関ヶ原古戦場

−関ヶ原をのんびり散策。駅前の「魚しげ」さんの、うなぎも最高でした!−

   

山行概要

日 程
2015年4月25日(土)
山 域
関ヶ原古戦場
天 気
晴れ
メンバー
B、私
コースタイム
関ケ原町歴史民俗資料館=0:20=岡山烽火場=0:10=決戦地=0:05=島左近陣地跡=0:05=笹尾山・石田三成陣跡=0:10=島津義弘陣跡=0:05=開戦地=0:15=関ケ原町歴史民俗資料館【1:10】

記録文(写真はクリックで拡大)

 とある休日。のんびりと関ヶ原古戦場を歩こうと思い立つ。連れを連行し、京都からは車で1時間半で関ヶ原に到着。
 まずは、街の中心部に建つ、関ケ原町歴史民俗資料館で予習。って言うか、あまりに有名すぎて、全部知ってますけど(笑)
 まずは北に少し歩き、公園風に整備されている細川忠興陣所跡を見てから、川沿いに少し東へ進み、「瑞竜」という交差点でバイパスを横断し、北の山に取り付く。
 5分も登れば、黒田・竹中両軍の陣跡であり、この場所から開戦の烽火が上がったとされる、岡山のピークである。

岡山烽火場 10:30

 ここからは関ヶ原古戦場が一望のもと。小早川秀秋が陣取った松尾山(左)や石田三成の本陣があった笹尾山が指呼の間だ。

小栗毛池 10:45

 岡山から西北方向にゆるやかに下ると、池が3つ並ぶ、自然公園(エコフィールド関ケ原)に出る。
 新緑が爽やか過ぎる。

決戦地 10:55

 さらに西へ進み、再び出合ったバイパスをトンネルでくぐり抜けると、決戦地はすぐそこだ。
 この地は、石田三成の本陣にほど近く、西軍の敗色が濃くなるなか、三成の首を取ろうと攻める東軍と、必死で応戦した西軍とが最大の激戦を繰り広げた場所と言われている。
 道標に従い、目の前の笹尾山へ近づく。

島左近陣地跡 11:00

 笹尾山へ登り始める。麓には光成の本陣を守るように、島左近の陣がある。

石田三成陣跡 11:05

 ここからも関ヶ原が一望できる。大軍が動くさまを光成はどんな気持ちで見ていたのであろうか…
 南へ進む。R365を歩道橋で渡り、古い街並みを抜けると、神明神社に出る。

島津義弘陣跡 11:20

 神明神社の奥に島津義弘陣跡がある。「島津の退き口」と称された、後ろに引かず前方の東軍の中を敵中突破で突抜けした前代未聞の退却戦であまりに有名。

開戦地 11:25

 この地は、合戦当日の朝、霧が薄くなったのをきっかけに松平・井伊隊が、先峰の福島隊の脇を通り抜け、宇喜多隊の前へ進出し発砲したところ、井伊隊の抜け駆けに怒った福島正則が、宇喜多隊に対して一斉射撃を掛けたのがこの場所であるといわれている。
 ただ、現在の標柱の位置は、圃場整備によって史跡指定時よりも約300m北に移動しているらしい。

「魚しげ」さんの、ひつまぶし他! 12:11

 ゆるゆるとスタート地点に戻り、関ヶ原駅前に移動し、「魚しげ」さんへ。
 こちらの、ひつまぶしは絶品でした。関ヶ原で絶品うなぎが食せるとは〜 びっくりしました。
 この後、伊吹山の裏側まで足を延ばし、揖斐川町春日の「かすがモリモリ村リフレッシュ館」の薬草風呂に沈没し、ゆるゆると帰洛した。

参考タイム

4/25関ケ原町歴史民俗資料館 10:0510:25 岡山烽火場 10:3510:45 小栗毛池 10:4510:55 決戦地 10:5511:00 島左近陣地跡 11:0011:05 笹尾山・石田三成陣跡 11:1011:20 島津義弘陣跡 11:2011:25 開戦地 11:2511:40 関ケ原町歴史民俗資料館

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