飫肥・油津漫歩

−日南市の歴史情緒あふれ、性格が全く異なる2つの街を探索−

   

  

山行概要

日 程
2018年3月17日(土)
天 気
快晴
メンバー
単独
コースタイム
飫肥城観光駐車場=0:05=飫肥城跡=0:25=JR飫肥駅【0:30】
JR油津駅=0:15=吾平津神社・堀川橋=0:10=魚料理びびんや=0:35=潮満寺=0:10=津ノ峯登山口=0:10=津ノ峯=0:10=津ノ峯登山口=0:05=油津赤レンガ館・杉村金物本店=0:55=JR油津駅【2:30】

記録文(写真はクリックで拡大)

 3/16 雨後曇り

 昨年12月の石垣島・沖縄本島の出張に引き続き、今度は宮崎は日南市の出張が入るという幸運。初日の今日は13時半までにJR飫肥駅に着いたら良いので、これ幸いと伊丹を7時20分発の朝一の便で、宮崎空港へ。

特急「にちりん」用の787系が並ぶJR宮崎空港駅 9:01

 1番線の列車は「普通」(笑) 宮崎空港〜宮崎間は、特急料金無しで乗ることができる。
 宮崎駅には9時過ぎに到着。昼食込みで3時間あるので、まずは先週の高知探訪で威力を発揮したタイムズカーシェアを利用する。
 宮崎駅前の駐車場から発進。生憎の空模様だが、まずは宮崎神宮へ向かう。

宮崎神宮 9:38

 宮崎神宮の鎮座地は神武天皇が東征以前に宮を営んだ地と伝わり、崇神天皇の時代には社殿が創建されたと伝わる。
 江戸時代までは地方の1古社に過ぎなかったが、明治維新の王政復古の大号令で「神武創業の始め」に復することが唱導され、大規模な境内整備も進み、昭和15年(1940年)、紀元2600年を記念した拡大整備事業で現在の境内が完成し、その規模は橿原神宮に次いで全国2位であったという。
 本殿は、明治40年(1907年)の建て替えであり、平成22年(2010年)に「国土の歴史的景観に寄与している」として本殿を含む11棟の建造物が国の登録有形文化財に指定された。
 雨に煙る境内… 絵になります。

皇宮神社 10:18

 せっかくなので、摂社の皇宮神社にも立ち寄ることに。狭い路地をナビ頼りに進み、何とか境内の横に路駐する。
 この地は、鎌倉時代までの旧社地で、神武天皇の宮跡と伝えられるため、一に皇宮屋とも呼ばれている。
 毎年1月14日に皇宮屋破魔矢祭(こぐやはまやまつり)という五穀豊穣を予祝する特殊神事を行う。
 現社殿は昭和51年(1976年)の伊勢神宮の第60回式年遷宮の折に、外宮外幣殿の古材を使って改築された。

景清廟 10:23

 近くの平和台公園に向かおうと思ったら、途中の路地に曰くありげな石碑を発見。近づいてみると、景清廟だった。
 敗戦の老武者の悲しみ、怒り、誇りの起伏する感情を、親子の情愛を軸にして創意された人情物の謡曲のモデルで、「悪七兵衛・景清」と恐れられた平景清の霊を祀っているところ。
 景清は源氏に捕らえられ、僧として日向に流されたが、源氏の繁栄を見るに耐えられず、みずからの目をくり抜いたと伝えられている。

平和台公園の平和の塔 10:28

 そして平和台公園へ。
 こちらも紀元2600年記念事業として建設され、この塔は「八紘之基柱」(あめつちのもとはしら)と呼ばれていたが、太平洋戦争後、GHQにより「八紘一宇」などの言葉が国家神道を連想させるとして、1946年1月に「八紘一宇」の文字と武人の象徴である荒御魂像(あらみたま)が取り除かれ、名称も「平和の塔」と改められてしまった…。
 その後、昭和32年(1957年)に都市公園として指定、再整備されることになり、平和の塔についても、昭和37年(1962年)に荒御魂像が、続いて昭和40年(1965年)には八紘一宇の文字がそれぞれ復元された。
 平日で雨のせいか人影がまばらで、ほとんど中国人だった。こいつらこの塔の経過わかって来てるのかな…(笑)

「味のおぐら」本店のチキン南蛮 11:10

 慌ただしかったが、満足して宮崎市内観光を終了。
 車を返却してから、宮崎発祥のファミレス「味のおぐら」本店の始業と同時に飛び込む。あっという間に店内は満員に…
 当然のようにチキン南蛮1010円をオーダー。この「味のおぐら」は、チキン南蛮に初めてタルタルソースをかけた店として、宮崎では元祖扱いを受けているのだ。
 久しぶりのチキン南蛮を一気に平らげ、宮崎駅へ。

快速「マリーン号」で飫肥へ 11:53

 キハ40系の黄色の車体が眩しい(笑)、宮崎駅12時18分発の快速「マリーン号」は1両のみ(再笑)
 13時28分に到着し、日南市の方々と無事合流。真面目に仕事…

「喜庵一能」(よころびあんいちの)さんで懐石料理を…@ 19:13

 夕食は、飫肥の重伝建地区内にある古民家を改装した「喜庵一能」さんで、日南市の課長さんと楽しく懇談。

「喜庵一能」(よころびあんいちの)さんで懐石料理を…A 19:34

 大将と女将の2人で切り盛りしておられるお店で、どれも丁寧な仕事ぶり!
 大満足でした。
 この日は飫肥から北の北郷にあるホテルに投宿。翌日に備えました。

 
   

 3/17 快晴

 前日の荒天が嘘のような素晴らしい快晴。今回泊まったホテルは韓国系の企業に買収されたらしく、客はコリアンばっか。
 何で韓国からわざわざ日南までと思うが、彼らは早朝からホテル併設のゴルフ場へ繰り出して行った… ゴルフがしたいだけなんですね…
 飫肥に戻り、改めて市内各所の視察へ。

飫肥城大手門 8:55

 まずは飫肥城跡へ。大手門から城内へ。この大手門は昭和53年(1978年)の再建だが、飫肥と言えばこのアングルの写真が出てくるほど有名である。日本百名城にも選定されている。
 飫肥の地は、伊東氏と島津氏が長年争ってきたが、最終的には、秀吉、家康相手に上手に立ち回った伊東氏の所領となり、江戸期一貫して伊東氏が飫肥藩として収めた珍しいケースである。

飫肥城旧本丸跡 9:06

 城跡の最上部にある旧本丸跡。3度も襲われた地震により放棄され、一段下の広場に本丸機能が移されたという。
 現在は、地元の飫肥杉の林となっている。ちなみに飫肥杉は飫肥藩が植林を奨励した特産品で、樹脂を多く含んでいるため吸水性が低く、軽量で強度が高いことから造船用として盛んに利用され、造船が盛んだった昭和40年頃までは、相当儲かって、飫肥の町はけっこうな数の富豪がいたらしい。
 なお、新たな本丸の跡地は、飫肥小学校の敷地となっている。

飫肥城下町 9:40

 飫肥城下町は、昭和52年(1977年)、九州・沖縄地方で最初の「重要伝統的建造物群保存地区」として選定されている。
 保存地区内には城下町時代の道路や地割が良好に保存され、石垣、土塀、生垣で囲まれた武家屋敷跡が残っており、画像の通り、雰囲気のある街並みが広がっている。

飫肥天を食べ歩き 9:46

 日南市の飫肥と並ぶ見所の双璧と言える油津に行きたかったのだが、JR日南線の本数が1時間に1本弱と非常に厳しい状況。10時19分発の油津行きに乗らないと後の行程が厳しくなるので、止む無く城下町を後に、駅に向かう。
 途中、本町商人通りにある「天ぷらのこだま屋」さんで飫肥天を調達し、駅まで食べ歩き。
 飫肥天は、イワシ、アジ、サバ、トビウオ、サワラなど日向灘の近海でとれる大衆魚を丸ごとすり身にしたものに豆腐を混ぜ、味付けに味噌や醤油、黒砂糖を加えて揚げて作るもので、見た目は薩摩揚げに似ているが、豆腐が入っているため薩摩揚げに比べて柔らかく、ふわりとした食感が特徴である。

飫肥駅を出発 10:18

 奇しくもこの日がダイヤ改正の当日で、日南線はけっこう減便され、さらに不便になってしまった。JR九州の経営は大変そうだし、日南線もそろそろヤバそうですな…
 ダイヤ改正を知らなかったオバサンが、「今日中に鹿児島まで行けへんやんか!」と窓口で騒いでいた。
 ブルーのキハ47系に乗り込み、10分で油津駅着。

カープに乗っ取られた油津駅 10:31

 油津駅はこの地でキャンプを張る広島カープに染まっていた… 最悪…(笑)
 気を取り直して、まずは油津商店街へ。

地方創生の雄、油津商店街 10:36

 地方で良くあるシャッター商店街と化していた油津商店街を、日南市長が、月給90万円で、「4年で20店舗のテナントを誘致すること」をミッションとする、テナントミックスサポートマネージャーを採用した結果、目標を前倒しで達成する勢いで、経済産業省の全国「はばたく商店街30選」にも選ばれた、地方創生の成功事例の一つとして、一気に有名になった。
 まだ時間のせいか、この日は人影が疎らだったが、地方の商店街とは思えないオシャレな店が集積しており、勢いは感じることはできた。

吾平津神社 10:45

 堀川橋の畔に建つ吾平津神社(あひらつじんじゃ)は、神武天皇の妃アヒラツヒメを主祭神とし、通称「乙姫神社」と呼ばれている。
 アヒラツヒメは神武天皇の東征には同行せず、この地でその成功をお祈りしたと伝えられている。

堀川橋 10:45

 堀川運河に係る堀川橋は、飫肥の名石工・石井文吉が4年以上の年月をかけて、明治36年(1903年)8月にようやく完成した。文化庁登録文化財である。
 平成4年(1992年)公開の「男はつらいよ」シリーズの45作目「寅次郎の青春」(マドンナ役:風吹ジュン)のロケがここで行われたらしく、確かに絵になる景色である。

堀川運河 10:51

 そもそも堀川運河は、山から切り出されてくる飫肥杉を港に運ぶため造られた、延長900mの運河で、飫肥5代藩主・伊東祐実が貞享3年(1686年)に着工し、難工事の末、3年後に完成した。
 この運河の完成で、日南の飫肥林業は目覚ましく発展したのである。
 運河に沿って、下っていき、港大橋の近くにある「魚料理 びびんや」さんのちょうど始業時間だったので、入店。けっこうな人気店らしく、あっと言う間に店は満員に…

「魚料理 びびんや」さんで昼から豪遊!@ 11:07

 カツオの塩タタキとハイボールでスタート!
 高知の印象が強いが、宮崎もカツオのタタキが名産なのである。

「魚料理 びびんや」さんで昼から豪遊!A 11:14

 マグロのカマ〜
 実は、今では想像もつかないが、油津は昭和の初めから16年にかけて、空前のマグロ景気に湧いていた。
 海流の具合が良かったのか、今では海の宝石とも呼ばれるクロマグロが、目前の海で年間に4000トンから8000トンも獲れ、それを狙って全国から集まってくる漁船も、多い年では600隻近くに達し、東洋一のマグロ基地といわれていた。
 加えて、カジキマグロも豊漁が続き、こちらも数百隻の漁船が油津に集まったことで、港内には1000隻近い船が停泊していたという。釣れたマグロが市場に入りきれず、競りを待って船着き場に野積みされていた時代、町には仲買人の事務所をはじめ、飲食店やカフェ、米屋、八百屋、石油店が立ち並び、繁栄を極めていた。
 飫肥杉とクロマグロが、油津の2大象徴だと実感した。

「魚料理 びびんや」さんで昼から豪遊!B 11:39

 これまた油津名産、魚(ぎょ)うどん。
 太平洋戦争の空襲によって日南と外部をつなぐ道路や線路が寸断されると物流が滞り、油津港で穫れる魚が販売できずに余る一方、米や小麦粉は不足するようになった。このため、トビウオなどのすり身を小麦粉の代わりに用いて、うどんの代替食として魚うどんが作られた。
 戦後は存在を忘れられていたが、郷土料理として注目した日南市漁協の女性部が昭和50年代から復活させる取り組みを始め、平成21年(2009年)には市内の小中学校の給食にも登場するまでとなった。

油津港 12:02

 食事を終え、目の前の油津港を散策。青い海が眩しい…
 港を西から東へのんびり横断。港の東端から北へ、津ノ峯の南麓の路地に入っていくと、高台に建つ潮満寺への階段が現れる。

潮満寺 12:30

 潮満寺は、飫肥藩の庇護により、多くの信仰を集めていたが、明治の廃仏毀釈で廃寺になった。飫肥藩は最も猛烈に廃仏毀釈を実行した藩らしい。
 そんな中でも、幸いにも本堂だけが残り、高野山真言宗のお寺として再建された。

弁天堂からの油津港 12:36

 本堂のある境内から、さらに山手へ細い参道が延びており、息を切らしながら登っていくと、弁天堂という赤い舞台を持つお堂にたどり着く。
 ここからは油津港が一望のもとだ。
 山を降り、さらに北に山裾を進んでいくと、団地の裏側に油津港のシンボルである津ノ峯の登山口を発見。

津ノ峯からの展望 12:55

 津ノ峯は標高僅か88mながら、展望は最高! 戦時中は軍の「監視哨」も設置されていたらしい。
 日南海岸が一望である。
 港町の中心部に戻り、街歩きを再開。中町通りには油津で一番有名な建築物と言える、赤レンガ館が建つ。

油津赤レンガ館 13:25

 油津赤レンガ館は、油津の豪商河野宗四郎の四男宗人が、大正11年(1922年)、材木倉庫として建てられた。約22万個のレンガを使った3階建てで、延べ床面積は331u。1階中央通路の天井をアーチ型にレンガを組むなど、大正期のモダンな面影を残している。
 平成9年(1997年)に競売にかけられようとしたが、地元の有志31人が「合名会社赤レンガ館」を設立して2500万円で買い取り、平成16年(2004年)3月に日南市に寄付された。その後、平成10年(1998年)に登録有形文化財に選定されている。

杉村金物本店 13:29

 近くのR220に面した角地には、杉村金物本店が建つ。
 昭和7年(1932年)の建築で、当時としては珍しい木造3階建てで、1階が店舗、2,3階が住居となっている。縦長の窓や銅板張りの外壁は洋風の意匠も取り込んでいる。
 最後は、堀川運河の奥まったところにある夢見橋を渡り、油津駅に帰着。いや〜佳きまちでした。
 14時57分発の南宮崎行きに乗り、宮崎には16時20分着。

宮崎の夜は「丸万焼鳥」本店で…@ 17:16

 今夜の宿は、繁華街の近くにあり、宮崎駅と繁華街は徒歩で15分ほど離れており、プラプラ歩く。歩く間にどこで酒を飲むかスマホで検索する。
 やはり昼は魚だったし、今宵は地鶏が食べたいということで、宮崎では超有名店の「丸万焼鳥」本店さんをチョイス。
 いったんホテルにチェックインしてから、お店へ。
 始業の17時から5分ほど遅れただけだったが、既に10席ほどのカウンターはほぼ満席で、何とか滑り込みに成功。
 まずは、鶏刺しを…

宮崎の夜は「丸万焼鳥」本店で…A 17:25

 看板メニューのももやき!
 噛み応えあり過ぎ! 百年の孤独ハイボールが進む…

大淀川の夕景 18:32

 すっかり酩酊状態で何とかホテルに帰り着き、部屋呑みでさらにヘベレケに…
 明日は、早朝出撃で双石山に登る予定だが、大丈夫か?…

参考タイム

3/17 飫肥城観光駐車場 8:508:55 飫肥城跡 9:309:55 JR飫肥駅
JR油津駅 10:3010:45 吾平津神社・堀川橋 10:5011:00 魚料理びびんや 11:5512:30 潮満寺 12:3512:45 津ノ峯の登山口12:4512:55 津ノ峯 13:0013:10 津ノ峯の登山口 13:2013:25 油津赤レンガ館・杉村金物本店 13:3014:25 JR油津駅

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諸国名山探訪

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