善光寺西街道その3(松本〜洗馬)

−善光寺西街道歩きの最終章。松本から中山道との追分、洗馬宿を目指す−

   

山行概要

日 程
2023年5月5日(金・祝)
山 域
善光寺西街道
天 気
快晴
メンバー
単独
コースタイム
松本宿跡(中町通りと善光寺街道の東辻)=1:45=村井宿跡(本陣跡)=1:15=郷原宿跡(本陣跡)=1:15=洗馬分去れ=0:05=JR洗馬駅【4:20】

記録文(写真はクリックで拡大)

 一昨日昨日に引き続く、善光寺西街道3日目。今日でコンプ予定かつ、距離的にはゴール地点の洗馬まで20kmもないので、気分的には楽勝である。
 しかし、気が逸ったか、4時に起床(笑)し、4時半前には駐車場を出発してしまう(笑) 今晩も松本で泊まるつもりなので、この日も車は置きっぱだ。1日止めても500円と、三井のリパークさん、様々である。

三井のリパーク松本中央3丁目駐車場を出発! 4:27

 レトロな建物が並ぶ中町通りを抜け、突き当りのT字路で街道筋は左折する。松本城から続く通りを南下すると、すぐ先の「中央二丁目」交差点の北東角に「牛つなぎ石」が立っている。
 千国街道(塩の道)で塩等を運んできた牛を繋いだ石である。4年前の同じくGWに千国街道をコンプした際に、触った石で感慨深い。
 南下を続け、R143が交差する次の大きな交差点「深志二丁目」周辺が、松本宿の本町で、各種の問屋が軒を連ね、商工の中心だった。
 「深志二丁目」の次の交差点の南西側に、松本信用金庫の本町支店が建っているが、この辺りに松本宿の本陣があり、倉科家が代々本陣と問屋を勤め、本町の大名主も兼ね、町役人筆頭として城下町を差配していたという。

栄橋で薄川を渡る 4:48

 さらに南へ進んで行くと、薄川(すすきがわ)に当たるので、栄橋で渡る。境橋とも呼ばれ、ここが松本宿の南口で木戸と番所があった。
 薄川は美ケ原に源を発し、田川、奈良井川、犀川と合流してゆき、最後は信濃川になって、日本海に流れる。
 松本城の堀としても利用されていた。

逢新神社 4:52

 栄橋を渡って100m程進んだ辻を左折すると、逢新(おうじん)神社が鎮座する。
 境内社として、秋葉神社も鎮座している。
 毎年、8月2日が例大祭の日で、夜店の出店があるなど、大いに盛り上がるらしい。

赤地蔵 4:53

 逢新神社の参道口脇には、赤地蔵を安置する祠があった。なかなかに目立ちます。
 赤地蔵の脇にも、六地蔵、馬頭観音等が並んでいた。

ヤマレコさんが! 4:55

 街道筋に戻ると、すぐ南にヤマレコさんの看板が掲げてあった。ここが拠点だったんですね…

豊田橋で田川を渡る 5:01

 この辺り、旧街道筋は、県道295線となっており、道なりに南へ進んで行くと、豊田橋で田川を渡り、県道289号線を横断する。
 橋上からは、蝶から常念岳辺りが望めた。去年よりだいぶ残雪が少ない…
 ここでアクシデント発生! 腹痛が我慢できず、豊田橋の東隣に架かっている柳橋で田川を北に渡り直し、100m程離れたローソンに緊急避難する(笑)…
 朝食を取ってなかったので、ここでカレーメシを購入し、駐車場で食す(笑)…

出川の一里塚跡 5:30

 柳橋で田川を南へ渡って、何とか街道筋に復帰。
 「柳橋南」の交差点脇に出川の一里塚跡が建っており、洗馬より四里目なので、あと約16kmだ。

中田家住宅 5:33

 出川の一里塚跡から200mほど先の左手に立派なお屋敷が現れる。中田家住宅である。
 中田家は中世の終わりには既に現地に居住し、江戸時代には出川組の名主や大名主を務める傍ら酒造業も営んでいた。
 瓦葺本棟造の母屋と、これに接続する御殿とよばれる書院造の建物からなり、庭園はその南側に築造されている。
 江戸時代には藩主の鷹狩りの際などの小休所となったり、明治13年(1880年)の明治天皇北国御巡幸の際に、御小休所となった。
 現在の母屋は、明治23年(1890年)の建築で、松本市の重要文化財に指定されており、池泉回遊式の庭園は、長野県の名勝に指定されている。
 現在は、ギャラリーとして利用されているようで、中を見たかったが、いかんせん、時間が早すぎた(笑)…

多賀神社 5:42

 中田家住宅から、街道をさらに南へ。市街地の中の県道を歩むので、ロードサイド店が多く、いささか単調だ。
 一気に500m程南下すると、左手に多賀神社の社叢が見えてきた。
 多賀神社は、本家近江国の多賀大社の分霊を祀っており、多賀大社同様「お多賀様」と呼ばれ、延命長寿の神として信仰されている。
 秋の例祭では「寿命餅」が授与され、周辺市町村からも参拝者が訪れるとのこと。
 多賀神社から真西へ200m程離れた所にJR南松本駅がある。

村井の一里塚跡 6:25

 しばらく田川に並行して南下していく。ユニクロ等が入居するショッピングモールが現れると、Y字路になっている「平田」交差点でR19に吸収され、さらに周囲の光景は店舗一色になり、忍耐を伴う街道歩きが続く。
 JR平田駅が真西にある「平田駅東」の交差点を過ぎ、さらに南下を続けると、「村井下町北」交差点を過ぎてすぐの左手に、昭和24年(1949年)建立の村井の一里塚跡碑がある。洗馬から三里目となる。
 一里塚跡碑の右隣に文化10年(1813年)建立の芭蕉句碑「霧しぐれ富士を見ぬ日ぞ面白き」がある。貞享元年(1684年)、芭蕉が東海道箱根西坂の富士見平から時雨れて富士が望めなかったことを揶揄し、皮肉った句である。
 箱根の現地にも句碑があるようだが、何でここにもあるのか意味が分からなかったので、ネットで調べてみたが、資料は無かった…

村井宿本陣跡 6:35

 一里塚跡碑から100m程南に進んだ「村井下町」交差点から右斜めへ旧道に入る。やっと国道歩きから解放された。
 この辺りから村井宿となる。交差点から200m程南西に進んだY字路を左に取り、南下していくと、立派な冠木門を持つ屋敷が右手に見えてきた。
 これが村井宿の本陣跡で、中村家が代々勤め、問屋業務についても脇本陣の山村家と半月交代で担っていた。
 現在は、造り酒屋を営んでおり、銘酒「笹の誉」の蔵元である。

村井宿の町並み 6:35

 現在の村井の町並みは、古民家は少ないものの、何となく宿場町の風情を漂わせている。
 村井宿は慶長17年(1612年)に善光寺西街道の宿駅として整備され、本陣1、脇本陣1、問屋2、旅籠20軒を数え、宿長は五町九間(約562m)だった。
 宿並は、明治と大正期に計3度も大火に見舞われ、灰塵に帰した。

村井宿脇本陣跡 6:35

 本陣の斜向かいに脇本陣跡もある。
 山村家が代々勤めていた。

神明宮 6:39

 少し南へ進むと、村井番所跡標柱が右手に立ち、その横は神明宮の境内である。
 創建は不詳だが、かつてこの地は伊勢神宮の神領であったため、天照皇大御神と豊受姫命の伊勢神宮の内宮外宮の両神を祀ったという。
 村井の産土神である。
 村井宿を離れ、ひたすら南下していくと、またしてもR19に合流、味気ない国道歩きの再開…

JR篠ノ井線を第1西街道踏切で横断 7:08

 心を無にして、「酷道」歩きを続ける。気が付けば塩尻市に入ったようだ。長野自動車道の高架をくぐり、すぐ先の「吉田北」交差点では、信号、横断歩道が無く、アンダーパスでの通過となるが、イラつき気味だったので、車が来ないのを見計らって、車道を横断してしまう(笑)…
 ロードサイド店が林立する中を通過し、「吉田南」交差点のすぐ先の「ホテルルートイン 塩尻北インター」が建つところから右手の細道に入り、ようやく国道歩きから解放された。マクドとセブイレの裏手を南下し、県道294号線に合流、すぐ先の第1西街道踏切で篠ノ井線を横断する。
 しばらくはこの県道を南に進む。2車線の普通の道路だが、落ち着いた町並みの中を進んで行くので、R19よりは全然マシだ。

平林家屋敷 7:17

 「雲居鶴」という、塩羊羹屋を右手に見ると、その先の左手に立派な冠木門を持つ古民家が現れる。
 平林家の屋敷で、明治天皇広丘御小休所碑が立っており、ここで休息されたとのこと。

塩尻市広丘原新田の町並み 7:19

 この辺り、原新田という地名で、街道筋は2車線の県道294号線だが、落ち着いた町並みに、信州の松本平、木曽谷、伊奈谷にかけて分布する立派な本棟造りの旧家が点在、交通量も多くないので、街道歩きの趣きは十分に感じられる。

郷福寺本堂 7:44

 ひたすら南下を続けると、左手に郷福寺(きょうふくじ)が現れる。この辺りが、郷原宿の北口である。
 郷福寺は、中世期は桔梗ヶ原(松本盆地の南、奈良井川とその支流・田川に挟まれた一帯)の中央、池の坊という地にあったが、天文年間(1532−55年)に武田氏の兵火にかかり、焼失した。
 慶長17年(1612年)、憲快法印により現地に再興されたが、文政4年(1812年)の郷原宿の大火の際に類焼し、堂塔や記録を全て焼失する。現在の本堂は、嘉永7年(1854年)の再建。
 筑摩三十三ヶ所観音霊場の第二十六番札所である。

郷福寺不動明王堂 7:45

 境内北側には、唐破風入母屋造りの不動明王堂が建つ。
 成田山からの分尊で、昭和63年(1988年)に再建された。

郷福寺薬師堂 7:47

 総門前には、小ぶりだが端正な薬師堂が建つ。
 薬師堂も成田山からの分尊で、昭和58年(1983年)に再建された。

郷原宿の町並み 7:49

 郷原(ごうばら)宿に入って来た。あまり宿場町っぽさは残っていないが、静かな町並みが広がっている。
 郷原宿は、慶長19年(1614年)、松本藩主小笠原秀政が奈良井川の東岸にあった郷原村を移して宿駅とした。
 宿長は、郷福寺から郷原宿標柱迄の三町三十二間(約385m)で、奈良井川から引水した用水が用いられていた。
 文政4年(1821年)と安政5年(1858年)の大火で、宿場町は灰燼に帰し、以降に建てられた本棟造りの家屋が残っている。

郷原宿本陣跡 7:50

 郷福寺の少し南に郷原宿碑が立っており、この辺りに高札場があったとのこと。
 宿碑の向かいの旧家が、郷原宿の本陣跡で、旧屋号札の山城屋を掲げている。
 赤羽家が代々勤め、松本藩塩尻組の大庄屋を兼ねていた。
 本陣には、元治元年(1864年)、松代藩士だった佐久間象山が上京する際に宿泊した記録が残っている。

諏訪社稲荷社 7:56

 本陣跡から南に進むと、火の見櫓があり、善光寺街道郷原宿標柱が足元に立っているが、ここが郷原宿の南口である。
 宿南口から少し先の右手に、諏訪社稲荷社の鳥居が建っている。
 江戸期の2度の大火で宿場全体が焼失したため、諏訪社稲荷社に関する記録が残っておらず、由緒来歴については、不詳。
毎年10月の最初の日曜日に「郷原神社例大祭」が開催され、神輿の巡行等が催されることから、古くから郷原集落の村氏神として崇敬されてきたことは確かである。

太田の一里塚跡 8:22

 郷原宿を離れ、ひたすら南下する。
 工業団地の一角を進むようになり、かなり単調なルートだ。
 「郷原工業団地」の交差点を越えると、左手に太田の一里塚跡の標石が立っている。
 ついに洗馬から一里目まで来ました。ゴールは目前だ。

穂高が見える 8:44

 工業団地を抜けると、周囲は一気に鄙びた光景に変わって来た。
 見通しが利くようになり、北アルプスが遠のいたこともあって、前衛峰に隠れていた穂高の一部が見えるようになった。

街道の光景 8:51

 洗馬に近づくに連れ、だいぶ山も近づいてきた。木曽路の入口であり、この先も歩きたいが、いずれ中山道歩きで歩むのだろう。
 この辺り、県道294号線は1車線だが、意外と車の往来が多く、気が抜けない。抜け道になっているのかな…

洗馬分去れ 9:05

 洗馬の集落に入ってくると、左手に常夜燈が目に入った。安政4年(1857年)建立の天照皇大神宮常夜燈で、左後方から別の道が合流してくる。これが中山道で、ついに、洗馬分去れに到着した。
 善光寺西街道は、善光寺街道に比べ、山間を通ることが多く、変化に富んだルートで、なかなか歩き応えのあるコースでした。

JR洗馬駅に到着! 9:10

 旧洗馬宿跡を進み、JR洗馬駅への標識に従い、左折すると、すぐに洗馬駅に到着。
 後で見返したら、駅入口の辻から少し先に洗馬宿の本陣跡があったらしいが、いつか行うであろう、中山道歩きの時にじっくり見よう。
 9時38分発の電車で松本に戻る。一度駐車場まで戻り、着替えをしてから、またもや街に繰り出す。
 今日も松本市街は大盛況! 蕎麦屋とかスイーツ屋とか、色んな店で行列が発生していた。

「信州 ゴールデン 新館」さんで2日連続の昼呑み@! 11:04

 私は脇目も降らず、お目当ての店へ突進する。そう、2日連続で「信州 ゴールデン 新館」さんに向かうのだ。
 始業の11時に無事入店(笑) この日もキンキンに冷えたスーパードライで、善光寺西街道コンプを一人祝う。

「信州 ゴールデン 新館」さんで2日連続の昼呑みA! 11:06

 渋く野沢菜からスタート!

「信州 ゴールデン 新館」さんで2日連続の昼呑みB! 11:14

 ゴールデンさんの名物のやきとん!
 かしら、はらみ、たん、はつ、あぶら(直腸)を発注!

「信州 ゴールデン 新館」さんで2日連続の昼呑みC! 11:40

 おっぱいとがつ(胃袋)も発注!

「信州 ゴールデン 新館」さんで2日連続の昼呑みD! 11:42

 やきとりに移行し、とりもも、とりかわ、てばさきも発注!

「信州 ゴールデン 新館」さんで2日連続の昼呑みD! 11:52

 ホッピー黒に移行する。中身は、三重県四日市市が誇る葛{崎本店さんの、国内の甲類焼酎の中でも最高峰との呼び声高い亀甲宮焼酎、通称「キンミヤ」のシャリキン!。フローズン状で、キンキンに冷えて旨い! しかし、酔いがすぐに回らないので、呑み過ぎてしまった…
 この後、気が付けば、パチンコ屋にいた… 多分、1万円位溶かしたみたいだ(笑)… 2日連続何をやっているのか…

「榑木川 松本駅店」さんで駅そば! 15:20

 さらに記憶が飛び、次のシーンではそば屋にいた(笑)… しかも松本駅構内にある「榑木川 松本駅店」さんだ(笑)…
 「榑木」とは、梓川上流で伐採された屋根材や丸太のことで、松本城や城下町の用材として使用された。
 梓川も昔は榑木川と呼ばれていた。榑木の集積場は、現在の榑木野本店所在地付近(松本市島立)であったため、屋号を「榑木野」としたとのこと。
 「榑木野 松本駅舎店」さんは駅ビルに入居しており、昨年に行っていた。「榑木川」は「榑木野」さんの駅構内の立ち喰いそば業態の店舗なのである。
 わざわざ入場券を購入して、駅そばを食す私(笑)… 完全に酔っぱらってる(笑)…
 名物の八割そばに、かき揚げと卵をトッピング! 旨かった〜

リベンジ成功! 16:31

 しかも、昨日と同様、またパチンコ屋に吸い込まれ、すぐにボーナス当選し、17500円の回収に成功(笑) ホンマに毎日何やってるのか…

またもや… 16:57

 そして、「塩井の湯」さんに沈没の3日連続のルーティン(笑)

「たかぎ」さんで〆@! 17:51

 フラフラと駐車場に戻っていたら、何故か「たかぎ」さんに吸い込まれていた…
 ビールにそば揚げ(笑) 我ながら、よ〜呑み喰いしますわ(笑)

「たかぎ」さんで〆A! 18:02

 そして、天ざるそば! さっき、そばを食べたばかりなのに(笑)…

「たかぎ」さんで〆B! 18:12

 そばには日本酒でしょう! と言うことで、昨日に引き続き、「大雪渓」の生酒も発注!
 グダグダで車に戻って、3日連続のバタンキュー(笑)…

 翌朝、渋滞回避のため、4時に松本を発進し、8時前には枚方に帰着した。
 7日間楽しんだ、昨年ほどでは無かったが、今年も充実したGWだった。

参考タイム

5/5松本宿跡(中町通りと善光寺街道の東辻) 4:305:05 ローソン松本庄内店 5:256:35 村井宿跡(本陣跡) 6:357:50 郷原宿跡(本陣跡) 7:509:05 洗馬分去れ 9:059:10 JR洗馬駅

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