尾鈴山

尾鈴山


【日 程】1995年3月20日(月)
【天 気】快晴
【メンバー】男2人、女1人
【コースタイム】登山口=1:20=尾鈴山=0:50=長崎尾=1:25=白滝=0:55=尾鈴駐車場=0:50=尾鈴 【5:20】

【記録文】

 3/20 快晴  ※画像はクリックで拡大

 宮崎から高鍋へいったん戻り、タクシーで一気に登山口へ。
 8時15分発。のっけから急登が続く。これだけのド快晴なのに全く展望が効かないのが少々残念。背後に見えかくれする海岸線に慰められながら、黙々と登る。車でかなり奥まで入ってもらったためか、割とあっけなく尾鈴山のピークに到着する。
 ここも木々に囲まれ展望は無い。昔は鉄製の櫓があり、そこからの展望は良かったらしいが、今はとっぱられており、空しく青空を仰ぐのみ。


尾鈴山山頂 尾鈴山山頂
 スズタケに青々と覆われた尾根道を辿り長崎尾へ。ここも展望はない。矢筈岳も潅木の中。終始展望の無いまま、尾根を離れ、白滝への急降下となる。白滝へは尾根を2本ほど乗り換えたり、所々大規模な伐採が入ってたりして、非常にわかりにくい。実際僕らも2回ほど引き返しました。
白滝 白滝
 降りるにつれ道は明瞭になり、やがて左手には白滝が見下ろせるようになる。最後のほとんど崖のような下りをこなし、やっとケヤキ谷に降り立つ。白滝へは、ここから5分ほど渓流を遡ったところ。すぐ真下まで近づける。さすがに落差75mはすごい。ここでランチにする。
 白滝を後にし、ケヤキ谷に沿って下る。ここからがこのコースのクライマックス。いわゆる尾鈴山瀑布群の名瀑たちが次々と現れる。九州自然歩道に指定されているのも当然か。
やすらぎの滝 やすらぎの滝
 これでもかと言わんばかりの滝の饗宴を受けながら、のんびり、のんびりと下る。大満足で駐車場(クエントウキャンプ場)に降り立つ。後は昨日と同じように車道を尾鈴バス停まで下るのみ。私の顔面は日焼けで真っ赤っかになってしまった…
 この日は宮崎市内に宿泊。郷土料理で祝杯を上げた。

 3/21 曇り一時雨

 レンタカーを駆り、まずは都井岬を目指す。


都井岬灯台 都井岬灯台
 岬の標高240mの断崖上に都井岬灯台が建つ。
 昭和4年(1929年)12月の完成した大型灯台で、「日本の灯台50選」にも選ばれている。
御崎馬 御崎馬
 岬周辺の草原には御崎馬(みさきうま)が放牧されている。
 御崎馬は、現存する日本在来馬7種(北海道和種、木曽馬、御崎馬、対州馬、トカラ馬、宮古馬、与那国馬)の一つで、純粋な日本在来馬として国の天然記念物に指定されている。
 都井岬を後に、飫肥の城下町へ。
飫肥城大手門 飫肥城大手門
 御存知伊東氏飫肥藩の居城。伊東氏は常に島津氏に脅かされながらも巧みに立ち回り、明治まで全うした。
振徳堂 振徳堂
 振徳堂は、飫肥藩の藩校として天保2年(1831年)に藩主伊東祐相(すけとも)によって建築された。
 教授には宮崎県清武町から安井滄洲、息軒父子を招き、小倉処平(官僚、思想家)や、小倉に見出された、小村寿太郎を輩出した。
鵜戸神宮 鵜戸神宮
 続いて、鵜戸神宮へ。
 鵜戸神宮は、日向灘に面した断崖の中腹にある岩窟内に本殿が鎮座しているので、参拝するには崖にそって作られた石段を降りる必要があり、神社としては珍しい「下り宮」となっている。
 創建は不詳だが、古代以来の海洋信仰の聖地で、社伝によれば、本殿の鎮座する岩窟は豊玉姫が主祭神を産むための産屋を建てた場所で、その縁により崇神天皇の御代に6柱の神を「六所権現」と称して創祀され、推古天皇の御代に岩窟内に社殿を創建して鵜戸神社と称したと伝わる。
 平安時代以降、海中に聳える奇岩怪礁とも相俟って、修験道の一大道場として「西の高野」とも呼ばれる両部神道の霊地として栄えた。中世以後は、伊東氏の崇敬を受け、何度も修復が行われている。
青島へ 青島へ
 もう18時前になったが、超有名観光地の青島へ。
 周囲860m、面積約4.4ha、高さ約6mの島で、岩と泥岩が交互に重なった地層からなる山が沈降して海に浸かり、波に侵食された後にわずかに隆起することで「隆起波食台」と呼ばれる地形が形成された。規則的に重なった地層が緩やかな傾斜をなしているため階段状に侵食されており、巨大な洗濯板のように見えることから「鬼の洗濯板」と呼ばれる。
 非常に珍しい地形であることから「青島の隆起海床と奇形波蝕痕」として国の天然記念物に指定されている。
 満ち足りて車を返却し、最終のフライトで大阪に帰りました。


      

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