八尾市寺内町巡り

−運動不足解消に、八尾の寺内町をぶら散歩−

   

山行概要

日 程
2016年11月20日(日)
山 域
八尾市街
天 気
曇り
メンバー
単独
コースタイム
近鉄河内山本駅=0:20=御野縣主神社=0:35=木村重成の墓=0:25=恵光寺=0:30=八尾神社=0:15=八尾天満宮=0:15=顕証寺=0:05=許麻神社=0:10=近鉄久宝寺口駅【2:35】

記録文(写真はクリックで拡大)

 土曜日の晩、すっかり酔っぱらっている。明日は雨天でなさそうだが、予定が何もない…(涙)
 こういう時のために便利なのが近鉄の「てくてくマップ」であり、八尾市の寺内町巡りをチョイスし、目覚ましをセットして寝た…
 5時半に起床し、いつもの三条京阪6時13分発の始発の特急で大阪へ。京橋、鶴橋と乗り換えを重ね、近鉄河内山本駅へ到着。
 駅前の山本八幡宮から、路地に入り、作家の今光東が住職を務めていた天台院という寺院に寄り道してから、駅前に戻り、玉串川沿いの桜並木に沿って進んでいく。

御野縣主神社の極小幅狭通用門 7:54

 途中、府立山本高校の前で右折し、人一人くぐり抜けるのがやっとの、極小幅狭の通用門をくぐり抜け、御野縣主神社へ。

御野縣主神社 7:56

 御野縣主神社は、三野郷という、この付近の地名の起源となった、三野縣主一族を祀る神社である。境内の小高くなっている西側は、かつてここに流れていた玉串川(旧大和川)の堤防跡である。
 玉串川に戻り、さらに川沿いに北に進み、交番のところで、少し東に右折し、すぐに左折して、再び北へ宅地を進む。

木村重成の墓 8:35

 第二寝屋川に突き当たり、今度は西に川沿いに進む。この辺り工場が建ち並び、何の面白味もない光景が広がる… 早朝から何やってるのかと考えながら、広い公園に出る。
 ここには、大阪夏の陣で戦死した、豊臣秀頼の重臣、木村重成の墓が立っていた。
 ここから南へ、路地をくねくねしながら進むと、最初の寺内町である、萱振(かやふり)のまちに入った。環濠が一部残る中、趣のある路地を進んでいくと、恵光寺に出た。

恵光寺 9:00

 恵光寺は、通称「萱振御坊」と呼ばれ、蓮如によって建立されたと言われ、蓮如の6男である蓮淳を開基とする。
 戦国時代になると、萱振は恵光寺を中心とした寺内町の様相を呈するようになり、環濠もめぐらされた。境内の一部に「アミダ石仏の庭」があり、寄進された阿弥陀仏が多数並んでいた。
 恵光寺を後に、南西方面に進む。用和小の横を通過すると、近鉄八尾駅は近い。
 八尾駅の横で高架を渡ると、すぐ八尾神社が現れ、八尾寺内町の一角に侵入。

八尾神社 9:34

 八尾神社は、この地を本拠とした物部氏の一族、栗栖氏がその祖神を祀ったことから始まり。江戸時代は牛頭天王社と呼ばれており、明治維新後、栗栖神社と改称し、更に明治43年に八尾神社と改まった。八尾市の近辺には物部氏関係の氏族が多く分布しており、栗栖氏もその一つとして、早くからこの地に住んでいたらしい。
 八尾は矢尾、矢生等とも書かれ、物部氏の一族で矢作りに従事した「矢作部」がいたとも伝わることから、その地名になったと思われる。

 いったん、商店街を離れ、車道をまたいで、立派な鐘楼を備えた慈眼寺の前を通過し、またアーケード街へ復帰。「ファミリーロード」という商店街で、随所に「まけへんもん!」の幟が立つ。如何にも南河内の商店街である。今度は、アーケードの先に八尾天満宮が現れる。

八尾天満宮 9:53

 八尾天満宮は、八尾寺内町の鎮守で、「八尾の天神さん」といわれる。祭神は天穂日命と菅原道真で、慶長年間に片桐且元が創建したといわれている。
 その隣の大信寺にも立ち寄り、車道に出、西にしばらく進むと、久宝寺寺内町に到着。

久宝寺寺内町を廻る 10:07

 今日3つ目の寺内町だが、一番趣を残す町並みが続く。
 まずは、八尾市のまちなかセンターの横を抜け、顕証寺へ。

久宝寺寺内町の中心、顕証寺 10:10

 顕証寺は、山号は近松山で、久宝寺御坊ともいう。 かつて、この寺院を中心に寺内町が形成されたものである。大坂冬の陣・大坂夏の陣で、この辺りは主戦場のひとつとなり、焼け野原になったが、江戸中期の1716年(正徳6年)に再建された。
 江戸時代前半頃には八尾街道の中継地として栄えたが、1704年(宝永元年)の大和川付け替えを境に、地域の中心は久宝寺村から寺内村(八尾)に移っていった。
 続いて、隣の許麻(こま)神社へ。

許麻神社 10:20

 創立は不詳であるが、「延喜式」神名帳には小社に列せられており、今から1100年以前より存在していた由緒ある神社で、江戸時代には「久宝寺の牛頭天王」と呼ばれていた。
 許麻は高麗に通じ、この地は古くは「巨麻荘」または「許麻荘」といい、高麗からの渡来民族が多く住み着いていた。彼らが祖霊として祭祀したのが、後に神社として祀られ、社名に「コマ」が残ったと思われる。
 戦国時代、松永弾正久秀の兵火に罹り、灰燼と化したが、久宝寺観音院として1677年(寛文7年)再興されたが、明治初年の神仏分離により廃寺となった。

 これで、久宝寺寺内町は一通り巡ることができた。満足して近鉄久宝寺口駅まで歩き、この日はこれで終了。

鶴橋の「福寿し」へ@ 11:00

 この辺りをぶらついた時の恒例になってしまっているが、鶴橋で途中下車し、オッサン一人で、昼飲み!
 まずは「福寿し」さんで握りとアテをつまむ。9時から21時という、奇跡の12時間通し営業で、喧噪を避けたい一人飲みのオッサンにはありがたい店である。
 鯛とハマチは安定の旨さ。

鶴橋の「福寿し」へA 11:07

 この時期ならではの、こっぺ蟹! 旨い!

2軒目は、韓国料理屋の「我が家」さんへ@ 11:29

 続いて、アーケードを出た所にある、韓国料理屋の「我が家」さんへ。
 突き出しのキムチ他の前菜盛り合わせとプルコギでスタート!

2軒目は、韓国料理屋の「我が家」さんへA 11:31

 ハーフサムゲタンでフィニッシュ! 昼前から昇天! 満足して帰洛した。

参考タイム

11/20近鉄河内山本駅 7:357:55 御野縣主神社 8:008:35 木村重成の墓 8:359:00 恵光寺 9:009:30 八尾神社 9:359:50 八尾天満宮 9:5510:10 顕証寺 10:1510:20 許麻神社 10:2010:30 近鉄久宝寺口駅

山行データへ

諸国名山探訪

Copyright(C) Hiroshi Fujita All right reserved

inserted by FC2 system