− ポカポカ陽気の下、憧れの街をのんびり散策 −
山行概要
2010年11月20日(土) | |
下田市街 | |
快晴 | |
K、私 | |
伊豆急行下田駅=0:25=下田富士=0:25=伊豆急行下田駅=0:20=ペリー艦隊来航記念碑=0:10=長楽寺=0:05=了仙寺=0:50=伊豆急行下田駅 玉泉寺=0:35=伊豆急行下田駅【2:50】 |
記録文
3年連続となったこの時期の関東プチ遠征。お金と時間的に少しでも効率的な旅をしようと夜行バスで行くのもいつものこと。
自ら選択したことだが、熟睡していた5時に激寒の沼津駅に放り出され、呆然としながら電車を乗り継ぎ、はるばる伊豆急下田駅に着いたのは8時前。
マックで腹ごしらえしてから、まずは駅からすぐ西のところに聳える下田富士に向かう。
僅か5分程で登山口となる浅間神社へ。
標高僅か190m余りの小山ながら、本家富士山と同様、浅間神社が麓に鎮座する。
急峻な見た目どおり頂上までずっと急坂が続く。
浅間神社がぽつんと立つだけの静かなピーク。展望もほとんどなく、木々の隙間から、下田駅周辺が見下ろせるのみ。
それでも私はふるさと富士の一つに登ることができ、大満足だった。
下田市のホームページから
「ずっと遠い昔、この下田富士と駿河の富士と八丈島は三人姉妹であった。駿河の富士は、桜の花の咲き盛るように美しく誰にも誉め讃えられているのに比べて、下田富士はごつごつの岩山で誰も見向いてもくれない。それで妹の駿河富士の姿は見まいと屏風として天城山を立てた」とのこと。
いったん下田駅に戻り、駅から南へ市街地を進む。市街地と言ってもこじんまりとして、なぜか昔来たような、見たような既視感を感じるところ。何だかメッチャ楽しい。「いい旅夢気分」状態。
町並みを抜けた漁港のそば。ペリーの胸像が立つ。
ここからの下田富士がいい感じ。登って良かった〜
ペリーが海兵隊を率いて上陸地から了仙寺まで行進した道筋らしい。風情満点。
日露和親条約の調印や、日米和親条約の批准書の交換が行われたところ。緑に囲まれた静かなお寺である。
日米和親条約が締結されたところ。開国殿とも呼ばれている。さっきの長楽寺とは対照的に広々とした開放感のある境内。
隣の黒船美術館でペリー来航のお勉強。
再び町中に戻ると建物の合間にぽつりと松蔭の拘禁跡地が。
下田は松蔭が黒船におしかけてアメリカに渡ろうとして帰された有名すぎるエピソードの舞台でもある。
「ハリスの足湯」でしばし休憩の後、目的の一つであるお魚へ。いろいろ店選びに逡巡した結果、「ゑび満」さんに入店。伊勢えびの鬼殻焼をチョイス。2人で一尾ずつ。塩焼きとタレ焼きを注文し、シェアする。最高〜
この時期の定番ですな。ここ数年、毎年この時期この辺りでキンメダイを食べている気が…
大満足の昼食後、いったん駅に戻り、後半戦へ。と言っても、私は完全に酔っ払い、お腹もパンパンなので、駅からすぐのロープウェイに揺られ、寝姿山へ。
女性の仰向けの寝姿に似ているところから名付けられたらしい。本日は午後になっても天気は快晴。写真の下田港はもとより、伊豆七島もくっきりはっきり。
小春日和の下、酔っ払った私はすかさずベンチで転寝モードへと思いきや、連れにシバかれ、泣く泣く次の目的地へ。
玉泉寺まで歩くつもりが、私が飲みすぎでグロッキーのため、タクシーで運ばれる。
ハリスが日本最初の米国総領事館とした古刹。歴史好きには絶対に外せない。叩き起こしてもらって良かった。
すっかり酔いも醒め、駅までの帰路は、まどが浜をゆっくり歩く。夕焼けの下田港を黒船サスケハナ号がのんびりと進む。最高の町歩きだった。
名残惜しい下田を後に、再び伊豆急行に乗り込み、今日のお宿である伊東へ。
温泉をゆっくり堪能した後、街に繰り出す。
市内の割烹(屋号は忘れた)でまたもや伊勢えび。写真の活け造りのほか、丸ごと1匹入った鍋を堪能。今回もやりたい放題の旅に…
翌朝、二日酔いのまま、スーパー踊り子号で東京へ。さあ、仕事、仕事。
参考タイム
11/20 | 伊豆急行下田駅 8:50 ⇒ 8:55 浅間神社 8:55 ⇒ 9:15 下田富士 9:20 ⇒ 9:45 伊豆急行下田駅 9:45 ⇒ 10:05 ペリー艦隊来航記念碑 10:05 ⇒ 10:15 長楽寺 10:20 ⇒ 10:25 了仙寺 10:50 ⇒ 11:00 吉田松陰拘禁の跡 11:05 ⇒ 11:30 ゑび満 12:45 ⇒ 13:00 伊豆急行下田駅 13:05 ⇒ 13:20 寝姿山 13:40 ⇒ 14:00 玉泉寺 14:20 ⇒ 14:55 伊豆急行下田駅 |
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