−寺跡を巡る渋い旅−
山行概要
2005年2月12日(土) | |
磐余・明日香 | |
曇り時々晴れ | |
単独 | |
近鉄桜井駅=0:15=等弥神社=0:20=聖林寺=0:30=土舞台=0:05=安倍文殊院=0:35=山田寺跡=0:05=飛鳥資料館=0:15=大官大寺跡=0:25=藤原宮跡=0:15=小房観音=0:15=近鉄八木西口駅【3:00】 |
記録文
厳しい冷え込みが続くが、今日も外出してしまう。本日のメインは聖林寺の十一面観音像と桜井から明日香へ抜ける磐余(いわれ)の道。
桜井駅の南口を出発。多武峰への街道に入る。あまりの寒さに早く体を温めようと、小走りになってしまう。
途中、等弥(とみ)神社に立ち寄る。ノーマークだったが、荘厳な雰囲気に溢れる古社で、思わず立ち止まってしまった。体が冷え切ってしまったのでやむなく立ち去る。舗装路を延々南へ。
多武峰へと続く山々が黒々と迫る。聖林寺はその山裾の仙境と人里との境のようなところに位置している。
息せき切って広くはない境内に登りついてみると、三輪山、山ノ辺の道の辺りがゆったりと見下ろせる。
お目当ての十一面観音像はコンクリ造の収蔵庫に安置されていた。さすがにこれを眺めていると寒さは全く苦にならない。全て素晴らしいのですが、特に指先の微妙な動きが絶妙ですな。
ご本尊は地蔵尊ですが、みんな十一面観音像に注目するので、気の毒な存在です。
聖林寺からいったん、北方向に戻り、桜井商高の横から艸墓古墳経由で土舞台へ向かうが、宗教団体の施設が一角に建っている関係で大きく迂回させられたのは少々ウザかった。
土舞台は日本で初めての国立演劇研究所で聖徳太子が少年をここに集めて「伎楽舞」を学ばせたらしい。ホンマかいな。
続いて南側の安倍文殊院へ。日本三文殊の一つで、安倍一族の本拠地。あの安倍晴明もここで生まれたらしい。
華やかな境内は、商業臭が少々気にはなったが、本尊の文殊菩薩騎獅像の威風堂々とした姿と脇侍の善財童子のほっぺたが落ちそうな表情は最高でした。
本堂横にある西古墳の石組みの見事さも出色。江戸時代の城の切込ハギでもこんな見事な石組みは、あまり見たことがありません。本堂でいただいたお抹茶とお茶うけですっかりほっこりとしてしまいましたが、気を取り直して、明日香へ。
ここからは寺跡巡り。すぐ近くの文殊院の元である安倍寺跡に寄ってから、「磐余の道」と呼ばれる明日香への道へ。長閑な耕作地が広がる中をのんびり進む。
いかにも大和の古家といった白壁の家並みが続く集落でした。
山田集落南端に広大な平坦地が出現。ここが壮大な四天王寺式伽藍を誇ったという山田寺跡。興福寺に残っている仏頭で有名ですが、興福寺の荒くれ者の僧兵達に強奪されたというのが、この廃寺跡を見ると一層虚しさを感じさせます。
山田寺跡のすぐ先がもう明日香の里。写真左は雷丘で右が畝傍山。
途中に飛鳥資料館があったので、立ち寄ってみる。じっくり見ると時間がいくらあっても足りない感じだったので、先を急ぐ。
奥山の交差点から北に入る。この辺りの家並みも素晴らしく。なかなか先へ進めない。
いつの間にか天香具山が目の前に迫っていた。大した距離は歩いていないと思うのだが、桜井から明日香まで歩いたということに、なぜか凄い達成感を感じる。
奥山久米寺跡を経由し、さらに北の大官大寺跡へ。東大寺創建当時の規模にも匹敵する大寺院で今の大安寺の前身です。
天香具山南麓の法然寺で2年前に訪れたコースと合流し、今回は藤原宮跡に直行。今度は耳成山を真正面に見据えながら、宮跡の中央部を北に向かう。
藤原宮跡に立つといつも思うんですが、大和三山に囲まれてるという気がすごくして、常に三山の位置関係を確認してしまいます。
情けないことに結構疲れてきたので、後は真西の八木西口駅へ。
途中に小房観音があったので、最後の寄り道。安部文殊院と小房観音はどちらも長寿にご利益があり、この2院を結ぶ道を「大和長寿道」と呼んでいるらしい。
これで私も長寿確定かなと考えながら、すっかり重たくなった足を引きずりながら駅へ急いだ。
参考タイム
2/12 | 近鉄桜井駅 10:20 ⇒ 10:35 等弥神社 10:40 ⇒ 11:00 聖林寺 11:15 ⇒ 11:45 土舞台 11:45 ⇒ 11:50 安倍文殊院 12:10 ⇒ 12:45 山田寺跡 12:55 ⇒ 13:00 飛鳥資料館 13:20 ⇒ 13:35 大官大寺跡 13:35 ⇒ 14:00 藤原宮跡 14:00 ⇒ 14:15 小房観音 14:25 ⇒ 15:30 近鉄八木西口駅 |
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