下高野街道

−河内長野までの4本の街道をついにコンプリート!−

   

山行概要

日 程
2018年11月23日(祝)
山 域
下高野街道
天 気
晴れ
メンバー
単独
コースタイム
大阪メトロ四天王寺前夕陽ヶ丘駅=0:05=四天王寺=0:30=大阪市立工芸高等学校=0:20=法楽寺=0:05=山坂神社=0:25=鷹合神社=0:20=下高野橋=0:05=阿麻美許曽神社=0:30=布忍神社=0:45=菅原神社(小寺)=0:20=北余部=0:35=南海狭山駅=0:15=狭山池(北端)=0:15=南海大阪狭山市駅【4:30】

記録文(写真はクリックで拡大)

 先週ので、中高野街道をコンプしたので、京・大阪から河内長野に向かう高野街道全4ルートのうち、3つを完歩した。残る下高野街道は20km弱ほどなので、余裕で1日行程だ。
 そうなると、少しでも早くやってしまいたい。幸か不幸か、勤労感謝の日が絡む貴重な3連休の中日に仕事が入ってしまい、遠出を諦めていたので、勤労感謝の日の金曜日に出撃することにする。

 気が逸ったか、最寄り駅を始発電車で出て、谷町線で四天王寺前夕陽ヶ丘駅へ。地上に出ると、当然ながら真っ暗(笑)
 とりあえずは街道起点の四天王寺へ。

四天王寺 5:58

 西大門(極楽門)から境内へ。暗闇の中に浮かぶ金堂と五重塔が幻想的である。
 境内を斜めに横切り、南大門からスタート! 庚申堂の前を通過し、南下していく。
 JR天王寺駅に突き当り、どうやってここを通り過ぎるのかと思っていたら、地下道があり、無事にあびこ筋に出た。すると今度は近鉄阿部野橋駅が立ちはだかる。
 ビルの上部で越えていくみたいだが、朝早過ぎてビルが閉まっており、通過を断念。いったん西側に大きく迂回して、街道筋に戻り、市街地を南下する。

大阪市立工芸高等学校本館 6:30

 津守阿倍野線という幅広の車道に出ると、東に右折し、阿倍野区役所のところから、南東に進む街路に入る。
 しばらくで、お洒落な洋館が見えてくる。これが大阪市立工芸高等学校本館である。
 この建物は、ドイツのヴァイマル工芸学校(後のバウハウス)をモデルとして設計され、大正13年(1924年)に竣工した。校門近くにあった解説版によると「このような重厚でロマンあふれる建築様式は、アールヌーボーと総称され、わが国には類例が少ない」とのこと。
 大阪市の有形文化財に指定されているほか、日本の産業近代化を支えた技術者教育の歩みを知る事が出来る施設として、近代化産業遺産にも認定されている。

桃ヶ池公園 6:45

 さらに南下し、阪神高速14号松原線の高架をくぐると、桃ヶ池に出た。地元住民の散歩者が多い。
 かつては「百ヶ池」「脛ヶ池」「股ヶ池」とも呼ばれていたらしい。池が幾つもあるから百ヶ池になったという説や、池の形が股引のような形になっていることに由来するという説、また、聖徳太子の使いが大蛇退治をした際、水深が腿程度だったためなど、いろいろな説がある。
 池の南端で東に左折し、二筋ほど進んだところで、右折し、再び南下すると法楽寺。

法楽寺三重塔 6:51

 この辺りの地名から、「たなべのお不動さん」とも呼ばれている。
 この三重塔は、平成8年(1996年)11月26日の再建で、通称「平成の三重宝塔」とも呼ばれている。

法楽寺本堂 6:51

 伝承によれば、源平の戦乱で戦死した平家と源氏の霊を平等に弔うために、源義朝の念持仏であった如意輪観世音菩薩を安置し、壮麗な伽藍が営まれたことが起源とされる。
 元亀2年(1571年)、織田信長軍の侵攻による兵火で伽藍は灰燼に帰したが、正徳元年(1711年)から本格的な復興が始まったという。

山坂神社 7:00

 法楽寺のすぐ南には、山坂神社が建つ。
 社伝では、天穂日命の子孫が、ここへ住み社殿を建立し、同族の土師(はじ)氏である野見宿禰命を合わせて祀ったのが始まりで、野見宿禰に因み、かつては奉納相撲も行われていたとのこと。
 鳥居前を左折し、しばらく東に進み、南田辺商店街のアーケードに右折して進入。アーケードを出てからも、東進、南進を繰り返しながら針中野の街中を通過していく。

鷹合神社 7:35

 小川に沿って南下を続けると、鷹合集落に入り、鷹合公園の東隣に鷹合神社が建つ。
 正式名称は素盞嗚尊神社だが、当初、鷹飼堂と呼ばれ、祭神は午頭天主だったとのこと。住吉神社の旧神官青蓮寺という家の記録の中に、延徳元年(1489年)8月云々、鷹合の祭り云々との記載があるので、創祀はその以前と考えられる。
 明治5年(1872年)、村社の資格を与えられ、地名にちなんで鷹合神社と改められた。

下高野橋で大和川を渡る 7:55

 市営住宅の建ち並ぶ矢田地区を南下する。大阪市の最南端辺りだ。
 大昔の住宅地区改良事業で建てられた市営住宅には風呂が無かったため、団地内に公衆浴場を設置するのが常であるが、この団地内の「ふれ愛温泉矢田」は何と天然温泉であった。
 温泉の先で大和川を渡る。先週の中高野街道の高野大橋は街道筋からだいぶ西にはずれて橋が架け替えられていたので、大きく迂回させられたが、今回は、真っすぐにストレス無く大和川を渡ることができた。

阿麻美許曾神社 8:00

 橋を渡ったすぐ先に、阿麻美許曾神社(あまみこそじんじゃ)が建つ。
 社伝によれば、大同年間(806−810年)の創建とされているが、真偽は不明。「許曽」は新羅の言葉に由来するとされ、朝鮮半島からの渡来人が先祖を祀ったのが起こりではないかと言われている。
 川を渡ったこの地が、まだ大阪市だと知って驚いたが、この神社を含む一帯はもともと矢田村の一部であったところ、江戸時代に大和川の付け替えにより川が矢田村を分断し、神社は大和川の南岸に切り離されてしまうことになった。この際に、南岸に残された矢田村の大半は後の松原市となる側に編入されることになったが、神社は矢田村の氏神であったことから、神社の周囲と参道のみは矢田村に残留したのだ。このために、神社周辺は大和川の南岸にありながら大阪市に属しており、参道に相当する部分(下高野街道)が細長く松原市に食い込んで大阪市として存在しているとのことで、大いに合点がいった。

布忍神社 8:31

 松原市に入り、天美の集落を抜けていく。道幅は細く、昔の街道筋の雰囲気が残っており、下高野街道の案内板も設置されている。
 やがて西除川に突き当り、左岸沿いの遊歩道を進んでいくと、布忍(ぬのせ)神社の鎮守の森が前方に見えてくる。
 「布忍」の地名の由来は日本書紀にもある布忍入姫命(ぬのしいりびめのみこと、日本武尊の娘のひとり)にあると言われている。本社の創建年は不詳、本殿は府指定有形文化財に指定されている。
 現代美術家のイチハラヒロコさんとコラボした「恋みくじ」で沸いているらしいが、オッサンには関係なく、素通り(笑)…
 長尾街道と交差する布瀬橋のところで、西除川といったん離れ、住宅地をひたすら南下。

しだいに郊外へ 9:12

 いつしか堺市に入り、野遠という古い街並みの残る集落を抜ける。この辺り、政令市なのに乗合タクシーが運行する長閑なところだ。どこかで竹内街道と交差したはずだが、迂闊にも気が付かなかった…
 野遠を抜けると、中央環状線を横断し、さらに南下する。さらに耕作地の割合が増えてきて、ますます郊外っぽくなってきた。

小寺集落の街並み 9:30

 続いて小寺の集落へ。ここも道幅は狭まり、古い町家が点在している。
 さらに南下を続け、次の集落が大饗(おおわい)。ここも古い集落だ。この少し先で、阪和自動車道をくぐると、北余部交差点。

南余部の街並み 9:45

 右手の旧道に入る。この余部集落がなかなかすごいところで、ホンマに政令市とは思えない細い路地に町家が並んでおり、壮観である。
 再び近づいてきた西除川(実はこの川、河内長野の天野が源流部で、天野川として狭山池に流れ込み、狭山池からあらためて西除川となって、大阪狭山市、堺市、松原市を流れ、大和川に合流している)と何度か絡みながら南下すると、野田の集落を抜け、南海の狭山駅で線路を横断。

池尻の街並み 10:22

 狭山駅の西口から池尻集落へ旧道が続いており、ここの街並みも渋い。
 街並みを愛でているうちに、あっと言う間に集落を抜け、気が付けば、狭山池の北端に到達。

狭山池 10:31

 金剛・葛城の山々をバックに、広々とした光景が広がる。
 狭山池は5日振り(笑)… (明後日も訪れることになるのだが…(再笑))
 池の北岸を東進し、堤から降り立ったところが岩室集落で、ここの辻で、5日前に歩いた中高野街道と合流し、ここで下高野街道は終了!
 のんびりと大阪狭山駅まで歩き、この日の散策は終了となった。

なんばで一人打ち上げ! 11:26

 阿部野橋駅に向かい、アベチカの半田屋さんで、いつものように昼呑み!
 幸せな休日でした…

参考タイム

11/23大阪メトロ四天王寺前夕陽ヶ丘駅 5:505:55 四天王寺 6:006:30 大阪市立工芸高等学校 6:306:50 法楽寺 6:557:00 山坂神社 7:007:05 東住吉交差点 7:157:35 鷹合神社 7:357:55 下高野橋 7:558:00 阿麻美許曽神社 8:008:30 布忍神社 8:359:20 菅原神社(小寺) 9:209:40 北余部 9:4010:15 南海狭山駅 10:1510:30 狭山池(北端) 10:3010:45 南海大阪狭山市駅

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