久能山・静岡市街散策

−台風で山行は諦め、衝動的に転進した東海の城&グルメ巡りその@−

   
  

山行概要

日 程
2018年10月6日(土)
山 域
静岡市街
天 気
晴れ時々曇り
メンバー
単独
コースタイム
久能山下=0:10=一ノ門=0:05=楼門=0:05=御社殿・神廟=0:10=一ノ門=0:05=久能山下【0:35】
サウナしきじ=0:10=登呂遺跡=0:35=JR静岡駅=0:10=駿府城跡=0:15=JR静岡駅【1:10】

記録文(写真はクリックで拡大)

 何とか3連休が確保できたので、紅葉のアルプスを狙っていたが、無情にも2週連続の台風上陸となった…
 結果論で言うと、台風は日本海側を回って行ったので、北アルプスの南部とかなら行けたと思うが、気が抜けてしまって、テント泊の準備をする気になれず、とは言え、せっかくの3連休を無駄にするのも、まっぴらご免なので、マイカー利用の安直な城&グルメ巡りを、これまで比較的疎遠だった東海地方で展開することに…

 気合で4時に起床し、早朝4時半に枚方を出撃。
 今回の遠征の東端は静岡市としたので、まずは、静岡市街を探索することにし、新東名をぶっ飛ばして一気に藤枝岡部ICへ。焼津市街を経由し、海岸沿いに東進し、久能山下へ(第一目標は駿府城だったが、恥ずかしながら、久能山東照宮が静岡市街からかなり近いことを迂闊にも初めて知ったので、急きょ行くことにしたのだ…)。
 久能山に登るには、北側の日本平からロープウェイが利用できるが、やはり山ヤとしては、1159段の石段を登らねば… と言うことで、久能山下にやって来たのだ。
 久能山下にはちゃんとした駐車場がなく、土産物屋や食堂の駐車場を借りることになる。私も1回500円の駐車料を払い、突撃する。

久能山下からスタート! 8:25

 海岸沿いの門前街を抜けると、すぐに石段が始まる。
 この石鳥居は、明神造で高さ6.5m。大正4年(1915年)4月17日に斎行された東照宮三百年祭を記念して、同奉賛会によって奉納されたとのこと。

九十九折れの石段! 8:31

 山ヤとしては、「1159段なんか楽勝!」と驕っていたが、かなりの急傾斜… 17曲がりもあるらしい。
 しかも、今日は台風のフェーン現象か、異常に蒸し暑く、あっと言う間に汗だくに…(涙)

一ノ門前からの駿河湾 8:38

 とは言え、10分程で、山上の一角である一ノ門に到達。
 ここからは駿河湾が一望できる。

楼門 8:45

 山上に入り、社務所で拝観料500円を支払い、楼門をくぐる。
 この楼門は、2階建てで、軒下中央に後水尾天皇の宸筆「東照大権現」の扁額が掲げてあることから、「勅額御門(ちょくがくごもん)」とも言われている。
 久能山創建の元和3年(1617年)から健在の国指定重要文化財である。

山上社殿群 8:45

 楼門をくぐった所からの山上社殿群。
 左から神饌所(しんせんじょ:神饌とは神様へのお供え物のことで、それを準備する所)、石鳥居の奥に唐門があり、さらにその奥に御社殿。
 参拝客は石段を登った後、唐門をくぐることはできず、右手に回り込んで、御社殿に向かう。

国宝!!(御社殿) 8:50

 御社殿は、御祭神徳川家康公をお祀りする「本殿」と参拝をするための「拝殿」を「石の間」で連結した「権現造(ごんげんづくり)」と呼ばれる様式で、全国に数多く創建された東照宮の原型となった。
 元和3年(1617年)の建立。江戸幕府大工棟梁中井大和守正清の代表的な遺構の一つであるとともに、江戸時代を通じて権現造社殿が全国的に普及する契機となった最古の東照宮建築であり、平成22年(2010年)、国宝に指定された。

拝殿向拝獅子頭貫木鼻 8:50

 日光の東照宮と同じように、社殿は極彩色で彩られている。
 ちなみに「木鼻」とは貫(木造建築で柱等の垂直材間に水平に木材を通すこと)という技法により先端が柱より出ている部分に施された彫刻などの装飾である。

神廟 8:53

 本殿の後方にある廟門くぐって、さらに石段を登ると、神廟。ここは御祭神である徳川家康の遺骸を埋葬し奉った所で、元和2年(1616年)の創建当初は木造桧皮葺の造りであったが、寛永17年(1640年)、徳川家光により現在の石造宝塔に造替された。これも国指定の重要文化財である。
 宝塔の高さは5.5mで、家康の遺命により西向きに建てられており、家康の両親が子授け祈願の参籠をしたという言い伝えを持つ鳳来寺、さらにその西に岡崎の松平家の菩提寺大樹寺、家康誕生の地である岡崎城があり、そしてその延長線は京の都へと続いている。

唐門(社殿側から) 8:58

 唐門は、銅瓦本葺黒漆塗の屋根を持つ四方唐破風造。この門も羽目板に唐獅子牡丹、黒松に鳥の透彫で彩られている。

社務所前からの展望 9:04

 登拝当初はガスで遠望があまり利かなかったが、ここに来て青空が広がってきた。

一ノ門前から降下開始 9:06

 帰路は飛ぶように下り切り、あっと言う間に久能山下に帰着。
 静岡市街へ車を走らせ、JR静岡駅から南へ3キロ弱の「サウナしきじ」さんへ。
 「サウナしきじ」とは、「サウナの聖地」や「日本一気持ち良い水風呂」と称えられる、マニア垂涎の地である。
 今日はここを寝ぐらにする予定で、ここに駐車させてもらってから、静岡市街に繰り出し、飲んだくれてしまおうという算段である(笑)

登呂遺跡に寄り道 9:56

 「サウナしきじ」さんに車を止めさせてもらい、静岡駅に向かって歩き出す。
 途中、登呂遺跡のある登呂公園があったので、しばし寄り道。
 登呂遺跡は、弥生時代、1世紀ごろの集落・水田遺跡で、国の特別史跡に指定されている。昔の歴史の教科書にも出てましたね。

「海ぼうず」さんで昼から沈没!@ 11:08

 静岡駅ビルのアスティにある「海ぼうず」さんに11時の始業と同時に突撃!
 やはりスタートは静岡(しぞーか)おでんでしょう!
 「だし粉」も標準装備で旨すぎる!

「海ぼうず」さんで昼から沈没!A 11:12

 マグロ、マグロ剥き身、シラスの3点盛り!

「海ぼうず」さんで昼から沈没!B 11:45

 静岡割り(焼酎の緑茶割り)も外せない…
 すっかりグダグダになってしまい、駿府城探索が危ぶまれたが、何とか歩き出す。
 日本百名城の駿府城は再訪だが、前回は平成14年(2002年)に出張のついでで慌ただしく通り過ぎただけで、ほとんど記憶がないので、初見と同様である(笑)
 近世城郭としての駿府城は、武田氏滅亡後、徳川家康が領有した以降から始まり、現在の形状は、家康が大御所となって江戸から駿府に隠居した際に天下普請によって大修築され、3重の堀を持つ輪郭式平城が成立した。
 この時に建築された天守閣は、天守台が約55m×48mという城郭史上最大で、7階建ての豪壮なものであったが、慶長12年(1607年)、城内からの失火により焼失した。その後直ちに再建され、元和2年(1616年)に家康が没するまでの大御所政治時代、駿府は江戸と並ぶ政治・経済の中心地として大いに繁栄した。
 寛永12年(1635年)、城下の火災が城に延焼し、再び焼失したが、御殿・櫓・城門等は再建されたものの、城主がいないため天守は再建されず、明治に至った。

駿府城巽櫓 13:17

 巽櫓は二ノ丸跡の南東角に設けられた二重三階の隅櫓で、安政元年(1854年)の安政東海地震で倒壊したが、市制100周年の記念事業として、平成元年(1989年)に日本古来の伝統的在来工法によって復元された。
 全国の城の櫓建築でも例の少ないL字型の平面を持ち、防御機能に優れた櫓と言われている。

東御門櫓門 13:19

 東御門櫓門から城内へ。この門も平成8年(1996年)に在来工法によって復元された。

坤(ひつじさる)櫓 13:26

 この坤櫓も安政東海地震で倒壊したが、巽櫓と同様、平成26年(2014年)に復元された。
 このように、静岡市はかなり駿府城の復元に力を入れており、いずれは天守の復元も目指しているのだが、確定的な資料が発見されておらず、現時点での復元は困難らしい。一方で天守台については確定的な資料があるため、史実に基づく復元は可能とのことで、2年前から天守台の発掘調査が行われている。
 時間調整と酒抜きを兼ねて、東へ一駅の東静岡駅前にある「柚木の郷」へ避難する(笑) マッサージ120分の豪遊で、逆に体がバキバキに…(笑)

「しらなみ」さんで夜も沈没…@ 17:08

 静岡駅に戻り、駅南の南町にある「しらなみ」さんの始業と同時に突撃!
 鰯の炙りからスタート!

「しらなみ」さんで夜も沈没…A 17:22

 由比に上がったショウサイフグのたたき!

「しらなみ」さんで夜も沈没…B 17:52

 静岡産の焼きシイタケに、今回も静岡割りが止まらない!(笑)
 ベロベロになって、「サウナしきじ」さんにタクシーで運ばれました…(笑)
 マニア垂涎、サウナの聖地の天然水水風呂に沈没し、静岡の旅1日目が終わった…
 2日目(遠州の城巡り・浜松市街散策)へ。

参考タイム

10/6久能山下 8:258:35 一ノ門 8:408:45 楼門 8:458:50 御社殿・神廟 9:009:10 一ノ門 9:109:15 久能山下
サウナしきじ 9:459:55 登呂遺跡(登呂公園) 9:5510:30 JR静岡駅 13:1013:20 駿府城跡 13:3513:50 JR静岡駅

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