−大寒波襲来で車中泊の遠出は諦め、中断中だった近場の伊勢参宮本街道へ転戦。まずは南生駒から再開!
山行概要
2020年12月31日(木) | |
伊勢参宮本街道 | |
曇り時々晴れ | |
単独 | |
近鉄南生駒駅=0:25=榁木峠=0:20=追分神社=0:20=砂茶屋バス停(富雄川)=0:40=近鉄尼ヶ辻駅=1:00=近鉄奈良駅【2:45】 |
記録文(写真はクリックで拡大)
年末年始の休暇は、いつものように車中泊を駆使しての遠征を企図していたが、大寒波が襲来してしまった… それにコロナもあるし、一気にやる気が失せる。近場で済ませるか…
そう言えば、大阪から伊勢神宮までを繋ぐ、伊勢参宮本街道が南生駒で中断したままで、9年ほど放置していたのを思い出した。日帰りを繰り返して、地道にやりますか…
29日は所用があり、また、30日は天気が悪すぎて、おとなしく自宅で沈殿していたので、大晦日からの出撃となった。
自転車で最寄り駅に向かうが、超絶寒い。おまけに強風で自転車が進まない…
何とか最寄り駅にたどり着き、京阪、近鉄を乗り継ぎ、乗り継ぎ、南生駒に到着。朝から何も食べてなかったので、駅から北に5分ほど歩いたところにある、「すき屋」にいったん避難し、牛丼をチャージ。駅に反転し、ようやく参宮本街道の9年振りのリスタートである。
線路を踏切で渡り、細道のR308で東へゆるやかに登っていく。公園の横を通過すると、幅広道に合流し、しばらく南へ。小瀬というバス停を過ぎるとR308は左折し、再び東へ進む。
実は、15年ほど前に近鉄萩ノ台駅から、これから辿る榁木峠を越え、矢田寺、郡山へと歩いており、ここからはしばらくトレース済のルートとなる(ほとんど記憶が無くなっているが…)。
周囲に何もない寂しげな斜面をひとしきり登ると、老人保健施設があり、何故か隣に足湯があった(前回はあったかな…)が、年末のせいか閉鎖されていた。
足湯は周囲は眺めが良く、生駒山が一望である。
住宅の屋根には薄っすらと雪が残っていた…
ここから道幅は大幅に狭くなり、榁木峠へ登っていく。車1台がやっと通れるくらいの幅しかないが、何とこれが国道308号線なのだ。正に「酷道」である。
この道幅で国道である(笑)…
峠から国道を下って行くと、「矢田山遊びの森」の案内板があり、右に分岐する。15年前は右に進み、ここから矢田寺へ下って行ったので、ここから先は未踏ルートとなる。
さらに下って行くと、警察犬の訓練所がある少し先で道が二分するので、左に向かう。
ゆるやかに登り、追分峠を越えると、すぐ先に追分神社が建つ。鳥居が小さすぎて、頭すれすれだ(笑)…
追分神社は、江戸時代後期に登彌神社(奈良市石木町)と十六所神社(同市中町)から勧請してきたとされる。
村井家住宅は伊勢参宮本街道沿いに位置し、ここが大和郡山との分岐点であるために追分の本陣と呼ばれている。
主屋の屋根は茅葺きと桟瓦葺きを組み合わせた大和棟形式で、この主屋の南東に上段の間、控の間、玄関などからなる座敷棟が接続している。
村井家住宅は奈良市内では珍しい宿場建築であり、市の指定文化財である。
村井家住宅から、現在はまばらにしか梅の木が無い、かつての追分梅林を左に見ながら、下って行き、第二阪奈道を横断すると、広大な耕作地を横断し、どんどん東に進んで行くと、砂茶屋バス停の辺りで富雄川に出た。
ここで、12年ほど前に、近鉄富雄駅から、霊山寺を経て、近鉄尼ヶ辻駅まで歩いたルートに合流。再び踏破済ルートとなる。
遠州七窯の一つに数えられる赤膚焼の窯場を横目に見ながら、東へ赤膚越を越えていく。
峠からは、はるか奈良の市街が見通せる。
のんびり下って行くと、垂仁天皇陵。濠には水鳥たちがのんびりと浮かんでいた…
この先がすぐ尼ヶ辻駅で、後はひたすら三条通を東へ、近鉄奈良駅目指して4キロあまりを進む。ダルい…
とりあえず、9年振りにトレースが繋がった。明日もこの先を新年早々歩もうと思う。
参考タイム
12/31 | 近鉄南生駒駅 9:00 ⇒ 9:25 榁木峠 9:25 ⇒ 9:45 追分神社 9:45 ⇒ 10:05 砂茶屋バス停(富雄川) 10:05 ⇒ 10:45 近鉄尼ヶ辻駅 10:45 ⇒ 11:45 近鉄奈良駅 |
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