熊野古道中辺路その5(志古〜熊野速玉大社)

−熊野川沿いに熊野本宮大社から熊野速玉大社を結ぶ旅その2−

   

この日のルートは青線。昨日の熊野古道中辺路その4・伊勢路その12(熊野本宮大社〜志古)は赤線

山行概要

日 程
2016年5月22日(日)
山 域
熊野古道中辺路
天 気
快晴
メンバー
単独
コースタイム
志古=0:20=三和大橋=0:40=子ノ泊山登山口=0:35=宣旨帰り=0:25=比丘尼転び=0:10=飛雪ノ滝=0:20=昼嶋=1:30=御船島=0:30=熊野速玉大社【4:30】

記録文(写真はクリックで拡大)

 昨日(熊野本宮大社〜志古)からの連戦。
 昨日のようにゴールの新宮市に先に車で向かい、バスでスタートの志古まで引き返したのでは、バスの始発の時間が遅く、8時近くになってしまうので、コースタイム8時間弱の行程と、今日中に帰宅しなければならないことを考え、スタート地点の志古に車を止め、早朝から出発することに。

水墨画のような早朝の熊野川の光景 5:03

 4時に起床し、5時には志古をスタートするという、超電撃戦である。快晴の予報だったので、爽やかな朝日を浴びながらの歩行を期待していたが、なぜかどんよりと曇り、細かな雨もぱらつく空模様。さすがに有数の多雨地帯である。

三和大橋で熊野川を渡る 5:21

 まずは、R168を歩き、三和大橋で熊野川の左岸に渡り、三重県に入る。熊野川が県境になっているのだ。

三和大橋から熊野川上流方向を望む 5:23

 以降、この県道をひたすら辿る。このルートは、川端(川丈)街道と呼ばれ、昔、新宮までの船賃のない、貧乏巡礼者が辿ったルートであり、私が歩むのに相応しいルートである(笑)
 川端街道にほぼ沿って伸びる、県道780号は、当然ながら熊野川沿いに付けられている訳だが、樹林に囲まれ、見通しがあまり利かない。薄暗く、人気がほとんどないこともあって、気味悪いくらいである。

水害の爪痕が色濃く残る 6:10

 たまに視界が開ける度に広がる、熊野川の景色に癒されながら、根気よく歩き続けると、子ノ泊山の登山口が現れる。
 しかし、登山口には「ルート崩壊で山頂まで行けません」との貼り紙が… 昨日から熊野川沿いを何度も行ったり来たりをしているが、水害の爪痕が各地で残っている。最近、南紀を立て続けに襲った水害のダメージはかなり深刻なようだ。
 さらに県道を突進すると、「宣旨(せんじ)帰り」の道標が現れる。

「宣旨帰り」の上部に懸かる滝 6:10

 川端街道にある難所のひとつで、切り立った岸壁を熊野川水面ギリギリのところに道が付けられており、その昔、天皇の使者(伝使)が川の増水で先に行くのを諦め、引き返したので、名前の由来になっている。
 昔はここからしばらく熊野川のすぐ畔を歩くルートがあったようだが、やはり水害で通行不能となっており、残念…
 県道から何度か見下ろして、ルート状況の確認をするが、水害で流されてきた巨石が乱積していて、とても歩けるようには見えなかった(そもそも県道が通行可能なまでに復旧しているのが信じられないくらいだ)。

「比丘尼転び」付近の熊野川 7:00

 先へ進む。久しぶりに住居の姿を見る、小鹿と呼ばれる集落を過ぎると、今度は「比丘尼(びくに)転び」の標識が。
 「(熊野)比丘尼」とは、戦国時代から江戸時代にかけて、荘園を失い、参詣者も減り、経済基盤が揺るぎだした熊野三山の運営資金を集めるために諸国を巡り歩いた有髪の女性宗教者のことで、全国に熊野信仰を布教し、本宮へ帰る途中の比丘尼が疲れのためかこの地で転落したと言う。
 ここにも僅かに山道が残っており、難所の雰囲気を少しだけ味わえると聞いていたが、「宣旨帰り」と同様、水害で通行不可だった…
 仕方なく県道をまた進む。単調さに飽きが出るころ、整備された園地が現れ、左手の支流に大瀧が轟音を上げているのが見て取れた。

飛雪の滝 7:10

 これが「飛雪の滝」で、本日初めてのビューポイントであり、単調ルートの良いアクセントになっている。
 「飛雪の滝」は、高さ約30m。その昔、この滝を訪れた紀州藩主の徳川頼宣(南龍公)が美しさに心打たれ、「幾重なす山を巡りて川豊か物は皆装い凝らす秋の色滝つ背の一筋掛かる岩辺の風吹けば飛沫さながら雪の舞い」と漢詩を詠んだことから名付けられたとのこと。周囲は完全に園地化され、オートキャンプ場も整備されていた。

昼嶋 7:30

 浅里の集落を過ぎると、熊野川に岩の塊のような中洲(島)が現れる。これが「昼嶋」(誤植ではない)で、熊野権現が昼食をとったとか、熊野権現と天照大神が碁を打ったとかという伝説が残る。
 川の水量が少ない時は歩いて渡れるらしいが、この日は叶わず。

「乙基の渡し」付近を行く 8:45

 さらに、ひたすら県道を進む。瀬原、北桧杖の小集落を通過し、熊野川が大きく北へ屈曲する辺りが「乙基(おとも)の渡し」跡である。
 朝からどんよりしていた空も、この頃になって、完全に晴れ渡った。暑い… 北へしばらく進むと、また川の中に島が見える。

御船島 9:00

 これが「御船島」で、熊野速玉大社の境内の一部で、熊野速玉大社の例大祭「御船祭(みふねまつり)」で祭礼の場となる島である。
 例大祭は、毎年10月15、16日に行われ、15日には熊野速玉大神の大祭である「神馬渡御式(しんめとぎょしき)」が行われ、16日には熊野夫須美大神の大祭である御船祭が行われる。
 御船祭は夫須美大神が年に一度、「神幸船(みゆきぶね)」で御船島に渡り、再び速玉大社の社殿に還ってくるという行事で、夫須美神が来臨した姿を毎年複演している祭礼である。

新宮が見えてきた 9:09

 こうして川沿いに歩いてみると、熊野川が世界遺産に登録されているのがよく分かる。ここまで来て、ようやく河口や速玉大社の森が見えてきた。ゴールは近い。
 支流の相野谷川を渡ると、すぐにR42に合流し、2週間前と同様、熊野大橋を渡り、和歌山県へ入り、そして速玉大社へ。

熊野速玉大社 9:36

 2週前は雨の中だったが、本日は快晴。青空に朱塗りの社殿が映える。これで、熊野三山全てが徒歩でつながるとともに、熊野古道紀伊路・中辺路と伊勢路がリンクし、大阪天満橋から伊勢神宮まで、約430キロが一本の線になった!
 まだまだ大雲取・小雲取越、小辺路、大辺路も残っており、熊野古道歩きはさらに続くが、とりあえずは、これだけ歩くことになると思ってなかったので、とてもとても感慨深い…

 帰りのバスを検索すると、折しも、奈良交通が誇る日本最長の路線バス「八木新宮特急バス」にタイミングが合い、権現前バス停10時3分発に乗車し、車の待つ志古には10時36分に到着できた。

温泉地温泉の「泉の湯」 11:47

 途中、十津川村の温泉地(とうせんじ)温泉の「泉の湯」で源泉掛け流しの硫黄湯を貸切状態で満喫(同じ温泉地温泉には、新しい「滝の湯」もあるが、正月に入ったので、今度はこちらにした)してから、ひたすらR168をドライブ。
 最後に、木津から京田辺まで京奈和道を少し使っただけで、ほぼ下道ながら、枚方の実家には16時前に到着。あの最長路線バスは、まだ御所市辺りを走っているはずだ(笑)
 熊野古道中辺路の次の区間(新宮〜熊野那智大社)はこちら

参考タイム

5/22志古 5:005:20 三和大橋 5:206:00 子ノ泊山登山口 6:006:35 宣旨帰り 6:357:00 比丘尼転び 7:007:10 飛雪の滝 7:107:30 昼嶋 7:309:00 御船島 9:009:30 熊野速玉大社

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