−朝呑みからの掟破り尾道七佛めぐり。御利益は全くなさそう…(笑)−
山行概要
2017年11月25日(土) | |
尾道市街 | |
晴れ時々曇り | |
C、私 | |
JR尾道駅=0:05=しみず食堂=0:15=持光寺=0:20=天寧寺=0:20=千光寺=0:25=大山寺・御袖天満宮=0:15=西国寺=0:15=久保亀山八幡神社=0:15=浄土寺=0:05=海龍寺=0:20=JR尾道駅【2:35】 |
記録文(写真はクリックで拡大)
久しぶりに尾道に行きたくなった。日本遺産認定効果もあって、盛り上がっているらしい。尾道を一人で歩くのは寂し過ぎるので、連れを無理やり連行する。
福山にちょうど停車してくれる京都駅8時9分発の「のぞみ1号」に乗車。福山で10分ほどの乗り継ぎで、真っ黄色の車体が眩しい(笑)115系の山陽本線三原行の鈍行に乗り換え、尾道には9時57分に無事到着。私は何と24年振りの再訪であり、ほぼ記憶は消失しているので、初見に等しい。
早速観光に向かうと思いきや、そこは私であるからして、海岸沿いに建つ「しみず食堂」に真っ先に向かう。
10時から呑める奇跡の食堂(笑)。10時開店のはずだったが、すでに先客で屋内はいっぱい。海岸沿いのテラス席もあるが、この寒さではありえないので、何とか屋内にスペースを確保し、早速、常連客のように、ストッカーから、鯛や鯵の刺身と、メバルとカサゴの煮付けを勝手に取り出す。瓶ビールも勝手に取り出す私… 女将さんが慌てて栓を抜いてくれた…(笑)
入店から僅か2分でこの状態(笑) 鯛や鯵の刺身をゲット!
メバルとカサゴの煮付け! 食べようとしたら、おかみさんがレンジでチンしてくれました。
お稲荷さんも、この店の名物。圧倒的なボリューム。エビ粉が寿司飯に混ぜられています。
尾道ラーメンも注文しようかと思ったが、後で専門店で食べることにし、ここはラーメンのスープにうどんを入れたオリジナルメニューの「中華うどん」(笑)を注文。
しかし、コショウのケースに何とクミン(カレーパウダー)が入れられており、気づかずに大量にぶっかける痛恨のミス…(笑) 絶妙なあっさりスープは、カレー味に…
この店のヤバいところは、出来立てのおかずがどんどんストッカーに運ばれてくるところ。湯気の上がっているおかずが冷やされるのを見てしまうと、思わず食指を伸ばしてしまう。
このイカの煮付けも、思わず手を出してしまった… その後にメバルも来たので、本日2匹目のメバルもゲット!(笑)
瓶ビール大瓶2本と、日本酒4合で、朝からすっかり酔っ払い(笑) 結局、朝から2人で6000円以上も散在してしまった…
この日の尾道散策が危ぶまれたが、何とかしみず食堂を11時過ぎに脱出し、尾道七佛めぐりへ。
山号は日輪山。平安時代末、鳥羽法皇の命により、愛する御子・近衛天皇のご息災を祈願して作られたという国宝の絹本著色普賢延命像が有名だが、痛みの激しい画像であるからして、公開は普段されていない。
裏山の日輪山より切り出された36枚の花崗岩で出来た大石門。門をくぐると、巨石より発するパワーにより寿命増長されるといわれているパワースポットである。
いかにも尾道らしい、猫があちこちにいる細い路地を進む。城跡のような豪壮な石垣を横目に細道を登ると、天寧寺の三重塔の下に出た。勿体ないが、ここはいったん下って、天寧寺の本堂へ。
天寧寺は、1367年に尾道の道円の発願により、足利義詮が尊氏の遺志を継いで工事を寄進し、普明国師を請して開山された。
創建当時は東西三町にわたる七堂伽藍を配した大寺院であったという。
千光寺へ石段を登り返す。酔った体にはきつい…
尾道を象徴する景観。三重塔は、国指定の重要文化財で、1388年(嘉慶2年)に足利義詮が五重塔として建立したが、元禄5年(1692年)に、上部の2層を取り除き、三重塔に改修したという。
ここから少し登ると千光寺。
千光寺は標高140m、尾道港を一望する大宝山の中腹にあり、大同元年(806年)、弘法大師の開基で中興は多田満仲公と伝えられている。
本堂は、典型的な舞台造りで、別名「赤堂」とも呼ばれ、あまりに有名。
千光寺隣の石鎚熊野権現社境内にある夫婦岩には、「石鎚山鎖修行」として100円を払えば鎖場を登る修行ができる。
なかなかに険しい鎖場を突破すると、瀬戸内の大パノラマが開ける。
千光寺から、来た道を下り、途中で左折し、東へ細道をトラヴァース気味に進む。まるで猫が意識してポーズを取っているようにベストポジションに点在しており、観光客が写真を撮りまくっている。
私は猫には全く興味ないが、マニアは堪らないのだろう。
福善寺から坂を登り返し、大山寺へ。
大山寺は、平安時代前期の創建で、延久年間(1069〜1074)に中興され、承安5年(1175年)再建したと伝えられている。
延喜元年(901年)、失脚した菅原道真が九州筑紫へ赴くとき、この地に寄り、袖に御自筆の御影を描き村人に渡したという。その後境内に、社が建立され「御袖天満宮」と呼ばれ、大山寺の別当寺となった。
映画『転校生』や連続テレビ小説『てっぱん』等で、舞台となった、あまりに有名な石段。
大山寺を後に、東隣の山上にある三重塔目指して、坂を登る。
西国寺は、天平年間(729−749年)に行基が巡国中にこの地で加茂明神の霊夢を見たことにより建立されたという。
白河上皇の信仰厚く、天仁元年(1108年)には法皇となった上皇により勅願寺となり、官寺として100を超える末寺を持った。山陽道随一の伽藍を誇り、正和元年(1312年)、花園天皇の綸旨を受け寺院の名称を西國寺とした。現在においてもなお、数ある尾道市の寺院の中で最大の規模を誇っている。
写真の本堂と三重塔は、いずれも国指定の重要文化財である。
西国寺のシンボルである2mの大草鞋が吊されている。江戸時代初期の慶安元年(1648年)に建立とのこと。広島県指定の重要文化財である。
西国寺から、JRの線路沿いにいったん下り、西へ。すぐに久保亀山八幡神社が現れる。
久保亀山八幡神社は、貞観年間(859年〜877年)の創建と伝えられ、境内には尾道の石工が彫り上げた「軍配灯籠」と呼ばれる軍配が彫られた灯籠や狛犬、そして江戸時代の横綱陣幕久五郎の手形が入った石碑などが点在している。
神社からさらに西へ。尾道市立中央図書館の前を通過すると、浄土寺はすぐそこである。
浄土寺は、推古天皇24年(616年)、聖徳太子が開いたとも伝えられる。その後、寺運は衰退し、正中2年(1325年)には焼失したが、尾道の有徳人道蓮・道性夫妻によって復興され、現存する国宝の本堂・多宝塔、重要文化財の阿弥陀堂はこの時に再興された建物である。
その後、足利尊氏の庇護から、近世に入ると尾道在住の豪商から外護を受けるようになり、庶民の信仰を中心とする寺院へ変貌していった。
国宝の本堂は、嘉暦2年(1327年)の建立で、入母屋造本瓦葺き。和様を基調として大仏様、禅宗様の細部を取り入れた、中世折衷様仏堂建築の代表作である。
多宝塔は、 嘉暦3年(1328年)建立。鎌倉時代末期にさかのぼる建立年代の明らかな多宝塔として貴重であり、これも国宝である。
また、浄土寺の境内全域が、「建造物と一体をなしてその価値を形成している土地その他の物件」として国宝に指定されており、中国地方屈指の名刹である。
満願成就の最終7箇寺目は、浄土寺からすぐ西の海龍寺。
海龍寺は、西国巡教をしていた定證上人が浄土寺再興の時に、当時曼荼羅堂と呼ばれていたこのお寺に安居していたと伝えられている。
寛元3年(1245年)、この寺の別当職であった備後の大田庄の荘官、和泉法眼渕信が定證上人に寄進し、徳治2年(1307)に浄土寺の塔頭となり、江戸時代の寛文2年(1662年)に寺の名を海龍寺と改めたという。
山門を入った右側には江戸時代の人形浄瑠璃家「竹本弥太夫」の墓があり、「お経の塚」に触れることで技芸が上達すると言われている。
尾道駅近くまで戻り、夕食までの時間調整も兼ねて、「尾道みなと館」で日帰り入浴。天然のラジウム泉と、ドライサウナ、水風呂のセット攻撃で、夕食に向けて、完全な調整を図る(笑)
この「尾道みなと館」は、しまなみ海道をサイクリングする人の御用達になっているらしく、自転車で来ていないのは、私だけだった…
そして、予約していた「山源」さんに17時の始業と同時に入店。
太刀魚、サワラ、スズキ、シラサエビ他の刺し盛で昇天!
朝は煮付けでいただいたカサゴに、今度は天ぷらで再会(笑) 地酒とともに、今宵もへべれけに…
締めは当然尾道ラーメンに… 朱華園はあまりの行列に断念し、駅前ビルの「尾道ラーメン たに」さんの、ラーメン小550円でフィニッシュ!
意識不明の中、福山に戻り、駅前のビジネスホテルに投宿した…
明日の鞆の浦・仙酔島散策へ。
参考タイム
11/25 | JR尾道駅 10:00 ⇒ 10:05 しみず食堂 11:15 ⇒ 11:30 持光寺 ⇒ 11:40 ⇒ 12:00 天寧寺 12:10 ⇒ 12:30 千光寺 12:45 ⇒ 13:10 大山寺・御袖天満宮 13:20 ⇒ 13:35 西国寺 ⇒ 13:50 ⇒ 14:05 久保亀山八幡神社 ⇒ 14:05 ⇒ 14:20 浄土寺 14:30 ⇒ 14:35 海龍寺 14:40 ⇒ 15:00 JR尾道駅 |
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