−標高は1,500m余りながら、それ以上の雄大さを感じた山。−
山行概要
1999年10月9日(土) | |
会越国境 | |
晴れ時々曇り | |
りかさん(♀)、デビ夫妻(9日のみ)、私 | |
二口猿倉橋=0:30=護人清水=2:00=大岳分岐=0:15=青雲岳=0:10=守門岳=1:10=大岳=1:05=保久礼小屋=0:40=二口猿倉橋【5:50】 |
記録文
この当時は、子どもも生まれたばかりでいろいろと大変なことが続き、仕事も少々スランプ気味で、自分史的には割と不遇の時代。そんな辛い時期にけっこうスマッシュヒットな山旅ができたので、印象深いものとなった。
「きたぐに」で長岡着。あーほんまに久しぶりの山旅。結局この夏は一度も山に行けなかったし。この開放感は格別。
駅レンタカーの事務所で手続きをしていると、デビ夫妻が到着(外人じゃないです。単にダンナがデビッド石井に似ているだけ…)。R351で栃尾へ。栃尾城跡に心惹かれつつ、続いてR290を南下。一気に回りは深山の気配濃厚になってくる。
そして入広瀬村(今は合併して魚沼市になったらしい)の二口登山口に車を滑り込ませる。すでに駐車場は満杯になろうとしていた。
出発時間が遅めなので、急いで出発。登山口からすぐに森の中へ。いきなりの急登で幕を開ける。先日久しぶりに登った鈴鹿の藤原岳における何のことはない日帰り登山で膝痛がぶり返した私は両膝サポーターのガチガチの体勢で慎重に歩を進める。3月からロクなトレをやってないので、護人清水ですでに汗だくである。
清水からしばらくは素晴らしいブナ林が疲れを和らげてくれる。多分何の変哲もない林だと思うのだが、山に飢えていた私にはとても爽快な景色に写ったようだ。「やっぱり越後の山はイイ!」と一人無闇に興奮してしまう。
林を抜け、視界が開けると、右手のオカバミ沢の美滝が望める小平地に登りつく。下界を見下ろすとだいぶ登ってきたと思うのだが、見上げる守門の頂稜ははるか頭上だ。
ここからも苦しい登行が続く。大岳への分岐でようやく稜線に到達。微妙に色づき始めた木々を縫うように進む。やわらかな稜線上には、ところどころ木道が敷かれ、何とも気持ちが良い。
青雲岳周辺は爽やかな湿原の草紅葉が広がっていた。霞んで遠望は効かないが、雄大な越後三山はわざわざ同定する必要が無いほどはっきりと認識できる。
青雲岳を過ぎ、草紅葉が色づきはじめた稜線をさらに進んで、主峰の袴岳登頂!
ここで昼食にするがこの頃なぜか山の昼食の定番メニューだったカップラーメンにレトルトシチューとビールというセットで、至福のひとときを過ごす。
分岐へ戻る。日没を気にしながらも、やはり大岳は割愛できないということで、今度は大岳へ。大したアップダウンなく大岳へ導かれる。
やっぱり、守門岳は名山です。僕らは屏風のように広がる頂稜をずっと眺めていた。
保久礼への急坂を下る。かばってはいたが、私のガラスの右膝はここでギブアップ。途中から足を引きずりながらの苦しい下降となる。保久礼小屋から泥濘の下り坂に閉口しつつも、すぐに林道に降り立ち、後は車の待つ駐車場まで夕暮れの中、のんびりと下った。
下山後の温泉に事欠かないのも、越後の山のよいところ。近くの寿和温泉ドリームタウンの露天風呂をチョイス。(今回の山旅のためだけに地元新潟日報の日帰り温泉ガイドを購入していた)
とっぷりと暮れた露天風呂から眺める月夜は幻想的だったが、それ以上に温泉自体が良かった。ヌメリがあり、上がってからも体がポカポカ〜。とても気に入ってしまった私は3年後にもこのお風呂を訪れることになる…
入浴後、今日中に帰京するデビ夫妻を送りに、上越新幹線の浦佐駅まで出る。駅前の居酒屋でささやかな祝杯を上げる。と言う訳で、本日の移動はここで終了。
友を見送り、新幹線駅とはとても思えないひっそりとした駅前駐車場で車内泊。9時過ぎには眠りに就いたが、駅前の居酒屋で見たサッカーのシドニー五輪予選U22日本−カザフ戦の興奮が冷めないのか、なかなか寝つけなかった…
参考タイム
10/9 | 二口猿倉橋 9:15 ⇒ 9:45 護人清水 9:50 ⇒ 10:45 休憩 10:50 ⇒ 11:45 大岳分岐直下の湿原 11:50 ⇒ 12:00 大岳分岐 12:00 ⇒ 12:15 青雲岳 12:20 ⇒ 12:30 守門岳(袴岳) 13:20 ⇒ 14:05 青雲岳−大岳鞍部 14;10 ⇒ 14:35 大岳 14:50 ⇒ 15:55 保久礼小屋 16:00 ⇒ 16:40 二口猿倉橋 |
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