−ついに東高野街道をコンプリート! 富田林寺内町の懐かしい街並みも印象深い−
山行概要
2018年3月23日(金) | |
快晴 | |
単独 | |
近鉄安堂駅=0:30=道明寺=0:15=誉田八幡宮=0:20=安閑天皇陵=0:15=南阪奈道路高架下=1:00=富田林寺内町=0:10=近鉄富田林駅=0:40=近鉄川西駅=1:20=近鉄河内長野駅【4:30】 |
記録文(写真はクリックで拡大)
いよいよ東高野街道も残り1日行程となった。そうなると居ても立っても居られず、年度末だったが年休を取得し、河内へ。京阪三条から、京橋、鶴橋で乗り換え、前回のゴール地点である安堂駅へ。
大和川のすぐ畔に位置する安堂駅をスタートし、しばらく大和川右岸を下流方向に歩く。
そして、橋が2本架かっているポイントに到着。近鉄道明寺線の鉄橋とともに歩行者・自転車専用橋の新大和橋があるので、これで対岸に渡る。
橋の中間ポイントで、上流方向を眺める。そういえば、2年前、河内国分から、延々と大和川右岸を歩いてきたなぁと思い出す。
大和川を渡ると藤井寺市に入る。
大和川は何度も洪水被害を起こしており、治水工事や付け替えも度々行われた。柏原市にも付け替えの石碑が色んなところにあるが、ここ藤井寺にもあった。
川沿いを離れ、道明寺線を渡り、街中へ入っていく。国分八幡神社の前で左折し、街道の雰囲気が色濃く残る街路を南の道明寺へ向かう。
2箇月振りの道明寺に到着。枝垂桜が満開。道明寺天満宮にも寄ることなく、さらに南へ。
西名阪自動車道の高架をくぐり抜け、応神天皇陵の脇を進むようになると、誉田八幡宮は近い。
こちらも先日訪れたばかりなので、トイレだけ借りて素通り(笑)
さらに進むと、竹内街道との分岐があり、「右 大坂、左 大和」と刻まれた石道標が建っていた。
さらに旧街道っぽい細街路を進んでいくと、街道に面した古墳が登場。
これが高屋築山古墳(たかやつきやまこふん)で、宮内庁により第27代安閑天皇の陵に治定されている。
墳丘の長さ122m、前方部の幅100m、高さ12.5mで、後円部は直径78m、高さ13mの前方後円墳である。
室町時代後半にこの辺りを治めていた畠山氏の居城である高屋城が築城されたことから、元々の形態から大きく改変されているらしい。
何度かR170に吸収される場面もあるが、富田林まで、ほとんど街道筋がR170に併行して残っている。
交通量少なく、とても歩きやすいが、街道っぽいのは道幅だけで、やや単調…
ようやく富田林の寺内町が近づいてきた。寺内町への入口は口と呼び、全部で12口あったと言われているが、東高野街道は、その一つの壱里山口に接続している。
壱里山口には、木戸口(木戸門)が設けられ、朝夕に開閉したとの記録が残っている。門が設けられた口は4箇所だけだったとのことで、富田林寺内町を代表する入口であったと言える。いよいよ寺内町の中へ。
富田林寺内町は、大阪府で唯一、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されており、戦国時代末期の永禄3年(1560年)、本願寺一家衆興正寺第16世・証秀が、この辺りの荒れ地を百貫文で購入し創建した、一向宗興生正寺別院を中核に開発された宗教自治都市である。
江戸時代は公儀御料となり、在郷町として栄え、南河内における商業の中心地であった。
亀ヶ坂筋を下っていくと、富山町筋との交差点東北側に越井家住宅(北)が建つ。
越井家は代々「平尾屋庄兵衛」を名乗り、材木商を営み、安政年間(1854年〜60年)には庄屋を務め、昭和初期に大鉄電車社長も務めた。
富山町筋を挟んで、南北両側に大規模な町家が残っており、この北側の住宅は、分家筋のものである。
腹が減って来たので、寺内町南側の探索は昼食後に回すことにし、中央部の富筋で切り上げる。
葛原家住宅(南)家は富筋の北向かいにある葛原家の分家新宅で、葛原家は屋号を十津川屋と称し、酒造業を営んでいた。
この町家の特徴は、何と言っても三階蔵である。
三階蔵は日本に少ない貴重なもので、安政元年(1854年)の建築。寺内町のランドマーク的存在と言える。各層に庇を廻し本瓦葺きで、妻を表に向けて白壁を際立たせている。年貢米を入れる蔵であった。
ここでいったん北に向かい、近鉄富田林駅近くのサイゼリアに始業と同時に入店し、昼からワインのデキャンタ500mlで昇天…(笑)
また寺内町へ。最も昔の街並みが残っていると思われる城之門筋を南下する。
画像の辺りは、タイムスリップしたような光景が広がっている。
橋本家は、別井屋と称し、酒造業を営んでいた。木口家は、屋号を木綿屋と称し、文字通り木綿商を営んでいたが、途中で瀬戸物商に転じたらしいが、両家とも既に廃業されている。
西に進んでいくと、旧杉山家住宅。ここも富田林寺内町を代表する建築物である。
杉山家は富田林寺内町の創設にかかわった旧家の一つであり、江戸時代は造り酒屋として栄えました。現存する家屋は寺内町で最も古く、江戸時代中期の大規模商家の遺構である。明治時代の明星派女流歌人・石上露子(本名:杉山タカ)の生家でもある。
昭和58年(1983年)、国の重要文化財に指定された。富田林市が維持・管理しており、寺内町で唯一公開されている町家である。
長居した寺内町を後に、街道歩きを再開。
引き続き、街道筋は明瞭に残っており、ずんずん進んでいくが、少し単調。
画像は、河内長野市に入り、近鉄汐ノ宮駅から少し南に行った辺りの東高野街道。だいぶ鄙びた感じになってきた。
最後まで淡々と進み、近鉄と南海が乗り入れる、河内長野駅に無事到着(酔っぱらっていたので、昼食以降の記憶があまりない…(笑))。
何はともあれ、東高野街道コンプリート!
参考タイム
3/23 | 近鉄安堂駅 8:15 ⇒ 8:45 道明寺 8:45 ⇒ 9:00 誉田八幡宮 9:00 ⇒ 9:10 竹内街道分岐 9:10 ⇒ 9:20 安閑天皇陵 9:20 ⇒ 9:35 南阪奈道路高架下 9:40 ⇒ 10:40 富田林寺内町 10:40 ⇒ 10:50 近鉄富田林駅 12:45 ⇒ 13:25 近鉄川西駅 13:25 ⇒ 14:45 近鉄河内長野駅 |
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