新高山城跡・筆影山

−城巡り・グルメ堪能の三原・竹原ぴろ散歩の1日目−

  

山行概要

日 程
2020年2月8日(土)
山 域
新高山城跡・三原市街
天 気
曇り後晴れ
メンバー
F、私
コースタイム
新高山城跡駐車場=0:15=匡真寺跡=0:10=詰の丸跡=0:05=釣井の段跡=0:15=鐘の段跡=0:05=新高山城跡駐車場【0:50】
筆影山駐車場=0:05=筆影山=0:05=筆影山駐車場【0:10】

記録文(写真はクリックで拡大)

 新型コロナが猛威を振るい始めたが、京都マラソンも予定通り開催されるみたいだし、不要不急の外出を企てる。
 ターゲットは、続日本100名城を2つ抱える三原と、「安芸の小京都」と呼ばれる竹原である。
 3連休の初日につき、のぞみは大混雑で、隣の席が確保できず、福山で現地集合。各停電車に乗り換え、三原駅へ。まずは昼食をということで、小雨が降る中、リサーチしておいた「塩そば まえだ」さんへタクシーで乗り込む。

「塩そば まえだ」さんで開幕! 11:51

 始業の11時前に着いたのだが、既にオープンしており、20人以上並んでいた…
 しかし、ラーメン屋なので、回転が速く、30分ほど待って入店。私は鉄板の「塩そば」700円、連れは「梅塩そば」770円をオーダー。
 見た目も味もシンプルの極み。澄んだスープが最高!

 駅に戻り、駅前のニッポンレンタカーで車を借り、新高山城跡へ向かう。R2を西へ進み、JR本郷駅を過ぎ、沼田(ぬた)川を渡った交差点を右折し、沼田川の右岸を遡っていくと、新高山城跡の案内があり、20台ほど駐車可能な駐車場に到着。
 そもそもは沼田川の向かいに古高山城跡があり、小早川氏の初代である土肥実平が源頼朝に命じられて本郷の地を統轄し、以後第4代の小早川茂平が築城した。その後、5代雅平が向かいのこの場所に副城として築城したが、毛利元就の三男隆景が小早川17代を継承した際、この副城を修築し、三原城築城までの約45年間本拠とし、瀬戸内海への進出の礎を築いたのだ。

新高山城跡駐車場 13:05

 見上げる新高山城跡はかなり切り立っており、見るからに難城のようだ。
 駐車場から、荒神社の横を抜け、山道に入る。
 しっかりと整備された歩道が雑木林の中に続く。

匡真寺跡 13:20

 大手道を警固していた3郭からなる「番所跡」を過ぎると、広大な「雲門山匡真寺(きょうしんじ)跡」が現れる。
 三原城築城の際、城下の西側を守る砦も兼ね、三原市中心部に移され、寺名も泰雲山宗光寺と改めたが、元々は、天正5年(1577年)、小早川隆景が親の毛利元就夫婦を弔うためこの地に建てたもので、宗光寺(翌日、訪れた)には、ここから移築された山門が現存しており、四足門の切妻造り、本瓦葺きの桃山時代の建築で、国の重要文化財に指定されている。

「詰の丸跡」からの眺望 13:31

 ここから急登となり、一気に頂上部の一角である「中ノ丸跡」に到達。東奥に「本丸跡」が続き、さらに東に登ると、城内最高所の「詰の丸跡」に到着。
 東側の絶壁に面しており、眺望は最高。向かいの古高山城跡や沼田川が一望で、見張り場としても最適である。

「釣井の段跡」からの眺望 13:46

 本丸跡に戻り、大手門跡から北側に下ると、「釣井の段跡」(井戸郭)に出る。
 上下二段からなるこの井戸郭は、東西南北ともに50m余という城内最大の郭であり、上段の郭には直径約2mの円形石積井戸が4基、下段の郭には直径約4.2mと2.2mの計6基の円形石積井戸が残っている。
 覗き込むと、今なお清水を湛えたものもあった。
 「中ノ丸跡」に戻り、一気に下山。

「鐘の段跡」へ 14:05

 「番所跡」の付近で、「鐘の段跡」への分岐があり、寄り道。
 小さな郭跡だが、名前の根拠となる由来は示されてなかった…
 駐車場に戻り、三原市街に戻る。まだ時間に余裕があったので、瀬戸内で随一との展望台と呼ばれる筆影山に向かうことに。
 細い車道を慎重に運転し、山頂直下の駐車場へ。

筆影山山頂からの瀬戸内 15:24

 駐車場からは舗装路を5分ほどで山頂に到着。
 さすがに眺望は素晴らしい。すっかり晴れ渡った…
 三原駅に戻り、車を無事返却してから、駅のすぐ横にある三原城跡へ。天守台へはJR三原駅構内から入るようになっており、6時半から22時までしか入れない。

三原城天守台跡(内部) 15:59

 三原城は永禄10年(1567年)、小早川隆景によって、大島・小島をつないだ埋め立て地に建て始められたと伝わっている。水軍のより効果的な運用を図るため、山側の新高山城跡から、海に面したこの地に進出してきたものと思われる。
 現在は天主台や舟入櫓の一部しか残っていないが、往時は、東西約900m、南北約700mもの範囲を誇り、櫓が32と城門が14もある巨大な城郭であった。特にこの天主台は広島城の天守閣が6つも入る(笑)、江戸城に匹敵する日本有数の広さである。
 満潮時に城の姿が海に浮かぶように見えたことから別名「浮城」とも呼ばれている。
 天守台跡へは駅構内から進入できる。すぐ横に新幹線のホームが隣接しており、こんな城、見たことない。

三原城天守台跡 16:05

 天守台跡周辺は「三原城跡歴史公園」として整備され、隆景の像も立っている。
 天守台跡の石垣は、扇の勾配が美しい。しかも余人では真似るべきではないといわれた「アブリ積み」という特殊工法らしい。「アブリ積み」とは、面の方が控え(奥行き)よりも寸法が大きいため、アゴ出し(石垣がずれて、階段状になってしまうこと)や目違い(石の隙間)がおこりやすいので崩れやすく、石垣を積む技術としては邪道で、基本的にやってはいけないのだが、400年以上経た今でも立派に残っている。
 巨大な天守台には実際に天守が建築されず、絵図等では、3基の二重櫓が建てられ、それぞれ多聞櫓で連結されていたらしい。

 明治維新後、城地は帝国海軍の鎮守府(西海鎮守府)建設のために政府が確保し、実際に仮設が行われていた。しかし沼田川の堆積作用が危惧されたため、この計画は解除され、以後建物・樹木などは競売に付され、建築物は市内の糸碕神社や順勝寺の門に移築されたり、用材として処分された。
 明治27年(1894年)、山陽鉄道三原駅建設の際に、城地は駅用地に使用され、また石垣も糸崎港建設の用材として大部分が撤去された。

三原ナイトは「くろもん」さんから@ 18:08

 連れが予約してくれていた「くろもん」さんの始業と同時に飛び込む。
 造り盛からスタート!

三原ナイトは「くろもん」さんからA 18:14

 続いて、せせりの炙り!

三原ナイトは「くろもん」さんからB 18:14

 色々と注文したが、最後はカツとじで〆。
 まだ早いので、2軒目を求めて街中を彷徨ったが、路地の奥にあった「おばんざい印」さんへ吸い込まれる。

三原ナイト2軒目は「おばんざい印」さんへ@ 19:37

 まだ三原名物のタコを食べていなかったので、タコ刺しを発注する。

三原ナイト2軒目は「おばんざい印」さんへA 20:01

 この辺りでよく食べられるコショウダイの煮つけでフィニッシュ!
 大満足でホテルに戻った。
 翌日の竹原・三原市街散策へ。





参考タイム

2/8 新高山城跡駐車場 13:0513:20 匡真寺跡 13:2013:30 詰の丸 13:4013:45 釣井の段跡 13:5014:05 鐘の段跡 14:0514:10 新高山城跡駐車場
筆影山駐車場 15:1515:20 筆影山 15:3015:35 筆影山駐車場

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