伊勢参宮本街道その4(奈良〜天理)

−大寒波が襲来する中、昨日に引き続き、伊勢参宮本街道を孤独なハイク。寒い…

山行概要

日 程
2021年1月1日(祝)
山 域
伊勢参宮本街道
天 気
曇り時々晴れ
メンバー
単独
コースタイム
近鉄奈良駅=1:00=帯解寺=0:35=楢神社=0:10=和邇下神社=0:15=在原神社=0:30=近鉄天理駅【2:30】

記録文(写真はクリックで拡大)

 性懲りもなく元旦早朝から出動。昨日の続きをやるつもりだ。
 昨日にも増して極寒の中、死にそうになりながら、最寄り駅に向かい、7時前に近鉄奈良駅に到着。

 今日歩む参宮本街道は、古代の幹線道路であった上ツ道(上街道)と重なっている。
 6世紀後半から7世紀にかけて、奈良盆地を南北に結ぶ古代計画直線道路が3本整備され、上ツ道は、一番東側に位置し、同様に南北に縦断する中ツ道、下ツ道とほぼ等間隔で平行している。
 意を決して地下駅から構外へ。寒い…

興福寺南円堂 7:00

 興福寺の境内を通過する。
 黎明の空に南円堂が浮かぶ。
 「西国三十三所」の第九番札所でもある南円堂は。弘仁4年(813年)、藤原冬嗣が父の内麻呂追善のために建立した。
 境内を後に、猿沢池の畔を通過し、人っ子一人いない、ならまちを突き進む。

藤岡家住宅 7:15

 ならまちの中に、藤岡家住宅を発見。藤岡家住宅は、17世紀末から18世紀初期のものとみられる商家で、奈良市内に残る町屋の中でも、特に建立年代が古く、国指定の重要文化財である。
 ならまちを抜けると、一気に郊外の雰囲気となり、田園風景を眺めながら、ひたすら南へ進む。だいぶ飛ばして歩いているが、体が全く暖かくならない(笑)…

帯解寺 8:00

 1時間で帯解寺に到着。何度来ているか分からない、すっかり馴染みのお寺だ。
 元旦だが、コロナのせいなのか、境内は誰もいない。
 さらに南へ。天理市に入ってきた。菩提仙川を渡ると、蔵之庄の集落に入る。稲荷神社の所で少し西に寄り道し、八王子神社へ。

八王子神社 8:25

 八王子神社は、蔵之庄町の鎮守の神様で、素盞嗚尊(スサノオノミコト)の8人の王子、五男三女の神様が祀られている。

蔵之庄のまちなみ 8:27

 蔵之庄は上ツ道に沿った街村集落で、その歴史は古く平安期の興福寺領時代にはすでに「蔵荘」の名が見られる。おそらく、年貢の郷蔵が置かれていた地であったのが由来であろう。
 大和棟の町家が連なっており、渋い町並みが広がる。
 奈良市街から、ずっと一本道を行く。上ツ道の面影がしっかりと残されており、ルートロスの心配が全くない。

楢(なら)神社 8:38

 楢神社は、「日本書紀」崇神天皇十年の条に既に名がある古社。戦後すぐまでは「五十狭芹彦(いさせりひこ)神社」と呼ばれていた。  祭神の五十狭芹彦命は孝霊天皇の皇子で、鬼子母神を本地とすることから、子供の守護神として、また子授けの神として崇敬されている。
 現在の本殿は、文久2年(1862年)、春日大社の式年遷宮により払い下げられたもので、檜皮葺き、方一間の春日造りで、氏子達が春日大社から神社まで、担いで運んだと伝えられてる。
 また、境内には8代目市川団十郎が奉納した実増井(三枡井・みますい)の井筒があり、井戸水は子供を授かる霊水といわれている。

和爾下神社 8:54

 竜田道が分かれる辺りで、和邇下神社の分岐があったので、東へ寄り道する。小山を登った辺りに社が鎮座する。
 この社は東大寺山丘陵の西に位置する古墳の上に祀られていて櫟本地方にいた豪族の氏神であったが、今は櫟本の鎮守である。
 御祭神は素盞鳴命を祀っており、牛頭天王社ともいわれ、ここに建てられた柿本寺との関係で柿本上宮ともいわれた。明治初年に延喜式内の和爾下神社に当ると考証されて社名を和爾下神社と定めた。
 今の本殿は、桁行三間、梁間二間、一重、切妻造、向拝一間、檜皮葺、桃山時代の様式をそなえ、古建築として、過去は国宝に指定されており、現在は国の重要文化財に指定されている。

馬出の商家跡 9:06

 上ツ道に復帰。すぐ南で、大和高原の福住へ続く高瀬街道と交差する辺りは交通の要所で、古くから市場が開かれて商業が活発だったという。
 この上街道から東の高瀬街道に沿った部分は、「馬出(うまだし)」と呼ばれ、古い町並みが残る。
 この民家は炭を扱う商家跡で、「馬つなぎ」がいまも残っており、入口をはさんで左にある棒が「馬つなぎ」で、右にある少し低いものは牛をつないでいたらしい。
 また上ツ道を南へ。西名阪道をくぐると、すぐ在原神社の入口が現れる。

在原神社 9:10

 在原神社は、「伊勢物語」の作者である在原業平とその父・阿保親王が祀られている。境内では伊勢物語に歌われた「筒井筒ゐづつにかけしまろがたけ過ぎにけらしな妹見ざるまに」の歌や、伊勢物語をヒントに作られた謡曲の「井筒」に登場する「筒井筒」、「一むらの薄(すすき)」の石標、松尾芭蕉の句碑などが点在している。
 境内から西には、色男業平が河内の高安まで通ったという「業平道」の一部が、今も残っている。
 元々は在原寺と業平神社の双方があったらしいが、明治時代の廃仏毀釈で在原寺は廃され、業平神社は在原神社となり、現在に至っている。

 後は、天理教関連の施設が建ち並ぶ街並みを抜け、近鉄天理駅に到着。
 これで、7年前に歩いた、上ツ道の続きにつながり、一気に桜井を越え、大和朝倉駅まで、伊勢参宮本街道の歩みが進んだ。
 明日は、その大和朝倉駅から榛原までを歩もうと思う。






参考タイム

1/1近鉄奈良駅 6:557:55 帯解寺 8:008:35 楢神社 8:408:50 和邇下神社 8:559:10 在原神社 9:109:40 近鉄天理駅

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