−富雄から赤膚山を越えて西の京へ−
山行概要
2009年2月1日(日) | |
赤膚山 | |
曇り | |
単独 | |
近鉄富雄駅=0:40=霊山寺=0:40=垂仁天皇陵=0:10=近鉄尼ヶ辻駅【1:30】 |
記録文
4月1日付け人事異動の作業が本格化してきた。半日であっても出歩けるような状況ではないのだが、脱走を企てる。
何の当てもなく西大寺まで来てしまい、近鉄の車内吊広告で偶然目に入った霊山寺に惹かれて奈良線に乗り換える。
駅から川沿いに進む。こちらの気分まで滅入るような曇天だが、頑張って進む。
富雄川が大きく東へカーブすると、すぐに赤い霊山寺橋が見えてくる。
かなりの大寺。バラ園が有名だが、当然シーズン外なので、人はまばら。
霊山寺の創建は、寺伝では聖武天皇の勅願により行基が開いたとされているが、このことは正史には見えず、開創の時期や事情、中世以前の歴史についてはあまり明らかではない。現存する本堂、三重塔は鎌倉時代の本格的な建築であり、本尊薬師三尊像は平安時代後期に遡るものなので、古くから栄えた寺院であったと思われる。
奥まで進み、石段上に立つ本堂へ。本堂は、入母屋造、本瓦葺き。棟札により弘安6年(1283年)の建築であることが明らかで、鎌倉時代和様仏堂の代表作で国宝ある。
堂内の厨子内には、秘仏本尊で、重要文化財の薬師三尊像を安置する。
本堂の反対側の高台に三重塔が建つ。三重塔は、弘安6年(1283年)か翌年頃の建立とされており、高さ17m、檜皮葺き。国指定の重要文化財である。
初層内部の来迎壁(仏壇背後の壁)の表裏や長押には五大明王図、仏涅槃図などの極彩色壁画が描かれている。
境内には薬師湯殿というお風呂もあるが、本日はパス。この他、喫茶軽食が供されるお堂や、ゴルフ練習場まであり、何とも商魂たくましいお寺だ。
境内を辞し、更に富雄川に沿って東から南へ進む。
下鳥見橋で富雄川を離れ、赤膚山越えにかかる。静かな住宅地の中に、赤膚焼と呼ばれる陶器の窯場が点在している。第二阪奈道路をくぐると、ゆるやかに西ノ京に向かって下っていく。
瓢箪池からさらに下ると、目の前に垂仁陵が見えてきた。
垂仁陵は、全長227m、古墳時代初め(5世紀初め)の前方後円墳である。
まだ昼前だったが、尼ヶ辻駅で今日のハイクは終了。さあ、仕事、仕事。
参考タイム
2/1 | 近鉄富雄駅 9:55 ⇒ 10:35 霊山寺 10:50 ⇒ 11:30 垂仁陵 11:30 ⇒ 11:40 近鉄尼ヶ辻駅 |
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