柏原・八尾 山麓史跡巡り

−ようやく繁忙期終了! シーズン開幕戦は、歴史の香り溢れる信貴東麓をのんびり北上−

   

山行概要

日 程
2016年4月16日(土)
山 域
生駒山麓
天 気
快晴
メンバー
単独
コースタイム
近鉄河内国分駅=0:15=高井田横穴公園(柏原市立歴史資料館)=0:35=石神社=0:25=鐸比古鐸比賣神社=0:25=瑠璃光禅寺=0:25=恩智城址=0:05=恩智神社=0:25=権現社=0:35=近鉄高安駅【3:10】

記録文(写真はクリックで拡大)

 年明けからの繁忙期がようやく終了! 昨年仕上げたはずの体はすっかり増量し、錆び付き、ボロボロになってしまった…
 とりあえず、鈍った体を戻さねば… と言う訳で、わずか10キロほどだが、復活ハイクを企画。これまであまり馴染みのなかった、南大阪へ。
 スタート地点の近鉄河内国分駅へは、京都からはなかなか遠い。竹田〜西大寺〜布施と3度の乗り換えと、方向も行ったり来たりで、2時間近くかかってようやく到着。そりゃ、なかなか来ようと思いません。
 10時前に国分駅を出発。北に向かい、すぐに大和川を渡る。

大和川を渡る 10:03

 国豊橋で大和川を渡る。緑豊かで、ここからの眺望は「河内の嵐山」と呼ばれている… この少し上流で、大和川は、激しく屈曲しているので、ここ国分は、昔から何度も水害にあったらしい。
 白坂神社で左折すると、JR高井戸駅。駅前を真っ直ぐに登って行くと、高井戸横穴古墳群で、公園として整備されている。
 ここは、6世紀から7世紀にかけての横穴古墳が200基以上確認されている高井戸横穴古墳群を公園として整備したもので、なるほど、そこらじゅうに横穴が口を開けている。

ブドウ畑を進む 10:42

 公園を抜けると、柏原市の歴史資料館があり、しばし寄り道。古墳よりも、度々氾濫した大和川との戦いの歴史が興味深かった。
 公園を後に、北へ進む。市の保養施設である「サンヒル柏原」の横を抜け、突き当たったマンションの右横にある小道を拾い、ブドウ畑の中の細道を一気に駆け下りると、住宅地に入り、そのまま北に進むと、展望の良い園地に出た。
 ここが「歴史の丘展望公園」で、ハルカスをはじめ、南大阪の眺望が思いのままである。遊歩道状に整備された九十九折れの道を下ると、石(いわ)神社に出る。

石神社の楠 11:00

 石神社の境内には、高さ16m余りの楠が建つほか、かつて、この辺りに存在した「智識寺」と呼ばれる大寺院の東塔の礎石も残っている。
 智識寺は、7堂伽藍を備えた河内6大寺の1つで、巨大な廬舎那仏があり、難波宮と平城宮との往来の際にこれを見た聖武天皇が、東大寺大仏造営を発願されたといわれている。
 神社の前の南北に通じる道は、かつて、在原業平が大和国と河内国一宮(枚岡神社)の間を通ったとされる、いわゆる「業平道」と呼ばれている。 今回は、いったん業平道を離れ、東の山手へ細い路地を登っていく。 さらに、石段を登ったところが、観音寺である。

観音寺から西側の眺望 11:15

 観音寺は城塞のような立派な石垣を備える寺で、西側の展望が良好。この観音寺は、先ほどの智識寺の唯一の遺品ともいえる経机が所蔵されているらしい。
 ブドウ畑の斜面を西へ下り、業平道へ復帰し、北へ進む。高齢者福祉施設の建つ角で右折し、東へ進むと、正面に鐸比古鐸比賣(ぬでひこぬでひめ)神社が現れる。

鐸比古鐸比賣神社 11:30

 鐸比古鐸比賣神社は、背後にそびえる標高278mの高尾山を御神体としており、祭神は「鐸比古命」「鐸比売命」。鐸比古命は垂仁天皇の子で、和気清麻呂の遠祖に当たり、鐸比古命を祭神とするのは日本全国でもここと岡山県の和気神社のみらしい。
 もともとは鐸比古神社と鐸比賣神社は別々の神社であり、鐸比古神社は高尾山の山頂に祀られていたが、中世には現在の地に遷されたとされる。 古い蔵が建つ路地を抜け、北に進む。ポストの建つ住宅の所で、右折すると、瑠璃光禅寺へ。

瑠璃光禅寺 12:00

 瑠璃光禅寺は、天平年間に行基が開創、本尊の薬師如来像は行基の作と伝わる。かつては7堂伽藍を擁する大寺院だったが、織田信長の信貴山城攻略の際に兵火に遇い、その後に再建されるも現在は敷地わずか123坪となり、本堂、庫裏、廊下および不動堂があるのみである。
 境内に入ってすぐ左手に小堂があり、内部に三体の石仏が安置されている。そのうち左と真ん中の仏様が石棺仏で、古墳時代後期の家形石棺の屋蓋部を転用したもので、横方向を切断して使用している。左が「菩薩形立像石棺仏」、中央が「如来形坐像石棺仏」である。
 先ほどのポストの所まで戻り、また北へ。墓地の間を抜け、1本西の車道へ出る。これが東高野街道で、北へ進むが、車の往来が激しい割に、歩道スペースは全くなく、危なくて仕方がない。

恩智城址 12:30

 石仏四体と木造の弘法大師像を祀る「シュミイ地蔵尊」(名前の由来は不明)の所で、東に入り、一気に登ると、恩智城址であり、公園になっている。いつしか柏原市から八尾市に入っていた。
 恩智城は、中世この地を治めた豪族恩智左近満一が築いた。正平3年(1348年)の四條畷の戦いで楠木正行が戦死した際に恩智城も落城した。学制領布の時、ここに小学校が新築され、今では桜の名所として知られているとのこと。
 城跡を北東方面へ通り抜けると、恩智神社の参道に出、石段を登り境内へ。

恩智神社 12:35

 恩智神社は、河内国の二宮と伝えられ、雄略天皇の時代(470年頃)、天児屋根命(あめのこやねのみこと)を香取神宮から勧請して創建された。天児屋根命はその後、枚岡神社を経て春日大社に祀られるようになったことから、恩智神社は「元春日」と呼ばれる。
 このコース、距離は短いながらも、山手の東側への寄り道が多く、アップダウンも多いことから、だいぶ疲れてきた。

大阪方面の展望。ハルカスも見える 13:04

 足を引きずり気味で、業平道をさらに北に進む。山腹に沿った高台の道で、所々展望の良い箇所がある。信貴霊苑の看板を過ぎ、しばらく進むと権現社。

権現社 13:10

 権現社は、この辺りの氏神で、熊野神社とも言い、熊野権現を祀る。信貴山へ登る古道(信貴道)が神社の南側を通っており、現在は、この古道はほとんど消えているが、丁石はところどころ残っており、権現社の近くには六丁石が残っている。
 権現社で西に折れ、古い街並みの中を一気に東高野街道に出、街道を横断し、なおも西に進んでいくと、辺りは急速に市街地化し、やがて高安駅前商店街となり、ゴールの近鉄高安駅に到着。
 久し振りの運動&蒸し暑い1日だったこともあり、バテバテの復帰戦だった。

参考タイム

4/16近鉄河内国分駅 9:5510:10 柏原市立歴史資料館 10:2511:00 石神社 11:0511:30 鐸比古鐸比賣神社 11:3512:00 瑠璃光禅寺 12:0512:30 恩智城址 12:3012:35 恩智神社 12:4513:10 権現社 13:1013:45 近鉄高安駅

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