−湖北最大級「境目の山城」を中山道番場宿から攻略!−
山行概要
2019年2月24日(日) | |
鎌刃城跡 | |
快晴 | |
単独 | |
番場バス停=0:20=大手口=0:20=登路合流点=0:20=鎌刃城主郭=0:05=南U郭=0:05=鎌刃城主郭=0:10=登路合流点=0:25=蓮華寺=0:05=JR米原駅【1:50】 |
記録文(写真はクリックで拡大)
この日の夜は「湖里庵」さんという、なかなか予約の取れない大津(本店は高島市だが、被災し、こちらで仮営業中とのこと)の鮒寿し懐石のお店を同僚が予約してくれた。天気が良さそうなので、約束の時間まで、滋賀方面を探索することとし、候補を探す。
続日本100名城でまだ未登の鎌刃城跡が米原の近くにあることを発見し、調べてみると、中山道の宿場町である番場宿から登山道が整備されており、なかなか良さそうだ。
しかも、「鎌刃城」とググってみると、「鎌刃城 ヒル」、「鎌刃城 熊」と勝手に予想検索候補が出てくる… 試しにヒルで検索してみると、暖かい時期には大量発生しているらしい… そうなれば、「是非ともこの時期に行っとかないと」となり、早朝の京都駅から電車に揺られることとなった。
JR米原駅を8時44分発に出る湖国バス「東レ・カーボンマジック前行」に乗り込む。番場までは3キロほどなので、歩いてもしれているが、これに乗らないと次の便は15時台までない(笑)
ちなみにこの日まで知らなかったが、「東レ・カーボンマジック」とは、国産のレーシングカーの設計・製作を通じて自動車業界から高い評価を得ている「童夢グループ」の子会社で、レーシングカー用のカーボン素材の設計・制作において、高い技術力を有していた会社であった「株式会社童夢カーボンマジック」を東レが平成25年(2013年)4月に買収した会社なのである。童夢の本社が米原にあるのも迂闊にもしりませんでした(笑)
私一人しか乗っていないバスは10分もかからずに番場バス停に到着。
バス停から県道240号線を離れ右折し、旧宿場町に入る。すぐに民家の前に「脇本陣跡」、「本陣跡」の石碑が現れる。
番場宿は、中山道の62番目の宿場で、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠10軒と中山道の中では小さな宿場町であったが、飛鳥時代に「東山道」と呼ばれた頃以来からある宿場で、慶長16年(1611年)には、番場宿から米原までの切通しと米原港が開設され、中山道から琵琶湖の水運に乗り換えて京都へ結ぶ近道への分岐点となると、物資の往来が盛んになり、大いに賑わったという。
何となく街道の雰囲気は残っている。
旧宿場町の中ほど、西番場公民館の少し南に、古民家を改装した「源右衛門」さんという、カフェ&ギャラリーがあり、そこの店先に鎌刃城のマップが置いてあったので、ありがたく頂戴する。
旧番場宿から鎌刃城跡への登路は2本あり、往路は宿場町のより奥(南側)から城跡に向かう道を採る。マップの置いてあるカフェからすぐ南に画像の標識がある。
鎌刃城は、近江の南北の京極領と六角領の境に位置する「境目の山城」であり、この周辺には佐和山城・菖蒲嶽城・太尾山城・磯山城などが築かれ、境目の城として機能した。
城跡の範囲は、東西約400m、南北約500mにわたり、江北地方では小谷城跡に次ぐ規模を誇る。
旧街道を左折し、獣除けのゲートを通過し、名神の「彦根43ガード」をくぐり抜けると山道となり、番場城跡への分岐を右に分けると、鎌刃城の大手口跡。
ここから山道となり、まずは竹林の中を登って行く。
ひとしきり登ると、尾根に上がり、もう番場からもう1本の登路である名神の「彦根44ガード」をくぐりぬける登路が合流してくる。
ここから城跡は尾根続きで、ひと登りだ。
北郭の一角に到達し、城跡に入る。
主郭から北に尾根続きに伸びたところに位置する北郭は、北T〜Yまで郭が名付けられており、全部で7段の郭(WのみW−1、2と2つある)で構成されている。
最北の北Y郭の北には大堀切が設けられ、防御線を形成している。
堀切で尾根を横断し、反対側の西南側の尾根の直下をトラヴァースして行くと、大石垣跡がある。
当初は、土のみで築かれた城跡だと思われていたが、発掘調査の結果、石垣を用いた城であったことが判明したらしい。
大石垣跡から尾根に登り返し、北X郭に到着。
北端の北Y郭には展望台があり、伊吹山をはじめ、湖北の大展望が広がる。
北X郭には、桝形を持つ虎口跡があり、門の礎石も残っている。
北郭を段々に登り、主郭に到着。
杉林が広がり、見通しは利かない。
南郭の先には、かなりの高低差がある土塁と堀切が設けられている。
米原町教育委員会の調査で、主郭は石垣で囲まれており、戦国時代に石垣を採用した先駆的な城であったことが判明している。
来た道を戻る。10分ほどで分岐に着陸し、往路とは別に右手の尾根続きに「彦根44ガード」へ下るルートに入る。
疎林の中のゆるやかな尾根道で、山襞を辿って来た暗めの往路とは印象が全く違う。
北郭から本郭辺りが良く見える。
こうして見ると、あらためて攻略にはかなり骨が折れると思われる。
最後で尾根筋を離れ、一気に下って「彦根44ガード」で名神をくぐる。また獣除けのフェンスを通過し、番場宿へ戻って来た。
往路は宿場町のだいぶ南側(京都側)まで入り込んでから山に向かっていたが、この復路は宿場町のちょうど真ん中くらいのところに合流する。
蓮華寺は、聖徳太子の開山と伝えられ、当初は法隆寺と称したという。
弘安7年(1284年)、当地の地頭で鎌刃城主土肥元頼が、浄土宗第3祖、良忠の弟子とされる一向を招いて寺を再建し、八葉山蓮華寺と号した。蓮華寺は良忠の鎌倉における自坊の旧名であり、境内の裏山に一向の墓地がある。
元弘3年/正慶2年(1333年)、後醍醐天皇の綸旨を受けた足利尊氏等に攻められた六波羅探題の北条仲時が、持明院統の光厳天皇、後伏見上皇、花園上皇を伴い東国へ落ち伸びる途中、行く手を佐々木道誉に塞がれたため、やむなく蓮華寺へ至り、天皇と上皇の玉輩を蓮華寺に置いた後に、本堂前で一族郎党432名と伴に自刃した(その際に血が川の様になって流れたと伝わり、寺の前に「血の川」の標識が立ってあった…)。
同時の住職の同阿上人が彼らを憐れみ法名を与え、過去帳に登載したのが有名な「陸波羅南北過去帳」であり、現存し、国指定の重要文化財である。
そして境内奥には、彼ら432人の墓である五輪塔が近代になってから整備されている。
番場宿を出る。バスが無いので、米原駅まで歩き通すほかないが、3キロほどである。
単調な耕作地の中を進んで行くと、米原高校の前で左の細道に入り、いかにも切通しの形状を抜け、旧米原宿へ下っていく。
これが「深坂道」で、慶長16年(1611年)に、中山道と米原湊を最短距離で結ぶため、番場宿から開削された道で、これにより美濃や尾張から中山道を通って運ばれてきた積み荷が、米原湊に集積され、船で大津を経て京都や大坂へ運ばれるようになった。
坂を下ると米原の集落。この深坂道の開削により、それまで10軒程度の民家しかなかった集落が天保14年(1843年)の記録では家屋201軒、人口904人と発展した。
今でも駅の東口側に古い街並みが残っている。
米原駅に到着。長浜で昼呑みしようと企む…
長浜でほろ酔い加減となり、何故かJR南草津駅前のスーパー銭湯「極楽湯」に沈没したりして時間を調整し、JR大津駅で集合。
町家を改修した趣ある店内へ。
琵琶湖名産「ひうお」の釜揚げからスタート!
琵琶湖産の淡水シラスで、実は鮎の稚魚である。「氷魚」と書いて「ひうお」と呼ぶ。淡水のシラスは初めて食べました。
八寸が登場。左が、鮒寿しのとも和え(単に鮒ずしの鮒の切り身をさらに細かく刻んだ物を、鮒寿しのご飯の部分「飯(いい)」に混ざって和えられたもの)。
下が、鮒寿しの甘露漬(鮒寿しから「飯)」を取りのぞき、さらに酒粕に漬けたもので、少し甘味のある、食べやすい鮒寿し)
上が、これも琵琶湖名産っていうか、琵琶湖にしか生息しない、ビワマスの卵。
右が、青菜の鮒寿し和え。凄まじい鮒寿し推しである(笑) どれも完璧なアテで、日本酒が進みまくる(笑)
鮒寿しに使われるニゴロ鮒とは別種の真鮒(ゲンゴロウブナ)の刺身。卵が茹でてまぶされている。
本来は琵琶湖の固有種だったようだが、各地に放流された結果、全国に見られるようになっているが、ここで出されているのは、環境省のレッドリストに載っている琵琶湖固有の小型の純粋種である。
炙り鮒寿し! ちょっと炙っただけで、コクが倍増〜
お次は、本もろこの天ぷら!
これもビワマスと同様に、琵琶湖固有種だったが、放流され全国に広がり、現在の養殖漁獲量1位は埼玉県とのこと。
外来魚の影響などで、琵琶湖の天然ものの漁獲量が激減しており、すっかり高級食材化してしまった…
何と、鮒寿しを和えたパスタが登場! 酸味とすごくマッチしている。
本もろこの焼きが来た。
カウンター向かいの七輪で焼いてもらった焼きたてが都合3匹供され、ワサビやお酢など味を全て変えて味わうことができる。
ついに登場! 名物の鮒寿し茶漬け! 最高!
この後のデザートで終了。あっという間に終わってしまった… また絶対に来たい!
すっかり日本酒が進み、へべれけになってしまったが、大津駅構内にあるステーキバルでワインを堪能してから帰阪した。
最高の休日でした!
参考タイム
2/24 | 番場バス停 8:50 ⇒ 9:10 大手口 9:10 ⇒ 9:30 登路合流点 9:30 ⇒ 9:50 鎌刃城主郭 9:50 ⇒ 9:55 南U郭 9:55 ⇒ 10:00 主郭 10:00 ⇒ 10:10 登路合流点 10:10 ⇒ 10:35 蓮華寺 10:45 ⇒ 11:15 中山道・北国街道分岐 11:15 ⇒ 11:20 JR米原駅 |
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