竹原・三原市街散策

−城巡り・グルメ堪能の三原・竹原ぴろ散歩の2日目−

山行概要

日 程
2020年2月9日(日)
山 域
竹原・三原市街散策・三原市街
天 気
快晴
メンバー
F、私
コースタイム
JR竹原駅=0:10=道の駅「たけはら」=0:10=御幸=0:15=旧笠井邸=0:20=普明閣・西方寺〜西方寺〜照蓮寺=0:50=森川邸=0:15=JR竹原駅【1:30】
JR三原駅=0:10=正法寺=0:10=宗光寺=0:15=西浜むかし町=0:20=旭町=0:15=極楽寺・松寿寺=0:15=船入櫓跡=0:10=JR三原駅【1:35】

記録文(写真はクリックで拡大)

 昨日の新高山城跡・筆影山に続く、2日目。

「Red Wing」で竹原へ 9:32

 のんびりと宿を出発し、9時47分発の呉線の始発に乗り込む。
 列車はJR西日本広島支社待望の新型列車で、平成27年(2015年)に投入された、227系で、「Red Wing」という車両愛称が付けられている。
 快晴の瀬戸内の眺めを楽しみながら、ローカル線の旅を堪能。途中、ウサギ島で有名な大久野島に向かう港がある、忠海(ただのうみ)駅でほとんど下車してしまった。相当な人気のようである。
 10時22分に竹原駅に到着。まずは竹原焼の人気店である「御幸」さんに向かうことにするが、始業は11時だったので、道の駅「たけはら」に寄って、大まかな地理を頭に入れる。

「御幸」さんで竹原焼を堪能!@ 11:11

 11時と同時に「御幸」さんに到着したが、既にほぼ満席で、さすがに竹原ナンバーワンのお好み焼き屋である。何とか最後のテーブルに潜り込む。
 地物カキ鉄板焼き1400円でスタート!

「御幸」さんで竹原焼を堪能!A 11:18

 竹原焼(右)900円とは、日本酒が有名な竹原らしく、生地に酒粕を入れたお好み焼きのことで、確かに酒粕の風味が効いている。
 酒粕なしの広島風お好み焼き「御幸」1200円も発注し、食べ比べ。私は竹原焼が気に入った。
 昼から生中4杯ですっかり酔っ払った…

重要伝統的建造物群保存地区へ 12:44

 駅の北側にある重要伝統的建造物群保存地区内へ。江戸時代後半の町並みが残っている。
 地区の南東端にある旧笠井邸から見学をスタート。画像は、旧笠井邸の前から見た竹原の町並み。

地蔵堂 12:57

 旧笠井邸の横には、地蔵堂が建っている。
 地蔵堂は、塩田業が盛んだった頃、上市・下市と呼ばれていた地区の守り神として祀られていた。近代の街づくりにおける境界神として胡堂(町並みの北側境界に建つ)と共に貴重な史跡の一つである。慶長7年(1602年)に下市村の火災により建物は消失し、現在の建物は昭和2年(1927年)に建てられたもの。

長生寺本堂 12:57

 地蔵堂のさらに奥に伸びる路地を進み、石段を登ると、立派な楼門のある長生(ちょうせい)寺。
 天正15年(1587年)、小早川軍に敗れて竹原に逃れていた伊予の河野通直が病没したのを悼み、小早川隆景が建立し、寺領として二百石を寄進して開山。正保元年(1644年)には福山の僧快辺が再興して真言宗となった。現在の本堂は昭和37年(1962年)の再建である。

竹鶴酒造 13:10

 本通りに戻り、北に進むと、竹鶴酒造だ。
 竹鶴酒造は、古くから酒造りを営み、「小笹屋」の屋号で知られている。NHK連続テレビ小説「マッサン」のモデルになった、ニッカウヰスキーの創業者で、「日本のウイスキーの父」と呼ばれる竹鶴政孝の生家でもある。

松阪邸 13:11

 竹鶴酒造の向かいには、松阪邸が。
 竹原の町並み保存地区を代表する町家で、唐破風の屋根や庇、出格子など、堂々とした構えが印象的である。
 江戸時代末期、文政の頃に建てられ、明治12年(1879年)に改築されたもので、往時には、製塩業や醸造業など手広く商いをしていたといいます。

普明閣 13:20

 東の路地に入り、坂道を登ると西方寺に入り、さらに境内の高台にある普明閣へ。
 宝暦8年(1758年)の建築で、西方寺の地に妙法寺があった頃の本尊であった、木造十一面観音立像を祀っていたものを再建したもので、方三間宝形造、本瓦葺の二重屋根、舞台作りである。
 特異な屋根形式と優れた細部意匠を持ち、竹原のシンボルと言える建築物である。

普明閣舞台からの竹原の町並み 13:23

 普明閣からは、竹原の町が一望。竹原に来た人は古今を問わず、必ずここに登ると言う重要な場所であり、また竹原の町のどんな所からでも、普明閣の建物が望まれるという、景観上、非常に重要な建物である。

西方寺本堂 13:30

 下って、隣の本堂へ。
 本堂は棟札により元禄15年(1702年)に再建されたと判明している。そして、本堂の背面突出部は明治23年(1890年)に付加された。
 入母屋造、一重、平入、本瓦葺、前面と側面前方を吹抜とし、側柱には太い敷桁を載せるだけの簡単な構造をしており、江戸中期のこの地方の仏堂の典型的形式をもつ、貴重な建築である。

竹鶴政孝・リタ銅像 13:42

 ベタですが(笑)…

照蓮寺 13:57

 町並み保存地区の北端にある照蓮寺へ。
 照蓮寺は、竹原小早川氏の帰依も厚くその学問所となっていた。慶長8年(1603年)、宗具が入山して真宗に改宗、西本願寺派になった。頼春水一門などがここで学んだことから、菅茶山や頼一門の筆墨など多くの古文書類が保存されている。
 また、高麗鐘は、総高68cm、口径40cm、口縁(縁)の厚さ3cmの国の重要文化財であり、小早川家が唐物貿易により寄進したといわれ、日本にある高麗鐘の中で3番目に古い峻豊4年(963年)と陽刻されている。

森川邸 14:15

 町並み保存地区を離れ、少し西に進むと重厚な森川邸が。
 塩田経営を背景に作られた大正時代の質の高い住宅建築(大正5年頃移築)で、主屋の他に離れ座敷・茶室・土蔵など屋敷構がそのまま残っている。
 茶室は小堀遠州流の茶人、不二庵(ふじあん)が設計されたものと言われている。
 竹原塩田の1番浜跡地に建てられた豪邸であり、竹原市の重要文化財に指定されている。
 竹原駅に戻り、15時6分発の電車で三原に戻る。

正法寺本堂 16:00

 引き続き、三原市街の散策へ。駅の北口から、三原城天守台を横目に、西国街道を西へ、すぐに正法寺だ。
 亀甲山延命尊院正法寺は、沼田川下流の長谷町鶴ヶ巣に大規模な七堂伽藍があったと伝えられているが、三原城の築城に際し、天正年間に館町に移された。ところが福島正則の代に城の鬼門にあたる中之町に移し、侍屋敷を増築して東の街道を固め、城の防備に加えられた。そして、明治23年(1890年)、末寺4ヶ寺を合併して大徳院跡であった現地へ移転した。
 当寺は城主の祈願所として、江戸時代三原4ヶ寺のひとつとして、法燈継承している。備後西国8番霊場でもある。

宗光寺山門 16:05

 正法寺から西へ「阿房坂」を登り、「宗光寺小路」に突き当たり、北に登っていくと、宗光寺。桃山風の重厚圧、豪快な構えの山門が出迎えてくれる。
 この山門は、昨日訪れた、小早川家代々の居城であった新高山城の城門をここに移築したものと伝えられ、四足門の切妻造り、本瓦葺きの桃山時代の建築で、昭和28年(1953年)に国の重要文化財に指定されている。

宗光寺本堂 16:07

 山門をくぐり、本堂へ。「錣(しころ)屋根」という、入母屋造の吹き下ろしの途中に段差のある屋根の造りが特徴的である。
 泰雲山宗光寺は天正5年(1577年)、小早川隆景が親の毛利元就夫婦を弔うため新高山城内に建てたものであった(雲門山匡真寺)が、三原城築城の際、城下の西側を守る砦も兼ね、この地に移された。

西浜むかし町 16:25

 宗光寺からさらに西へ進み、鍵型小路という細い路地を抜け、恵下谷川に突き当たると、川沿いに南下し、JRをくぐると「西浜むかし町」と呼ばれる、昔の港町が広がっていた。

旭町 16:45

 「西浜むかし町」からR185に沿って、東へ進む。三原港を過ぎ、「古浜」と呼ばれる、昔は塩田が広がっていた平坦地を過ぎると、「旭町」と呼ばれる、漁師町が現れる。
 江戸時代から続く、由緒ある漁師町で、タコ漁で有名で、タコ壺がいっぱい並んでいた。
 「旭町」から北に進み、再びJRをくぐって、東の高台に登ると、山門をくぐって極楽寺。

極楽寺本堂 17:00

 日照山無量寿院極楽寺は、嘉禎3年(1237年)、本郷町船木字川西の極楽谷という地で開山されたが、それから約350年後の三原城築城の時、糸碕神社裏糸崎谷に移築され、さらに、城下整備の一環として寛文年間(1661−72)に城主浅野家の家臣によって現在地に再度移された。
 この本堂は、江戸時代中期に建立された浄土宗の建物で、向拝を設けない簡素な造りであり、全体的に素朴な構成で統一されている。また、背面屋根の錣葺(しころぶき)は広島県の近世寺社建築の特徴の1つである。背後の塔は、松寿寺三重塔。

松寿寺三重塔 17:06

 極楽寺の北隣に松寿寺が。松寿寺は、貞治4年(1365年)、備後守護職の細川頼有が京都建仁寺の住職惟忠禅師を開山に迎えて昌寿寺として開創したことに始まる。
 この時点では三原城もなく、昌寿寺が最初のお寺であった。その後、小早川隆景が三原城を築城し、本郷から三原に移ってきたのに伴い多くの寺院が移動してきた。

酔心山根本店 17:14

 松寿寺から駅に戻って行くと、重厚な酔心山根本店が現れる。
 創業は万延元年(1860年)で、明治半ば頃、20数種に及んでいた銘柄を統一すべく思案中、当時の二代目当主の夢枕に白髪の老人が立ち、「醉心(よいごころ)とすべし」と告げられ、「醉心」が誕生したという。“辛口にして甘露”な伝統の広島酒で、日本画の巨匠・横山大観画伯が最も愛飲した酒が、この醉心だった。大観にとって醉心は主食であり、米の飯は朝お茶碗に軽く一杯口にする程度で、その他は醉心でカロリーを取っていたと言われている。

船入櫓跡 17:25

 神明大橋を渡り、また南へ下り、JRをくぐると、三原城のかつての浮城の面影を残す船入櫓跡が現れる。水軍の基地だった証である。
 また、船入櫓跡の前には、ペンを持った少年の像が立っている。豊臣秀吉によるキリシタン弾圧により、長崎で処刑されたトマス小崎の像で、長崎への護送中、三原城で母にあてて書いた別れの手紙の一文が記されている。処刑時はまだ14才であったとのことで、26聖人の一人として、今も崇められている。

「四季旬鮮 ひょうたん」さんでフィニッシュ!@ 17:53

 三原駅に戻り、北口からほど近い「四季旬鮮 ひょうたん」さんへ。
 アナゴの天ぷらからスタート!。

「四季旬鮮 ひょうたん」さんでフィニッシュ!A 17:57

 続いて、せせりとキノコの炒め〜

「四季旬鮮 ひょうたん」さんでフィニッシュ!B 18:46

 延々と飲み続け、豆腐のとん平焼きでフィニッシュ!
 新幹線でも飲み続け、京都駅に降り立った時には、見事に財布とスマホを車内に置き忘れるという大失態(涙)… ホンマに情けないです…
 翌日、無事に財布とスマホは見つかりました。JR西日本さんに感謝、感謝です。





参考タイム

2/9 JR竹原駅 10:3010:40 道の駅「たけはら」 10:5011:00 御幸 12:3012:45 旧笠井邸 12:5513:15 普明閣・西方寺 13:2514:15 森川邸 14:1514:30 JR竹原駅
JR三原駅 15:5016:00 正法寺 16:0016:05 宗光寺 16:1016:25 西浜むかし町 16:2516:45 旭町 16:4517:00 極楽寺・松寿寺 17:1017:25 船入櫓跡 17:2517:35 JR三原駅

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