熊野古道中辺路その3(野中一方杉〜熊野本宮大社)

−中辺路3日目。天満橋から遥か240キロの最終章! ついに熊野本宮大社へ感動のゴール!−

   

山行概要

日 程
2016年1月1日(祝)
山 域
熊野古道中辺路
天 気
快晴
メンバー
単独
コースタイム
野中一方杉バス停=0:25=継桜王子跡=0:20=中川王子跡=0:20=小広王子跡=0:15=熊瀬川王子跡=0:15=わらじ峠=0:10=迂回路分岐(仲人茶屋手前)=1:05=蛇形地蔵=0:10=湯川王子跡=0:15=三越峠=0:40=船玉神社=0:05=猪鼻王子跡=0:20=発心門王子社=0:25=水呑王子跡=0:30=伏拝王子跡=0:15=三軒茶屋跡=0:35=祓殿王子跡=0:05=熊野本宮大社【6:10】

記録文(写真はクリックで拡大)

 大晦日の滝尻〜野中一方杉に続く、年末年始の中辺路3日目。ついにフィナーレである。
 元旦の朝を、外部がバリバリに凍りついた車内で迎えると言う悲惨な新年のスタート。でも、ちょうど1年前に天満橋を発進したことを思うと、非常に感慨深い。
 暖気でフロントガラスがはっきりと見えるようになるまで、10分ほど要してしまう。湯の峰温泉を発進してしまえば、5分ちょっとで熊野本宮大社。
 この日も先に目的地に着いてしまうと言う少々味気ない行動だが、バスの本数が少ないので仕方がない。おかげで5時過ぎに着いたおかげで、本宮前の駐車場を確保できた(この日は大混雑のため、車は熊野川河川敷の臨時駐車場に誘導されることになっていた)。
 ゆっくりと身支度し、5時50分発の田辺行きバスに乗り込む。バスは、川湯、渡瀬、湯の峰の熊野3湯を巡りながら、ゆっくり時間をかけ、6時35分に野中一方杉のバス停に到着。
 昨日の早朝に駆け下りた車道をまた薄暗い中登り、継桜王子で熊野古道に再合流。秀衡桜の前のベンチで、改めて旅装を整え、いよいよ熊野本宮目指し、古道歩きを再開する。旧国道を東へ進む。

上地集落を行く 7:19

 この細道が、昔は国道311号でした(笑) 昔はこんな細道で田辺と熊野とを結んでいたと思うと感慨深い。
 集落内には、安倍晴明が休憩したと言われる腰かけ石がある。休憩時、上方の山が急に崩れそうになったが、晴明は得意の呪術によって、崩壊を未然に防いだと伝えられている。

中川王子跡 7:30

 暗いカーブに差し掛かるところに、中川王子の標識があり、旧国道を離れ、しばし樹林の坂道を登っていく。中川王子(中ノ河王子)跡は、静かな山中に、享保8年(1723年)に紀州藩が建てた緑泥片岩の碑が立つばかりであった。
 藤原宗忠(藤原北家中御門流の権大納言藤原宗俊の長男。従一位・右大臣)が摂関政治から院政への過渡期の政治上の要事を克明に書き留めた「中右記」天仁2年(1109)10月24日条に「仲野川仮屋」の名で既に登場しており、後鳥羽院の熊野御幸に随行した歌人、藤原定家が書き残した日記「熊野道之間愚記」の建仁元年(1201年)10月14日条にも「中の河」なる王子の名が挙げられている。
 近世には、社が無くなっていたらしく、1909年(明治42年)に近露の金毘羅神社(近野神社)に合祀された。

小広王子跡 7:30

 さらに旧国道を進む。立派な新高尾トンネルの入口を横目になおも進むと、ゆるやかな登りとなり、峠に着くとそこに小広王子の碑が立っていた。 小広王子は、「中右記」10月25日条に、「仲野川王子」に奉幣の後、「小平緒(こびらお)」「大平緒(おおびらお)」を経て岩神峠に向かったとし、「熊野道之間愚記」にも「中ノ河」の次は「イハ神」と述べている。いずれも王子社の存在は述べられておらず、成立はその後と見られる。
 この小広王子も中川王子と同様、早くから社は失われており、紀州藩が緑泥片岩碑を建てたが、明治42年(1909年)に近露の金比羅神社(近野神社)に合祀廃絶された。

熊瀬川王子跡 8:05

 小広王子から車道をショートカットする山道を下り、小川を渡ると今度は、わらじ峠へ向けた登り返しとなり、その登りの途中に熊瀬川王子跡がある。
 熊瀬川王子は、ほとんど記録にないうえに、王子間の平均的な距離が2キロメートルから3キロメートルほどのところ、小広王子からの距離はせいぜい1キロメートルほどと、存在自体に疑問の残る王子である。また、「紀伊続風土記」(江戸幕府の命を受けた紀州藩が、33年の歳月をかけて、天保10年(1839年)に完成した紀伊国の地誌)では「小名熊瀬河は小広峠にあり」と記載されていることから、小広王子と熊瀬川王子は同一の王子の可能性もある。

 さらに急坂を登り続けると「わらじ峠」に登り着く。標高532m。標識によると、この辺り昔はヒルにだいぶ悩まされたとのことで、思わず寒気がする。
 ところどころ石畳の残る「女坂」と呼ばれる急坂を、ストックを駆使して下ると、熊瀬川畔の林道に降り立つ。

ルートは南側を大きく迂回 8:30

 本来のルートは川を渡り、仲人茶屋跡(「女坂」、「男坂」の間にあるから名付けられたらしい)を通り、「男坂」と呼ばれる急坂を登り返すのだが、平成23年(2011年)9月の台風12号の大雨の影響で、現在、地滑りの危険性があるということで、通行禁止になっており、4キロほど先の蛇形地蔵まで迂回路が設定されている。本来のルートに比べ500mほど距離も伸びてしまっているようだ。

迂回路は急峻な山肌を行く 8:57

 しばらく熊瀬川沿いに林道を南へ下り、次の小橋を渡って、山襞に分け入り、登り始める。迂回路と聞くと、何かなだらかなルートと思い込んでいたが、急峻な山越え道で、展望はそこそこ良いものの、結構な難路である。ヒーヒー言いながら、峠を越え、もったいないくらいどんどん下って行くと、本コースに復帰し、すぐに蛇形地蔵に到着した。

蛇形地蔵 9:35

 説明版によると「この付近で出土した海藻の化石が蛇の鱗のように見えることから「蛇形石」と名付けられ、それを背において祀られているこの地蔵尊は「蛇形の地蔵さん」とも呼ばれ、明治22年(1889年)の大水害以前は岩神峠にあったという。
 言い伝えによれば、熊野を往来する人々がよくこの峠で「グル」という妖怪にとりつかれて倒れる遭難が相次いだため、寛政年代に岩神峠にこの地蔵尊を建てて旅人の遭難を防いだという。明治の大水害時には、岩神峠から不思議な音が聞こえ、村民は脱出し遭難をまぬがれ、これ故に地蔵尊をここにお迎えし祀ったという。

湯川王子跡 9:45

 蛇形地蔵から、湯川川を渡り、しばし川沿いの木漏れ日が気持ち良い道を進むと、湯川王子跡である。
 湯川王子は、九十九王子のうち、比較的格式の高い准五体王子で、王子の名の初見は、「中右記」天仁2年(1109)10月25日条の「内湯参王子」、「熊野道之間愚記」建仁元年(1201年)10月15日条にある「王子湯河」で、このころに湯川王子の名が定着したと見られる。
 参詣道の要地で上皇や貴族などもしばしば宿泊・休息をしたところとされており、谷川では「みそぎ」を行ったところだといわれている。

関所跡が残る三越峠 10:02

 ここからまた峠越えの急坂にかかる。今日はいくつ峠を越えて来たのか。さすがに熊野古道。山深さは半端ない。林道に飛び出すと、三越(みこし)峠。ここにも熊野古道仕様の超美麗トイレが整備されている。
 この三越峠は、口熊野と奥熊野の境界で、いよいよ熊野の神域の核心へ踏み込んでゆくことになる。また、旅人は、ここで初めて熊野川に流れ込む音無川を見下ろすことになり、これまでのはるかな道のりに感嘆したという。
 後鳥羽上皇もその感激を歌に詠んでいる。「はるばると さかしきみねを 分すぎて 音なし川を けふみつる哉」

音無川沿いに進む 10:36

 峠から一気に下り、音無川に降り立ち、ゆるやかに川沿いに進む。険しい箇所は終わり、周囲の景色も徐々に柔らかくなってきた感じがする。ぐっと、ついに熊野に入った気がしてきた。

船玉神社 10:45

 公園風の広場を過ぎると、湯の峰温泉へ向かう赤木越のルートが分岐する。いつかはこのルートも歩いてみたい。分岐のすぐ先が船玉神社。
 船玉の由来は、昔この地にあった滝壺に一匹の蜘蛛が落ち溺死しかかったところを水行していた神が見つけ、木の葉を投げてつかまらせ命を救ったのが始まりで、それがヒントで神様が大木をくり抜き船を作ったという。以後、船の祖神としてこの地に祠が建てられ崇められてきた。滝壺は明治22年(1889年)の大水害で埋没してしまった。

猪鼻王子跡 10:50

 車道からいったん離れ、山道をしばらく行くと、猪鼻王子跡が現れる。
 猪鼻王子跡も紀州藩の碑が残るのみである。「熊野道之間愚記」に「猪鼻」とあり、「中右記」には谷川を数度わたって猪鼻王子に着いたとあるが、その後の熊野詣の衰微に伴って廃絶したとされる。
 再び林道に合流するが、すぐに「たっくん坂」と呼ばれる坂を登り、発心門王子へ。「たっくん」とは地元町役場の元産業課長(故人)が、 この熊野古道の「発心門」へのルートを探し出したそうで、その功をねぎらい愛称をつけたものだそうです。

発心門王子社 10:50

 発心門王子は熊野九十九王子の中でも最も格式の高い五体王子の一つに数えられた、王子の中でも屈指の存在である。
 発心門とは、山岳信仰における四門修行に由来する。四門修行においては、山上の聖地に至る間に発心・修行・等覚・妙覚の4つの門を設け、それらを通り抜けることによって悟りが開かれると説かれた。このとき、発心とは発菩提心、すなわち仏道に入り、修行への志を固めることを意味する。すなわち、発心門とは聖域への入り口を意味しているのである。
 「中右記」天仁2年(1109)10月25日条には、ここに大鳥居があり、参詣の人々はその前で祓いをして鳥居をくぐったと伝えている。
 また、「熊野道之間愚記」建仁元年(1201年)10月15日条には、この王子の社は思わず信心をかきたてられるほどに神々しく、さらに社殿の周囲にすきまなく生い繁った木々がみな紅葉し、風が紅葉を舞い散らして境内に散る、荘厳で美しいさまを伝えている。
 12世紀から記録の残る発心門王子だが、五体王子のひとつとして知られるようになるのは14世紀頃まで降り、仁和寺蔵の「熊野縁起」(正中3年(1326))に初めて五体王子として記載された。
 「紀伊続風土記」(江戸幕府の命を受けた紀州藩が、33年の歳月をかけて、天保10年(1839年)に完成した紀伊国の地誌)は、かつては重要な社であったが中世には既に退転しており、享保年間(1716年〜1736年)に当時の紀州藩の命令で再建され、本宮大社の末社となったと伝えている。しかし、その頃には、湯の峰と三越峠を直結する赤木越に熊野詣でのメインルートがすでに移っており、再び寂れていったという。
 1907年(明治40年)に、本宮町萩の三里神社に合祀廃絶され、その際に社殿として移築されたとの記録が残る。

水呑王子跡 11:35

 発心門王子から熊野本宮へは、手ごろなハイキングコースとなっており、一気に道標が華やかになる。車道をゆるやかに下り、長閑な集落の中を登り降りすると、廃校になった三里小学校三越分校の隣に水呑王子跡の緑泥片岩碑が立っている。
 中世の参詣記(「中右記」、「熊野道之間愚記」)には内水飲王子と明記されており、「熊野縁起」、「王子記」(文明5年(1474年))も同様の王子名を記録していることから、15世紀末頃までは内飲水と呼ばれていたらしい。

果無山脈 11:49

 水呑王子跡から爽やかな森の中の古道を進むと、再び集落に出る。山の北斜面に立つことから、正面には果無山脈が全開。
 最高峰の冷水山から百前森山までが一望のもと。

玉置山の姿も 11:52

 目を北東に転ずれば、昨年のGWに歩いたばかりの大峯南奥駈の主峰格である玉置山の姿も見える。

百前森山 11:57

 さらに進み、集落の東端まで来ると、前山が取れ、百前森山が堂々と見えるポイントがある。
 NHKの連続朝ドラで、何度も出てきた「地元富士」で一気に有名なった山である。
 さらに車道を進むと、休憩所やトイレのある伏拝王子跡である。

伏拝王子跡 12:05

 これまで、長く厳しい参詣道を歩いてきたが、熊野川と音無川の合流点にある熊野本宮大社の旧社地(大斎原)の森を、ここではじめて望むことができる。感動の瞬間である。
 中世参詣記(「中右記」、「熊野道之間愚記」)にはその名は見えず「熊野縁起」、「王子記」にも名が見られない。成立時期は相当遅いものと見られ、享保15年(1730年)の「九十九王子記」に、和泉式部供養塔とともに「伏拝村」はずれの道の左側にある、と述べられているのが初出である。
 いよいよ熊野本宮大社まで、3キロちょっとである。これまでの長かった歩みを反芻しながら、噛みしめるように進む。

三軒茶屋跡 12:20

 三軒茶屋跡は、高野山から熊野本宮大社を目指す、熊野古道小辺路が分岐するところ。九鬼ヶ口と呼ばれる関所があったようで、熊野に入る参詣者あらためをし、通行税を取っていたらしい。
 茶屋跡からは、ゆるやかな下り坂に、石畳や石段が続く。最後の最後にして古道歩きの情緒満点である。

旧社地(大斎原)が見えた! 12:37

 少しの寄り道で着くことのできる展望台があり、ここからは、大斎原の日本一の大鳥居がはっきりと見えた! 本当にもう少しまで来たのだ!
 山道を下り切ると、住宅地に出、舗装路をしばらく進むと、祓殿王子跡に出る。

祓殿王子跡 12:55

 祓殿王子から本宮大社の旧社地まではわずかな距離し かなく、本宮参拝の直前に身を清める潔斎所としての性格を帯びていたと見られる。
 そして、新社地に本宮が移って、さらにその距離は近くなった。祓殿王子跡から本宮大社の裏口はすぐそこである。

ついに熊野本宮大社へ! 13:05

 ついに感動のゴールである。達成感は半端ない。
 元日の参拝客で、境内はごった返していたので、前回、ゆっくりと参拝したことから、今回はパスし、その代わりに大斎原に向かう。

日本一の大鳥居 14:16

 近づくにつれ、その巨大さに圧倒された。ホンマにでかいです。
 旧社地をのんびり参拝。一つの壮大な旅が終わった喜びに浸る。
 枚方までは、R168の長い帰路を選択。途中、十津川村の湯泉地温泉「滝の湯」に入ってから、帰阪した。

参考タイム

1/1野中一方杉バス停 6:457:10 継桜王子跡 7:107:30 中川王子跡 7:307:50 小広王子跡 7:508:05 熊瀬川王子跡 8:058:20 わらじ峠 8:208:30 迂回路分岐(仲人茶屋手前) 8:309:35 蛇形地蔵 9:359:45 湯川王子跡 9:4510:00 三越峠 10:0510:45 船玉神社 10:4510:50 猪鼻王子跡 10:5011:10 発心門王子社 11:1011:35 水呑王子跡 11:3512:05 伏拝王子跡 12:0512:20 三軒茶屋跡 12:2012:55 祓殿王子跡 12:5513:00 熊野本宮大社

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