−大辺路の複線区間を往くが、重畳山は余計だった… ブッシュに四苦八苦…−
青線が今回のルート。
(赤線は2017.3.18のルート、緑色は2017.3.19のルート、白色は明後日のルート)
山行概要
2017年12月30日(土) | |
快晴 | |
単独 | |
JR紀伊姫駅=0:25=重畳山登山口=0:50=下部展望台=0:15=重畳山=0:10=神王寺=0:30=小笠山=0:35=河内橋=0:30=高池の虫喰岩=0:10=地蔵峠登り口(池野山環境衛生センター)=0:20=地蔵峠=0:45=佐部=0:40=JR紀伊田原駅【5:10】 |
記録文(写真はクリックで拡大)
前日の熊野古道中辺路潮見峠越えに続く、恒例の年末年始熊野古道集中歩行の2日目。
この日は、大辺路の古座〜太地間で複線区間になっているルートの山側コースを歩く。併せて、本州最南端の山として、熊野灘の展望が絶賛され、漁師たちが海上で現在地を知るための目印にしたいわゆる「山あて」であった重畳山(かさねやま)も歩くことに。
本来なら、前日は紀伊田辺に泊まるより、串本辺りまで南下しといたら良かったのだが、紀伊田辺で魚をシバきたかったので、こんな非効率的な行動となった。
本日の予定ゴール地点であるJR紀伊田原駅の始発である7時44分発紀伊田辺行きに乗りたいので、5時に起床し、上富田ICから紀勢自動車道の無料区間をすさみ南ICまで爆走し、さらにR42でひたすら本州の南端を目指す。通い詰めるうちに、すっかりこの辺りの土地勘も出来上がり、途中の串本町高富のコンビニで補給するのも、すっかりルーティンになった。
時間に余裕があったので、途中、橋杭岩で日の出を鑑賞。水平線上に雲がかかっていて、はっきりと赤玉は見えず残念…
紀伊田原駅手前、田原川河口から沖にかけて霧が立ち込めている幻想的な光景を見かけ、車を路側帯に止める。
後で調べてみると、この辺りの海岸では冬季の早朝に「田原の海霧」とよばれる現象が発生するとのこと。これは放射冷却により田原川上流にたまった霧が川を下りながらその量を増してゆき、暖かい海に出たところで濃くなって表出することによって生まれるものである。見れてラッキーでした。
紀伊田原駅に車を止め(駅前に2台位は止め放題)、予定通り7時44分の始発に乗る。これを逃すと次は10時9分発になるので、これに間に合ったことで、ほぼ成功したも同然である、とこの時は浮かれていた…
紀伊姫駅には、これまた定時の7時58分着。8時ちょうどに駅を出発する。
R42から1本山側の旧道で、昔ながらの光景が残る姫集落を歩く。すぐに重畳山の標識が現れるが、これは姫川ノ滝経由のルートで、やや回り道となることから、今回はメインの大辺路歩きのオプションみたいなもん(失礼)なので、ここはスルーし、東隣の伊串という集落へ進む。
伊串集落内の道標に従い、伊串川に沿って、山へ向かう。
民家が尽きる辺りで、伊串川が2分し、左の川に沿って少し進むと、重畳山登山口が現れる。
登山口には「この間の水害で登山道崩壊箇所あり。通行注意」との看板が立つが、無視して先へ。
しばらく小沢に沿って進むが、確かに所々真新しい木橋が付けられていた。特に問題なく尾根に取り付き、ずんずん登っていくが、何か様子がおかしい。
地元の名山の割には、どうにもこうにも歩かれていない感じで、ブッシュが濃いのである。
持参したヤマケイの分県登山ガイド「和歌山県の山」にも、普通のハイキングコースと記載されていたのだが…
まだ冬だから良いが、こんなの暑い時期はとてもじゃないが登ってられないと思う。
体中、枝まみれになりながら、藪と格闘… 最悪…
何とか車道に突き上げる。ここには道標が立っており、「山頂→」の標識に従い、舗装された車道を西に進む。
いつまでたっても登りになることなく、水平な車道を歩むこと5分ほどで、展望台(後で上部に展望台がもう一つ現れたので、便宜上、下部展望台と呼ぶ)に出た。さすがにここからの展望は素晴らしい。
しかし、下部展望台から先の車道は、ゆるやかな下り基調で続いており、とても山頂に向かう感じではない。
仕方がないので引き返し、林道の山側を注意深く観察していると、「多目的広場→」と書かれた標識があり、そこから急斜面をジグザグに登る踏跡を発見した。
ジグザグの急斜面を何とか登り切ると、また車道に合流。分県ガイドの記述と全然違うので、もう何がなんだか分からないが、道端に石仏が並んでいることから、多分、神王寺から上がってきた車道だろうと判断し、登りになっている西方向へ進む。
すると、また(上部)展望台が現れる。さっきの下部展望台もそうだったが、何かボロい。整備がされていないようだ。
上部展望台から山頂へは道標全くないが、適当に当たりを付けると、ブッシュに覆われた踏み跡を発見し、また藪漕ぎ…
当然、着いた山頂も二等三角点はあるものの、全く展望なし… ようやく理解したが、この重畳山は車で展望台での展望を楽しむ山で、山頂まで登る山ではないらしい…
神王寺は、弘法大師の開基と伝えられ、大師はここを開いた後に高野山を開いたのこと。
境内奥には重山神社があり、典型的な神仏習合の姿を今に残している。
神王寺から車道を東へ進む。実は重畳山の本峰は「本笠山」と呼び、本峰の西よりの小さなピークを「小笠山」と呼んでセットになっており、分県ガイドも両峰の登頂コースをガイドしている。
「串本町民の森」の広大な駐車場(背後は重畳山(本笠山)) 10:02
辺りは「串本町民の森」として綺麗な公園が整備され、どうみてもオーバースペックの駐車場が整備されている。
駐車場の東北角に近畿自然歩道の道標が立っており、「古田→」という標識を確認し、下山ルートの確認はできたが、予想通り、小笠山へのルートは全く見当たらない…
こんな小山、もはやどうでも良いのだが、だんだん意地になってきた…
何度か林道を行ったり来たりし、またも薄い踏み跡を発見。ほとんど崖のようなところを草木を掴みながら何とか這い上がると、お見込みのとおり、ブッシュの中に荒れ果てた東屋を発見…
そして、踏み跡はその先も背丈を超えるブッシュの中に伸びている… ここまで来たら行くしかない。腹をくくってブッシュと格闘開始!
何度か心が折れそうになりながらも、この辺りの最高地点と思しき地点に到達。
ブッシュの向こうに廃屋を発見。東屋が完全に放棄されていた… ヒドい… すぐ下の公園は超美麗に整備されているのに…
唯一良かったのは、ブッシュに埋もれたベンチに登ると、橋杭岩を見下ろすことができたこと。少しだけ溜飲が下がりました。
下りも頭から藪に突入し、何とか駐車場に戻る。ここから古田集落までのルートは「さすがに近畿自然歩道だろうし、普通だろう」と思っていたら、ここもけっこう荒れ気味で、ルートははっきりしているが、登山道は小枝や落ち葉で埋まっており、とても良く歩かれているルートとは思えない。
なので、「重畳山と小笠山を真面目にピークハントする場合は要注意です!」と言わざるを得ない…
何とか古田の集落に下り、古座川を少し遡って、河内(こうち)橋で左岸に渡る。
ここに河内神社があり、文化庁の重要無形民族文化財に指定されている7月25日の例大祭「河内祭」で余りにも有名。
河内祭は、古座川町流域の5地区(古座、古田、高池、宇津木、月の瀬)が担い手となって行われてきた伝統祭礼で、「紀伊続風土記」に『日置浦より新宮迄の間に此祭に次ぐ祭なし』と書かれるほど古くから有名な祭りである。
河口に位置する古座の中心産業は漁業、その他の地区は主に山林業を基軸に長年コミュニティーを形成しており、全く性格を異にする地域が年に一度、共に河内神社に集い、それぞれ独自のやり方で祭礼を行うという、他にあまり例をみない形式の祭りである。
祭りのハイライトは、江戸時代に沿岸捕鯨で栄えた古座の鯨舟に華麗な装飾を施し、軍艦に見立てた三隻の御舟(みふね)の水上渡御で、元々河内神社の御祭神が鎮座されていた約3km上流の「河内様(コオッタマ)」という、御神体とされる川の中の小島まで、「河内大明神」に神額を揚げた御船が遡り、そこが主祭場となる。
また、この祭りで「生き神様」的役目を担うのが「ショウロウ」で、古座区の小学生児童から、女子1名、男子2名が選ばれる。
ショウロウは、古座神社に宮入後は神社に寝泊りし、役目が終わるまで、けがれを嫌って地面を踏むことも許されないのが原則で、祭り当日、お稚児さん姿のショウロウは、神官とともに御座舟である「当舟(とうふね)」に乗込むが、「河内大明神」の神額とショウロウは、神霊が宿る聖なる存在とされているために、けがれを避けるため、この河内橋を含め、渡御の際に人間が通行する橋の下をくぐってはいけないとされている。
このため、神額は橋の手前でいちいち外され、ショウロウは背負われて橋を迂回する。また、御舟が橋の下を通過する際は、警官が出て橋の上を通行止めにする。そして再びショウロウが舟に乗り込む際も地面を直接踏むことが許されないので、背負われて移動するのである。
河内橋から古座川左岸沿いに下り、古座川町役場の前で左折し、大辺路の地蔵峠越えルートに入る。
古座川支流の池野山川沿いに進んでいくと、行く手に立派な山門が見えてきたので寄ってみると、霊厳寺。
山門と城郭のような石垣に思わず見入ってしまうが、この辺りには富裕な回船問屋や古座組大庄屋の住居があり、そうした経済力のおかげらしい。
公開されていないが、町指定文化財の「熊野本地仏曼荼羅版木」(熊野新宮大社で作成された版木で、熊野信仰の貴重な資料)や「十王図」(地獄絵図)など、文化財も豊富である。
霊厳寺からさらに進んでいくと、前方に奇妙な大岩が見えてきた。これが高池の虫喰岩で、国の天然記念物に指定されている。
「流紋岩質火砕岩」が風水食を受けて虫が喰ったように穴がたくさん開いていることから名付けられた。高さ約60mもあり、このような大規模なものは珍しいらしい。穴は直径10センチ内外、深さ4〜5センチ級がほとんどだが、中には1mを超えるものもある。
穴の開いた小石に糸を通して願かけすると耳の病気が治るという言い伝えがある。
岩の向かい側に道の駅があるが、いくら年末とは言え、人っ子一人いない(笑) こんな閑散とした道の駅は初めて見ます(笑)
ちょっと立地に無理があるのでは… ちょうどお腹が空いてきたし、「何か食えるのでは…」との私の淡い期待はもろくも打ち破られた…
仕方がないので、道の駅から10分ほど進んだ、池野山環境衛生センターの前に東屋があったので、ここで軽食をほおばる。
東屋の横が、地蔵峠に向かう大辺路の登り口となっており、山道を登り始める。
一応、熊野古道のはずだが、あまり歩かれていないようで、路面には枝や落石が積み重なり、歩きにくい。
峠の直下では、歩んできた方角が一望できる。
池野山環境衛生センターや虫喰岩、遠景中央は、忌まわしき(笑) 重畳山。かなり歩いてきたことが分かる。
地蔵峠には、名の通り、峠の地蔵さんがいた。合掌して先へ。
いったん車道を横切ってから、山道を下るが、登り以上に荒れている。道も不明瞭。
沢筋を下っていくのだが、画像のように崖をへつったりする箇所もあり、完全に登山の領域である。
道が錯綜する中、何度か行ったり来たりを繰り返す。さすがに心細くなってきた。
古い「大辺路」の道標を見つけた時はさすがにホッとした。そして、すぐに県道227号線に合流した。
以降は、人気のない車道を淡々と下るのみ。
佐部集落に入ると、県道沿いにムクロジ(無患子:実がなり、石鹸に使われたと言う。)の巨木がある。樹齢800年ともいわれ、平維盛が植えたという伝承があり、木全体にからみつくフジと合わせて串本町の天然記念物に指定されている。
佐部城址を左に見ながらさらに進み、田原川に出ると川沿いに下り、紀勢本線を渡ると堂道橋の交差点で、今年の3月に歩いた海寄りの大辺路ルートに合流。
車の待つJR紀伊田原駅へはあと15分ほどだ。
さあ、温泉、温泉。
今日は紀伊勝浦に潜伏しようと思っているので、途中の湯川温泉へ。国道沿いの「きよもん湯」さんは何度も入っているので、今回は、ゆかし潟の奥に入った「ゆりのやま温泉」へ。
300円で源泉掛け流し湯が満喫できる。カランもなく、洗い用の湯もパイプからドバドバ出ている(笑) あ〜最高!
時間があるので、太地町をブラブラと。今日はホンマ良い天気だ。澄んだブルーの森浦湾の彼方には、烏帽子山をはじめ、那智の山々がくっきり。
森浦の交差点には、8月にオープンしたばかりの道の駅「たいじ」があり、クジラやイルカの肉も買える。トイレは超絶美麗です。
シーシェパードら狂犬どもの不当な妨害に負けず、頑張ってほしい!
そして紀伊勝浦町へ。紀伊田辺に劣らず、ここにももう何回来ただろうか… 小さなまちなので、土地勘は完璧!
紀伊勝浦町役場の駐車場で車中泊するのも、いつものことだ。
この日も奇跡的に紀伊勝浦の名店「いちりん」さんの予約が取れたので、町役場から歩いて向かう。
やはり日本人としては、くじらは外せない。造り盛りでスタート!
オコゼの小鍋! プリップリ!
紀州梅どりのジャンボつくね! 米焼酎「熊野水軍」の紀伊勝浦温泉割りが旨すぎて、今宵もベロベロに…
いつものように、公衆温泉の「はま湯」さんで沈没してから、車に戻って車中泊。どうみても不審者なので、職質されるのもいつものことだ(笑)
明日の中の島へ。
参考タイム
12/30 | JR紀伊姫駅 8:00 ⇒ 8:25 重畳山登山口 8:25 ⇒ 9:15 展望台 9:15 ⇒ 9:30 重畳山 9:35 ⇒ 9:45 神王寺 9:45 ⇒ 10:15 小笠山 10:15 ⇒ 10:50 河内橋 10:50 ⇒ 11:20 高池の虫喰岩 11:20 ⇒ 11:30 地蔵峠登り口(池野山環境衛生センター) 11:40 ⇒ 12:00 地蔵峠 12:00 ⇒ 12:45 佐部 12:45 ⇒ 13:25 JR紀伊田原駅 |
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