三池岳〜釈迦ヶ岳

−スーパー快晴のもと、中部山岳、そして富士の姿もゲット!−

  

山行概要

日 程
2020年10月31日(土)
山 域
鈴鹿山脈
天 気
快晴
メンバー
単独
コースタイム
八風キャンプ場=0:50=福王山分岐・お菊池=0:15=三池岳=0:10=八風峠=0:10=中峠=0:10=南峠=0:40=釈迦ヶ岳=0:40=中峠=0:10=八風峠=0:20=中峠難路分岐=0:30=八風キャンプ場【3:55】

記録文(写真はクリックで拡大)

 土日2日の好天が約束された。こうなると山に向かう他ない。3時に起床し、4時前には車を発進させる。向かうは新名神の開通ですっかり便利になった鈴鹿連峰の釈迦ヶ岳である。
 枚方から新名神の菰野ICまで1時間で到達し、釈迦ヶ岳の登山口である八風キャンプ場まで山麓を走り、キャンプ場を少し上がったところにある、林道路肩の駐車スペースに到着。2箇所あるスペースのうち、私は下段に止めた。5台ほど駐車可能だが、私で3台目だった。

 身支度をし、6時半にスタート。登路は三池岳東尾根のルートを取る。林道からいきなり支尾根に取り付き、ジグザグの登りが続く。
 東尾根に上がれば、あとはずっと尾根通しの明瞭なルートである。杉林の中の単調な行程だが、ペースを抑え、じっくり進んでいくと、右手に福王山からのルートが合流してくる。

水面が確認できない、お菊池 7:20

 ルート合流地点のすぐ先が窪地になっており、お菊池の標識が立っているが、落ち葉が多く、水面は見えない。
 ヤマレコの記録で、気付かず、深くハマったという記事を読んでいたので、及び腰で慎重に進んだが、ハマることはなかった。

竜ヶ岳が近い 7:25

 尾根の上部になると、展望が開けてくる。
 竜ヶ岳が一望だ。明日はあれに登ろう。手前の尾根の紅葉も素晴らしい。ピークに当たったようだ。

気持ちの良い尾根歩き 7:31

 東尾根最上部は素晴らしい黄葉に包まれた。陶酔しながら進むと、三池岳三角点ピークに到達。県境稜線上の三池岳本峰は少し先だ。

これから辿る稜線 7:35

 三池岳本峰からは素晴らしい展望が待っていた。左端の釈迦ヶ岳まで、これから歩む稜線が一望である。快晴の下、素晴らしい稜線歩きが堪能できそうで、心が躍る。

八風峠 7:48

 県境尾根を南に緩やかに進んでいくと、八風峠に到着。
 八風峠は古文書にも記載があり、伊勢と近江を結ぶ重要な峠であった。
 峠には、旅人が安全祈願をしたという八風大明神の石碑が祀られている。

八風峠からの釈迦ヶ岳 7:52

 目指す釈迦ヶ岳はまだ先だが、そんなにアップダウンが無さそうなので、楽勝でしょう。

八風峠からの竜ヶ岳 7:54

 なかなかの山容。明日絶対に登ろうと決めた。
 さらに県境尾根を南下する。灌木帯で基本展望はないが、ところどころ、花崗岩がザレた鈴鹿らしい地形が現れ、そこでは展望が楽しめる。
 中峠を過ぎ、少し登って、仙香山という標識が立っている展望のない地味なピークを越えると南峠。

南峠付近からの展望 8:12

 それにしても今日は凄い快晴で、かつ澄み渡っている。
 御岳(左)から中央アルプスもはっきり確認できる。
 南峠を過ぎると、いよいよ釈迦ヶ岳への本格的な登りとなり、高度を上げていく。
 ピークの手前で、岩ヶ峰尾根の下降路が東に分かれるが、ちょうどそこを登って来たオッサンが休んでおり、「急峻で、とにかく大変だった。下りは相当注意した方がいい」とやたらとアピールしてくる。当初は、このルートで下降しようと思っていたので、少し不安になってきた。

釈迦ヶ岳から東方の展望 8:53

 釈迦ヶ岳のピークに到着。東方と北方が開けており、今さらながら、中部山岳の大展望に声を上げる。
 槍・穂高辺りから、乗鞍、御岳、中央アルプス、南アルプスがずらっと並んでおり、壮観である。
 富士がある辺りを凝視していたら、南アルプスの背後に頂上の一部だけが顔を覗かせていた。

釈迦ヶ岳から北方の展望 8:54

 北方は、白く輝く白山の存在感が圧倒的だ。
 大満足で下山開始。すぐに岩ヶ峰尾根の分岐に降り立つが、まだ歩き足りないのと、さっきのオッサンの忠告を受け入れることにし、稜線をそのまま戻ることにする。

中峠付近から三池岳方面を望む 9:47

 緩やかな県境稜線を、のんびり歩いていく。日が昇ったので、周囲は光景はより彩を増して来た。最高の好天のもと、極上の稜線歩きを楽しむことができた。
 南峠、中峠からも、それぞれ、八風キャンプ場に下るルートが分岐するが、点線ルートだったので、敬遠し、八風峠まで進む。結果的に、ほとんどピストンに近いルート取りになってしまった(笑)  八風峠に到着し、八風キャンプ場に下る実線ルートに入る。果たして、主稜の東側は急峻なルートの多い鈴鹿のルートの中では、珍しく(笑)容易なルートであり、鼻歌混じりで下って行く。
 「坂中の地蔵」の少し先で、中峠からのルートが合流するが、道標にははっきりと「難路」と記載されていた(笑)
 この後も良く踏まれたルートを順調に下っていくと、林道に合流し、余裕で駐車場に戻ることができた。

 まだ11時である。この日は四日市辺りで泊まろうと思っていたので、時間は幾らでもある。どっかに寄っていこうと思い、前から行きたかった、津市の一身田にある、三重県唯一の国宝有形文化財である高田本山専修(せんじゅ)寺を訪れることにする。国宝の他、重文建築物が11棟もあり、先週訪れた、高岡市の勝興寺を超えるスケールだ。ここから片道1時間ほどで行けるようだ。
 専修寺は、浄土真宗10派のうちの一つの真宗高田派の寺院であり、親鸞聖人が関東各地を教化中に、夢のお告げを得て、嘉禄元年(1225年)、54歳の時に栃木県真岡市高田の地に一宇を建立し、専修念仏の根本道場としたのが始まりである。
 聖人が京都に戻って以降は、門弟の中のリーダー格であった真仏上人が管理し、専修寺を中心とした教団は、関東各地の檀信徒の中で最も有力な教団に発展し、高田教団と呼ばれるようになり、専修寺は本寺と呼ばれ全国的に崇敬を集めるようになった。
 その後、第10世真慧(しんね)上人が、伊勢国の教団の拠点として、文明年間(1469−1487年)に「無量寿院」として建立したのが、高田本山の始まりである。
 大永年間(1521−1528年)に関東の本寺が兵火によって炎上したため、歴代上人が一身田に居住するようになり、ここが本山として定着した。
 高田本山の目の前にある駐車場に車を止め(薬局屋さんの駐車場だが1回100円で利用できる)、いざ境内へ。

専修寺如来堂 12:26

 これだけの大伽藍を擁しながら、基本的に拝観料は取っていないようで、良心的だ。
 如来堂は、専修寺の本堂に当たる建物で、延享5年(1748年)の上棟。禅宗様式の外観が特徴であり、この様式では国内最大規模である。
 隣の御影堂とともに、平成29年11月に、三重県の有形文化財として初めて国宝に指定された。

専修寺御影堂 12:30

 隣の御影堂へ。ちなみに如来堂と御影堂を繋ぐ廊下である「通天橋」も重要文化財である。
 御影堂は、親鸞聖人の木像を中央須弥壇上に安置し、歴代上人の画像を両脇壇および両余間に敬置するお堂であり、寛文6年(1666年)の上棟で、間口42m、奥行33m、畳725枚が敷かれており、全国の国宝木造建築の中で5番目に大きい巨大な堂である。

御朱印もデカい 12:36

 御朱印を頂戴したが、2ページにわたるデカさだった(笑)

大玄関 12:39

 御朱印を頂いた建物は、大玄関と言い、境内の東に位置し、現在の建物は、寛政2年(1790年)の再建と伝えられており、この建物も国指定の重要文化財である。

太鼓門 12:55

 太鼓門は、境内の東入口となる門で、平屋建ての長屋門の上に三層の櫓をのせ、その最上階に大太鼓を吊っているのでこの名がある。明治5年(1872)の暦制改正によって時刻が西洋式となるまで、ここの太鼓が町の人々に時刻を知らせていた。
 太鼓番の人はこの門の長屋部分に居住し、梯子を昇って太鼓を打ってたらしく、今もその梯子が埃にまみれて残っている。宝暦2年(1752年)に、40年間にわたって太鼓番をつとめた老爺に対し、門跡から褒詞が出されたとの記録があるため、少なくとも正徳2年(1712年)から時の太鼓が行われていたと推定できる。
 現在の建物は建築時期は明らかでないが、宝暦12年(1762年)頃と推定される木版絵図には、現在地に一層だけの櫓をのせた太鼓門が描かれおり、文久元年(1861年)の親鸞聖人600年忌法要の記念事業記録の中に太鼓門を三層に嵩上げしたという記事があるため、この時期に大改造されたと思われる。
 この門も国指定の重要文化財である。

御対面所 12:58

 大玄関の東隣には御対面所が建つ。
 入母屋造、妻入の向拝唐破風で、5室ずつ3列の座敷からなる建物で、周囲に廊下をつけている。
 現在の建物は、天明6年(1786年)10月の再建で、これも国指定の重要文化財である。

鐘楼 12:59

 境内の南東側に立つ鐘楼。一般的な鐘楼建築と同様に1間4方で、入母屋造の屋根をのせている。4隅の柱は、先を内側に倒した四方転びという形式である。棟瓦から正徳3年(1713年)の刻銘が発見されたので、そのころ再建されたものと思われる。これも重文である。

茶所 13:00

 茶所は、山門を入ってすぐ右手にある湯茶の接待所である。内部の土間にあった湯釜に宝暦10年(1760年)の陽刻銘があり、この頃の建築と推定されている。これも重文で、内部は喫茶所として活用されている。

山門 13:02

 山門から境内を出る。山門は、専修寺の総門に当たり、2階建て、間口20m、奥行9m、高さ15.5mの巨大門である。正面の柱間は5間で、そのうち中の3間に扉を付けて入口とし、2階内部には釈迦三尊像を安置している。
 瓦の刻銘その他の資料によると、元禄6年(1693年)頃から建築にとりかかり、宝永元年(1704年)頃に完成したものと思われる。これも重文である。

寺内町一身田のまちなみ 13:05

 一身田は、専修寺を中心に発展した寺内町であり、環濠に囲まれている。  町内をぶらぶら歩くが、そこかしこに古いまちなみが残っている。

一御田神社 13:10

 専修寺の東横には、一御田神社が建つ。伊勢神宮の社殿の一部を移設したと伝えられる、神明造りの社殿が映える。  この神社に残された嘉吉3年(1443年)の棟札には一身田の古い歴史が記されている。

専修寺唐門 13:18

 町をぶらりと一周し、駐車場に戻ってきた。唐門を最後にもう一度仰いでから一身田を後にすることに。
 唐門は、如来堂の正面に建つ門で、天保15年(1844年)の棟上げで、屋根は檜皮葺で、正面と背面の軒に大きな唐破風があることから唐門と呼ばれる。腰長押と飛貫との間、扉、その脇の小壁、欄間には勢いのある菊、ぼたんの透かし彫が彫られ、他の部分にも親子の獅子や力士の彫刻がされるなど、全体に華麗で複雑な構造をした門である。これも重文だ。

丑寅櫓 13:52

 一身田を離れ、車で10分ほどの続日本100名城の津城跡へ。城前の市営駐車場に車を止め、場内へ。本丸跡は公園として整備されている。
 この地はかつて安濃津と呼ばれ、織田信長が永禄11年(1568年)に伊勢に侵攻し、織田領となり、翌年には信長の弟の織田信包が入城し、城郭を拡充し、石垣を普請し堀を巡らせて、本丸・二の丸・三の丸や、天正5年(1577年)には5重天守と小天守も完成した。
 その後、豊臣家の時代になると、豊臣家家臣の富田一白が5万石で入城し、関ヶ原合戦後の慶長13年(1608年)には、藤堂高虎が伊勢・伊賀22万石をもって入城した。高虎は城の大改修に着手し輪郭式の城郭に変貌させ、城下町を整備した。また、大坂の陣の功により元和元年(1615年)、元和3年(1617年)に5万石ずつの加増を受け、藤堂氏は32万石の大大名となった。
 以後、明治維新まで藤堂氏の居城となったが、明治4年(1871年)、廃藩置県により廃城となった。
 画像の丑寅櫓は、昭和33年(1958年)に復元されたが、ただし場所も形も全く異なっているらしい。

「大衆酒場 ゑびす」さんでフィーバー!@ 15:42

 今日のねぐらに決めていた、三重県一の繁華街である四日市に移動し、駅前にあるコインパーキングに車を止め、いざ出撃。
 「魚が新鮮で安いだけの店」を看板に掲げる「大衆酒場 ゑびす」さんへ突入! 食べログでは16時が始業となっていたが、何と昼からの通し営業となっていた。

「大衆酒場 ゑびす」さんでフィーバー!A 16:13

 3種盛790円でスタート。しかし、3種と言いながら、どうみても5種盛られてます(笑)
 どれも新鮮で、しかも分厚い!

「大衆酒場 ゑびす」さんでフィーバー!B 16:18

 あなご刺し690円。甘い!

「大衆酒場 ゑびす」さんでフィーバー!C 16:22

 鱧と茸の土瓶蒸し590円。コスパが最強。

「大衆酒場 ゑびす」さんでフィーバー!D 16:27

 貝殻を丸ごと使ったホタテのクリームコロッケ490円。

「大衆酒場 ゑびす」さんでフィーバー!D 16:54

 剥かれた身がぎっしり詰まった、ワタリガニ塩ゆで490円。ホンマに安い(笑)
 まだ17時過ぎなのに、あっと言う間に仕上がって(笑)、近所の「住吉湯」さんに沈没。サウナと水風呂のセットで疲労回復に努める。

「あさひ食堂」さんでフィニッシュ! 18:34

 酒がだいぶ抜けたので、2店目突入!
 老舗食堂の「あさひ食堂」さんで、四日市のソウルフード、トンテキ1100円とハイボールでフィニッシュ!
 ヨロヨロと車に戻り、速攻、爆睡した。盛りだくさんの1日だった。
 明日は竜ヶ岳を目指す。






参考タイム

10/31八風キャンプ場 6:307:20 福王山分岐・お菊池 7:207:35 三池岳 7:357:45 八風峠 7:508:00 中峠 8:008:10 南峠 8:108:50 釈迦ヶ岳 9:059:45 中峠 9:459:55 八風峠 9:5510:15 中峠難路分岐 10:1510:45 八風キャンプ場

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