大阪天満宮から三十石船・八軒家浜・京橋へ

−天満橋周辺をループするプチ散歩からの朝呑み&スロット三昧(笑)−

   

山行概要

日 程
2023年7月2日(日)
山 域
大阪市街
天 気
曇り後晴れ
メンバー
単独
コースタイム
京阪天満橋駅=0:20=大阪天満宮=0:10=南天満公園=0:40=JR京橋駅【1:10】

記録文(写真はクリックで拡大)

 6月に入り、梅雨空は続くし、晴れても灼熱地獄で、とても低山は登れないので、休日は酒とスマスロ「北斗の拳」に溺れるという怠惰な生活を続けており、7月に入っても状況は変わらず、この日も出撃。始発の京阪で天満橋駅に降り立ったのは6時前(笑)…
 いつも参考にさせてもらっている「大阪あそ歩」のモデルコース「大阪天満宮から三十石船・八軒家浜へ」を歩むことにし、まずは北上し、大阪天満宮に向かう。

天満橋から下流方面を望む 5:50

 天満橋を渡る。橋上から大川の下流方向を望むと、先日訪れた、中之島の剣先部分と天満橋、そして難波橋とともに、浪華三大橋の一つ、天神橋が見える。
 剣先で大川は北側の堂島川と、南側の土佐堀川の南北2流に分かれる。中之島の西端で再びこの2流は合流し、今度は安治川(あじかわ)と呼ばれるようになる。
 橋を渡り、そのまま天満橋筋を北上、霊符筋(大阪天満宮の摂社、霊符社側にある東門に通じる通り)との辻で左折し、そのまま大阪天満宮へ。

大阪天満宮拝殿 6:15

 大阪天満宮は、その例祭、日本三大祭の天神祭であまりに有名。
 白雉元年(650年)に孝徳天皇が難波宮を造営した際、その西北に守護神として大将軍社を創建したのが始まりとされている。
 延喜元年(901年)に菅原道真が大宰府へ左遷された際、大将軍社に参詣し、旅の安全を祈願した記録が残っており、道真が没した後に天神信仰が広まり始める中、天暦3年(949年)には、大将軍社の前に7本の松が生え、霊光を放ったという奇譚が生じ、それを伝え聞いた村上天皇の勅命により、この地に天満宮が建立されることとなった。以後は大将軍社を摂社として新たに天満宮が中心の社となった。
 その後、享保9年(1724年)の享保の大火で焼失するなど、何度か全焼の憂き目に遭っており、現在の本殿、拝殿は、大塩平八郎の乱による焼失後の、天保14年(1843年)の再建で、太平洋戦争の大阪大空襲では幸運にも被害を免れている。

「天満組惣会所跡」の碑 6:19

 天満宮を後に、南東に戻り気味に進み、滝川公園に入る。園内北西側に「天満組惣会所跡」の碑が立っている。
 江戸時代の大坂の町組織は、大川以北の天満組と以南の北組、南組に分けられ、大坂三郷と呼ばれていた。三組それぞれに惣会所(集会所) があり、代表者に自治が認められていた。

「天満興正寺跡」の碑 6:21

 公園の南東側には、「天満興正寺跡」の碑も立っている。
 天満興正寺は、天正13年(1585年)に真宗の寺院として造営され、江戸時代には天満組の宗旨人別帳(現在の戸籍)がここに納められていた。
 大阪天満宮と同様、大塩の乱をはじめ度々焼失したが、安政2年(1855年)に再建された時の書院などが、明治20年(1887年)から同36年(1903年)までの16年間、関西法律学校(現関西大学)の校舎として利用されていた。しかしながら、この校舎も太平洋戦争の戦火で、灰燼に帰した。

「天満青物市場跡碑」の碑 6:25

 滝川公園を後に、再び南下すると大川に突き当たるが、河川敷は南天満公園として整備されており、その一角に「天満青物市場跡碑」の碑が立っている。
 江戸時代に青物市場が、この地にあり、堂島米市場、靱の雑喉場(ざこば)市場(魚市場)と並んで難波の三大市場と呼ばれており、明治・大正になっても大阪一の青物市場として栄えていたが、昭和6年(1931年)、大阪中央卸売市場に吸収された。

「天満の子守歌」の碑 6:26

 「天満青物市場跡」の碑のすぐ近くには、「天満の子守歌」の碑も立っている。
 天満の子守歌は、「ねんねころいち 天満の市で 大根そろえて 船に積む」という歌詞で、天満の青物市場で働いていた子守娘たちが歌った子守歌である。

「淀川三十石船舟唄」の碑 6:26

 公園内を少し上流方向に進むと、今度は「淀川三十石船舟唄」の碑がある。
 船場に隣接する天神橋と天満橋の間の大川南岸は古くから船着き場として賑わい、江戸時代になると三十石船が運航していた。
 三十石船は、文字通り米を三十石積める船で、全長約17m、幅約2.5mで、乗客定員28人〜30人、船頭は4〜6人で、江戸時代、京〜大坂間の主要な交通手段として、あらゆる階層の人々に利用された。
 舟唄は船頭が歌っていたもので「ヤレサー いたら見てこい 大坂の城は 北は淀川 船が着く」といった歌詞が延々と続く。

「地魚酒場 魚八商店 京橋店」さんで朝呑み@! 7:17

 天満橋を渡り、いつものように京橋へ。
 さぁ、すっかりルーティンとなった朝呑みだ(笑) 24時間営業の「地魚酒場 魚八商店 京橋店」さんへ。店内はほぼ満席で、さすが京橋(笑) こうでなくては…
 平目の刺しと明太子でスタート!

「地魚酒場 魚八商店 京橋店」さんで朝呑みA! 7:22

 「魚八商店」さんと言えば、海鮮天ぷらでしょう! エビ、キス、イカ、シシャモ等と、焼酎麦ソーダ割で8時にして、すっかり酩酊状態(笑)

「地魚酒場 魚八商店 京橋店」さんで朝呑みB! 8:07

 暴走して、鯛茶漬けでフィニッシュ! しかし、まだ8時過ぎだ… 「京橋会館&GENESIS」さんの入場抽選時間は9時半… 家を早く出過ぎた(笑) 気が付けば、「吉野家」さんに入っていた(笑)…

「吉野家 大阪京橋店」さんで追撃戦! 8:46

 牛皿大盛とビール(笑)… ホンマに朝から何やってるのか…

何とか席は確保! 9:34

 そして抽選へ。無事に余裕で北斗を確保できる順番をゲット! これで運を使い果たしたような(笑)…
 果たして、北斗に挑んだが、いきなり3万円が蒸発(笑) 初当たりが重く、またしても低設定台を掴んでしまったか…
 と、思っていたら、赤7白オーラのBBが当選、全く期待してなかったが、17連とまさかの伸びを見せ、3時間打って、5000円のプチ勝利(笑) 性懲りもなく、飲み屋街に再び繰り出す。

「ホルモン 徳いち」さんで今度は昼呑み@! 13:13

 「ホルモン 徳いち」さんがラッキーにも空いていたので、滑り込む。
 ネギ塩タン! 安定の旨さです。

「ホルモン 徳いち」さんで今度は昼呑みA! 13:23

 続いて、白ホルモン4種盛! ハイボールが進む…

「一軒め酒場 エル京橋店」さんをハシゴ@! 13:51

 まだ終わらない(笑) コスパ最強の「一軒め酒場 エル京橋店」さんに吸い込まれる(笑)
 ド定番の一軒めボールでスタート!

「一軒め酒場 エル京橋店」さんをハシゴA! 13:55

 青唐玉子焼! 青唐が激辛(笑) ハイボールをがぶ飲みしてしまう…

「一軒め酒場 エル京橋店」さんをハシゴB! 14:16

 明太マヨピザでフィニッシュ! この店、養老乃瀧の系列店なんですね。初めて知りました。
 すっかり出来上がって、ついに撤収! グダグダな休日が終わった…

参考タイム

7/2京阪天満橋駅 5:456:05 大阪天満宮 6:156:25 南天満公園 6:257:05 JR京橋駅

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