岡豊城跡・高知市内ブラ散歩

−夜行バスとカーシェアのコンボで、コスパと機動力を両立した高知の旅その1−

   

  

山行概要

日 程
2018年3月10日(土)
天 気
快晴
メンバー
F、私
コースタイム
高知県立歴史民俗資料館=0:05=岡豊城跡詰・三ノ段=0:05=四ノ段=0:05=高知県立歴史民俗資料館【0:15】
JR高知駅=0:10=ひろめ市場=0:05=高知城歴史博物館=0:05=高知城=0:15=大橋通り商店街=0:15=はりまや橋【0:50】

記録文(写真はクリックで拡大)

 久しぶりに高知を目指す。明治維新150年だしな〜
 京都から高知へは普通にJRで行くと12000円くらいで、最速でも4時間程度かかるので、2日では日程に余裕がない。このため、行きは夜行バスで向かうことに。JRの半額で行けるうえ、7時過ぎには高知駅に到着できるのだ。
 本命はひろめ市場(笑)だが、人気爆発で昼前には入らないと厳しい… 観光と両立させるためには、到着後すぐに行動開始したいところ。機動力抜群のレンタカー利用が必須だが、レンタカーの営業開始は早くても8時…
 そこでタイムズカーシェアの利用を検討。月の基本料金1030円を払えば、206円/15分で24時間いつでも利用可能なのである。
 この利用を前提にプランを練り、金曜日の晩を迎えた。

 京都駅23時55分発のバスで高知へ。最近より安い4列シートで我慢していたが、今回3列シートなので、私はほぼ高知までワープ(笑)
 高知駅から10分ほど南のタイムズ駐車場でデミオを借り、まずは岡豊城跡へ向かう。ここまで高知駅到着後僅か10分ほどの早業…
 ガラガラの県道384号線で南国市へ。15分ほどで岡豊城跡に建つ立派な高知県立歴史民俗資料館に到着。

 岡豊城は、13世紀〜14世紀の築城年代と考えられており、長曾我部元親の四国統一の本拠地として余りに有名。
 元親は、天正16年(1588年)、交通の要地である大高坂山(現在の高知城)に本拠を移したが治水の悪さから再び岡豊を本拠とした。しかし、天正19年(1591年)、新たに浦戸城を築いて移った為、岡豊城は廃城となった。

岡豊城跡詰(本丸)に建つ謎の櫓 7:30

 資料館から早速城跡へ。散策路を道なりに登っていくと、あっという間に城の本丸と言える「詰」(つめ)に到着。高知駅到着から僅か30分未満での登城(笑)
 しかし、そこには、謎の構造物が…
 去年の4月に資料館が展望台代わりに建てた仮設の櫓で、岡豊城と同時期とされる丸岡城や松山城の野原櫓を参考にした、高さ約10mの木造2階建てである。
 2019年2月末までの期間限定公開らしいが、正直意味不明だ… 目障りでしかない(笑) おまけに中は9時からしか入れない…

詰から南側の眺望 7:31

 詰は、標高97mの岡豊山の山頂部にあるので、別に櫓なんぞ建てなくとも、このように展望は良好なのだが…
 東側に下り、二ノ段へ。

二ノ段からの眺望 7:37

 二ノ段も東側の展望が良い。
 この岡豊城東側は、律令時代、土佐の国府や国分寺が置かれるなど、土佐の政治経済の中心地であり、「土佐のまほろば」と呼ばれて栄えていた。

四ノ段下の展望広場 7:41

 二ノ段から三ノ段の中を詰の下を東から南に回り込んで進み、その下の四ノ段へ。すぐ下には展望広場があり、ここからは城跡の石碑を見ることができる。
 あっと言う間に、岡豊城跡の探索終了。歴史民俗資料館はまだ開館していないので、次は土佐神社に向かう。

土佐神社 7:59

 堂々たる土佐国一宮。「日本書紀」や「土佐国風土記」にも記載がある古代から祀られた古社で、中世・近世には土佐国の総鎮守として崇敬された高知県を代表する神社である。

土佐神社拝殿 8:04

 現社殿は、永正6年(1509年)頃(諸説あり)の本山氏による岡豊城侵攻の兵火で旧社殿が焼失したため、長曾我部元親が四国平定を祈念して永禄11年(1567年)に再建に着手し、元亀2年(1571年)に完成したとされる。
 主要社殿は本殿・幣殿・拝殿から成り、本殿前に建つ幣殿と拝殿は平面に「十」字形を成す。これらは本殿を頭とした蜻蛉が飛び込む形を表す「入蜻蛉(いりとんぼ)」形式といわれ、戦からの凱旋報告を意味するとされる土佐神社独特なもので、国の重要文化財に指定されている。
 御朱印を頂戴し、隣の善楽寺へ。

善楽寺本堂 8:20

 善楽寺は、四国八十八箇所霊場の第30番札所で、大同5年(810年)、弘法大師が高賀茂大明神(土佐国一宮で現在の土佐神社)の別当寺として、神宮寺とともに創建したといわれている。
 応仁年間(1467−1469年)に兵火で焼失したが、土佐藩2代藩主山内忠義の庇護を受けて栄えた。
 明治初期の神仏分離で廃寺となり、本尊の阿弥陀如来と弘法大師像が南国市にある29番札所国分寺に移され、30番札所は、明治8年(1875年)に再興された安楽寺となった。
 昭和5年(1930年)に埼玉県与野町(現さいたま市中央区)にあった東明院をこの地に移転し、また国分寺に預けられていた弘法大師像を移して善楽寺は再興したが、30番札所の正統性について善楽寺と安楽寺の間で論争が起こり、しばらく2箇所並立する事態となってしまった。
 そして、平成6年(1994年)1月1日、善楽寺を「開創霊場」、安楽寺を「本尊奉安霊場」と称することとし、安楽寺を30番札所奥の院とすることでついに決着した。
 そんな歴史があったんですね。知りませんでした… 私は将来、四国八十八箇所巡礼を多分すると思っているので、御朱印は頂戴しなかった(笑)

桂浜へ 8:53

 この時間なら桂浜まで回っても、昼前までには、ひろめ市場に入れそうだったので、一気に南へ。
 いやぁ〜 快晴です。カリフォルニアまで見えそう(笑) 私は何と26年振りの再訪である。余りに景色が素晴らしいので1時間近く、ただボーッと眺めてしまう。
 坂本龍馬記念館は、何と4月21日まで休館中だったので、泣く泣く割愛… 竹林寺に向かう。
 竹林寺は五台山の山上にあり、一方通行の車道がぐるっと五台山を回って昇り降りするようになっている。

竹林寺 10:22

 竹林寺の本尊は文殊菩薩で、宮津の切戸文殊、桜井の安倍文殊とともに日本三文殊の一つに数えられ(諸説あり)、四国八十八箇所霊場の第31番札所で、文殊菩薩を本尊とするのは竹林寺だけである。
 寺伝によれば、神亀元年(724年)に聖武天皇が唐の五台山で文殊菩薩に拝する夢を見、天皇は行基に五台山に似た山を捜すように命じたところ、この地が霊地であると感得し栴檀の木に文殊菩薩像を刻み、山上に堂宇を建立して安置したという。その後、大同年間(806−810年)に弘法大師が滞在、瑜伽(ゆが:感覚器官が自らに結びつくことによって心を制御する精神集中法や、自己を絶対者に結びつけることによって瞑想的合一をはかる仏教の修行法)行法を修法し、荒廃した堂塔を修復したと伝えられる。
 国指定名勝の池泉回遊式の庭園が有名だが、私は参道両側に広がる苔の庭が気に入った。
 さぁ、ひろめ市場へ。車を返し、高知城方面へ急ぐ。

ひろめ市場で昼呑み!@ 11:27

 到着は11時過ぎだったが、既に大盛況。一番広い「お城下広場」に何とか席を確保し、まずはカツオを喰らおうと「明神丸」さんの行列に並ぶ。
 藁焼きのタタキは、かなりシステマチックにオペレートされ、かなりの行列だったが、10分ほどで藁焼きたたき塩(大)とカツオのハランボ(トロの部位)をゲット!

ひろめ市場で昼呑み!A 11:27

 続いて「珍味堂」さんで、イタドリ(タケノコのようなタデ科の山菜)、ウツボの煮凝り、鯨のベーコンをゲット!
 ハイボールが止まらない…

ひろめ市場で昼呑み!B 11:44

 さらに、「土佐凧」さんで、川海老(手長海老)の唐揚げを…  旨すぎる!

ひろめ市場で昼呑み!C 11:57

 またもや「珍味堂」さんに行き、ウツボのタタキとウニまで…
 ハイボール10杯以上(笑)
 ふらつきながら、すぐ近くの高知城歴史博物館へ。

高知城歴史博物館からの高知城 13:16

 1年前にオープンしたばかりの新しい施設で、高知城のお勉強。しかし、呑み過ぎて、もう頭に入らない(笑)
 目の前の高知城が素晴らしい。
 もともとこの地は大高坂山と呼ばれており、長宗我部元親が城を築いていたが、水はけが悪かったため、桂浜に近い浦戸に浦戸城を築き、大高坂山城を捨てたとあるが諸説あり真偽は不明である。
 関ヶ原の後、元親の子・盛親は西軍に組したため改易され、慶長6年(1601年)に山内一豊が掛川城から転入し、土佐国一国24万2千石を与えられ、浦戸城に入ったが、浦戸は城下町を開くには狭いため、大高坂山の地に新城を築くこととしたが、当時、同地周辺は湿原が広がるデルタ地帯で、長宗我部氏が断念したほどの水害の難所であり、2年に渡る難工事の結果、慶長8年(1603年)8月に本丸が完成し、一豊は9月26日に入城した。この際に、河中山城(こうちやまじょう)と改名された。
 慶長15年(1610年)、度重なる水害を被ったことで、2代目藩主忠義は地名の変更を命じ、竹林寺の僧、空鏡によって高智山城と改名した。この時より、後に省略されて高知城と呼ばれるようになり、地名も高知と呼称されるようになった。
 慶長16年(1611年)、難関であった三ノ丸が竣工し、高知城の縄張りは全て完成した。

いよいよ高知城へ 13:54

 いよいよ向かいの高知城へ。
 追手門と天守が同一アングルに収まるのは、ここだけである。
 また、追手門は唯一創建時から残っている遺構であり、重要文化財である。

高知城天守 14:04

 いよいよ天守へ。
 創建時のものは享保12年(1727年)の大火で焼失したが、延享4年(1747年)に焼失以前のものを忠実に再建されたものといわれており、高欄を設けるなどのやや古風な形式(復古型)である。
 独立式望楼型4重6階、高さは18.5mで、国指定の重要文化財である。

「大橋通り商店街」で食イベントに遭遇 15:05

 満足して、はりまや橋方面へ、中心市街地を進む。
 この日は、中心街各所で「土佐のおきゃく2018」という、食と酒を中心としたイベントが開催されており、ひろめ市場のすぐ南東側にある「大橋通り商店街」でまたもや遭難…(笑)

もうダメ…(笑) 15:10

 唐揚げ串とプレモルで昇天…(笑)
 酩酊状態のまま、はりまや橋近くのビジネスホテルに投宿し、そのまま撃沈…
 気が付けば、21時過ぎまで爆睡…(笑)

「かもん亭」さんに突入!@ 22:44

 慌てて、夜の街に繰り出す…
 食べログで適当に見つけた(失礼)、「かもん亭」さんへ。
 清水サバ、室戸キンメという、土佐両端の雄を味わう!

「かもん亭」さんに突入!A 23:03

 土佐はちきん地鶏の塩焼き!
 大満足の1日でした…
 明日は安芸市へ向かう。

参考タイム

3/10 高知県立歴史民俗資料館 7:257:30 岡豊城跡詰・三ノ段 7:357:40 四ノ段 7:407:45 高知県立歴史民俗資料館
JR高知駅 11:1511:25 ひろめ市場 13:0013:05 高知城歴史博物館 13:5013:55 高知城 14:4515:00 大橋通り商店街 15:3015:45 はりまや橋

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諸国名山探訪

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