−秋晴れのもと、大和郡山をのんびり散歩−
山行概要
2020年11月14日(土) | |
大和郡山市街 | |
快晴 | |
C、私 | |
近鉄郡山駅=0:05=郡山八幡神社=0:10=源九郎稲荷神社=0:05=町家物語館(旧川本家住宅)=0:30=郡山城追手門=0:05=本丸跡=0:15=「そば楽」=0:15=永慶寺=0:15=金魚資料館=0:15=近鉄郡山駅【1:50】 |
記録文(写真はクリックで拡大)
快晴の土曜日。居ても立っても居られなくなり、急きょ、連れを連行し、大和郡山に久しぶりに出かける。
9時に近鉄郡山駅をスタート! まずは駅から南東方向に向かう。
のんびりした町並みを南へ下がっていくと、郡山八幡神社が現れる。
郡山八幡神社の創建は奈良時代という説と、鎮座は室町時代という説もあり、現在地には文禄3年(1594年)に移転し、郡山城鎮護の八幡宮として歴代の郡山城主の尊崇を受けた。
大和郡山市の神社のうちでも、ただ一社の氏神神社である。
また、どんな関係なのか分からないが、「グラブ神社」と呼ばれ、グローブが祀られてあった。
郡山八幡神社から東に進み、昔は遊郭だった辺りを過ぎると、源九郎稲荷神社。
源九郎稲荷神社は、源義経が頼朝との戦に際し、幾度もこの稲荷に助けられ、この稲荷に源九郎の名を贈ったという伝説が社名の由来となっている。
そして、翁の姿をした源九郎狐が、長安寺村の宝譽という僧の夢枕に立ち、「郡山城に自分を祀ってくれたら城の守護神になろう」と告げたので、宝譽は豊臣秀長にこのことを告げ、城内の竜雲郭に稲荷が創建されたと伝えられている。
享保4年(1719年)、現在地に遷座し、現在の社殿は、大正14年(1925年)の建設である。
日本三社稲荷の一つに数えられ(マジか(笑))、4月の第一日曜日に、白狐面をつけた子供行列が練り歩く「源九郎稲荷春季大祭」が行なわれる。
源九郎稲荷神社から北に進むと、巨大な木造三階建ての建物が目に入り、吸い寄せられるように建物内へ。
大和郡山市の「町家物語館」となっているが、元は遊郭で、昭和33年まで営業していたらしい。
この建物は、大正11年(1922年)に納屋と蔵が、大正13年(1924年)に本館と座敷棟が建てられ、当時では珍しい木造三階建て遊郭建築で、遊郭廃業後は、下宿として利用され、その後、空き家になっていたものを大和郡山市が平成23年(2011年)に買い上げ、「町家物語館」として開放している。
ボランティアガイドさんに案内してもらったが、今でも遊郭として営業できるような保存状態で感心しました。
平成26年(2014年)に国登録有形文化財に登録された。
今井町経由で郡山城跡へ。鉄(くろがね)御門跡から城内へ。
郡山城の地には、鎌倉時代前から柵を巡らした砦のようなものがあったらしいが、近世城郭としては、筒井順慶が領主の時代(天正8年(1580年)〜)に整備が開始され、その後、大和国・和泉国・紀伊国三箇国100万石余の領主として郡山城に入った豊臣秀長によって、さらに大規模な城に改修された。
その後、城主は転々とし、江戸時代に入り、譜代大名の居城として使われ、最後は、享保9年(1724年)に柳沢氏が15万石で入府し、明治まで続いた。
毘沙門郭の入口である追手門を守る追手向櫓。毘沙門郭は、元々は「本丸ニの郭」と呼ばれていたが、柳沢氏入府以降に改名された。
2重櫓の追手向櫓は、明治6年に破却されたが、昭和62年(1987年)に市民の寄付で復元されたらしい。
追手門から毘沙門郭へ。追手門も昭和58年(1983年)に市民の寄付で再建された。櫓門だが、当時の姿が分からなかった、他の城郭の遺構や写真などを参考に、秀長時代を想定して設計、再建したらしい。
内濠で分断されている本丸と毘沙門郭をつなぐ土橋。
いよいよ本丸へ。
本丸跡に入ると、すぐに柳澤神社が現れる。
初代郡山藩主・柳沢吉里の父であり、5代将軍・徳川綱吉に重宝された側用人の柳沢吉保を祀る神社で、明治13年(1880年)10月の創建。
創建当時は現在、奈良県立郡山高校のある二の丸跡に社殿が建てられたが、明治15年(1882年)6月に現地に移された。
天守台へ。前回来た18年前はあまり整備されてなかったが、展望台風に整備されていた。
かつては、この天守台に5層6階の天守は建築学上から考えて不可能」とされてきたが、平成25年(2013年)から平成29年(2017年)にかけて調査・整備事業が行われ、豊臣秀長時代又は増田長盛時代には天守が確実に存在し、後に二条城更に淀城へ移築された話も事実と確定された。
東方を望む。大和盆地が一望である。
ランチは目を付けていた城跡西側の「そば楽」さんへ。
桜えび天ざるそばに鴨汁を付けて、昼からビールと日本酒で最高である。
東方向に戻り、永慶寺へ。
永慶寺は、郡山城主柳澤家の菩提寺で、元々は柳澤吉保が、萬福寺八代住持の悦峯道章(えっぽうどうしょう)を招聘し、創建され、宝永7年(1710年)8月に開堂の儀式が行われている。
柳澤吉里が甲府から郡山に国替えの際、当地に移築したもので、市指定文化財の山門は旧郡山城城門を移築したものといわれている。
永慶寺から住宅地を南に進んでいくと、視界が開け、周囲は金魚の飼育池だらけになる。池には大量の金魚が…
古ぼけた資料館に入ると、珍しい種類の金魚が多数飼育されていたが、この画像の金魚の種類は忘れた。
郡山駅に戻り、ナンバに移動、サウナ等で時間を潰す。
予約しておいた、裏ナンバの「さかなのじんべえ」さんへ突撃。
金目鯛の刺しでスタート!
続いて、あおさ出汁巻へ。出汁が利いてて旨い!
看板メニューの一つらしい、ワンダフルシーフードグラタン(笑)
これも看板メニューの一つらしい、イカ焼き。
イカ焼きは5種類あるようで、勢いで、イカ墨焼きも頼んでしまった(笑) 大満足で店を後に… 良く分からない1日だった…
参考タイム
11/14 | 近鉄郡山駅9:00 ⇒ 9:05 郡山八幡神社 9:10 ⇒ 9:20 源九郎稲荷神社 9:25 ⇒ 9:30 町家物語館(旧川本家住宅) 10:15 ⇒ 10:45 郡山城追手門 10:45 ⇒ 10:50 本丸跡 11:00 ⇒ 11:15 「そば楽」 11:50 ⇒ 12:05 永慶寺 12:10 ⇒ 12:25 金魚資料館 12:35 ⇒ 12:50 近鉄郡山駅 |
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