−熊野古道伊勢路のハイライト区間を行く!−
山行概要
2016年5月5日(祝) | |
熊野古道伊勢路 | |
快晴 | |
単独 | |
JR賀田駅=0:50=甫母峠=1:10=JR二木島駅=0:35=二木島峠=0:20=逢神峠=0:45=JR新鹿駅=1:00=徐福の宮=0:15=JR波田須駅=0:35=大吹峠=0:35=大泊=0:30=松本峠=0:35=JR熊野市駅【7:10】 |
記録文(写真はクリックで拡大)
2016GW熊野古道紀伊路シリーズ後半戦の3日目。通算6日目である。前夜は熊野市役所裏の無料駐車場で熟睡…
今朝も始発で出動。昨日も賀田駅から乗車した、JR熊野市駅始発の5時3分発322D列車に乗車し、昨日のゴール地点の賀田駅には5時23分着。
今日も良い天気だ。早朝の斜光を浴びながら、意気揚々と出発。昨日痛めた右足のくるぶしも何とか持ちそうだ。
曽根集落の中を進むと、賀田湾のすぐ前に位置する飛鳥神社に到着。境内は鬱蒼としていて、巨木が目立つ。中でも、樹高30m超、幹の周囲11m超を誇るクスノキは三重県第3位の巨木らしい。社伝によれば熊野新宮の阿須賀神社の末社として創祀されたと伝えられている。現存している寛永15年(1638年)の棟札(尾鷲市最古)に「此宮仁無年歴代々校見来者七百余古宮也」とあり、少なくとも一千年以上、さらに、周辺地域から縄文土器が大量に出土しているから、更にそれ以上の古さを持つと考えられる。
民家が尽きる辺りに、「曽根次郎坂・太郎坂」の登り口があり、ここから甫母(ほぼ)峠を越えて、二木島への約4.2キロの古道が世界遺産に登録されている。
「曽根次郎坂・太郎坂」とは、かつて甫母峠が、「志摩の国」と「紀伊の国」の国境であったため、「自領・他領」がなまって「次郎・太郎」になったと言われている。
早朝の爽やかな空気の中、石畳の道をゆるやかに登っていく。少し登ると賀田湾が一望できる。ほぼ海抜0mからの登りだが、甫母峠は300mちょっとなので、楽勝。
峠には、「ほうじ茶屋」跡があり、小広場になっている。そして、名前通り、南東方向へ甫母町へのルートも分かれている。
私は、熊野古道で直接、二木島へ下る。農作物を猪から守った「猪垣」がところどころ現れる。二木島の登り口近くには、「猪垣記念碑」まであった。
二木島は、山が直接海にせまっているため、田畑を開拓するのに大変な苦労があり、また、山からイノシシやシカなどの野獣が出没し、農作物を荒らすので、大泊から二木島地区にかけて、およそ30kmにおよぶ猪垣が築かれた。寛保元年(1741年)、二木島浦の庄屋だった松場清右衛門が指揮者となって、里町寺崎まで1、100mの猪垣を築き、その記念として碑が作られた。
こんなん造り出したら、万里の長城と同じで、キリがないと思うのですが… 昔は大変ですね…
無事、二木島集落に着陸。JR二木島駅前に立派なトイレと休憩舎があったので、ここでエネルギーチャージ。隣で井戸端会議をしていたオバア2人と話し込む。若い者がみな出ていって集落の維持が大変とのこと…
駅の横で線路を渡り、民家の横から細い道を二木島峠へ登る。
ここから二木島峠、逢神峠を越えて、新鹿(あたしか)までが世界遺産ゾーンになる。すぐにR311に合流し、少し進んで、再び山道へ。石畳も現れる。
二木島峠、逢神峠と、ゆるやかな石畳のアップダウンが続く。
逢神峠は、伊勢と熊野の神が出会う峠という意味らしいが,狼がよく出たからとの説もある。
新鹿へ一気に下る。湊川に沿って出ると、新鹿海水浴場の明るい砂浜が続く。暑くなってきた。
国道から道標に従い、急な斜面を登る。新鹿中学校の先で山道となり、峠を一つ越える。再び国道に合流し、今度は波田須トンネル手前からまた山道へ。鎌倉期のものと言われる見事な石畳を登っていく。この部分の僅か300m程が世界遺産に登録されている。
眺めの良い所に立っている民家の庭先を抜け、少し下ると、波田須神社に到着。国道を渡る。鮮やかなブルーの海が眼下に広がり、徐福の宮の森をはじめ、長閑な波田須の集落も見渡せる。さすがに伊勢路のハイライト区間と言われる場所だ。
急なコンクリ舗装の細道を駆け下り、迷路のような集落を抜けると、徐福の宮。
徐福(じょふく)は、紀元前3世紀の秦の始皇帝に仕えた方士(神仙思想の行者)で、2200年くらい前(日本でいえば弥生時代初期)に、始皇帝の命により、東方海上に不老不死の仙薬を求めて三千人の少年少女とさまざまな分野の技術者を引き連れて船出し、熊野に上陸したと伝えられている。
徐福一行は何十艘もの船で船出したが、台風に遭い徐福の船だけが波田須町の矢賀(やいか)の磯に流れ着いた。そのころ、波田須には家が3軒しかなく、その3軒の人たちで徐福らの世話をしたと言う。
徐福らは波田須に住み着くことを決め、「徐」姓を使わず、「秦」から波田・波多・羽田・畑など「ハタ」と読む漢字をあてて名乗った。そして3軒の人たちに焼き物の製法や農耕や土木、捕鯨、医薬などの技術を伝えたとされる。
「波田須」という地名は「秦住」から来たらしい。その徐福を祀る神社がこの徐福の宮である。
ローカル線の風情満点のJR波田須駅を過ぎ、再び集落の上部へ登り返し、おたけ茶屋跡を通過。昭和初期まで「茶屋」があったそうで、「おたけ」婆さんが作る「こけら寿司」が人気商品だったそうである。集落の果てで山道となり、少しの登りでR311に合流。
国道をしばらく進むと、大吹峠の登り口に到着。ここから再び世界遺産登録の古道となる。これまでとは趣の違う、竹林の中の石畳道をゆるやかに登っていく。中国から伝わった孟宗竹のようだ。大した登りも無く、標高205mの大吹峠に到着。猪垣に囲まれている。
ここにも昭和25年頃まで大吹茶屋があり、江戸時代の記録では、明和5年(1768年)の大吹茶屋の茶代1文、新鹿昼食・茶代5文となっていた。再び竹林の中をゆるやかに下ると、大泊側の登り口に降り立つ。
大泊海水浴場に沿って、反時計回りに進む。前方には鬼ヶ城の一部も見えてきた。
熊野尾鷲道路の終点で、道路を横断した所が、松本峠の登り口である。ここから世界遺産登録の古道が始まる。鬱蒼とした杉林の中に、これまでで最高レベルの石畳が延びる。江戸時代の整備らしいが、石畳と言うか、ほとんど石段で。きっちりとした構造美はあるが、風情の点では、これまでの石畳の方が勝っている。
けっこうな急坂を頑張ると、松本峠に到着。大きなお地蔵様に再会。この松本峠が熊野古道伊勢路の最後の峠越えであり、以降、新宮まで、七里御浜沿いに平坦なルートとなる。
熊野市へ石畳を下る。こっち側は明治期の整備らしい。昨日は、右くるぶしの激痛に耐えながら下ったが、今日は痛みはだいぶ軽減された。何の問題もなく、木本側の登り口へ。すっかり土地勘もできた熊野市の街中を辿り、車の待つ熊野市役所駐車場へ。
まだ13時過ぎだったので、車で1時間程内陸に入った、湯ノ口温泉の湯元山荘に向かう。
途中、日本の棚田100選に選ばれている、有名な丸山千枚田に寄り道。約400年前には2200枚もの棚田があったらしいが、その後高齢化等により530枚まで減少したところ、1994年「丸山千枚田条例」を制定し、地元住民と行政との協力により、現在は1340枚を超える程まで回復したらしい。
湯ノ口温泉周辺は、南北朝時代から金山発掘に栄え、当時から湯治場として発展していたらしい。湯元山荘は、ナトリウム・カルシウム塩化物泉の源泉掛け流しが満喫できる。露天風呂で1時間以上ものんびりしてから、新宮へ向かう。
新宮駅前に丸1日で700円で止められる市営駐車場があり、ここが今日のねぐらとなる。食べログで検索し、17時の始業と同時に「かつ田」さんへ。
造り盛りからスタート!
熊野牛ステーキ!
ぶりカマ!
最後にタコ刺しを追加してしまった…
この日も大満足で車内で爆睡…
翌日の行程(熊野古道伊勢路その10(熊野市〜新宮))へ。
参考タイム
5/5 | JR賀田駅 5:25 ⇒ 6:35 甫母峠 6:35 ⇒ 7:45 二木島 8:05 ⇒ 8:40 二木島峠 8:40 ⇒ 9:00 逢神峠 9:00 ⇒ 9:45 新鹿 9:45 ⇒ 10:45 徐福の宮 10:50 ⇒ 11:05 JR波田須駅 11:05 ⇒ 11:40 大吹峠 11:40 ⇒ 12:15 大泊 12:15 ⇒ 12:45 松本峠 12:45 ⇒ 13:20 JR熊野市駅 |
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