田郡山城に行きたくなってきた。
 そうなると、広島グルメも堪能したいということで、連れを強制連行することにし、色々と策を巡らす…
 広島や岩国などの間がフリー乗降区間になり、往復の新幹線も乗れる、お得なJR西日本の「宮島・瀬戸内ぐるりんパス」を購入する。しかし、「大人の事情」(笑)で、京都発着のパスなのに、新幹線はJR西日本の所管である新大阪からしか乗れないのが、玉に傷。大幅におトクなのは確かなので、仕方なく新大阪へは新快速で向かう。
 無事新幹線に乗り込み、広島には10時前の到着。在来線に乗り継いで宮島口に向かい、向かいのフェリーターミナルで一気に宮島へ上陸。JRのフェリーに乗れば「宮島・瀬戸内ぐるりんパス」でタダである。
 表参道商店街に突入する。

「焼きがきのはやし」さんで牡蠣を堪能!@ 11:06

 11時に予約していた「焼きがきのはやし」さんに入店。既に行列ができている。予約しといて良かった…
 焼きがきは、店の前で兄ちゃんがフル稼働で焼いているが、ほぼ全員が注文するので、30〜40分ほどかかるらしい。
 その代わり、生がきは速攻運ばれてきた。天皇杯や水産庁長官賞など数々の受賞歴を誇る全国ブランドの「地御前かき」を利用し、その中でも、粒が大きく旨味がたっぷり詰まった「3年物」だけを使用しているとのこと。
 店頭に、1年物から3年物の牡蠣の大きさを比較する展示があったが、2年と3年では確かに大きさが全然違う。
 レモンとポン酢も添えられていたが、そのまま頬張るのが断然旨かった!

「焼きがきのはやし」さんで牡蠣を堪能!A 11:09

 続いて、かきのオイル漬け。酒のアテにぴったりである。
 「地御前かき」は、瀬戸内海に浮かぶ無人島、大黒神島で養殖されており、牡蠣養殖の理想とされる「清浄海域」で採れた地御前牡蠣は、十数年続く 検査で一度もウイルスが検出されたことがないらしい。

「焼きがきのはやし」さんで牡蠣を堪能!B 11:14

 次は、かきフライ!
 噛むと、エキスが爆発し、口の中を火傷しました…

「焼きがきのはやし」さんで牡蠣を堪能!C 11:27

 ついに、焼きがき降臨!
 生より、さらに味が凝縮された感じ。しかし何個でも喰えそうだ…
 生がきを追加してしまった…

厳島神社へ 12:11

 25年振りくらいでしょうか… まあでもやっぱり凄いですね。
 世界遺産、国宝・重文、日本三景、日本三舞台、日本三大鳥居、安芸国一宮と、全部盛りと言った状況(笑)で、正に日本の至宝ですね…
 社伝では、推古天皇元年(593年)、当地の有力豪族・佐伯鞍職が社殿造営の神託を受け、勅許を得て御笠浜に市杵島姫命を祀る社殿を創建したことに始まるとされるが、一般的には、平安時代末期、佐伯氏と安芸守になった平清盛との結びつきを契機に、平家一族から崇敬を受け、仁安3年(1168年)頃、清盛が現在と同程度の大規模な社殿を造営したとされる。
 画像の大鳥居は清盛造営から数えて8代目で、明治8年(1875年)の建立。高さ16.8mで、重要文化財に指定されている木造の鳥居としては,高さ・大きさ共に日本一である。

平舞台からの拝殿と本殿 12:29

 昇段初穂料300円が必要だが、「宮島・瀬戸内ぐるりんパス」に含まれている。
 現存する社殿の主要部は貞応2年(1223年)の火災後、仁治2年(1241年)に再建されたものであるが、本社本殿は室町時代に建て替えられており、棟札から毛利元就による元亀2年(1571年)の再建と判明している。この時の再建は火災に伴うものではなく、永禄12年(1569年)、元就と対立した備後の豪族和智兄弟が本殿に立て籠もり殺害されるという事件があり、社殿が血で穢れたとして建て替えられたものである。ただ規模や様式は平安時代末期のものを引き継いでいるとみなされている。
 手前の平舞台とともに国宝である。

能舞台も海上だ 12:32

 国内で唯一の海に浮かぶ能舞台で、延宝8年(1680年)の建立。重要文化財に指定されている国内5つの能舞台のうちの1つでもある。
 毎年春の桃花祭神能がこの舞台で演じられる。

境内を一望 12:38

 干潮時に近かったので、完全に干上がっている。水が満ちた状態の神社を見たかったが、仕方がない。
 厳島神社宝物館も「宮島・瀬戸内ぐるりんパス」で入場可能だったので、見学し、清盛神社を回ってから、本殿北側の丘の上の末社豊国神社本殿と五重塔に向かう。

末社豊国神社本殿と五重塔 13:10

 末社豊国神社本殿と五重塔は、ともに重文。
 五重塔は、応永14年(1407年)の建立。細部に禅宗様の要素がみられるのが特徴である。

末社豊国神社本殿 13:14

 末社豊国神社本殿は、明治以降は豊国神社となっているが、もとは大経堂で、豊臣秀吉が天正15年(1587年)に戦没者の供養のため毛利輝元に命じて建立させたものである。建物の鬼瓦には天正17年(1589年)の銘を有するものがあり、この頃までには建物の形ができていたと思われるが、秀吉が朝鮮への出兵を決意したことにより建築工事は中断し、細部の造作は未完成のまま今日に至っている。
 実長は桁行約40mもあり、建物は規模の大きさから「千畳敷」と通称される。
 丘を下り、宮島港へ戻って、宮島口駅から「宮島・瀬戸内ぐるりんパス」でぎりぎり行ける岩国へ向かう。

錦帯橋 14:49

 駅前からバスに乗り、20分ほどの乗車で錦帯橋へ。
 岩国も25年振りくらいだ… しかし、岩国市が山口県だということを知りませんでした(笑)
 錦帯橋は、延宝元年(1673年)に、岩国藩第3代藩主吉川広嘉によって建造されたものである。
 初代岩国藩主吉川広家が岩国城を築城して以来、岩国城と錦川を挟んだ対岸にある城下町をつなぐ橋は数回架けられているが、洪水でたびたび流失していた。明の帰化僧である独立性易から、杭州の西湖には島づたいに架けられた6連のアーチ橋があることを知り、これをもとに、アーチ間の橋台を石垣で強固にすることで、洪水に耐えられるという連続したアーチ橋の基本構想に至ったといわれている。
 この設計が功を奏し、昭和期まで250年以上流失することなく定期的に架け替え工事が行われ、その姿を保っており、国指定の名勝である。

旧目加田家住宅 15:03

 錦帯橋で錦川を渡り、吉香公園内へ(ちなみに錦帯橋は見た目は抜群だが、実際に渡るとなると、めっちゃしんどい(笑))。
 ロープウェイ駅手前には旧目加田家住宅がある。
 目加田(めがた)家は、天正年間(1573−1593年)に吉川元春に召し抱えられ、その後、吉川家が岩国に移封された際に藩主広家に従い、この地に居を構えた岩国藩中級藩士の家である。
 この住宅は、18世紀中頃の中級武家屋敷の数少ない遺構であり、国の重要文化財に指定されている。
 屋根の筋葺きは二種類の瓦を交互にする二平葺きで、重ね合わせの桟を両側に持つ特殊な形の桟瓦は、両袖瓦という岩国地方独特の地瓦であり、別名、岩国瓦とも呼ばれている。

吉香神社 15:08

 ロープウェイ駅の東には吉香神社が鎮座する。
 吉香神社は、吉川家の先祖を祀る三社を統合して、明治17年(1884年)に建立された。
 社殿は、吉川興経を祀る治功大明神として享保13年(1728年)に造営されたものを移築したもので、本殿、拝殿、神門が同一時期の建築で揃っているものは大変貴重であり、国の重要文化財に指定されている。

岩国城復興天守(北面) 15:30

 時間の関係で、ロープウェイで横着して山上へ。
 天守へは尾根続きになるが、尾根を挟んで両側に遊歩道が整備されており、行きは西寄りのルートで向かう。
 関ヶ原の戦いに敗れた毛利氏は、大幅に領地を削減され、広島から萩に移封となり、同時に一族であった吉川広家も米子から岩国3万石で封じられた。
 慶長6年(1601年)の広家赴任と同時に岩国城の築城が開始され、慶長13年(1608年)に竣工した。本丸には4重6階の唐造りの天守が建造された。
 しかし、完成からわずか7年後の元和元年(1615年)に幕府の一国一城令により廃城となった。
 岩国領は本藩である長州藩から、独立した支藩として認められず、陪臣として扱われた。また、長州藩主の子孫による分家である長府藩や徳山藩が宗家継承権を有していたのに比べ、吉川家にはそれもなかった。
 明治維新の年、慶応4(1868年)にようやく独立の藩として正式に認められ諸侯に列したが、3年後の明治4年(1871年)には廃藩置県によって廃藩とされたため、正式に独立した藩の藩庁として機能した時期はわずかだった。

天守最上階からの眺望 15:39

 6階の最上階までは急な階段の連続で息が切れる。
 さすがに眺望は最高!

岩国城復興天守(南面) 15:46

 現在の天守は昭和37年(1962年)に「天守構造図」という絵図を元に鉄筋コンクリート構造によって外観復元されたもので、四重六階、最上階をその下階より大きく造り、その間の屋根を省略した、小倉城などと同様のいわゆる桃山風南蛮造である。
 本来の天守台は、約30m北側にあったが、錦帯橋からの見栄えを考慮し、位置が変えられている。

城山三角点 15:50

 帰りは尾根東側の遊歩道で帰るが、私は尾根の最上部に三角点があることを見逃さなかった(笑) 呆れる連れを放置し、遊歩道の最上部から藪へ突入!
 結果、ちゃんと尾根通しに踏み跡があった… 無事に三角点をゲット!
 満足してロープウェイ駅へ。16時の便で無事着陸。

再び錦帯橋を渡る 16:17

 山上に岩国城の勇姿が… 天守閣の位置をずらした意図が良く分かる。
 しかし、行きはともかく、錦帯橋の往復は登り下りの繰り返しが少々ウザい(笑) それに傾斜に応じて、階段の段差が変わるので、何度もつまづきかける私…
 やっとバス停に戻り、バス、電車を乗り継いで、広島駅へ。

広島での夕食1日目は、流川の「たいし」さんで!@ 18:35

 広電で胡町に向かい、予約していた「たいし」さんへ突入!
 既に満席の超人気店である。
 ホタルイカ、赤ナマコ酢、ネギだく冷奴でスタート!

広島での夕食1日目は、流川の「たいし」さんで!A 18:47

 広島名物、小鰯の天ぷら!

広島での夕食1日目は、流川の「たいし」さんで!B 18:53

 アナゴ、カマス他の刺盛が降臨!

広島での夕食1日目は、流川の「たいし」さんで!C 19:00

 みょうがの白和え! 渋いチョイス!
 大満足で夜が更けていく… 明日は吉田郡山城跡へ向かう。

参考タイム

2/16宮島港 10:5011:00 表参道商店街(「焼きがきのはやし」) 12:0512:15 厳島神社・厳島神社宝物館 13:1013:25 宮島港
錦帯橋バス停 14:4515:10 岩国城ロープウェイ山麓駅
岩国城ロープウェイ山頂駅 15:1515:30 岩国城天守閣 15:4515:50 城山三角点 15:5015:55 岩国城ロープウェイ山頂駅
岩国城ロープウェイ山麓駅 16:0516:25 錦帯橋バス停

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諸国名山探訪

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