京田辺市散策

−意外と(失礼)歴史の香り溢れる京田辺市散策をぐるっと散策−

山行概要

日 程
2019年3月24日(日)
山 域
京田辺市街
天 気
曇り
メンバー
単独
コースタイム
近鉄宮津駅=0:10=佐牙神社=0:25=飯岡の渡し場跡=0:05=咋岡神社(飯岡)=0:10=薬師山古墳=0:30=咋岡神社(草内)=0:05=法泉寺=0:30=近鉄新田辺駅【1:55】

記録文(写真はクリックで拡大)

 この日は京都市内で15時から、意味がさっぱり分からない近代アート作品を仕事で観にいかなあかんので、それまでの時間を散歩に充てることに…
 近鉄の「てくてくマップ」シリーズで京田辺のまち歩きがあったのを思い出し、京都市にも近いので、そちらに赴くことに…
 近鉄宮津駅で下車し、西へ古民家の建ち並ぶ古い集落内を進む。突き当りを右折し、北上すると佐牙神社の境内入口である。

佐牙神社 9:45

 社伝では、敏達天皇2年(573年)に建てられたとされる。
 画像の拝殿の奥に建つ左右両殿同形式の本殿は、ともに一間社春日造り桧皮葺で、国指定の重要文化財である。
 社殿の南側を少し進むと「三山木廃寺址」の標識が立っており、奈良時代以前に創建された寺跡らしい…
 神社を後に北へ。三山木小学校の横を抜けて、東北方向に進むと、近鉄三山木駅。きれいに再整備された駅前広場を抜け、東へ進む。

一気に辺りは農村へ… 10:13

 宅地を抜けると、一気に長閑な農村風景が広がる。この辺りは京田辺ならではの光景である(笑)
 広大な宅地を横断しきると、木津川の堰堤に到達。

飯岡の渡し場跡 10:23

 堰堤上に登ってみると、「飯岡(いのおか)の渡し場跡」の碑が立っており、ここから対岸の玉水に行く渡し場があったらしく、月見の名所としても有名とのこと。
 対岸の玉水への目標となっていた榎の大木は、現在もR24沿いに残っているらしい。

咋岡神社(飯岡) 10:33

 渡し場跡から堰堤を離れ、北へ飯岡集落を少し進むと咋岡(くいおか)神社が建つ。
 建築年代など不詳。記録によれば、中世に天満宮と称した時期もあったが、明治10年(1877年)に延喜式内咋岡神社と社名をあらためたという。
 境内に立つ巨木・スダジイは、「京都の自然200選」に選定されている。
 神社のすぐ北で左折し、しばらく集落内を西に進むと古墳群ゾーンへ。

薬師山古墳 10:45

 「飯岡古墳群」と呼ばれ、4から6世紀のバラエティに富んだ古墳が点在している。
 ちなみにこの辺りは、日本遺産「日本茶800年の歴史散歩」にも選ばれた、京田辺市の特産・玉露を生産する地区として、昔から有名である。
 茶畑の中の細道を登ると、円墳の頂上に到達。直径40m、高さ6mで、「桜井王古墳」(継体天皇の皇子、椀子王の子)の石標があるが、同じく墳頂部に江戸時代の石仏を安置した薬師堂があるため、薬師山古墳とも呼ばれている。

ゴロゴロ山古墳 10:48

 薬師山古墳のすぐ南にはゴロゴロ山古墳が、さらに大きな姿を見せている。
 この古墳は、奈良盆地以外の各地に巨大古墳が出現するようになった古墳時代中期(5世紀)のものと推定され、直径60m、高さ9mの南山城地方を代表する大きな円墳である。
 継体天皇の筒城宮に近いところから、継体天皇の皇子、椀子王(まろこのみこ)の塚であるという伝承が残っているが、すでに盗掘にあっており、確証はない。

飯岡車塚古墳の後円部 10:53

 ゴロゴロ山古墳から、さらに西へ、茶畑と墓地の間を進んでいくと、飯岡車塚古墳がある。
 長さ81m、後円部の直径60m、前方部の幅は45m、高さ4.5mを誇る京田辺市最大の前方後円墳で、明治35年(1902年)の発掘調査で、竪穴式石室から、石釧、車輪石、鍬形石、勾玉、管玉など、多くの玉石製品が出土した。
 古墳の表面は葺石でおおわれ、周りは埴輪で囲まれていたらしい。石室の大きさから4世紀後半の築造と見られ、現在、前方部は茶畑となり、後円部には「上殖葉王(かみえばのみこ:継体天皇の孫で桓武平氏の源流となった多治比氏の祖)古墳」と記した石標が立つが、ここも確証はない。
 狭い集落内を逆V字に曲がりながら進んでいくと川の畔に出て、西川橋経由で西に進んでいくと、草内の集落に入る。

咋岡神社(草内) 11:15

 この集落にも咋岡神社が建つ。
 木津川の氾濫により、江戸中期の元禄8年(1695年)に現地に移され、その際に菅原道真が新たに祭神に加えられたことが、文書と石燈籠銘文から判明しているが、元々の創建年代・由緒については不明。
 本殿は春日造で、装飾の多い造りから、江戸時代中期の建立と推定され、京都府の登録有形文化財である。
 境内裏手にある奥深い林は、山城国一揆の舞台となった草路城跡で、土塁や堀も残っている。

法泉寺十三重石塔 11:15

 法泉寺も創建開基は不明。本尊十一面観音が草むらから現れたため、辺りを草内と呼ぶようになったと伝えられている。
 また、天長年間(824−833年)の干ばつの際、この本尊に祈願したところ、清泉が湧き出したので法泉寺と号したという。このため雨乞い祈願の農耕守護仏として今なお信仰されている。
 本堂は昭和の再建だが、この花崗岩で造られた十三重石塔は、高さ6m、基礎の石に刻まれた文字から、弘安元年(1278年)に建てられたものと判明しており、国指定の重要文化財である。

「伽和羅古戦場跡」の碑 11:45

 西へ進み、防賀川公園を経由し、近鉄新田辺駅へ。
 駅の手前、馬坂川の畔に「伽和羅古戦場跡」の碑が立っている。
 「日本書紀」崇神天皇の条に、武埴安彦(たけにはやすひこ)が天皇にそむいて輪韓河(わからがわ:木津川のこと)の戦いに敗れ、軍兵は甲を脱ぎすてて逃げたが、後にその甲を脱いだところを「伽和羅(かわら)」と称したと記されている。
 田辺高校前の交差点を左折すると、もう新田辺駅前である。僅か2時間ほどだったが、田辺の歴史の奥深しさを感じた散策だった。

参考タイム

3/24近鉄宮津駅 9:359:45 佐牙神社 9:4510:00 近鉄三山木駅 10:0010:25 飯岡の渡し場跡 10:2510:30 咋岡神社(飯岡) 10:3510:45 薬師山古墳 10:4511:15 咋岡神社(草内) 11:1511:20 法泉寺十三重石塔 11:2011:50 近鉄新田辺駅

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