道南3名城跡散策(上ノ国勝山館跡・松前城跡・志苔館跡)

−出張ついでに、日本100名城、続日本100名城に名を連ねる道南の3名城跡を攻略−

山行概要

日 程
2019年8月24日(土)
山 域
上ノ国市街他
天 気
晴れ時々曇り
メンバー
単独
コースタイム
勝山館跡ガイダンス施設=0:05=夷王山=0:05=勝山館跡(主郭)=0:10=勝山館跡ガイダンス施設【0:20】

記録文(写真はクリックで拡大)

 勝山館跡に行く前に、すぐ目の前の夷王山(いおうざん)に向かう。楽勝で到着。

夷王山山頂 7:51

 中世の北海道は夷島(えぞがしま)と呼ばれており、夷(い・えびす)とは、蝦夷地に住む人々を指すが、この山の直下に松前城が築かれる以前の拠点であった勝山館が建っていたことから、夷の王の山という意味で、夷王山と名付けられた。
 夷王山は、松前氏の祖武田信広や蠣崎氏一族の居館であった勝山館の「詰めの丸」であったとされ、標高159mの山頂には武田信広を祀る夷王山神社が建つ。
 山頂からは、天の川の河口・大澗湾(おおまわん)が一望である。大澗湾は天然の良港で、古代から中世に至るまで、蝦夷地に入植した和人の貿易の舞台だった地である。

墳墓群 7:57

 ガイダンス施設前に戻り、墳墓群の中を勝山館跡に下っていく。
 この辺りには、勝山館に居住していた人々の墓と推測される600余りの墳墓群があり、近年、仏教様式の墓に混じってアイヌの葬法に従った墓も発掘され、和人とアイヌの関わりを示す重要な発見とされている。

搦手口 8:00

 墳墓群を抜け、森の中を下っていくと、前方が開けてきて、搦手口が現れる。ここから主郭内となる。
 郭内に入ってすぐの館神八幡宮跡を過ぎると、広大な主郭が海をバックに広がる。

主郭 8:02

 海に向かってゆるやかに傾斜した平地に、建物跡、楼門跡、馬屋跡や客殿跡等の遺構が残る。

大手空堀 8:04

 大手口の先には大手空堀があり、さらに前郭が配されている。
 勝山館の築城年代は不明だが、館北端にある館神八幡宮の創建が文明5年(1473年)と伝えられているため、この頃の築城と推定されている。
 蝦夷地に渡来してきた和人が14〜15世紀ごろに築いた館のうち、松前藩の史書「新羅之記録」に記されているように、学術上で存在が認められているものを総称して「道南十二館」と呼んでいるが、勝山館もそのうちの一つである。
 武田(蠣崎)信広あるいはその子光広以降、蠣崎氏の本拠地とされていたが、光広の時代の永正11年(1514年)に松前の徳山館に本拠を移転して以降は、主要な副城としての「脇館」転じて「和喜の館」と称され一族を配した。
 ガイダンス施設に戻り、車で車道を戻り、夷王山北麓の上ノ國八幡宮へ。

上ノ國八幡宮 8:22

 上ノ國八幡宮は、文明5年(1473年)、武田信広が勝山館内に館神八幡宮として創建した社で、本殿は元禄12年(1699年)の建立。北海道内に現存する神社建築では最古であり、道指定の有形文化財である。

上國寺本堂 8:31

 八幡宮のすぐお隣に建つ、上圀寺へ向かう。
 上國寺本堂は、江戸時代の記録で永禄3年(1560年)頃の建立とされ、室町時代には既に存在していた寺院で、現在の本堂は、内陣天井の支輪に「宝暦八寅年(ほうれきはちとらどし)」の墨書があることから、宝暦8年(1758年)の建立とされ、現存する寺院建築の建物として北海道で最古であり、国指定の重要文化財である。
 上ノ国町の探索終了。引き続きR228で60kmほどのドライブで松前町へ。松前町も18年振りである。そして日本100名城、松前城跡の駐車場に車を止める。

松前城復興天主と本丸御門(左) 9:38

 18年振りの登城。
 松前城は、幕末に海防強化のため松前藩が江戸幕府に命じられ、居城であった福山館を拡張する形で築城し、安政元年(1855年)に完成した。五島列島福江島の石田城(福江城)と並び日本における最後期、かつ、北海道内で唯一の日本式城郭である。
 公式には福山城と記されたが、当時から備後福山城との混同を避けるため松前城とも呼ばれていた。
 箱館戦争では、土方歳三が率いる旧幕府軍に攻め落とされたが、翌年、新政府軍が奪回した。維新後、天守などを除く城の大半が取り壊されたが、天守は残され、国宝に指定された。
 しかし、昭和24年(1949年)6月5日、類焼により焼失したため、創建当時から現存する建築物は、切妻造の本丸御門(国指定重要文化財)と本丸表御殿玄関(北海道有形文化財)及び旧寺町御門のみである。今も残る曲輪・石垣などを含めた城跡が国の史跡に指定されている。

白神岬から津軽半島を望む 10:15

 松前を後に、函館にある続日本100名城の志苔館跡に向かう。
 R228で北海道最南端の白神岬を経由して、一転北上する。
 白神岬は、対岸の津軽半島竜飛岬から僅か19kmに位置し、この海底を青函トンネルが通じている。

志苔館跡 12:21

 函館市街をいったん通過し、市街からは東側の函館空港を目指す。最後の3城目の志苔館(しのりたて)跡は函館空港のすぐ南に接しているのだ。函館は1年前にも来ているのだが、昨年は全く志苔館跡の存在を認知しておらず、まさかの2年続けての函館となった次第である(笑)
 専用の駐車場がないので、城跡北側のふれあい広場の駐車場に車を止め、城跡へ。

郭内からは函館山が一望 12:22

 志苔館も「道南十二館」の一つで、最も東に位置する。
 海抜25mの小高い丘にあり、津軽海峡を見下ろし、函館山が海に浮かんでいるかのように見える。

広大な郭内 12:27

 館跡は、広さ約4100uのほぼ長方形で、周囲は最大4.5mの土塁で囲まれ、さらにその外側には空壕が巡らされている。
 郭内に足を踏み入れると、門跡、建物跡、柵跡、井戸跡が石札に表示されていた。
 志苔館跡からは、陶磁器類や金属製品等、かなりの埋蔵品が出土しており、また、昭和43年(1968年)に付近で行われた道路工事で、38万枚の渡来銭が入った3つの甕が発見され、1箇所から発見された古銭としては国内最大級の量で、国の重要文化財に指定され、市立函館博物館に収蔵・展示されているとのこと。

 これで道南3名城跡の探索終了。函館市中心街へ車を走らせる。

参考タイム

8/24 勝山館跡ガイダンス施設7:457:50 夷王山 7:55 ⇒ 8:00 勝山館跡(主郭) 8:058:15 勝山館跡ガイダンス施設

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