竹内街道その1(堺〜河内松原)

−日本最古の官道と伝わる、竹内街道の旅がスタート! しかしほとんどが市街地歩き…−

   

山行概要

日 程
2018年10月14日(日)
山 域
竹内街道
天 気
晴れ時々曇り
メンバー
単独
コースタイム
南海堺駅=0:20=堺市役所=0:10=竹内・西高野街道分岐=0:10=JR・南海三国ヶ丘駅=0:35=金岡神社=0:55=柴籬神社=0:05=近鉄河内松原駅【2:15】

記録文(写真はクリックで拡大)

 竹内街道は、二上山の南麓を通って、大和国と河内国を結んだ古代の幹線道路の一つで、「日本書紀」の推古天皇21年(613年)の条に「難波より京(飛鳥)に至る大道(おおじ)を置く」と記されていた難波大道などと同様、日本最古の「官道」であると言われている。
 聖徳太子が、小野妹子ら中国大陸への使者として派遣された遣隋使が帰国の際に同行してくる大陸からの使者が通るために、立派な道路が必要だと考えて整備したものだといわれる。
 竹内街道の名は、奈良県葛城市にある竹内集落を通って竹内峠を越えていくことに由来するが、かつては丹比道(たじひみち)と呼ばれており、丹比野を横断するのでその名が付いたと言われている。天武天皇元年(672年)7月1日の条に「会明に、西の方を臨み見れば、大津・丹比、両の道より、戦の衆多に至る」とみえ、壬申の乱にも使われていたことが分かり、長尾街道と竹内街道であると推定されている。
 飛鳥時代には、遣隋使の使節や留学僧が往来し、難波から上陸した大陸の先進文化は、竹内街道を通って大和へ伝えられ、飛鳥文化の発展をもたらしたほか、シルクロードから海路を通って伝来した仏教もまた、竹内街道を通って大和へ伝わり、日本文化のいしづえとなったといわれる。
 中世になると、伊勢街道の一部として使われるようになり、現在では国道166号となっていることから、竹内街道は飛鳥時代より現在に至るまで街道として利用されていることになる。

 熊野古道高野街道京街道、西国街道と街道歩きが進展してきたことで、ついに竹内街道も視野に入ってきた。近場なので、気負いなく取り組めるのも良い。
 折しも、日曜だけフリーの週末があったので、これ幸いと日帰りで最初のパートをやってみることに…

堺市役所 7:55

 竹内街道は、近世には起点を堺大道筋(紀州街道)交点としていたため、私もそれに倣うことにし、南海堺駅に降り立つ。
 しばらくは西高野街道と同じルートになるため、この4月に西高野街道を辿った時と同様に、大小路を真っすぐ東に向かう。
 大小路は堺市役所で南海高野線とぶつかり、ここからは住宅街の中の細道を西高野街道とともに進んでいく。

竹内・西高野街道分岐 8:05

 しばらく進むと、榎元町にある竹内街道と西高野街道の分岐が現れる。ここは北から熊野古道紀伊路もやってくるため、もう3度目であり、すっかり馴染みになってしまった…
 ここで、南寄りに向きを変え、仁徳天皇陵方向に向かう、熊野・高野街道と別れ、東向きに進む。

JR・南海三国ヶ丘駅を通過 8:15

 向陵西町の交差点を横断し、しばらく進むと、三国ヶ丘駅。
 向陵中町で右折し、府道2号線と別れると、ようやく喧騒から離れ、旧街道筋の匂いが漂う、静かな街歩きが味わえるようになる。
 どんどん東へ進み、金岡小学校を通過すると、金岡の情緒ある街並みを歩くようになり、気が付けば金岡神社の鳥居が迫っていた…

金岡神社 8:55

 金岡神社は、絵所長者という絵の仕事をする役所で、最も重きをなした平安前期の宮廷画家である巨勢金岡(御所や貴族の家、有名なお寺に絵を描いたことは分かっているが、金岡の描いた絵は一つも残っていない…)を祭る神社である。
 毎年お盆に、氏子11町内の大太鼓が大勢の若者に担がれて町内を運行し、夕刻より順次、宮入りをするお祭は、この辺りの夏の風物詩となっているとのこと。

金岡神社の大楠 8:57

 また、境内には楠の大木が目立ち、最大のもの(写真)は、樹齢900年と推定され、堺市の指定保存樹木に指定されている。
 この日のハイライトは結果的にこの金岡神社であった。神社のすぐ東でまた府道2号線に吸い込まれ、以降、大泉緑地の南端を抜け、ひたすらこの味気ない府道歩きが丹南東の交差点まで続く。
 交差点で左折し、今日のゴールである河内松原駅までの1本道を北に進む。府道の1本北には旧街道っぽいルートが東西に続いていた… もっと早く気づいたら良かった…
 駅までの道は車1台が通るのがやっとの細道だが、何と路線バスが運行している。轢かれそうになりました…
 駅の東南に柴籬神社があったので、よってみることに…

柴籬神社 9:57

 柴籬(しばがき)神社は、御祭神を反正天皇(第18代天皇。この辺りの地が、反正天皇の都跡(丹比柴籬宮)として伝えられている)とし、第24代仁賢天皇の勅命により5世紀後半に創建されたと伝わる。
 清和天皇の貞観6年(864年)には、宝幣を給はり、観応2年(1351年)足利直義が祈願参詣し、戦国時代の河内国守護畠山氏も信仰篤くして当社を保護し、旧幕時代には京都御所より菊花御紋章幕一連を賜わり、江戸時代には井原西鶴が何度も参詣して、当宮の狂歌を数々残すなど、非常に由緒深い神社である。
 反正天皇が、その美しい歯並びから「瑞歯別尊」と呼ばれた伝承から、現在は歯の神様として信仰されている。

四天王寺前の「虹の仏」さんでスパイスカレーを満喫! 11:41

 柴籬神社から、5分程の河内松原駅で本日終了。少々物足りない行程となったが、天王寺での昼呑みの誘惑にあっさり負けた…(笑)
 10時から営業している、あべちかの「半田屋」さんで2,3杯引っかけてから、四天王寺前の「虹の仏」さんへ…
 先週の「今ちゃんの『実は・・・』」で放映されたばかりということもあり、11時半の始業の5分前に行ったが、既にかなりの行列が…
 何とか1回転目に入店でき、ダシの利いたスパイスカレーを味わう。サイコー!
 またしてもグダグダになった日曜日だった…

参考タイム

10/14南海堺駅 7:357:55 堺市役所 7:558:05 竹内・西高野街道分岐 8:058:15 JR・南海三国ヶ丘駅 8:158:50 金岡神社 9:009:40 丹南東交差点 9:409:55 柴籬神社 10:0010:05 近鉄河内松原駅

山行データへ

諸国名山探訪

Copyright(C) Hiroshi Fujita All right reserved

inserted by FC2 system