熊野古道紀伊路その8(紀伊宮原〜湯浅)

−しらすをお目当てに熊野古道を散策−

   

山行概要

日 程
2014年5月17日(土)
山 域
熊野古道紀伊路
天 気
快晴
メンバー
B、私
コースタイム
JR紀伊宮原駅=0:20=得生寺=0:05=糸我稲荷神社=0:05=糸我王子社=0:20=糸我峠=0:10=逆川王子社=0:30=JR湯浅駅【1:30】

記録文(写真はクリックで拡大)

 海南から紀伊宮原まで歩いてから丸2年が経過し、熊野古道の探索がなかなか進まないのが気にはなっていた。もう暑くなるし、楽しんで歩くにはそろそろ限界ということで、車保有の連れをしらす三昧の甘言により捕獲に成功。京都から和歌山って、電車では結構時間がかかるので、これは助かります。
 京都から、第二名神、阪和道を使い、サクっと2時間弱で、前回の終着点であった紀伊宮原駅に到着。駅前のタクシー会社に頼めば、1日500円で車を置かせてくれた。

宮原橋で有田川を渡る 8:53

 駅から有田川を渡り、しばらく堤防上を進んでから、堤防を下ったところで、R42を横断し、集落をしばらく進むと、得生寺。

得生寺 9:06

 浄土宗西山派の末寺。琴の名手で天皇から三位の位と中将の名を賜った中将姫ゆかりの寺として名高い。
 その昔、姫の名声をねたんだ継母が姫の従臣であった伊藤春時に殺害を命じる。が、姫の徳に打たれた春時は、逆に剃髪し、名を得生と改め姫を守った。このことが名の起こりといわれる。

糸我稲荷神社 9:13

 そしてすぐ近くには糸我稲荷神社があり、大楠が印象的だ。
 「糸鹿社由緒」によると,糸我社の創建は「37代孝徳天皇白雉3年壬子の春、社地を正南森に移し、糸鹿社と申す」とあり、白雉3年とは伏見稲荷神社の和銅年間の創建より約60年も前に遡ることから,この故をもって糸我稲荷神社を本朝最初の創建とし、社前鳥居に「本朝最初稲荷神社」の額が上っている。
 隣には「くまの古道民俗資料館」があるが、まだ営業時間前だったようだ。
 さらに南へ。徐々に道幅が細くなる。糸我王子社を過ぎると、みかん畑の中を縫うような登り道となる。

みかん畑の中を登る 9:31

 折しもみかんの花の開花時期ということで、周囲は甘い香りに包まれ、正直、むせ返る程。糸我峠の手前で舗装路は尽き、山道となる が、正味5分ほどで、車道の通じる糸我峠に登り着く。
 昔は茶屋もあり、行き交う人々で賑わったと言う峠を過ぎ、竹藪の中の急な舗装路を下り切ると、湯浅町吉川の集落に出、道標のある四つ角を少し東に入ると逆川王子社に到着。

逆川王子社 9:58

 後鳥羽院の熊野御幸に随行した歌人、藤原定家が書き残した日記「熊野道之間愚記」建仁元年(1201年)10月10日条に「逆河王子」とあり、「民経記」承元4年(1210年)4月26日条にも「サカサマ王子」という王子の名だけでなく割書きに「水逆流有此有名云々」とある。これは、湯浅湾に流れ込む山田川の支流のひとつで王子の近くを流れる逆川のことで、郡内の他の川が西に向かって流れるのに、この川だけが東に向かって流れることから逆川の名が付き、後に周辺の地名ともなったという。
 明治44年(1911年)に国津神社に合祀されたが、氏子の寄付により,昭和12年(1937年)に社殿と石段が再建された。
 四つ角に戻る。湯浅へは、もう一つ峠越えが必要で、車道をゆるやかに登るが、大した登りはなく、方津戸峠を越え、車道を離れたショートカットの細道を下ると、街中に出、山田川に沿ってのんびり歩く。

 北栄橋で山田川を渡ると、いよいよ湯浅の中心部に入っていく。熊野古道が町並みのド真ん中を通過しているのは珍しいらしい。古い町並みを楽しみながら南下すると、一際目立つ立派な町屋が現れる。これが「立石茶屋」さんで、堀田茶舗であった建物を改装して、カフェと土産物屋に生まれ変わった処だ。
 我々もここで一休みし、店のお母さんから、いろいろと湯浅のお話を伺う。

しらすを堪能! 11:20

 ちょうど、昼飯どきになったので、お母さんから教えてもらった湯浅駅前すぐの「かどや」さんに突入し、生&釜揚げしらすと刺身他を堪能してから、電車で紀伊宮原へ戻った。
 帰りはいつものように、花山温泉に立ち寄り、関西最強の炭酸泉をこれまた堪能し、大満足で帰洛した。

 その9(湯浅〜御坊)へ。

参考タイム

5/17JR紀伊宮原駅 8:459:05 得生寺 9:109:15 糸我稲荷神社 9:159:20 糸我王子 9:209:40 糸我峠 9:459:55 逆川王子 10:0010:30 湯浅(立石茶屋)

山行データへ

諸国名山探訪

Copyright(C) Hiroshi Fujita All right reserved

inserted by FC2 system