熊野古道伊勢路その10(熊野市〜矢ノ川)

−伊勢路のラスト区間、本宮道へ。しかし大寒波襲来で氷雨の中の悲惨な行軍…−

   

山行概要

日 程
2019年2月9日(土)
山 域
熊野古道伊勢路
天 気
曇り後雨
メンバー
単独
コースタイム
JR熊野市駅=0:20=花窟神社=0:25=産田神社=1:05=国道合流点=0:20=横垣峠登り口=0:50=横垣峠=1:00=高千良バス停(茶和)=0:35=風伝峠=0:25=千枚田・通り峠バス停【5:00】

記録文(写真はクリックで拡大)

 最近は異常なペースで各地を訪れているが、熊野古道伊勢路の本宮道と中辺路の大雲取・小雲取越えが未達なのが気にかかっていた。
 双方とも2日程度を要するが、通しでやらないとアクセスが相当不便なのだ…
 大雲取・小雲取越えは、無理したら1日で行けそうだが、さすがに本宮道を1日は厳しい。私のいつものスタイルの車中泊はアプローチが困難なのと、周囲に適当な宿もないことから、テント泊で行く必要があり、躊躇していたのだが、よくよく調べてみると、1日数本ながら熊野市のバスが走っており、これを使えば芸術的な乗り継ぎを経て、車中泊での日帰り×2が可能になることが分かった。
 このことに気づいてから、2日確保できる土日を待っていたが、ついに2月の三連休は何も仕事が入らない状況になってきた。

 
   

 2/7 曇り

 金曜日は早退できたので、夕刻に枚方を出撃し、車中泊を予定していた湯の峰温泉には公衆浴場の終業までに着くことができた。
 早速、「くすり湯」に飛び込む。

湯の峰温泉「くすり湯」 21:15

 「くすり湯」は湯の峰温泉の源泉を水で薄めることなく、入浴可能な温度まで下げてから入浴できる、まさに源泉掛け流し100%温泉で、泉質を維持するため、石鹸、シャンプーの使用は禁じられているのだ。
 色々と各地の温泉に入ってきたが、関西で有数の泉質だと思う。平日の終業時間近くなので、湯舟を独占することができた。
 入浴後、車内で寂しく宴会し、シュラフに潜り込んだ。大寒波襲来中らしく、凍え死ぬかと思いました…

 
   

 2/8 曇り後雨

 何とか死ぬことなく、翌朝へ。本日の目的地である矢ノ川の千枚田・通り峠バス停へは、瀞峡で有名な熊野川の支流、北山川を遡って行けば、車で40分ほどで行ける。
 千枚田・通り峠バス停を7時47分に出るJR熊野市駅行きのバスに乗り遅れると、計画は完全崩壊する(次発は12時台…)ので、余裕を持って6時に起床し、バス停には7時に到着。
 のんびりと身繕いをしてから、バスを待つ。しかし、この辺りのバスはいつもそうなんだが、絶対に遅れてくる。道はガラガラで乗客の乗り降りもほとんどないのに、何で? そもそものダイヤ設定に無理があるんと違いますか? 頼んまっせ〜 おかげで、大寒波襲来の極寒の中、5分ほど待たされました(涙)…

獅子岩 8:35

 バスは途中で帳尻を合わせ(笑)、時間通りにJR熊野市駅に到着。すぐに歩き出す。
 花の窟神社までは既に歩いているので、方向を確かめることなく、スムーズに進んで行く。
 獅子岩が懐かしい。前回もどんよりとした曇り空の下だったが、今回もそれ以上の曇天だ… 快晴の下の獅子岩を一度は見てみたい…

花の窟神社の御神体 9:12

 花の窟神社に到着するが、朝食を取ってなかったので、隣のコンビニで食料を調達し、道の駅のベンチで朝食タイム。
 そして神社に参拝。花の窟神社は「日本書紀」に、「伊弉冉尊(イザナミノミコト)は軻遇突智(カグツチ:火の神)の出産時に陰部を焼かれて死に、紀伊国の熊野の有馬村に埋葬され、以来近隣の住人たちは、季節の花を供えて伊弉冉尊を祭った」と記されており、当社ではそれが当地であると伝え、「日本最古の神社」とし、社名も「花を供えて祀った岩屋」ということによるものである。
 神社というよりも墓所として認識されていたものとみられ、実際に神社の位格を与えられたのは明治時代のことである。
 今日に至るまで社殿はなく、熊野灘に面した高さ約45mの巨岩である磐座(いわくら)が神体である。この巨岩は「陰石」であり、新宮市の神倉神社の神体であるゴトビキ岩は「陽石」であるとして、一対をなすともいわれている。
 いよいよここで熊野新宮大社に向かう浜街道と別れ、本宮道を歩んでいく。細い路地に入り、紀勢本線を渡り、山裾に沿って北西方向に内陸に分け入っていく。

安楽寺 9:38

 畑の中にぽつんと安楽寺が建っていた。山門は小さいながら仁王が立ち正面に本堂前の白壽観音が見える。
 境内には、堀内安房守氏善(戦国期の熊野水軍を率い、秀吉の下で働いた武将)の墓があり、熊野市の指定文化財とのこと。

産田神社 9:42

 安楽寺のすぐ西隣が産田(うぶた)神社。
 「産田」は産所の意であり、「日本書紀」に、伊奘冉尊が軻遇突智を産んだ場所とされている。
 創立は、崇神天皇の時代とも伝えられるが、天正年間(1573−1592年)に近隣の安楽寺が兵火にかかった際、延焼により焼失したため不詳。現社殿は昭和4年(1929年)の建立。
 また、「日本書紀」に、産田神社の祭礼で「サンマずし」が振る舞われていたとの記述があり、「サンマずし発祥の地」といわれている。熊野市はそれを根拠に「熊野のサンマずしは日本最古」とPRしているが…

平バス停を右へ 9:51

 産田神社から南へ進み、R311に合流する手前、平バス停のところの辻を右折し、ゆるやかに登って行く。
 国道の旧道らしいが、蛇行が激しく、なかなか先に進まないので、イライラする。おまけについに雨が降って来た…

行く手の山並み 10:23

 傘をさしながら歩く。半分雪のような雨がけっこうしっかり降る。想定外だ。レインウェアの下を持ってきてなかったので、ズボンが濡れ、寒すぎる。これはなかなか悲惨なことになってきたなと思いながらも、車のところまでは絶対に歩ききらないといけない。自虐的に進む。
 旧道はしばらく森の中を進んで行くが、金山という集落の手前で視界が開けた。しかし、風が強く、傘が吹き飛ばされそうだ。さらに濡れる…

R311に合流 10:40

 金山集落を抜けるとR311に合流し、ここからしばらくは国道歩きが続く。雨が降り注ぐ中、トボトボと歩き、小さな峠を一つ越えて下っていくと、横垣峠登り口バス停のある神木集落に到着。ここには「なかよしステーション神木」という農産物の直売所があり、少し雨宿りさせてもらう。
 そんなに歩いてないのに、濡れた関係で右足の小指に靴擦れができてしまったので、ここで応急処置。
 この先の横垣峠道は水害で長い間通行止めだったようだが、実際は林道で迂回すれば歩けるようで、ネットで記録が複数上がっていたので大丈夫とは思っていたが、ステーションにいた人に聞いたら、「普通に行ける」とのことだったので、確信を持って出発(後でネットを見たら、正式に通行止めが解除されたと載っていた)。

横垣峠への登りはじめ 11:20

 登り口からすぐにコンクリ舗装の細道となり、みかん畑の中を登って行く。

横垣峠への山道 11:24

 すぐに登山道となり、静かな林の中をゆるやかに登って行く。

世界遺産登録ルートへ 11:37

 林道と接する箇所に出た。ここには案内板と、ここから世界遺産に含まれていることを示す石柱が立てられていた。

水壺地蔵 11:47

 途中には水壺地蔵とも呼ばれる地蔵がある。地蔵の横には、弘法大師がここを通った際、杖で穴を開けて水を出したという伝説の湧き水がある。

土砂崩れの跡@ 11:55

 地蔵のすぐ先で、大規模な土砂崩れの跡が現れる。
 ただこの箇所は、元の道の上部に迂回路が整備されており、難なく突破した。

土砂崩れの跡A 11:58

 それもつかの間、すぐに次の崩落個所が現れる。この地点からは、どれだけ崩れているのか良く分からず、無視して突撃しようかとも思ったが、上部に立派な迂回路が続いていたので、無理することもないと思い、おとなしく迂回する。
 この迂回路は、結構上部に付けられているので疲れる。

土砂崩れの跡Aの反対側 12:02

 高巻きをヒーヒー言いながら終え、一気に下って古道に無事合流。ここからは崩落現場が良く見えた。既に擁壁が整備されているが、古道が通っていた辺りは完全に丸ごと持って行かれており、歩くスペースは一切なかった… 無理せず良かった。

横垣峠 12:05

 2カ所目の崩落場所のすぐ先が横垣峠。
 ここでミス。「⇒横垣峠迂回林道」の標識が立っていたので、おとなしく林道阪本神木線に下ってしまったのだが、この迂回路は昨年の6月から解除された古い迂回路で、実は同じく昨年の12月にさらに歩行可能ルートが広げられ、横垣峠から少し先の坂ノ峠の少し先まで歩くことができるようになっていたのだ(後でネットで知りました…)。
 結果として、世界遺産登録された、神木流紋岩の石畳道の一部を見逃してしまった…

林道阪本神木線に出た 12:10

 この時点では何も知らない私は、何の疑問もなく林道を進む。
 15分ほど林道を歩くと、「⇒風伝峠」の道標が現れ、古道に復帰する。

石畳道 12:27

 阪本集落に下っていくが、美しい石畳が残されている。この部分も短いながら、世界遺産登録箇所である。
 何ともインスタ映えしそうな光景だが、この雨降りの中、石畳道の下りは最悪である。超スリッピーで怖くてたまらない。

阪本集落へ 12:35

 超へっぴり腰の牛歩戦術(笑)で何とか石畳道を抜けると、前方の視界が開ける。獣害用のフェンスを通らせてもらい、阪本集落に降り立つ。

亀島の石灯籠 12:37

 阪本の集落を進んで行くと、亀島と呼ばれる周囲25m、高さ5mの大岩があり、頂上には石灯籠が建てられていた。
 阪本の集落を抜けると、R311に再合流。高千良というバス停がある。
 すぐに国道を離れ南の脇道に入っていくのだが、ここには「茶和」さんという喫茶店があり、ランチも出しているようだ。今日のコースで食事が取れそうなところは、おそらくここしかないと思われる。
 今回、ダイエット目的(笑)もあるので、昼食を食べるつもりはなかったが、氷雨の中を歩き続けたせいか、あまりに寒かったので、たまらず入店し、ホットコーヒーで一息つく。

上野の大杉 13:31

 リスタートし、尾呂志という集落に入っていく。
 この辺りでは、秋から冬にかけての天気の良い早朝、山の向こう側の紀和町の温度が下がり、入鹿盆地に発生した霧が風伝峠を越え、さぎりの里側(海側)が暖かいときに尾呂志地区に滝のように一気に流れ落ちる乳白色の壮大な朝霧がかかる。「風伝おろし」とも呼ばれ、地名「尾呂志」の由来となったそうだ。
 尾呂志川を渡る手前の高台に、2本の大杉が立っている。これが上野の大杉で、もと尾呂志城の鎮守地で、八幡様などを祀っている。
 昔は、今より巨大な杉が立っていたらしく、約14mもあったそうだが、明治18年10月1日の火災で焼失したとのこと。
 急坂を下って(スリップ注意)、尾呂志川を渡り、集落を横断し、抜けたところが風伝峠の登り口。

風伝峠道にも石畳が残る 13:52

 畑を抜けると山道となり、しばらく進むと世界遺産を示す石柱が現れ、登録ゾーンに入る。
 今回は登りなので、足元を気にすることなく風情ある古道歩きを満喫できる。何度か車道と交差しながら登り続けると、旧国道の風伝峠に飛び出した。

風伝峠 14:05

 ここには昔から奇跡的に営業が継続されており、名物「風伝餅」が有名な風伝茶屋があるが、この日は閉まっていた。もしかしたらもう営業していないかもしれない。
 車道横の高みに向けて、古道が残っており、登ってみると法界塔が建っている。ここが昔の風伝峠らしい。天正13年(1585年)の秀吉による奥熊野攻めでは拠点となったようだ。

風伝峠からの下り道@ 14:07

 峠を越え、車道を何度かまたぎながら下っていく。こちら側にも石畳が一部残っており、世界遺産登録ルートである。

風伝峠からの下り道A 14:12

 断続的に石畳が残る。横垣峠道と違い、石畳がだいぶ荒れているので、スリッピーではなかったので助かった。

国道に合流 14:17

 あっと言う間に国道に再合流。
 この日の古道部分は終了。あとは車の待つ千枚田・通り峠バス停まで車道を歩くだけだ。

到着 14:30

 予定通り戻って来た。バッドコンディションの割には快調に歩けたほうだろう。いつものように、車に着いたと同時に雨が止んだ(笑)
 まだ時間が早いので、オプショナルツアーを敢行することに。ターゲットはここから車で20分ほどの続日本100名城の赤木城跡へ向かう。

丸山千枚田 14:53

 途中には丸山千枚田を通るが、一望できる展望台で休憩。
 ここには3年前の5月にも来たが、やっぱり緑緑しているその時の方が良かったな〜
 展望台から千枚田の最上部を車は進み、心細くなるような山奥に入っていく。

赤木城跡@(東郭から主郭を望む) 15:08

 周囲に何もない場所に赤木城は位置する。続日本100名城指定で、それなりに整備が進んでいるようで、駐車場、トイレがあり、パンフレットも置いてあった。
 赤木城は、標高230mの山に築かれた平山城である。南北朝以来の多くの土豪が存在し、また一揆も数多く発生する難治の国である紀州の統治をより強固にするため、秀吉の紀州征伐の後に紀州平定の総仕上げを命じられた豊臣秀長の命により、当時秀長の部下であった藤堂高虎によって天正17年(1589年)頃から築城されたといわれている。
 慶長20年]1月、一揆の残党が赤木城の落成披露の際に捕らえられ、160人が城の西約1km先にある田平子峠で斬首された。このため、赤木城は国の史跡に指定されているが、名称は「赤木城跡及び田平子峠刑場跡」となっている。

赤木城跡A(主郭門跡) 15:09

 赤木城は主郭を中心として三方の尾根に郭群が段々に設けられ、尾根を利用した配置は中世山城の形態をもつが、一方では高い石垣や発達した虎口など近世城郭の要素も見られ、過渡期の城と言える。
 通路を折り曲げた虎口を抜けると、さらに石垣で囲まれた門跡があり、この石段を登ると主郭(本丸)である。

赤木城跡B(主郭からの眺望) 15:13

 主郭は、約30m平方の台地となっていて、見晴らしが良い。
 向かいには玉置山が間近だ。
 何でも、霧に浮かぶ姿がネットで紹介された結果、平成26年(2014年)には2000人だった登城者が、平成27年(2015年)には3万人を超え、現在はさらに増えているようだ。ネットの力恐るべしである。

湯ノ口温泉 16:03

 来た道を戻り、この日も湯の峰温泉で車中泊することにするが、途中にある湯ノ口温泉に立ち寄る。ここも3年前の5月に来ているが、ナトリウム・カルシウム塩化物泉の掛け流しで、けっこう泉質が良いのだ…
 そして湯の峰温泉に戻り、車内でコンビニ惣菜で寂しく酔っぱらった後、この日も「くすり湯」に沈没。終業近くまで源泉掛け流し湯を堪能した。
 明日は今日のゴール地点から、瀞峡のウォータジェット船乗り場のある志古まで歩く予定だ。志古から熊野本宮大社の間は逆向きながら既に歩いているので、明日予定通り歩ければ、ついに伊勢神宮から熊野新宮大社に続き、熊野本宮大社までも繋がることになるのだ…

参考タイム

2/9JR熊野市駅 8:258:45 花の窟神社 9:159:40 産田神社 9:4510:40 国道合流点 10:4011:00 横垣峠登り口 11:1512:05 横垣峠 12:0513:05 高千良バス停(茶和) 13:2514:00 風伝峠 14:0514:30 千枚田・通り峠バス停

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諸国名山探訪

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