松阪散策

−肉を求めて松阪へ−

   
  

山行概要

日 程
2018年9月16日(日)
山 域
松阪市街
天 気
晴れ時々曇り
メンバー
F、私
コースタイム
三重交通大河内バス停(前島食堂)=0:20=大河内城本丸跡=0:20=三重交通大河内小学校前バス停【0:40】
JR松阪駅=0:20=継松寺=0:05=本居宣長旧宅跡=0:10=松坂城跡=0:05=松阪神社・本居宣長ノ宮=0:10=来迎寺=0:05=樹敬寺=0:15=JR松阪駅【1:10】

記録文(写真はクリックで拡大)

 9/15 曇り時々雨

 何故か、肉が無性に喰いたくなったので、連れを連行して伊勢は松阪へ。
 この日は午前中、仕事があったので、大阪を午後に出て、近鉄特急で松阪には16時過ぎに到着。
 近鉄側の改札(松阪駅北口)から今日の宿である、ルートイン松阪まで、のんびり歩く。

「サラリーマン割烹 彦兵衛」 16:29

 ホテル近くには、「サラリーマン割烹」が(笑)… 初めて聞く名称(笑) 馬鹿にして笑っていたが、後で調べると、なかなかの高評価のお店だった。
 行ったら良かった…
 チェックインし、すぐに再び街中へ。17時に予約していた松阪牛料理の「宮本屋」さんへ突撃…

松阪1食目は「宮本屋」さんで!@ 17:02

 レバー炙りからスタート! 70度のお湯で軽く炙っており、現状ではこれがプリプリ感を味わう限界か…
 生レバーが食べたい!

松阪1食目は「宮本屋」さんで!A 17:04

 超吟選松阪牛ロースにチャレンジ! これで4860円也!

松阪1食目は「宮本屋」さんで!B 17:07

 そしてハラミ! 松阪入り早々からの松阪牛の波状攻撃に、すぐにメロメロに(笑)…  速攻で2軒目へ。

松阪2食目はイタリアンバルの「センプリーチェ」さんで!@ 18:25

 続いて、松阪駅北口に近い、「センプリーチェ」さんへ。
 ワインとアヒージョでスタート! 2軒目なのにまだ18時半(笑)…

松阪2食目はイタリアンバルの「センプリーチェ」さんで!A 18:41

 そして、ブルーチーズの濃厚クリームペンネ! 白ワインとの絶妙なマッチングに19時前で昇天!(笑)
 へべれけになってホテルに戻った…

 
   

 9/16 晴れ時々曇り

 爆睡の結果、動き始めたのは9時過ぎ… 松阪駅からバスに乗り、西の山側に分け入った大河内町へ。
 松阪駅からバスで20分程だが、周囲は山と畑しかない。凄まじいド田舎振りである(笑)。
 なぜ故、こんな田舎まで来たかと言うと、目的は2つあった。そのうちの一つは、北畠氏の本拠地であった大河内城跡である。
 大河内バス停で下車し、阪内川に沿って歩く。小橋で阪内川の左岸に渡り、天理教の教会が建つ路地を山手に入ると「大河内城跡」の道標があり、急な舗装路を一気に上がる。苔むしてめっちゃすべるので要注意である。
 鳥居をくぐり、しばらく山側に進んだ一帯は平地になっており、「御納戸跡」の石柱が建っている。ここが実質的な二の丸になるらしい。

大河内城の本丸跡に建つ大河内神社 9:59

 「御納戸跡」から急な石段を登ると、本丸跡であり、大河内神社が建っている。
 大河内城は、応永22年(1415年)に南朝の伊勢国司、北畠満雅(きたばたけみつまさ)によって築かれ。弟の北畠顕雅(あきまさ)を城主にした。これにより顕雅の家系が、北畠諸流の大河内氏の祖となった。
 大河内氏は、田丸氏、坂内氏とともに北畠の三御所とされ、中でも大河内氏は、北畠宗家に次ぐ格式を誇ったという。
 永禄11年(1568年)、織田信長が伊勢侵攻を開始すると、伊勢国司北畠具教(とものり)は、霧山城から、この大河内城に本拠地を移し、徹底抗戦の構えを見せる。永禄12年(1569年)8月に籠城戦が開始され、50日間に及ぶ攻撃によく耐えたが、最後は、信長の次男信雄を養子にし、家督を譲ることで和睦した。
 隠居した具教は、さらに山奥の三瀬谷館に移ったが、天正4年(1576年)に信雄の手によって暗殺され、その後、信雄は本拠を田丸城に移し、大河内城は廃城となった。

大河内城西ノ丸跡 10:02

 本丸跡から西側に進む踏み跡を進むと、深い谷(堀切)があり橋が架かっており、橋を渡ったところが西ノ丸跡である。この堀切は「まむし谷」という物騒な名が付けられていた。
 さらに西側は断崖となっており、深い山の中を伊勢自動車道が通じている。精強な信長の軍に50日も耐えて落城しなかった堅城の一端が垣間見れた感じがした。
 急坂を慎重に下り、大河内バス停からさらに松阪駅方面に一つ進んだ大河内小学校前バス停へ。
 この前に、大河内町で二つ目のお目当てがあるのだ。

松阪3食目は松阪鶏焼きの名店「前島食堂」さんで!@ 10:35

 バス停前の「前島食堂」さんへ。松阪は牛が有名だが、実はソウルフードは鶏焼きで、この「前島食堂」さんは、松阪鶏焼きの最高峰と言われているのだ。
 始業は10時半という早さだし、5分前に着けば楽勝だろうと思っていたら、何と10時20分過ぎで既に10名近く並んでいた。「前島食堂」恐るべし…
 10時半に無事入店。いきなり店は満員である。オーダーしてすぐに料理が来るので、回転はめっちゃ速いと思われる。
 鶏肉は3種類。若どり、めす、きもで、全て450円統一である。
 画像は、左から、「きも」、「めす」、「若どり」で、味噌だれが絶品である。店内中に煙がモクモクと… ねっとりとした「きも」、歯ごたえの「めす」、そして、ジューシーな「若どり」と、どれも旨すぎる!

松阪3食目は松阪鶏焼きの名店「前島食堂」さんで!A 10:37

 そして、特筆すべきは、サイドメニューの「とり野菜」である。
 鶏肉と野菜を味噌で煮込んだ鍋(汁物)で、味噌に溶け込んだ野菜が甘い! これも450円!
 そして昼前からハイボールがどんどん進み(とても辺鄙な場所にあるので、私達以外は車で来店しており、飲んでいるのは私達だけだった(笑))、大満足で「前島食堂」を後に、松阪駅へ戻った。

継松寺の山門越しからの本堂 12:34

 松阪駅から散策開始、駅から北西方面に向かう。常念寺、龍華寺などの寺院が立ち並ぶブロックの一番北端に、継松寺がある。
 岡寺山継松寺は、天平15年(743年)、聖武天皇の勅願により、行基によって創建された、日本最初の厄除観音と言われている。
 継松寺という寺号は、かつて奈良時代に大洪水のために流失した諸堂を再建したと言われる継松法師の名に因んで付けられた。

本居宣長旧宅跡 12:42

 継松寺から北西方向すぐに本居宣長旧宅跡の標識がある。
 ここには、本居宣長が12歳から72歳で亡くなるまで暮らした家が建っていたが、明治42年(1909年)に保存のために松坂城跡の現在地に移築され、現在は本居宣長記念館によって管理されている。移築前の跡地とともに昭和28年(1953年)に国の特別史跡に指定された。

松坂城跡 12:57

 「牛銀」さんの前を通り、阪内川沿いに西に進む、松坂城跡へ。
 松坂城は、天正12年(1584年)、伊勢国のうち、12万3千石を与えられた蒲生氏郷が、天正16年(1588年)に築城した。
 氏郷は、城下町建設に当たり、従来の住人を強制的に移住させ、旧領の近江商人を町の中心部に呼び寄せて日野町とし楽市楽座を設け、また、伊勢大湊の豪商角屋氏を呼び寄せるなど、僅か6年の治世であったが、商都松阪の礎を築いた。この功績を偲び、毎年文化の日に「氏郷まつり」が開催されている。
 松坂城の石垣は、安土城の築城に加わった氏郷ならではの手法が用いられており、「野面積み」を主体に、隅の部分は「切り込みはぎ」「算木積み」という工法が使われている。これらの工法は氏郷の出身地近江国の「穴太衆」と呼ばれる石工集団が、安土城で初めて用いた手法である。

二の丸跡から見下ろす御城番屋敷 13:52

 城内には、先ほどの旧宅跡から移築された本居宣長旧宅があり、のんびりと建物内を見学する。
 旧宅の書斎は鈴屋(すずのや)と呼ばれており、鈴を愛好した宣長が書斎の床の間の柱に掛鈴を吊り下げ、執筆活動の息抜きにそれを鳴らして音色を楽しだことから、この書斎を「鈴屋」と名づけたことによる。
 隣の本居宣長記念館ものんびりと見学していたら、2時間以上も城跡にいてしまった…

御城番屋敷 13:52

 御城番屋敷は、松坂城三の丸に御城番職に就いた藩士とその家族の住居として、文久3年(1863年)に新築された組屋敷である。
 松坂城搦め手から続く小路を挟んで東西に、東棟10戸・西棟9戸が残っており、武士の住宅建築である組屋敷が、ほぼ当時のまま現在も住居として継続して使用・維持管理されているのはここだけで、国重要文化財に指定されている。
 維新後、士族授産で得た資産を元手に住民士族が合資会社苗秀社を設立し、建物の維持管理にあたっており、現存19戸中12戸が借家として貸し出され、内1戸は松阪市が借用して内部を創建当時の姿に復元したうえで、苗秀社に運営を委託して一般公開している。
 城隣の、松阪神社と、本居宣長ノ宮にも立ち寄ってから、南東に町を横切り、来迎寺へ。

来迎寺本堂 15:47

 来迎寺は、永正年間(1504−1521年)、北畠材親(きちか)により松ヶ島城下に創建されたが、天正16年(1588年)、蒲生氏郷の松坂城築城に伴い城下の現地に移転した。
 享保元年(1716年)の松阪大火で焼失したが、豪商三井家などの尽力により8700両の費用をかけて再興されたもので、国指定の重要文化財である。

樹敬寺本堂 16:00

 続いて北西隣の樹敬寺(じゅきょうじ)さんへ。この寺は、京都知恩院の末寺に当たり建久6年(1195年)、東大寺の復興で有名な重源上人によって開山された。
 本堂は、明治35年(1902年)の再建で、平成24年(2012年)の春には屋根瓦の葺き替えが終わり、瓦が光り輝いていた…
 また、この寺は、本居家の菩提寺であり、祖先や子孫合わせて26基のお墓がある。「宣長は神道家ちゃうの?」とツッコミたくなるが、確かに、宣長は仏教に対して批判的な説を唱えていたが、その半面、自分の家の仏事は欠かすことなくお勤めされていたと解説に書いてあった… しかも、実の兄は、芝の増上寺の高僧だったらしい(笑)

「京町共同浴場」の勇姿!(笑) 16:32

 樹敬寺からJR松阪駅はすぐ近く。晩御飯の予約時間まで、少し間があったので、銭湯に行こうと思ったが、「ひょうたん湯」さんが休業日だったので、JR沿いに南に10分ほど進んだところにある「京町共同浴場」さんへ。
 多分、松阪市の住宅改良事業絡みで建設したと思われるレトロな外観&250円という超低額な入浴料の銭湯である。けっこう広い浴場内は地域住民で賑わっていた。

松阪4食目は和食割烹の「うき田」さんで!@ 17:55

 予約の時間となり、愛宕町と言う、駅から南西方面の、昔の歓楽街っぽい地域へ向かい、予約していた「うき田」さんへ。
 ひらめ刺しでスタート!

松阪4食目は和食割烹の「うき田」さんで!A 18:06

 ワタリ蟹を… ミソが濃厚!

松阪4食目は和食割烹の「うき田」さんで!B 18:13

 秋らしく、さんま塩焼きと土瓶蒸しでフィニッシュ!
 帰りの近鉄特急は20時47分発だったので、もう1軒ということで駅前に戻る。
 昼に食べた「前島食堂」さんの鶏焼きが旨かったので、良い匂いの煙を吐き出していた「だるまや」さんへ吸い込まれる。

松阪ラスト5食目は和食割烹の「だるまや」さんで! 19:26

 「前島食堂」さんは味噌味のタレだったが、こちらは塩焼きでいただく。あっさりして〆には最適でした…
 ということで、今回も食べまくった松阪の旅も無事終了と相成りました。

参考タイム

9/16 三重交通大河内バス停(前島食堂) 9:4010:00 大河内城本丸跡 10:0510:25 三重交通大河内バス停(前島食堂)
JR松阪駅 12:1012:30 継松寺 12:3512:40 本居宣長旧宅跡 12:4512:55 松坂城跡 15:0015:05 御城番屋敷 15:1515:20 松阪神社・本居宣長ノ宮 15:3515:45 来迎寺 15:5015:55 樹敬寺 16:0016:15 JR松阪駅

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