新型コロナ禍の金剛山

−新型コロナが一定収束し、府内の外出自粛が緩和される中、3箇月振りの登山は、ふるさとの山、金剛山へ−

山行概要

日 程
2020年5月24日(日)
山 域
金剛山脈
天 気
晴れ
メンバー
単独
コースタイム
金剛登山口=0:15=千早城跡=0:40=8合目=0:15=転法輪寺=0:05=葛木神社=0:10=湧出岳=0:15=転法輪寺・国見城跡=0:40=金剛登山口【2:20】

記録文(写真はクリックで拡大)

 ただでさえ激務の年度末。さらに2月頃から新型コロナの対応に忙殺され、死にそうになっていたが、何とか第1派も収束気味になり、府内であれば外出自粛が緩和されたので、早速、山の空気を吸いに行くことに。
 枚方を4時半に出発し、金剛登山口へ。登山口近くの有料駐車場に車を止め、身づくろいをしてから、歩行開始。山の匂いが懐かしい。
 王道の千早本道から金剛山を目指す。

千早神社 6:50

 日本100名城の千早城跡に寄り道する。千早神社が建つ小平地は二の丸があった跡らしい。
 千早本道に再合流し、本格的に登り始める。

8合目付近の森 7:30

 千早本道、登るのは高校の時以来だが、毎日登山の舞台だけあって,ルート整備は完璧。登りが続くが、疲労感なく登っていける。
 みなさん待ちわびていたのか、かなりの登山者が歩いているが、道幅も広いので、ソーシャルディスタンスも完璧である。
 濃いグリーンの森の中を登っていくのがホンマに気持ち良い。快調に金剛山上の転法輪寺へ。ここは通過して葛木神社へ直行する。

葛木神社 7:52

 ひと登りで、金剛山最高点の葛木岳が背後に聳える葛木神社へ(葛木岳は神域であり、立ち入りできない)。
 由緒によると創建は約2000年前、崇神天皇の御代とされ、後の古事記・日本書紀では雄略天皇の金剛山での御狩の話にも登場している。
 御祭神は、葛木一言主、楠木正成、後醍醐天皇で、特に葛木一言主は一言願えば一言聞こし召し給う神様で、また日本で始めて手を拍って物を受け渡しされた故事により、拍手の元祖、一言恵美須とも言われ、商売繁昌の福の神とも称せられている。

湧出岳 8:05

 葛木神社から、一ノ鳥居に抜け、分岐から湧出岳を36年振りにピストン。
 ピーク横には無粋なアンテナ塔が建ち、展望も0…
 そそくさと転法輪寺に戻る。

仁王杉 8:12

 葛木神社の表参道と裏参道の分かれ道に仁王杉がそそり立っている。
 樹齢は500年ほどらしく、根元付近の幹周りは5m以上、樹高も20m以上の堂々たる大杉である。

葛木神社〜転法輪寺の参道 8:16

 葛木神社〜転法輪寺の参道両側にも巨杉が並び立っており、壮観である。
 あっという間に、転法輪寺に戻ってきた。

転法輪寺 8:20

 転法輪寺は、真言宗醍醐派の大本山で、葛城修験道の根本道場でもある。
 役小角が16歳のとき金剛山に登って苦修練行を重ねた結果、天智天皇4年(665年)、祖神一言主大神を鎮守とし、金剛山寺(転法輪寺)を建立して神仏習合の霊山としたのが開創と伝承される。
 明治の廃仏毀釈によって金剛山寺は廃寺となったが、戦後、地元の金剛山講によって転法輪寺の復興が強力に要望され、昭和25年(1950年)、転法輪寺が再興され、本堂は昭和36年(1961年)に再建された。

国見城跡 8:21

 展望の良い広場になっており、実質的に山頂扱いとなっている国見城跡へ。
 摂河泉を始め8箇国を見渡せるというところから名付けられた。楠正季(正成の弟)の根拠地であり、また転法輪寺の末寺実相院のあったところで、金剛山中で最も眺望に恵まれているところだ。

こんな奉納仏が… 8:47

 満足して千早本道を高速下山。登りの時には気付かなかったが、ウルトラマンとバルタン星人が奉納されていた(笑)…
 あっという間に登山口に降り立つ。歩き足りなかったが、久しぶりの登山はこんなもんでしょう。

参考タイム

5/24 金剛登山口 6:356:50 千早城跡 6:507:30 8合目 7:307:45 転法輪寺 7:457:50 葛木神社 7:558:05 湧出岳 8:058:20 転法輪寺・国見城跡 8:309:10 金剛登山口

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